第50話 人外同士の激突!! 怪物 vs 神獣!
「へっ! 泡にまみれて隠れてたかと思ったら、中で姿を変えてやがったのか!」
泡の中から現れた存在を見た白虎が苦笑しながら言った。
ガサガサガサガサ
ギチギチギチ…
戦車の装甲並みに硬いキチン質の外殻に覆われた丸太の様に太く長い八本の脚を動かし、包まれていた泡から現れたカニの王の全身は完全に魔界生物化し、カニに似た一匹の巨大な怪物へと姿を変えていた。その姿にはもう、彼本来の人間らしい部分を見て取る事は不可能だった。
自分で『カニの王』と名乗っていた、かつて人間のストーカーだった男は、今ではその名に相応しい姿と化していた。
その怪物の大きさは、八本の脚を左右に広げれば優に10mを超えるだろう。表面にびっしりと棘状の突起と針金の様な剛毛が生えた赤黒い甲羅部分だけでも、小型乗用車くらいの大きさがあった。地上から頭部から突き出た二対の目玉と触覚までの高さは5mを超えている。
すでに身体を包んでいた緑色の泡は風によって全て吹き払われていたが、飛び出した二つの目玉の下にある左右に開閉しながら不気味に蠢く顎の中央部から今度は白い泡をブクブクと吹き出している。
「キシキシキシ…」
怪物が泡を吹きながら口から発しているのは、すでに人語では無く奇妙な音としか聞こえなかった。
「どうした? かかって来いよ、カニ野郎。」
戦闘態勢を取った白虎が怪物の方に向けた左手を掌を上にしてヒラヒラと動かし、『おいでおいで』のポーズをする事で挑発して見せた。
カニの王が変態した姿を見た当初は、そのあまりの大きさに少し戸惑いを覚えた白虎だったが、彼はこれまでにも多くの人外の存在達との戦闘を繰り返して来た身なのだ。カニの姿をした怪物と戦うのが初めてとは言っても、獣人白虎である彼にとっては、いささかも恐れるものでは無かった。
「来いよ。でかい図体しやがって俺が怖いのか? それとも、人間の言葉を完全に忘れちまったか?」
ザザザザザザ!
白虎の挑発に乗ったかどうかは不明だったが、カニの怪物は白虎に対して常に身体を向けながら、一定の距離を保ったまま自分の左方向へと横向きに移動し始めた。その動きは巨大な身体に似合わず驚くほど速く敏捷だった。そして徐々に速度を上げた怪物が走る状態に達した時、そのスピードは時速100kmを優に超えていただろう。
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「なんて、すごい速さなの…」
妖怪『雪女』が太平洋の海上に造り出した広い氷原上において白虎とカニの怪物が戦っている地点から100mほど離れた地点に、オブジェの様に斜めに突き刺さったままの巨大な原子力潜水艦『クラーケン』の近くで一人佇み、自分の前方で繰り広げられる状況を見守っていたくみが驚きの声を上げた。
元は自分に付きまとうストーカーだった一人の男が完全に姿を変えた怪物と、自分からの依頼を受けた探偵が亡き父の遺言を守って闘っているのだ。その結果がどうなろうとも、くみはその成り行きから目をそらす訳にはいかないのだった。
「ありゃあ、完全に魔物化しちまったな。元は人間だったんだろ?」
くみの顔のすぐ横で、人語を巧みに操って話す妖怪『猫又』が聞いてきた。
「え、ええ… すごく嫌なヤツだったけど、確かに人間の男だったわ。」
彼女は怪物と化した男の事を思い浮かべ、不快そうに顔を歪めながら言った。
「そっか。元は人間でも、今じゃあ俺たち妖怪とおんなじ魔界側の存在になっちまったってわけだな。
まっ、そんなに珍しいわけでもねえけど。」
くみの答えを聞いた猫又が、さもありなんと訳知り顔で言った。
「そ、そうなの? 私にとっては何もかもが初めてで、分からない事ばかり…」
無理も無かった。くみにとっては、昨日から自分を中心にして次々に起こった出来事が現実味が無く到底信じられない事ばかりだったのだ。
自分に執着していたストーカーが変わり果てた姿での出現と、愛する父の非業な死、そして助けを求めた私立探偵の正体が獣人だった事、どれ一つ取ってもくみには信じられない事ばかりだった。しかも、彼女の背後では自分を連れ去るために現れた原子力潜水艦が巨大な氷に閉じ込められているのだ。
これだけの理解不能の出来事が立て続けに起こったにも関わらず、くみの精神が異常を来さずに済んでいるのは、彼女が亡き父譲りの強い意志と精神力を持っていたからだった。
くみは今、自分の依頼と亡き父との友情のために命がけで戦ってくれている白虎を強く信じて疑わないのだった。彼ならば、どんな困難な事態に陥っても決してあきらめる事なく、自分が相手と交わした約束を守り抜く男だと、くみは心から信じていた。
「頑張って下さい、探偵さん…」
くみは両手を組み合わせて祈る様につぶやいた。
「なあに、心配いらねえよ。俺の主人は神獣白虎なんだぜ。あんたとの約束を果たすに決まってらあ。」
くみは自分を温めてくれている妖怪猫又がj分の主人を微塵も疑っていない声に安心を覚えた。
「うん、心配なんてしてないわ。私、信じてる。
あの空と同じように、きっと探偵さんが夜明けを運んで来てくれるって…」
そう言いながら、くみが空に目を向けると、まだごく僅かでしかなかったが東の方の雲の隙間がうっすらと明るみ始めていた。
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「そうだよな。やっぱ、カニは横歩きってか。まあ、デカブツの割にゃあ意外と速いんじゃねえか。」
白虎は自分を中心に円を描く様にして横向きに高速で走り始めた怪物を目で追いながらつぶやいた。
「だがな。そんな横歩きじゃあ、いくらグルグル回ったところで俺を捕まえる事なんざできやしねえぜっと!」
そう言い放った白虎は、わずかに曲げた膝を軽く伸展させただけで空中高くへと跳躍した。軽くジャンプするような動作をしただけなのに、彼の身体は一気に真上へ20m以上も飛び上がった。そして空中高くで一回転した彼は両腕を振る事で身体に強い捻りを加え、右足の爪先を真下に向けて錐揉み回転しながら急降下した。
彼は獣人白虎としての直感で怪物の移動速度から正確に予測した到達地点に向け、ドリルの様な回転蹴りを相手の硬い甲羅に食らわすつもりだったのだ。
しかし、怪物は予想外の動きを示した。カニといえば誰もが横歩きを想像するし実際にそうだろう。脚の関節構造から、カニにとっては横歩きが最も効率的なのだ。
だから白虎はカニの生物としての習性から怪物の動きを予測したのだが、白虎の激しく回転する爪先が甲羅に到達するよりも早く、怪物は八本脚を動かして後退したのだった。
「うっ!」
あまりにも素早い、しかも予想外の怪物の動きに白虎は空中で体勢を立て直す事が出来ないまま、硬い氷の表面に激突した。
「しまった!」
白虎が落下の勢いと回転を加えた蹴りの威力は凄まじく、ドリルの様に氷に深い穴を穿ち、彼の身体が鳩尾辺りまで埋まったところでようやく止まった。
「くそっ!」
下半身が氷に閉じ込められた体勢の白虎に対し、すぐさまカニの怪物が襲い掛かった。怪物は今度は前向きに素早い動きで進んでいる。姿形こそカニに似てはいたが、もはやカニの習性などお構いなしの自由自在の身ごなしだった。
両腕を硬い氷面に付き、閉じ込められた下半身を氷から抜け出そうとしていた白虎の身体を両腕ごと怪物の1m余りもある巨大な右側のハサミがガッチリと捕らえた。
「ぐっ!」
怪物の強靭で鋭いハサミが挟み込んだ白虎の腹部を腕ごと切断しようとギリギリと凄まじい力を加えてきた。通常のカニであってもハサミの力は非常に強力で、カニの種類によっては自分の体重の90倍以上もの力で挟む事が出来るという。このサイズのカニの怪物ならば、頑丈な戦車の装甲ですら破壊してしまうかもしれなかった。
その怪物のハサミに締め付けられた白虎の皮膚と肉が裂け、彼の白い毛並みを真っ赤に染めたかと思うと、白虎の口からも鮮血が噴き出した
「ぐはっ!」
おそらく電柱などは瞬時に切断してのけると思われる怪物の強靭で鋭いハサミが、白虎の生身の肉体にグイグイと食い込んでくるのだ。このままでは白虎の身体は真っ二つに切断されてしまう…
絶体絶命の窮地に陥ったかに思われた白虎が、苦痛に歪んだ顔を上げて夜空を見た。そこには、探し求めていた美しい満月が静かに彼を見下ろしていた。
白虎の顔にニヤリと不敵な笑みが浮かんだかと思った次の瞬間、彼は耳まで裂ける様に大きく開いた口から虎そのものの歯並びをした牙を覗かせながら、満月に向けて雷鳴の様な凄まじい咆哮を放った。
「ぐわおおおおおおおおーっ!」
吠えながら白虎は全身にありったけの力を込めた。
すると… 彼の身体中の鋼の様に強靭な筋肉が膨張し、全身に生えた白と黒の虎模様の体毛が怒り狂ったハリネズミの針の様に逆立ち、自分を切断しようと締め付けてくる怪物のハサミに対して強く抗い始めた。
ミシミシミシッ! バキバキバキバキッ!
