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主者選択 ― この命に、意味を刻む  作者: シロイペンギン
未知に試される者 ― 少年編
18/32

進撃の朝 ー 双つ道の誓い

『作戦記録 ユレッタ北方異常対応』

記録者:アルヴェイン家ヴァルデン領兵 ノルド


本日未明、ユレッタを発ち、北西旧ラドゥス村方面へ進軍。

作戦目的は以下の通り。


一、群れを率いる統率個体の撃破。

二、統率崩壊後に散る個体群の掃討、およびユレッタへの被害防止。


突入隊は八名。主戦力はロイス副官、ミリア、ヴァンの三名。

アーシェ様、シアナ様も直々に随行。

後衛支援としてユレッタ兵二十名が配され、側面制圧と退路の確保にあたる。


現在、街道を北上し森手前にて一度目の休息を終えた。

兵の士気はおおむね高い。装備の不備も認められず。

ただし周囲のマナには乱れがあり、進軍以降の危険度は増す見込み。


以上、ここまでの経過を記す。

町の柵門が、朝靄の中に小さくなっていく。

木の門と見張り台だけの簡素な防御線は、振り返ればすぐに霞んで見えなくなった。

町の人々の視線を背に受けながら進むうちに、もう帰れない距離まで来てしまったのだと実感する。


先頭を行くのはロイスとヴァン。

ロイスは無言のまま前を見据え、槍を構える背に緊張が漂う。

一方でヴァンは軽く振り返り、にかっと笑って手を上げた。

「気張っていきましょうや!」

その一言に、後方の兵たちの表情がわずかに和らぐ。


その背を追うように、僕とシアナを乗せた二騎が続いた。

僕はレオの馬に抱えられ、シアナはミリアに支えられている。

さらに後方にはノルドやリィナ、そして二十名のユレッタ兵が列をなし、蹄の音と鎧の軋みだけが街道に響いていた。


レオが小声で告げる。

「このまま街道沿いを北へ進みます。やがて西へ折れて、森を抜けた先に……旧ラドゥスがあります」


その声音には重みがにじんでいた。

しばしの沈黙ののち、彼は気遣うようにこちらを振り返る。

「揺れは大丈夫ですか? 気分が悪くなったりしていませんか」


「……はい。大丈夫です」

そう答えると、レオは小さく頷き、少し伏し目がちに続けた。


「母が、あの村の出身でして。

 子供のころは何度も遊びに行ったんです。

 本当に綺麗な村でした。川も森も豊かで……」


そこで言葉が途切れる。

前を向いたままの横顔に、やはり胸に去来するものがあるのだろう。

それを口にすることはなく、静かな沈黙だけが落ちた。


その沈黙を埋めるように、蹄の音が一定の調子で響き、鎧の軋みが重なっていく。

僕は口を開きかけて、結局言葉を失った。


街道の両脇では夏草が風に揺れ、遠く霞む山並みを鳥の影が横切っていった。

澄んだ青空が広がっていく中で、行軍の音だけが変わらず耳に残る。


やがてレオが、その音に重ねるように口を開いた。

「……それにしても、アーシェ様は立派です。

 このご年齢で町を導く決断をされるなんて、僕にはとてもできません」


胸が少し詰まり、思わず言葉が漏れる。

「たしかに、覚悟をもって決めました。

……でも、本当に良かったのかはわからないんです。

 僕は昔から、どう決めたらいいのか、わからなくなるときがあって……」


言ってから、自分でも少し変な言い方だと思った。

けれどレオは気に留める様子もなく、優しく笑った。


「わかります。僕も、迷うことばかりですから」

少し間を置き、蹄の音がまた響いたところで静かに重ねる。

「けれど……決めないで後悔するより、決めて進む方が良いと、僕は思っています」


押しつけでも慰めでもない、そっと背を押すような声音。

――どこか懐かしい響きだった。


再び沈黙が落ち、馬の揺れと蹄の音だけが続く。


やがてレオは小さく息を吐き、わずかに笑みを浮かべた。

「……本当は、こういうことを口にするのは良くないのでしょうけど」

「家の内情を外で語るのは、本来あまり格好のいいことじゃありませんから」


視線を前に向けたまま、彼は続けた。

「父は、祖父を継ぐには相応しくないと、よく言われています。

 だから世間では、“僕が祖父を継ぐのだろう”と見られていて……」


少し息を止めるように間を置き、声を落とす。

「それでも、自分の道は……自分で決めたい」


その言葉に、胸の奥がかすかに疼いた。

――この人と僕は、どこか境遇が重なっているのかもしれない。

だから彼も、それを感じて、僕に話してくれているのかもしれない。


思わず口を開いていた。

「……でも、自分で決めるって、どういうことですか?」


レオは少しだけこちらを振り返り、穏やかに目を細めた。

「そうですね……言葉にすると難しいですが」

蹄の音に合わせるように小さく息を整える。

「人に決められるんじゃなく、自分で選んだ道を歩きたいんです。

 ただ流されて進むんじゃなくて……確かな意味を持って、選びたい」


