表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隔たれた地図──見えざるナッジ  作者: 市善 彩華
第2章:ケルベロス/境界を越える声
18/28

第18話「静けさの中の告白(エコーチェンバー島:カナリア区)」

陽翔が、これまで誰にも明かさなかった事実を、蓮にそっと打ち明ける。

カナリア区の中庭で交わされる、柔らかな会話と微かな本音。

二人の距離がまた一歩、確かに近づいていく──。

午後の柔らかな陽射しが、中庭に差し込んでいた。

木々の葉がさらさらと音を立て、時折吹く風が草花をくすぐるように通り抜けていく。

空は薄く透けるような水色で、遠くで鳥のさえずりが控えめに響いた。

カナリア区特有の“静けさ”には、どこか現実味のない膜がかかっているようにも感じられた。


蓮は芝生に腰を下ろし、雲を見上げていた。彼の視線は揺れる雲の流れを追いながら、どこか遠くを見つめているようだった。

隣に、少し遅れて陽翔がそっと座る。体を寄せるでもなく、微妙な距離感のまま。二人の間に流れる空気は、言葉にならない感情をはらんでいた。


「ここ、風が気持ちいいっすよね」

蓮が笑顔でそう言うと、陽翔も小さく頷いた。


しばらく、二人の間には静けさが流れた。蓮は無理に話題を作ろうとしない。

陽翔の沈黙が、何かを言い出そうとしていることに気づいていたからだ。


陽翔は少しだけ視線を落とし、やがて静かに口を開いた。


「蓮……ちょっと、話があるんだ」

「はい。なんすか?」

「鈴木さん覚えてる?」

「たまーに巡回に来てる人ですよね?」

「そうそう。実は……俺と鈴木さん兄弟なんだ」


言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに張り詰めた。

蓮は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに口元を緩めた。


「やっぱ、そうっすよね」

「え……?」

「顔、似てるって思ってたんすよ。雰囲気もどことなく。あ、でも言えない事情があるのかなって。推しの陽翔さんから直接聞けて、嬉しいっす」


その言葉に、陽翔は思わず吹き出しそうになった。

蓮は、いつもの調子で、まるで何のわだかまりもないように微笑んでいる。


「……蓮には、隠したくなかった」

「打ち明けてくれて、ありがとうございます。ほんとに」

蓮は、そう言ってそっと隣に寄った。


「こっちに来てから、誰にも話したことなかった。兄弟ってバレたら、色々面倒になりそうでさ……」

「わかりますよ。俺、ちゃんと黙ってます。兄弟って言われて、なんか凄く納得しましたし」


陽翔の表情が少し和らぐ。心の奥で張り詰めていたものが、ゆっくりとほぐれていくのを感じた。


「鈴木って名字、本名なんだ。下の名前は同じ。“鳳凰”は芸名でさ。

週刊誌に勝手な記事書かれて、逃げるように兄貴に相談したら、アプリ【チャットILS】のこと教えてくれて……それで気づいたら、この島に来てた」


「陽翔さんも同じアプリ経由なんすね。すげー、俺たちが出会ったの運命じゃないっすか(笑)」

「いや、ほんとにな(笑) ここで蓮に出会えたし、わけあってこの島のことを調べたいって気持ちもあって……今は来て良かったって思ってる」


蓮は静かに頷いた。少し空を仰ぎ、目を細める。


「俺の方こそ、陽翔さんに出会えてよかった。

あんな彼女と別れてよかったし、今じゃ浮気してくれてありがとうって思ってるくらい(笑)」


陽翔は笑いながら、少し照れたように視線を落とす。


「蓮はさ、なんで俺に懐いてくれたの?」

「……え、今さらっすか?」


蓮は笑いながらも、真剣なまなざしで陽翔を見た。


「陽翔さん、ちゃんと話してくれるじゃないですか。俺のことも、周りのことも。自分の言葉で話そうとしてくれる。

それに、俺の話もたくさん聞いてくれる。

そういう人、ここには あんまりいないんすよ。みんな穏やかで、優しいけど……なんか、自分から人に踏み込まない」


陽翔は、その言葉に思わず黙り込んだ。まさにそれが、この島の空気だった。

誰もが波風立てず、関係を深めようとしない。“もう人と関わらなくていい”という安息と引き換えに、熱を手放していた。


「俺、多分……まだ、人とちゃんと繋がりたいって思ってるんですよね」

「……俺も、かもな」


陽翔は、小さく息を吐いた。

蓮と話すたびに、自分の中に残っていた“何かを信じたい気持ち”が、少しずつ蘇っていくのを感じる。


蓮は、少しだけ顔を曇らせて陽翔の方を見て言った。

「……あのとき、鈴木さんに変なこと言ってなかったかなって……ちょっと不安で……」

「何言ったんだ(笑)」

「陽翔さんに似てるって言ったら、よく言われるって……あと、陽翔さんは俺の推しだって(笑)」

「多分、笑ってるわ(笑) 仕事中に癒されただろうな」

「そうなら、いいんですけど……」

「大丈夫だから気にすんな」


陽翔の口元が緩んだ。

この島に来る前の自分には、考えられないような会話だった。誰かと“信頼し合っている”という実感。それが、今確かにここにある。


「……蓮」

「はい?」

「ありがとな」


──


その日の夕暮れ。中庭のベンチには、もう誰もいなかった。

空は、淡い茜色に染まりはじめていた。


草の香り、風の温度、余韻のような沈黙。

それら全てが、二人の間に確かにあった時間をそっと包み込んでいた。


静けさの中に残るのは、彼らの言葉の余韻と、これからの未来への小さな期待だけだった。

この時間が、二人にとってどれほど大切かは、誰にも言葉で表せない何かが伝わっていた。

それはまるで、静かな湖面に映るゆらぎのように、心に深く刻まれていった。

そして、やがて日は沈み、夜の帳が静かに街を包み込むのだった。

貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