第37話 舞台はカニの館から地下迷宮へ!
ぐわおおおおおおおおーっ!
獣人白虎の怒りの雄叫びが島全体に鳴り響いた。
それは、文字通りに島の大地を物理的効果として揺るがした。
ビリビリビリ…
カニの館を抜け出した探偵が満月に向けて放った野獣の咆哮が止んだ後も、しばらくは島を覆う大気全体が肌で感じられるほどに震えていた。
いや、地面や大気と同様にくみの背後にいるカニの王の身体もまた震えていた。
無理矢理くみのショーツに突っ込んで卑猥な悪戯をしていた彼の右手は、大音量の雄叫びを聞くや否やショーツから慌てて抜き去られ、今は彼女の右肩に置かれていたが、その手も彼女の肩の上でブルブルと小刻みに震えていた。
それに、くみの尻にイヤらしく押し付けられていた異様なまでに硬く巨大に勃起していたカニの王のイチモツも、すでに萎えて硬さを失っていた。
実際に物理的な振動まで引き起こした先ほどの野獣の雄叫びは、それほどまでにカニの王を驚愕させ、しかも怯えさせたのだった。
くみは背後に立つカニの王の恐怖を肌で感じ取り、彼を刺激しない様に少しずつだったが、金縛りが解けて動けるようになった身体をそろそろとゆっくり前へ進ませた。そして、恐怖に震えるあまりか、すぐには襲いかかって来そうにないカニの王の反応を確かめながら、今までの腹いせに少し毒づいてやった。
「あなた、憐れなくらい怯えてるのね。あの探偵さんの事が、よっぽど怖いんだわ。」
カニの王から数歩離れる事の出来たくみは、ようやく後ろを振り返った。そして、今回この島を訪れてから、彼女が初めてまともに見る事になったソイツの姿は…
「そんな… パパと同じ…姿だなんて…」
今度はくみの身体が激しく震え、嗚咽と共に彼女の両目から涙が溢れ出した。
それは、彼女にとってあまりにも惨い現実だったと言えよう。つい先ほど、悲しい別れを告げたばかりの怪物に変わり果てた父の姿に、ソイツは酷似していたのだ。
くみの言葉で、カニの王の身体に白虎の雄叫びに対する恐怖から掛かっていた金縛りの呪縛が解けた。それは、カニの王自身がくみに対して掛けていた金縛り状態と同じだった。身体から解けてさえしまえば、通常通りの肉体機能を取り戻す。
「へっ! この僕が、君のパパを僕と同じ目に遭わせて姿まで同じにしてやったのさ。僕の家来になったヤツは、文字通りに僕の分身とも言える存在だったのさ。うひひひひ…」
先ほどまでの恐怖に震えていた自分自身を忘れたかの様に、カニの王はくみを残酷な言葉で嬲り始めた。
「でも、そのパパももういなくなっちゃったんだよね。残念だね~ ぐひひひひ」
くみの顔が口惜しさと怒りで真っ赤になった。
「それもこれも、全部あんたのせいでしょ! あんたさえいなけりゃパパは!」
あまりの悔しさに我を忘れたくみは、つい先ほどまでカニの王に抱いていた恐怖も忘れ、固く握りしめた右拳で目の前の憎い相手に殴りかかった。
「おっとっと、怖いなあ。ここで夫婦喧嘩を始めるつもりかい?」
くみのパンチを軽く躱すと、勢い余って体勢が崩れてよろけた彼女の右手首を人間の形状をしたままのカニの王の右手が掴んだ。
「そんなオイタをする悪いお手ては、チョン切っちゃおうかなぁ~?」
カニの王はそう言うと、わざとくみに見せつける様にして、左手の巨大で鋭いハサミを彼女の目の前でチョキチョキと開閉させた。
「くっ!」
再びカニの王に捕えられたくみは、自分の|非力さが悔しくて堪らなかった。
「うひひひひ、大人しくするんだねw」
下卑た笑いを上げながら、くみを脅すつもりかカニの王が左手のハサミを彼女のほっそりとした白い喉元すれすれに翳した時だった。
「大人しくするのは、てめえの方だろ。」
カニの王の背後から低い男の声がした。突然の声に驚いたカニの王はビクッとしながらも、素早く振り返りざまに声のした方に向けて左手の巨大なハサミを突き出したが、鋭いハサミの先端が背後に立っていた相手に届く寸前の空中でピタッと止まった。
