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主者選択 〜転生外科医は、壊れた異世界を切り治す〜  作者: シロイペンギン
選ばなかった者 ― 前世編/レールの終着点
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空虚の白衣 ― 何も選ばなかった、その代償

数多の道があったのかもしれない。


だが――

僕は、敷かれたレールの上を、ただ歩いた。


この人生には、鉄を打つ音だけが響いていた。


そして――

六日目の当直の夜。


その音が、途切れた。

そこでも、僕は選ばなかった。


一人の少年が、死んだ。


僕の中から、

すべての意味が消えた。



白井悠真――それが、僕の名だった。

それ以上のことを、僕は自分について語れなかった。

三十歳。男。外科医。

並べてみても、そこに「自分」はいなかった。

 

目の前で行われているオペは、手順のすべてが決まっていた。

出血も最小限で、縫合も滞りなく終わった。


「閉創、終了です」


助手の声が響き、僕はゆっくりと――銀色のメスを置いた。

金属がトレーに触れる“カン”という音が、白い空間に静かに溶けていった。

モニターの波形は安定し、機械の電子音だけが、静かに拍を刻んでいた。


終わったのだと、頭では理解していた。

けれど――胸の奥では、何も動かなかった。

この工程から結果までの決まった流れは、まるで――僕の人生のようだった。


僕は、決められた“答え”に辿り着くことは得意だった。けれど、自分だけの“答え”を見つけることは――できなかった。


オペの終わりも、僕の生き方も、同じだ。

最善の結果を出すことはできても、“何のために”それをしているのか――その意味だけは、いつも置き去りにしてきた。


それは、三十年間、僕が“自分の意思”で、何ひとつ選んでこなかった結果だった。



その夜も、何も変わらなかった。

帰宅し、シャワーを浴び、灯りを消す。

眠りは、いつも通り、静かに訪れた。

 

いつからか、同じ夢を見る。

だから、これが夢だとすぐに分かった。


いつも、同じ知らない男が、立っている。

灰がかかった黒い瞳の、銀髪の青年。

左目の下の、泣きぼくろ。

杖のようなものを握り、短剣を腰に下げている。

 

その顔は――

ひどく、悩んでいるように見えた。


周囲には、無数の屍。

ただ、転がっている。


夜は、静かだった。

そして、風だけが吹いていた。


その男は、いつも――

何かを、選びきれずにいるようだった。



翌朝

勤務医の僕は、いつもの電車に乗っていた。

それは、僕の――変わらない毎日だった。


いつも通りの揺れの中で、ふと視線がモニターに止まる。

映像広告では、魔法使いの少女が仲間と共に、悪の魔法使いと対峙していた。

――世界的ベストセラー小説を原作にした、シリーズ映画の宣伝だった。


キャッチコピーには、こう記されていた。


「その選択が、未来を変える。」


――選択。

その一語が、僕の人生の“空洞”に響いた。


車輪とレールが擦れ合う音が、虚ろに、耳の奥を満たしていく。

隣に立つスーツ姿の男は、無表情にスマホを見つめている。

向かいの席では、学生らしき少女がイヤホンを耳に差し、窓の外へと視線を投げていた。


誰もが、決められた流れに身を委ねているように見えた。

けれど――心の中までは覗けない。

それが、自分だけのことなのか。

あるいは、周囲の誰もが同じなのか。

僕には、分からなかった。



それも、外科医の僕には、周期的に訪れる光景だった。

白い紙の上で、黒い署名欄だけが沈黙している。

診察室の机には、手術説明書と同意書が並んでいた。


僕はその一枚を手に取り、患者と家族に向き直る。


「今回の手術は、胃の一部を切除するものです。

執刀は、私が担当します」


声は自然と抑揚を失い、必要な情報だけを並べる調子になる。

それが一番効率的で、誤解も生まれにくいと思っていた。


「出血、感染、縫合不全、肺炎といった合併症のリスクがあります。

可能性は低いですが、手術関連死の危険もゼロではありません」

 