白虎の身体を真っ二つに切断しようとしていた巨大な怪物のハサミが気味の悪い音を立てた。すると、鉄板をも容易に切り裂く怪物のハサミのキチン質で出来た硬質な表面に、音とともに蜘蛛の巣状に亀裂が走った。
バキンッ!
ついに大きな音を発して、白虎を挟んでいた怪物のハサミの開閉する側の外殻が根元で砕け散り、破砕した部分から緑色の血しぶきを上げて内部の白い筋肉繊維の束で割れたハサミの先が垂れ下がった。怯んだ怪物は、捕らえていた白虎から慌てて後退した。
ギギギギ…
奇怪な口部分を激しく開閉させて白い泡を撒き散らしながら、怪物が呻き声らしき音を発し苦しがっているように見えた。どうやら、巨大な怪物の姿と化しても痛覚は存在するらしい。
白虎から後退る怪物の右腕に当たるハサミの破損して千切れかかった部分から、体液と同じ緑色をした泡がブクブクと湧き出し始めた。これが先ほどの怪物の変身時と同じ現象ならば、破損したハサミは再生を遂げると思われた。
十分に白虎から遠ざかった怪物は、自分を傷つけた相手を離れた場所から恐る恐る窺い見た。
「ぐおおおおおおおおうーっ!」
白虎が自分の下半身を閉じ込める氷の穴に両手の指先をかけ、再び凄まじい咆哮を上げながら渾身の力を振り絞っていた。
ビシビシビシッ!
バキバキバキッ!
それは信じられない光景だった。
雪女が造り出した直径2㎞に及ぶ巨大な氷の島…その中央付近に封じ込められた、ちっぽけな人間サイズでしかない白虎が思い切り力を込めたとて何が起こるというのか?
しかし、それは起こっていた。まぎれもなく現実だった。100m余りもある原子力潜水艦『クラーケン』を閉じ込めた上に、斜め上方30度もの角度をつけて持ち上げてみせる程の莫大な自然のエネルギーで凍り付いた直径2㎞にも及ぶ氷の島に今、白虎を中心にして四方に亀裂が走り始めたではないか。
********
「こんな馬鹿な事って…」
白虎と怪物の闘いを離れた場所から見守っていたくみは目を見張って現実に目の前で生じている現象を見た。
いや、それは彼女の夢でも幻でもなかった。現実に彼女が立った硬い氷の表面が地震の様に振動し、細かく揺れていたのだ。立っていられなくなったくみは、その場にしゃがみこんだ。
ビシッ!
両膝をペタリと付けてへたり込んだくみが身体の横に付こうとした右手から僅か50㎝ほどの距離の氷面にヒビが入ったかと思うと、その亀裂がどこまでも走っていった。
ビシッ!
ミシミシミシッ!
「あぶねえっ! ボウっとしてるんじゃねえ!」
呆然とヒビが走っていくのを見ていたくみの身体を、広がりつつある氷の亀裂から離そうと羽織っていた妖怪猫又の毛皮が、くみの身体を亀裂と反対方向へとグイグイ引っ張った。
「はっ!」
猫又のおかげで我に返ったくみは自分の足元で氷を揺らしながら広がっていく氷の亀裂から身を遠ざけるべく、表面に膝をつけた姿勢のまま這うようにして後方へと下がった。
「ちっ! 白虎の大将め、なんて馬鹿力なんでぇ! こんなデッカイ氷の島を壊しちまいやがるつもりか。」
猫又が自分の主人を半ば称え、半ば恐れるような口調で評価した。確かに彼が言うように無茶苦茶な白虎のパワーだった。
この白虎という獣人は、極地に近い海洋に存在する巨大な氷山に匹敵する氷の島を、たかだか人間サイズでありながら破壊してしまうほどのパワーを秘めているとでもいうのだろうか? くみは身震いして目の前で生じている信じられない光景を見つめた
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同時刻…
雪女が太平上に造り出した氷の島に向けて、満月化の夜空を東方より近づきつつある一機の軍用兵員輸送ヘリの機影があった。
「あ~あ! 何だってんだい、まったく。
今回のアタシ達二人の任務が、ドジこいて動けなくなった原潜『クラーケン』の救出だってぇ?
