第9話「薄明の檻(スローダウン群:エレボス島)」
“保護”と称されながらも、社会から静かに切り離される場所がある。
そこは怒声も罵声も飛ばない──むしろ、誰にも何も言われない。
優しさに見える沈黙が、やがて、自己否定という名の檻になる。
専門学校を卒業して、3年間、社会人として働いた。
「とにかく3年やりきれば、職歴として通用するから」と言われて、必死だった。
でも、その3年があまりにも過酷すぎた。
気づけば、限界をとうに超えていた。
──まるで、静かに満ちていたコップの水が、気づかぬうちに溢れていたみたいに。
退職後すぐ転職活動を始めるつもりだったが、体も心も動かず、毎日ベッドで時間を無為に過ごしていた。
朝起きても何もする気が起きず、家の中でぼんやりと天井を見つめているだけだった。
──それでも、俺は運がいい方なんだと思う。
世の中には、実家がない人や、頼れる親がいない人だって大勢いる。
そんな中で、俺は親の脛をかじりながら、ただ時間を浪費している。
決して裕福とは言えない家庭なのに……。
何をやってるんだろう、俺は。
親の優しさがかえって重く感じられた。
口には出さないけれど、期待されていないのではないかという孤独と不安が心に広がった。
社会との繋がりを失っていく実感に押し潰されそうになりながらも、どうしていいか わからなかった。
そして、気がつけば もう10年以上、働いていない。
それでも情けない俺を、親は責めなかった。
仕事に就け、と怒るどころか、生活費もずっと出してくれている。
……それは、本当に“優しさ”だったんだろうか?
俺は、改めて気づき始めていた。
「何も言わない」という沈黙の奥に隠された本当の意味──それは、期待されていないことの証明なのかもしれないと。
親の無言の優しさは、逆に孤独を増幅させ、心の隙間を広げていった。
だから決めた。
この際、自分から申請しようと思う。
──あの島に。
あそこに行けば、生活の面倒は見てもらえるらしい。
もうこれ以上、迷惑はかけたくない。
島に入るのは自分からの申請だけではない。
親族からの申請で入る人も多い。
生活がうまくいかず本人の状態を案じた家族や、親の死後に兄弟や親戚が申請を進めるケースもある。
そんな場合、本人は納得できずに葛藤することも少なくない。
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ここ、スローダウン群《エレボス島》(S-02)は「自発的申請」によって入島できる。
対象は長期無業者。
申請時には軽い面談とスコア評価があるが、拒否されることは ほぼない。
受け入れ理由は“社会的自立支援”で、表向きは「本人の再出発を応援する」仕組みとされている。
施設は寮型。1人部屋が基本で、他人と接する場面は少ない。
食事も風呂も、全員が同じ時間帯を避けて行動するよう暗黙の空気ができている。
話すことは禁じられていない──けど、誰も話さない。
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最初のうちは、それが楽だった。
注意も命令もされない。誰にも見張られていない。
でも、最近ふとした拍子に思うようになった。
『俺、誰かと話したいのかもしれない』って。
外に出たとき、また誰かと話せたらいいな──なんて、少しだけ思い始めてる自分がいる。
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この島では、“対人接触の断食”という言葉が運営資料に記されている。
会話が推奨されない環境に一定期間身を置くことで、「自分から話したい」という欲求が自然と生まれる──という理屈だ。
ある官僚は、こんなふうに語っていた。
「無理に喋らせるより、黙らせておいた方が話す価値を実感するんですよ」
笑っていたけど、どこか本気の顔だった。
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社会復帰のための支援制度も、一応は用意されている。
その代表が「実習寮制度」だ。
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実習寮制度(段階制)
ステージ1:就労適性チェック付きの寮生活(3〜6か月)
・起床、就寝、労働、食事、行動ログすべてがAIで記録される
・毎週、精神安定度・協調性・離脱傾向などがスコア化
・通勤先は“指定職場”(関連企業や自治体サポート枠)
ステージ2:限定的な外出許可
・行動半径が徐々に拡大(最初は徒歩1km圏内など)
・休日に家族と短時間の再会が許可される場合も
ステージ3:帰還プランの提出+再評価
・「実家に戻りたい」「一人暮らししたい」など希望を申告
・生活支援担当者との面談の上、最終審査を通過すれば陸地への本帰還が認められる
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とはいえ──島にいながら社会復帰の道が完全に閉ざされているわけではないにしても、
それを口にすることは、他者の希望を刺激する“危険思想”と見なされがちだ。
だから皆、心の中だけで『島から就活できればいいのに』とつぶやいている。
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ただ、最近になって少しずつ制度が変わってきた。
希望者には、AIによる就活サポートが行われるようになったのだ。
本人の代わりに、AIが企業とのやりとりや日程調整、書類作成まで代行してくれる。
さらに、希望すれば“顔合わせ”の場にも同席してくれる。
派遣会社の営業がよくやるように──
「これは面接ではありません。ただの職場見学です」と言いつつ、実質的には面接に近いやりとりをサポートしてくれる。
派遣の世界では、面接が禁止されているのに、実際には「顔合わせ」や「意思確認」が堂々と行われているという矛盾がある。
「だったら最初から“面接”って言えばいいのに」と思ったこともある。
でも、そうした建前を超えたところで、“誰かが一緒にいてくれる”というのは、それだけで安心する。
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この島では、誰も怒鳴らない。
注意も、強制も、命令もない。
でも、誰も話しかけてもこない。
そして──俺は、ようやく自分の口で誰かに話しかけてみたいと思えるようになった。
また働きたい、とも。
ここを出て、今度こそ──ちゃんと、生き直したい。
貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました!