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隔たれた地図──見えざるナッジ  作者: 市善 彩華
第1章:ユニコーン/安らぎという名の入口
8/22

第8話「静寂の中の声(リセット群:リヴィア島)」

発言ひとつ、投稿ひとつが“空気を乱す”とされ、送り込まれる場所がある。

そこでは名前も性別も奪われ、ただ“従順な歯車”として再構築される。

──これは、言葉の責任を自らに返すよう強いられた者たちの、沈黙の記録。

島に降り立った瞬間、まず感じるのは空気の重たさだった。

湿度や気温のせいではない。

無数の視線に晒されるような張り詰めた沈黙が、肌にまとわりついてくる。


ここは、リセット群《リヴィア島》(R-01)。

反体制的言動や煽動的・虚偽の投稿、迷惑行為など社会の調和を乱したとされる者たちが送り込まれる“思想矯正の島”だ。


本人の意思とは無関係に、突然、職場や家庭から切り離される。

「感染症の疑いがあるため、一時隔離が必要です」──そう通達された周囲は、一様に驚きながらも納得していた。

場所も期間も明かされないが、本人の安全と社会的配慮を装った“丁寧な措置”が、それを疑う隙を与えない。


入島直後、彼らに支給されるのは、名簿番号と性別記号が付された無機質な作業服。

服はユニセックスなデザインで、体型が目立たない作りとなっており、性別を判断することは難しい。

名札には「T-4543」や「M-6005」などの番号と記号だけが記され、名前や個人の呼称は禁止されている。


「名前で呼ばれることは、個を主張する第一歩です。ここでは それを、初めから削ぎ落とします」


そう語る“教官”は、年齢も性別も不明な存在だ。

ただ規則と命令を伝えるだけの、人間の皮を被った無機質な装置のようでもあった。


施設内では、**毎朝の“再認識プログラム”**から1日が始まる。

ユニットと呼ばれる10〜12名の小集団に分けられた受講者たちは、教官の問いかけに対し、決められた回答を唱和しなければならない。


「この社会に異を唱えることは、誤りである」

「規範は、幸福を守るために存在する」

「思考は、他者と調和するために調整されるべきだ」


ひとつでも言い間違えれば、照明が暗転し、警告灯が点滅する。

言葉を濁すだけで、ユニット全体に“沈黙”の重圧がかかる。

──誰かの失敗は、全員の責任。

それが、この島の基本ルールだった。


そもそも、なぜここまで厳しく矯正するのか。

SNSでのたった一言が数万人に拡散され、社会的炎上や信頼の崩壊を生む時代。

「言葉の責任を自分に返す」とは、もはや道徳の話ではない。

社会秩序の問題であり、AIが選別する“社会危険度”の指標でもある。


昼食は私語禁止。並んで座り、配膳された食事をただ黙々と口に運ぶ。

メニューは、温度も味も感情を刺激しないよう“平坦化”された人工食だ。

「栄養価は最適化されている」と説明されるが、満腹も空腹も感じづらい曖昧な量に調整されている。


ときおり、同室の誰かが姿を消す。


教官は、決まってこう言う。

「再適応が確認された者は、次の段階に進んだ」


だが、“戻ってきた者”を見た人間は、誰もいない。

噂話も禁止されており、知る術はない。


それでも、なお信じている者がいる。


「ここを出れば、元の暮らしがあった陸続きの社会に戻れる」──と。


だが、その“外”は本当に実在するのか。

日が経つにつれ、声を失い、希望を失い、ただ訓練に従う者だけが残る。

“かつての暮らし”という言葉は、やがて具体的な記憶を失い、誰かの作った幻のように思えてくる。


──


同じ作業服をまとい、同じ訓練に従う者たちの中に、

かつて“バズらせ屋”と呼ばれた男がいた。


「俺が投稿すれば、フォロワーが何千人もリポストしてくれる。

『近所の駅で芸能人見た』『彼氏募集中です』──写真もフェイクで十分。信じる方がバカなんだってw


男なのに女のフリして投稿したら、男が寄ってくる。

適当に拾った可愛い女の子の写真をアイコンにして、“DVから逃げてます、助けてください”って泣き絵文字つけたら──

本気で心配してくれる奴、金まで送ってくれる奴、山ほどいたよ。

欲しいものリストに載せた高額商品もガンガン届いたし、こいつらネカマに騙されて本当アホw」


そう豪語していた男は、いまや番号で呼ばれ、人工食を静かに咀嚼している。

眼差しにかつての鋭さはなく、定められた訓練を繰り返すだけの存在となっていた。


矯正とは、ただの沈黙を強いることではない。


──


言葉の責任を、自分自身に返す過程でもある。

他者の共感や怒りを煽ることでしか自分の輪郭を保てなかった者にとって、それは自我の再構築に等しい痛みを伴う。


部屋の壁に掲示された評価表では、毎週の適応度が数値化され、全員に公開される。

下位者は、より厳しいプログラムへと進む。


──


「信じる方がバカなんだよな」と豪語していた彼も、今では単なる番号で呼ばれ、無表情で人工食を口に運ぶだけの存在になった。


彼がこのリヴィア島に送られた理由は、はっきりしている。

拡散のための嘘、社会を惑わす意図的な情報操作──それは、単なる表現の自由ではなく、明確な社会的責任の欠如だった。


この島への選出は、AIが監視するネット上の言動解析と、社会的影響度評価によって決定される。

例えば、炎上目的で悪質な虚偽を繰り返す者や、意図的に社会不安を煽る行為が検出されれば、選出基準に該当する。

本人の同意は不要で、いわば“社会の安全装置”として強制的に移送されるのだ。


初めて島に降り立ったとき、彼は矯正プログラムを軽く見ていた。

「言葉を繕えば、すぐに自由になれる」と甘く考えていた。


だが、現実は違った。


毎朝行われる唱和プログラム。

参加者は無意味に思える言葉を声に出して繰り返し、少しでも言葉を間違えれば、室内の照明は暗転し、無言の圧力が部屋を支配する。


言葉の責任と向き合うことは、想像以上に難しかった。

嘘でごまかすことは基本的に許されず、誤魔化しは高精度に検出される。

それでも、ときに“見抜かれなかった嘘”が、本人をより深く追い詰めることもある。


評価基準を満たさなければ、プログラムは強化され、より厳しい矯正が加えられる。

彼の心は徐々に追い詰められ、かつての自信は次第に崩れ落ちていった。


一度は嘘の回答で評価を上げ、段階的社会復帰の許可を得たものの──その見逃された“綻び”が、彼自身を試すことになった。

帰還後も同じ過ちを繰り返した彼は、再びこの島へ戻された。


今では その重圧の中、彼は真実の意味を考えるようになった。


「本当に自由とは何か?」

「言葉に責任を持つとは?」

「自分の居場所は、どこなのか?」


リセット群《リヴィア島》(R-01)は、ただの“牢獄”ではない。

それは社会の安全と秩序を守るための“再生の場”であり、同時に個が自分自身と向き合う場でもある。


沈黙の中で、彼の小さな心は少しずつ変わり始めていた。


自由と責任、嘘と真実。

その境界線を彷徨いながら今日もまた、無表情の列に並び、彼は唱和の声を上げる。

その声が、自由への祈りか、諦めの合図なのかは──まだ誰にも分からない。

貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました!

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