第16話「足元への支援 前編(島外:アクシスタワー・ヴェリタス)」
現代社会に生きる私たちの中で、介護や医療的ケアを必要とする家族を抱える人々は、深い孤立と疲弊の淵に立たされています。長年にわたり献身的に支え続けるその姿は、時に社会の理解や支援を超えた過酷な現実を伴います。
本作は、そんな“限界を超えた人々”の物語の一端です。人工知能(AI)や最新技術による福祉の未来像と、その裏に潜む危うさを描きながら、私たちの社会の光と影に静かに迫ります。
一人の母親が抱えた重く、切実な現実と、その背後に横たわる制度の課題。誰もが「助けて」と声をあげられる社会を願い、この物語を紡ぎました。
静まり返るカナリア区の監視室。監視員の鈴木は、複数のモニターを淡々とチェックしている。画面には、蓮と陽翔の姿も映っていた。
「……特に異常なし。蓮と陽翔の接触も、今のところは問題ない範囲か」
鈴木は少し目を伏せ、ため息をつきながら画面を切り替える。
「……さて。この後、会議か。確か新しい人工島の話だったな。エコーチェンバー島みたいに、“見えない支援”だとしたら、また一悶着あるな」
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(アクシスタワー・ヴェリタス内 会議室)
会議室のスクリーンに、ある事件の報道資料が映し出された。
ナレーションのように誰かが読み上げる。
「これは、先日報道された医療的ケア児の家庭で起きた事件です。母親は、長年自宅で人工呼吸器をつけた娘の介護を続けていましたが、ある日、呼吸器を外してしまい……」
あの母親は、8年間もの間、文字通り命を守り続けてきた。しかし、たった一度の“気の迷い”が、全てを終わらせてしまった。にもかかわらず、ネグレクトを繰り返す親は何度も許されてしまう――そんな構図が、まさに社会の暗部である。
母親は、人工呼吸器をつけた7歳の娘を自宅で介護し、命を守ることに懸命に向き合ってきた。だが、疲労と心労の極限の中で、ほんの一瞬、判断を誤り、呼吸器を外してしまった。結果、娘は亡くなり、「殺人」として断罪された。
そして、その背中を最後に押したのは「支援の不足」だけではなかった。
頼るべき夫には「もう限界」と突き放され、親族からは「まだ続けるのか」と冷ややかな言葉を投げつけられた。
味方であるはずの人間に拒まれ、孤立無援の中で、彼女は選んではいけない選択をしてしまったのだ。
情状を考慮し、懲役3年・執行猶予5年(保護観察付き)の判決が下された。ニュースを見た多くの人は、彼女に同情的なコメントを寄せたが、それでも社会は彼女を「犯罪者」として扱い、8年間の献身を忘れ去った。
この出来事を受けて、新たな人工島の構想が加速している。島そのものは既に整備済みで、あとは医療機器の搬送と、専門スタッフの配備を進める段階だ。
この人工島は、「限界を超えてもなお責められる人々」を支えることを目的としている。医療的ケア児を抱える家庭、慢性的な介護疲れを抱える人々が、罪に問われる前に、孤立する前に、「助けて」と言える場所。
島の設計は、単なる“避難場所”ではなく、生活と支援が両立できる空間として構想されている。個別の居住ユニットは、家庭の延長として機能するよう配慮され、室内には24時間稼働のセンサーとAIモニタリングシステムが備えられている。
医療的ケアが必要な子どもたちには、バイタル管理を自動化する機器が導入され、緊急時には専門スタッフと遠隔医師が即時に対応できる。通所型の教育支援施設や、保護者のメンタルケアを行うカウンセリングルームも設けられ、全てが“社会との断絶を避けるためのインフラ”として設計されている。
また、同じような境遇の保護者同士が交流できるラウンジや、AIによる“マッチング”支援も想定されていた。孤立を防ぐための“繋がりの場”を、意図的に組み込んだ設計だ。
滞在の形も柔軟だ。短期のレスパイト(介護休息)利用から、長期入所や家族との同居まで、家族の状況や希望に応じて段階的に支援の濃度を選べるモデルが目指されている。
「一度来たら戻れない」という構造を避けるために、再び地域に戻るプロセスも組み込まれている。一定期間の滞在後、地域の支援制度や学校との橋渡しを行うコーディネーターが常駐し、移行支援が行われるという。
推進派の説明は、“一時的にでも命が守れる場所”としての意義を強調していた。
だが、それでも鈴木の疑念は消えなかった。
AI支援、専門職の常駐、同じ境遇の人たちと繋がれる環境。本人の尊厳と家族の生活、その両方を守る仕組み。
「たった一度の判断」で犯罪者になる前に。
「助けて」が責められない社会へ。
私たちは、あの母親の苦しみに、これ以上“似た誰か”を重ねたくはない。
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様々な声が会議室を飛び交う。
「島に行くのは誰が決めるんですか?」
「リモートワークできない職種は、どうするのか」
「家族は離れて住むのか?」
「週末の外出や、子どもの通学は?」
想定していた質問だったが、明確な答えはなかった。
「すみません。まだ試験段階なので、正直に言えばやってみないと分からない部分が多いのです……」
「人の命がかかってるんだぞ」と誰かが叫んだ。
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鈴木は静かに手を上げた。
すると、会議室のざわめきが一瞬だけ静まる。彼は深く息を吸い込み、視線が自分に集まるのを感じながら、ゆっくりと立ち上がった。冷たい空気の中、声を震わせずに話すことを心に決めている。
悪役になったとしてもそれでいい。ここで自分の思いを伝えなければ、誰もが置き去りにされてしまう――そう強く思った。
そして、鈴木は静かに口を開いた。
「私からも、よろしいでしょうか?」
促され、立ち上がる。
貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました!