言い終えると、しばし蹄の音だけが続いた。

やがてレオは声を和らげる。

「……僕は、この国の外に出てみたい」


小さく間を置いて、声を落とす。

「まだ見ぬ世界を歩き、その冒険を記録に残したいんだ」


その横顔に、言葉以上のものを感じた。

――なぜだろう。懐かしい誰かの姿が胸によみがえる。


前世の兄。

誰よりも優秀で、そして誰よりも自由を望んでいたあの人。

……あの人が僕の前から消えた日から、僕の歩むレールは完成してしまった。


胸の奥にかすかな痛みが残る。

けれど蹄の音が途切れず耳に届き、現実へと意識を引き戻す。


思わず口を開いていた。

「……素敵な夢だと思います」


自分でも驚くほど、自然に言葉がこぼれていた。


レオは目を細め、ほんの少しだけ微笑んだ。

「……ありがとうございます」


それだけの返事なのに、不思議と胸の奥が温かくなるのを感じた。



会話の余韻を残したまま、列は黙々と街道を進む。

夏草の匂いが風に混じり、鳥の影が高い空を横切っていく。

夜明けの冷たさは消え、陽はすでに昇り、朝の熱気がじわりと広がっていた。


やがてロイスが手を上げ、列を止めた。

「ここで一度、足を休める。馬の息を整えろ」


その声は簡潔だったが、兵たちはどこか安心した表情を浮かべる。

ノルドとリィナが小声で配置を確かめ合い、また黙って前に向き直った。


ふと横を見ると、ノルドが腰の小冊子を取り出し、短く何かを書きつけていた。

任務の合間にも、記録を欠かさないらしい。


兵たちが鞍から軽く腰を浮かせ、手綱を緩めて馬の首を撫でる。

革の匂いに混じって、獣の荒い息が白く立ちのぼった。

ほんの短い休止だったが、張り詰めていた空気がいくらか和らいでいく。


シアナも馬から降り、軽く息を整える。

すぐにミリアが水袋を差し出した。

シアナは小さく礼を言ってそれを受け取り、喉を潤す。

ミリアは無言で頷くと、剣の柄に再び手を添えた。

守り抜く覚悟が、その仕草ひとつで伝わってくる。


シアナがふとこちらを見て、ぽつりと呟いた。

「……今、楽しそうにしてる」


「え?」

思わず聞き返すと、シアナは少しだけ口元を緩めた。

「本当に。表情が柔らかいもの。自分では気づいてないんでしょうけど」


その笑みには、年相応の無邪気さが混じっていた。

胸の奥がわずかに熱くなる。

確かに――レオとのやりとりは、不思議と心を軽くしてくれていたのかもしれない。



再び蹄音が揃い、列は進み出す。

ほどなくして前方に分岐が現れ、レオが声を張った。

「ここから西に折れます。このまま進めば、しばらくして森に入ります。列を乱さないように」


隊列が進路を変え、街道を外れて西へと折れる。

蹄が固い石畳から土の道に移り、響き方が鈍くなった。


しばらく進むうちに、朝の光は強さを増し、影は短くなりはじめていた。

それでも前方にそびえる森の奥だけは、なお深い闇を抱えている。


近づくにつれ、胸の奥にかすかなざわめきが広がっていく。

風が止んだわけでもないのに葉擦れの音が途絶え、空気の流れが重くよどむ。


(……これが、マナの異常)


肌に触れる感覚がどこか濁っていて、呼吸さえもわずかに重くなる。

世界の“調子”が狂っていくような違和感。

それをはっきりと感じ取ったのは、僕にとって初めてのことだった。


その入口を前に、ロイスが手綱を引いて振り返る。

「――ここから先が本番だ。

 旋回部隊は所定の位置へ。突入隊はこのまま森を抜け、統率個体を討つ。

 突入部隊はここで下馬しろ。馬は兵に預ける」


兵たちが次々と鞍から降り、手綱を従兵に渡していく。

レオが馬を止め、僕の体を抱えるようにして下ろしてくれた。

地面に足がついた瞬間、緊張で心臓が強く脈打つのを感じる。


シアナもまたミリアに支えられて降り、剣の柄に静かに手を添えた。

森の影はすぐ目の前に迫っていた。

冷たい気配が風に混じり、空気そのものが重たく沈んでいく。


僕は無意識に短剣へと手を伸ばしていた。

心臓の鼓動が速まる。

――これから、本当に踏み込むのだ。


そのとき、隣のレオが声を落とした。

「アーシェ様……“双つ道の話”をご存じですか」


「……はい」


「二つの道の前に立った旅人に、神はこう告げたといいます。

 “正しい道などない。選んだお前が、その道に意味を与えるのだ”」


そう言って、レオは少し笑みを見せた。


僕も思わず口元が緩む。

「……はい」


返事はそれだけだった。

けれど、不思議と胸の奥が軽くなる。


ヴァンが「さて、いよいよっすね」と短くつぶやき、兵たちが無言で頷いた。

その空気の中で、朝の光が背を押すように、僕たちは森の中へと足を踏み入れた。


――意味を刻む選択が、今まさに始まろうとしていた。

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