「⁉」
焦ったカニの王が左腕に渾身の力を込めても、ハサミはそれ以上前へは突き出せない。ならばと引き戻そうとしても、自分の腕でありながら動かそうにも動かせなかった。
カニの王は自分のすぐ前に立つ存在を驚愕の表情で凝視した。彼の目の前に立っているのは、姿形こそ人間に似てはいるが全身が白黒の虎模様をした剛毛に覆われた獣人だった。
その獣人がカニの王が突き出した巨大なハサミの先端を、右手の親指と示指と中指の三本の指だけで受け止め、そのまま掴んでいるのだった。しかし、その三本指だけで押さえられているカニの王のハサミは、まるで巨大な万力に固定されてでもいるかの様に押しも引きも出来ないのだ。白い虎の顔をした獣人は、カニの王の恐慌を来たした表情を見ながら面白そうにニヤニヤと笑っていた。
「こ、こんな事って…」
カニの王の身体の内、人間部分の全ての毛穴から汗が吹き出した。彼の頭部の右半分に当たる人間部分である顔には、先ほどの野獣の咆哮を聞いた時と同じ恐怖の表情が浮かんでいた。なぜなら、カニの王となった彼自身が人間など遥かに凌駕した力を誇っていたのだ。たとえ十数人の警官隊に取り囲まれたとしても、全員を殺戮して逃げおおせる事など、彼には容易いはずだった。
体長が2mを越す熊と格闘したとしても、力で負けはしなかっただろう。カニの王は自分の力に強い自信を持っていた。それが、目の前に立つ白いトラと人間をかけ合わせた様な異様な姿をした獣人の圧倒的な力の前では、自分がまるで大人に対する子供の様な非力さしか持たない事に困惑するしか無かった。
カニの王は人間だった頃、小心者の青年なのだった。友人にも上手く溶け込めず、父と同じ医師を目指しはしたものの医学部の受験に何度も失敗し、自分の家族からまで厄介者扱いされる存在だった。
ニートであるにも拘らず裕福な家庭からの援助で金銭的には何不自由なく生きる彼は、社会に抱く自分の劣等感を持ち前の強い性欲と支配欲に置き換え、自分よりも弱い女性に対して不埒な行ないを繰り返していたのだった。
くみを拉致監禁して凌辱の限りを尽くしたのも、そう言った行動に及ばなければ女性に対して自分の欲望を果たす事が出来ないという臆病で卑怯な彼の持ち前の性格からだったのだ。
その彼が、島に幽閉し姓の奴隷にしていたくみに逃げられ、身体の半分を失って避けられない死を目前にしながらも予想外に立場が逆転し、一夜にして人間を遥かに超える力を手に入れたのだ。自分の家族に疎まれ社会に適合出来ず、劣等感と自身への嫌悪感で自分より弱い存在への隠れた暴虐行為のみが鬱憤のはけ口だった彼が人間を超える力を持つに至ったのだ。自身の境遇を鬱々とした気分で毎日過ごしていた彼は狂喜した。
彼は圧倒的に強い自分の力に酔いしれ、この半年間で悪逆の限りを尽くした。
自分でカニの王と称する存在になり果てた彼にはもう、人間としての倫理観など微塵も残っていなかった。自分の欲望のまま残虐な行為を繰り返した果てに、遂には食人まで及ぶに至っても、すでに彼は何の抵抗感も持たなくなっていた。
カニの王は能力だけが人を越えただけでなく、人としての越えてはいけない一線まで超えてしまったのだ。彼は心身ともに怪物と化したのだった。人間を捕食する怪物となった彼は自分を食物連鎖の頂点で、人間以上の存在であると身勝手な認識に至った。もう彼には恐れる物など無かった。
それが今、自分をさらに超える怪物が目の前に現れたのだ。元来が小心者だった個性が彼の表面に再び現れたとしても無理は無かった。
そんなカニの王が心底恐怖を覚える存在に、今初めて出会ったのだった。
しかし、元来が臆病で卑怯な男だからこそ自分が助かる手段を考える事には、すぐさま頭がフル回転した。すると、先ほどまで恐怖に歪んでいたカニの王の顔にニヤリと不気味な笑みが浮かんだ。
ブッシューッ!
