第3話 俺が家族を護る…
キャアアアアーッ!
店の方から娘の悲鳴だ!
どうしたっ⁉
居間でTVを観ていた俺はくみの悲鳴を聞き
急いで店まで走り出た
どうしたんだ、くみ?
俺は、くみが立ちすくむ場所へ駆け寄った
くみは店内掃除用の箒をきつく握りしめ
身体を震わせている
娘の指さす足元の床を見た俺は
数匹の赤い小さなカニを見つけた
くみのズボンを這っていた一匹のカニを取ってやる
まだ彼女が指を指す箇所を見た俺は
十数匹のカニが床を這っているのを見た
さすがに少ないとは言えない数だ
くみが握りしめていた取り上げた箒を取り上げ
俺はカニを塵取りに掃き集め
店の外へと捨てに行った
踏み付けて殺す事もあるまい
そう思った俺は道路を渡った先の
排水溝にカニ達を捨てた
店内に戻った俺は
カウンター席の一つに座り込んでいる娘を見た
何だあんなカニぐらい…
俺は笑ってそう言ってやった
くみはまだ怖いのだろうか
落ち着かない様子で
キョロキョロと床を見回していた
一緒になって俺も探してやったが
もう店内には一匹の姿も無かった
くみはやっと安心したのだろう
俺に訴える様な眼差しを向け
堰を切った様に話し出した
最近おかしな客が出入りをしていること
その客が自分をジッと見ていること
その粘り付くような視線が気味が悪くて仕方が無いこと
その不審な客が今夜も店に来て
勘定を済ませて店を出た後も
近くに停めた車の脇で自分を見ていた
不審に思ったくみがそっちを見ると
慌てて車に飛び乗り急発進で走り去ったこと
その直後に店内に
カニが現れたこと等を
早口で懸命に俺に訴えた
俺は最後まで黙って聞いてやった
お前の考え過ぎだろう…
俺は娘の肩を叩いてそう言ってやった
親の欲目で言うのでは無く
くみの容姿は非常に美しい
だから以前…
大変な事件に巻き込まれた事がある
店に来る客の男どもの多くは
俺の淹れるコーヒーを楽しむよりも
くみが目当てなのは知っていた
だがそれを止める事は出来ないし
客が娘に抱く仄かな恋心を
とやかく言うほど野暮な父親でも無い
そんな娘びいきだが声を掛ける勇気のない
気弱な客の一人なんだろう
恥ずかしくて話しかけられないが
やはりくみの事が気になり
店に何度もやって来る
そして見つめるしか出来ない気弱な男…
よくある話じゃないか
俺にだって多感な頃に経験が無いでもない
俺はくみの肩を叩き
店の電気を消すと
娘を促して一緒に家に入った
俺達の住居は店の奥で続いている
家に入るとようやく
くみも安心したようだ
俺に微笑むと食事の前に風呂に入ると言った
俺は居間に戻りソファーに座った
女房は台所で晩飯の支度だ
何かあったのかと聞いてきたので
俺は女房に話して聞かせた
俺達家族は、くみの幽閉事件以来
何でも隠さず話す事にしていた
問題の事件はもう終わった事だったが
家族間での秘密が
また悲劇を生む事にならないとは限らない
それを無くすように俺達は努力している
女房も俺の説明で安心したようだ
晩飯の支度をしに台所へ戻った
俺は置いてあった夕刊を広げた
だが紙面に目を通しても
文字は頭に入ってこなかった
くみを襲ったあの幽閉事件…
俺達には悪夢としか言いようがなかった
事件で俺は左腕に重傷を負い
くみは心に重い傷を負った
娘は心の治療を受け続けている様子だが
あれだけのひどい体験をしたんだ
心に抱えたトラウマは
容易くは治らないだろう
だが、あの事件はもう終わったんだ…
俺はあの事件の後、刑事を辞め
退職金を元手に喫茶店を始めた
女房も入院先から家に戻り
家族三人での暮らしが始まった
あれからもう…半年になる
くみも俺もあの事件の話は
お互いに触れないようにしている
やはり二人にとっては命がけの
脱出劇だったのだ
あの事件は俺達の間で禁忌になっていた
もう忘れよう
俺は毎日そう思っている
もちろん、くみもそうだろう
だが、さっきのくみの怯えよう…
あれはただ事じゃなかった
くみは父親の俺が命がけで救い出した
大切な一人娘だ
もう誰にも傷付けさせない
そんなヤツが現れたら
俺は何をするか自分でも分からない
もう警察は辞めたんだ
俺が家族を護らなければ
命を懸けても…
俺は固く心に誓って
くみの入っている浴室の方を見つめた
ん…?
何だあれは…?
赤くて小さなモノが動いていた
それは浴室に通じる扉の表面だった
俺は立ち上がり近寄って見た
何かが扉を這っていた
それは…
赤い小さなカニだった…
家の中にまでカニが…