患者の肩が小さく震えた。


横に立っていた看護師が、不安を和らげる言葉を添えようと息を吸ったのが分かった。

だが僕は、そのまま説明を続けて遮った。


「術後はおよそ十日ほどの入院が必要です」


机の上の同意書を、患者の前に押し出す。


沈黙が空間を支配する。


そして、家族が視線を交わし合い、ためらいながらペンを取った。


「……先生、本当に、大丈夫なんでしょうか」


かすれた声に、一瞬だけ胸が揺れた。

ここで何か、安心させる言葉を添えるべきだと分かっていた。

それでも、僕の口から出たのは冷たい現実だけだった。


「安全に配慮して行います。

ただ、保証はできません」


患者の表情に影が差す。

その視線は、僕の胸に確かに突き刺さっていた。

――けれど、結局僕にはそれ以上の言葉が出てこなかった。


説明は果たした。

正しさは伝えた。

だが、それ以上を求められたとき、僕は口を閉ざすしかなかった。

合理的に進めることしか、できなかった。

 

患者が診察室を後にすると、短い沈黙が落ちた。


看護師が視線を伏せ、ためらいがちに口を開く。


「……先生、もう少し患者さんに寄り添った言葉をかけても、いいんじゃないでしょうか」


言い切ったあと、彼女は申し訳なさそうに小さく付け加えた。


「差し出がましくて、本当に申し訳ありません」


その声音は、叱責ではなく願いのように聞こえた。

けれど僕は、返す言葉を見つけられなかった。



外来を終え、廊下に出ると、蛍光灯が無機質に床を照らしていた。

消毒液の匂い。

遠くで交わされる短い会話。

どれも、僕には雑音でしかない。


スマホを取り出すと、医局から送られてきたシフト表が通知に並んでいる。

当直は八回。

いつも、皆より多かった。

理由は、分かっている。

不満も文句も言わないイエスマンの僕は、皆が嫌がる当直に、入れやすかったのだろう。


僕にとっては、ただ決まった通りに働くだけだった。

八回の夜は、八回の夜として過ぎていく。

与えられた役割を果たすこと。

それが、僕にとって唯一の自己肯定であり、他人と繋がるための手段だった。

そこに、選択も、意思も、なかった。


両親は医師だった。

だから、自分も医師になるのが当然だと思っていた。

進む道は、最初から整えられていた。

疑うこともなく、「正しさ」に従ってレールの上を歩いた。


子供の頃から、努力はした。

期待には応えた。

優秀だと褒められ、信用もされた。


そして成長とともに、それはやがて「効率」を重んじる歩みへと変わっていった。


医師としての日々は、静かだった。

感情を切り離し、冷静に判断し、最小のリスクを選ぶことこそが――

自分に課された「役割」だと信じていた。


……きっと、この人生には、何かが欠けていた。



そして、あの夜が訪れた。

──六回目の当直の夜だった。


深夜の病院は、異様なほど静まり返っていた。

廊下に響くのは、時計の秒針の音だけ。

外来の灯りはすでに落とされ、

処置室の蛍光灯だけが白く冷たく輝いている。


その静けさを切り裂くように、サイレンの音が近づいてきた。


救急搬送で運び込まれたのは、十代の少年。


交通事故による多発外傷――

血に濡れた身体が担架の上で震えていた。


三十を過ぎると、責任は自然に自分の肩へと降りかかるようになっていた。

専門医は呼び出したが到着まで時間がかかる。


判断を下すべきは、その場にいた僕だった。

検査結果は曖昧だった。

脳に損傷の影があるが、致命的かどうかは断定できない。

助かる可能性は残されている。

だが――

手術には高いリスクがある。

――どちらにも、明確な正解はなかった。


モニターの警告音が、鋭く響く。

看護師たちの視線が、僕に集まる。


僕がとった行動は、一つだけだった。

最初に電話をとった。

応援を要請するための声をあげた。


ただ、それだけだった。


そして――


受話器を置いたあと、

僕はモニターと、少年の顔を交互に見ていた。


そう、それだけだった。


時間は、確かに流れていたはずなのに――

僕の中では、何も進んでいなかった。

何もせず、ただ――

胸の奥に空洞が広がっていくのを、ぼんやりと感じていた。


そのわずかな間に、少年は急変した。


誰の手にも負えぬ速さで容態は崩れ、

モニターの線は無情にも水平に伸びていった。

彼は処置されることなく息を引き取った。


騒然とする現場。


誰も大声で僕を責めはしなかった。

だが――

誰の目にも明らかだった。


──判断が遅れた。


それがすべてだった。

 