獣人化した探偵が三本の指で握っていたカニのハサミが緑色の血しぶきを派手に上げたかと思うと、さすがの獣人探偵も、すぐ傍で見ていたくみも一瞬呆気にとられた。その一瞬の隙を突いたカニの王は素早い動きで後ろに飛び退きざま、右腕でくみの細い腰を捕らえた。
「きゃあっ!」
それは、カニの王による見事なトカゲの尻尾切りと言える行為だった。彼は自分の八本脚の一本の先端を器用に使い、獣人白虎に捕えられた自分のハサミを左肘部分で切り離したのだ。
「うひゃひゃひゃひゃ! これで形勢逆転ってね!」
くみのくびれた細い腰をしっかりと抱きかかえると、カニの王は八本脚で素早く白虎から遠ざかった。
「くっ!」
白虎は自分の失態に巨大な牙を覗かせて悔しそうに歯ぎしりした。自分の油断から、再びくみを人質に取られてしまったのだ。
「クソッたれ! おやっさんに申し訳ねえ!」
白虎は掴んでいた硬いハサミの先端を簡単に握りつぶすと、遠ざかるカニの王を睨み付け、一気に飛びかかろうとした。すでに敵までの距離は約30mまで広がっていた
「この程度の距離、俺の跳躍力ならヤツまでひとっ飛びだ。だが…」
カニの王は右腕一本でくみを抱えたまま移動しているのだ。白虎に対して手を出せば傷付けるとくみの胸元に脚の一本を突き付けて脅しながら、残り七本の脚を高速で動かして遠ざかって行く。陳腐ではあったが有効な脅しだった。くみを人質にされていては白虎には簡単に手を出せなかった。
「そうだ。僕に近付いたら、この娘を殺しちゃうよ~ん! うひひひひひ!」
けたたましく笑いながら走るカニの王の速度は、人間が全速力で走る速度よりも早かった。カニの王はすでに自分の巣であるカニの館の入り口まで達していた。
カニの王が屋敷の玄関を見つめて言った。
「くっそう、僕の美しい館をぶっ壊しやがって。でもな、この館は目に見えてる部分だけじゃないんだぞ!」
館の入り口ドアは白虎が侵入の時に破壊されていた。そこから屋敷内に入ったカニの王は迷う事無く、くみを器用に抱えたまま、一つの部屋に飛び込んだ。どうやらそこは応接間の様だった。室内は20畳ほどの広さがあり、豪華な応接セットが備えられていた。部屋の奥側の壁に立派な暖炉が設置されていたが、カニの王はそこへ歩み寄ると暖炉の上部に置かれていた置時計の一部を一本の脚の先を器用に使って何やら操作した。
すると暖炉全体が横にスライドし、後ろの壁に入り口が現れた。入り口の奥は下り階段になっていて地下室へと続いている様だった。
「こ、こんな仕掛けが…」
カニの王の右腕に捕らえられたままのくみが驚いてつぶやいた。
「うひひひひ、そうさ。僕の城は地上にあるカニの館だけじゃない。この島の地下にも広がっているんだよ。
さあ、行くよ、くみ。我が城の地下迷宮へ!」
そう叫んだカニの王はくみを小脇に抱えたまま、彼の言う地下迷宮への入り口に飛び込んだ。
ウイィーン、ガシャッ!
二人を飲み込んだ後、応接間の暖炉は何らかの仕掛けによって元の位置に戻り、そこに地下への入り口があるなどとは誰にも予測する事さえ不可能な状態に戻ってしまった。これでは、後を追って来た白虎が応接間に入ったとしても、カニの王とくみの二人がどこに姿を消したのか分かる筈も無かった。
果たして、カニの王に地下へと連れさられたくみの運命は如何に…?
カニの王によって地下へと連れ去られたくみ…
獣人白虎に変身した探偵は父親からの最後の頼み通りにカニの王を倒し、くみを救い出せるのだろうか?