くっだらない! そんなしみったれたクソ任務、このアタシ達『殺戮のライラ&バリー』がやるような仕事かってんだ! アタシ達には戦争や紛争こそにあってるんだよ!
あんたもそう思うだろ、バリー?」
ヘリの副操縦席に座って乱暴に口走りながら後ろを振り返ったのは、ラテン系だと思われる彫の深い顔立ちをした絶世の美女と言ってもおかしくないほどの女だった。女は明らかに戦闘用に作られた仕様だと思われる革製で、スーパーモデルの様な身体にピッタリとフィットした黒いスーツを身に着けていた。
「ブモーッ!」
妖艶という言葉がふさわしいほど美しいが、邪悪な雰囲気を持つ女に意見を求められたバリーと呼ばれた男はおかしな声で答えた。それは声というより、まるで牛の嘶きの様である。男はボロボロの黒いマントの様な巨大な布を頭からかぶっていたが、その頭部に当たる場所には左右に二か所盛り上がった部分があった。それはまるで頭に二本の角でも生えているかの様に見えた。
それにしても奇妙なのは、本来の兵員輸送用ヘリの目的である兵員達が座るための座席を全て取り払って広くした場所に、そのバリーという男が一人だけで直接床に胡坐をかいて座っている事だった。
もう一つ、バリーという男の驚くほど奇妙な点は、その体躯の大きさだろう。彼が座っていても、その身長が3m近くある事は容易に推察出来た。
発した牛の鳴き声の様な声といい、そのホッキョクグマをも凌ぐ巨体といい、この男は果たして人間なのだろうか…?
「ちっ、アンタの返事はいつもそれだ。他に答えようがないのかね、まったく!
あん…? 見えて来たよ。何だい、ありゃ…? あの、でっかい氷の島の真ん中で斜めに突き刺さってるのが『クラーケン』なのか? ホント、何やってんだい! 世界最高水準の原子力潜水艦が、みっともない姿を晒しやがって!
ハハハ! バッカじゃないの!」
ヘリの前方に展開する氷の島を見ながらライラが甲高い嘲笑を上げた。
「まあ、チャーリー兄貴からの直接命令だからしょうがないか。バリー、さっさとアンタの得物の準備をしな!
あの『クラーケン』を閉じ込めてる氷の島をぶっ壊すよ!」
これから目の前で始まる光景を想像して興奮してきたのか、美しいライラの顔に残忍な喜悦の表情が浮かび、真っ赤なルージュに彩られた形の良い唇から突き出した舌で彼女は舌なめずりをした。
「ブモーッ!」
後部に一人座り込んでいたバリーという男が吠える様な一声を放つと、ライラに命じられるまま自分の仕事の準備を始めた。
********
「ぐおおおおおおーっ!」
白虎は自分を閉じ込める巨大な氷に対し緩める事なく凄まじい力を加え続けた。今、彼の身体には空に浮かぶ真円の満月から無尽蔵のパワーが流入して来るかの様に膨大な力が漲っているのだった。
自分自身の圧倒的に巨大な力の開放に、彼は陶酔感さえ感じている様子だった。それが証拠に、すでに彼の顔には怒りではなく、喜悦とすら言えるほどの表情が浮かんでいるではないか。
ミシミシミシッ!
白虎を取り囲んでいた氷が彼の両腕に加えて力いっぱい踏ん張った両脚によって押し広げられ、亀裂を中心にして反対方向へ向けて圧倒的な力で離されつつあった。
力の開放に酔いしれて顔を空に向けた白虎は、ウットリと見開かれた自分の視界の片隅に飛来する黒い物体が近付きつつあるのに気付いた。瞬時に彼の野生の闘争本能が陶酔状態から研ぎ澄まされた戦闘態勢へと切り替わった。
「あれは…ヘリだ。軍用兵員輸送ヘリ。
待てよ…この展開は前にも覚えがある。アイツらか⁉ アイツらが来たのか?
ヤバい!」
慌てた白虎が力んでいた両腕から込めていた力を抜いた。もう彼を閉じ込めていた穴など存在しない。ただ彼が自分の力の開放を楽しんでいただけだった。
その時だった。
ビカッ!
白虎が兵員輸送ヘリだと認めた近付きつつある飛行物体が突然、オレンジ色の眩い光を発した。
その光を見た白虎が吠える様に叫んだ。
「クソっ! あれは、荷電粒子ビームだっ!
逃げろ! くみぃっ!」
「あ、あの光は何っ⁉」
「うわあああっ!」
突然空から降り注いだオレンジ色の光線が氷の島に突き刺さるのを見たくみと猫又が同時に叫んだ。