胸の奥で、何かがすっと遠のいていく感覚があった。

歩いてきた道の先が、ふいに霞んで消えてしまう。

どこに向かえばいいのか分からず、

僕はただ立ち尽くすしかなかった。


――鉄を打つ音が、

消えていた。



数日後。


病院のロビーで、少年の母が嗚咽していた。


僕に気づくとふらつきながら近づき、

俯いたままかすれた声で言った。


「……どうして、助からなかったんですか……」


それは責めの言葉なのかわからない。


だが――

僕には、刃よりもずっと鋭く響いた。


誰も僕を公然と責めなかった。

だからこそ、その声はずっと僕の中に残り続けた。


ああ、僕はただ、そこにいただけだったのかもしれない。


僕は、波風を避けるように、病院を辞めた。

それが、最も合理的だった。



その後の人生は、静まり返っていた。

誰とも深く関わらず、

何も期待せず、

ただ生きるという動作だけを繰り返していた。


──気づけば、

自分は、何ひとつ選ばずに生きていた。


カーテンを閉め切った、薄暗い部屋。

机の上には、食べ終えた弁当の容器がいくつも積み上がっている。


つけっぱなしのテレビでは、

大ヒット映画の一作目が再放送されていた。

――魔法使いの少女が、仲間と共に闇へ立ち向かう場面。

子どもの頃、兄と姉と一緒に映画館で観た作品だった。

あれから、もう何十年も経つ。

原作はとっくに完結しているらしいが、僕は結末を知らなかった。

第五作の公開以降、権利の問題か何かで続編は作られなかった。

だが最近になって制作が再開され、再び人気を集めている。

キャストも一新されてしまい――

もう、僕の興味はそこにはなかった。


それでも、たしかにあの頃の僕は、

この物語に登場する一人の魔法使いに、強く憧れていた。


テレビの光が、容器の山に淡く反射する。

かすかな記憶が、胸の奥でふっと揺れる。

――だがすぐに、静かに消えた。


今の自分には、もう何も響かない。

ただ、画面だけが無為に光と音を垂れ流していた。


そして――

問いだけが胸に残った。

 

――この人生に、意味はあったのだろうか。

答えを探すこともなく、また同じ日々が続いていく。


朝に目を覚まし、食べ、眠り、気づけば一日が終わる。

それは次の日も、そのまた次の日も変わらず繰り返された。

 

そして、その連なりはある日、ふいに途切れた。


頭の奥で鈍い痛みが弾け、視界がにじむ。

体の右側の感覚が、すっと消えていった。


世界が静かに遠ざかっていく。


音が薄れ、指先の冷えだけが妙に鮮明に感じられた。


救急の現場で、幾度となく見てきた症状――

それでも、この瞬間の僕は、誰にも助けを求めなかった。


死にたいわけではない。


ただ――

生きたいと強く願うほどの意志も、もう残ってはいなかった。


声を出そうとしても音にならず、

胸の奥で空しく反響するだけだった。


死の直前、ふと浮かんだ問いがあった。


──これは、誰の人生だったのだろう。


その答えは、最後まで見つからなかった。


ただ――


選ばなかった人生が、

ここで終わりを告げていく。


沈む意識の中――


答えが、欲しかった。


弱々しくも踠くように、

何かを、掴もうとした。


それが何だったのかは、

分からない。


だが――


光。


僕の人生には、

存在しない光だった。


その中に、知らない景色があった。


銀色の髪が、風に揺れる。

少女が、無邪気に走る。

なぜか――

その後を、追いたくなる。


白い炎が、

燃えている。

美しい。

だが――

すべてを焼き尽くすように、舞っている。


蒼い髪。

静かに眠る、女性。

胸の奥が、軋んだ。


緑の瞳が、まっすぐこちらを見ている。

すべてを吸い込むような、

深い色。

その奥は――見えない。


ふと、視線を落とす。

足元には――

無数の屍が、蠢いていた。


白銀の騎士。

終わりこそが、答えだと。

――そう、輝いていた。


そして――


知らない声が、響いた。


「……何も選ばずに、終わるのかい?」


次の瞬間、僕の意識は、深く沈んでいった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


この物語は

「選ばなかった男」が

異世界で初めて“選ぶ”物語です。


もし、彼が何を選ぶのか少しでも気になったなら、

続きを読んでいただけたら嬉しいです。

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