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隔たれた地図──見えざるナッジ  作者: 市善 彩華
第3章:ペガサス/夢を運ぶ風
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第15話「もう一度、夢を描く場所──(ドリーム観光群:モンタージュ島)」

夢に年齢制限はない──そんな言葉が空虚に響くこともある。

現実の重さや過去の挫折は、ときに人の心を「夢」から遠ざけてしまう。


だが、もしもう一度だけ、別の人生を“生きたように”感じられる島があったなら?

子どもたちは未来に憧れ、大人たちは過去と向き合いながら、新たな選択肢を見出す。


ここは、記憶と感情に働きかける体験型ナッジ施設──モンタージュ島。


セレンディピティ──思いがけない幸運は、道に迷った先にこそ、待っている。

「ようこそ、ドリーム観光群《モンタージュ島》へ──」


ドリーム観光群《モンタージュ島》(D-05)のゲートをくぐると、目の前に広がるのは、まるで映画のセットのような壮大な街並みだった。


子どもから大人まで、誰もが“かつての夢”や“なりたかった自分”に触れることができる、疑似職業体験がテーマの島である。

島全体が巨大なシミュレーター空間であり、職種ごとのブースに入ると、時間圧縮型VRによって“数年分”の経験を一気に追体験できるという。


この島の最大の特徴は、“記憶拡張型VRナッジ”──短時間で数年分の仕事体験を、まるで現実の記憶のように脳に刻み込む技術だ。


つまり、ここでの数時間は、実際には数年分のリアルな仕事体験となり、訪問者の脳内に深く定着するのだ。


「これなら、資格や専門用語が難しい職業も、楽に理解できるのでは?」

そう考える者もいるだろう。

実際、言葉の壁や専門知識のハードルは、アプリが丁寧に補助し、初心者でも戸惑うことなく体験に没入できるよう設計されている。


そこには、時代も職業も異なるシーンが複数重なり合い、訪れた人それぞれの「もう一つの人生」がリアルに再構成されていた。


「D-05スタンプラリー、開始します。まずは、あなたの“もしも”を選んでください」


アプリに表示されたのは、いくつかの職業アイコンと、それぞれに添えられた問いだった。


──「子供の頃、憧れていた職業は?」

──「もし今、やり直せるとしたら?」

──「何者になりたかったですか?」


彼女は、しばらく迷った末に、「花屋」をタップした。


特別な理由があったわけではない。ただ、受付でふと目に入った「花束を選ぶあなたの手に、まだ残っている“やさしさ”」というコピーに、なぜか胸がちくりとした。


──昔、少しだけ憧れていた。忙しい毎日の中で、すっかり忘れていたけれど。


「それでは、体験を開始します。花屋ブース・ユニットNo.7にお進みください」


カーテンをくぐると、小さな鐘の音が鳴った。


木の棚に並ぶ色とりどりの花々。淡い香り。室内は午後の柔らかな光に包まれている。すぐにAIによる設定が始まり、彼女は“この花屋で働くスタッフ”という役割に入り込んだ。


最初のお客さんは、戸惑いながらも優しい表情の中年女性だった。


「誕生日の贈り物ですか? どなたへのプレゼントでしょうか?」


「職場の同僚で……お世話になってる方なんです」


彼女は一瞬だけ迷い、それから店内の花々に視線を走らせた。


「それなら、ピンクのバラがおすすめです。“感謝”や“優雅”の花言葉があります。

ガーベラは色によってピンクだと感謝、黄色だと親しみやすいなど、他にも…」


女性の表情がやわらぐ。


「お花は、たくさんありますので、その方の雰囲気やお好みがわかれば、もっとピッタリのものをご提案できますよ。

花束にもできますし、ラッピングもご相談くださいね。

ラッピングに使うリボンの色も、その方のイメージに合わせると素敵ですよ」


次に訪れたのは、父親に手を引かれた小さな男の子だった。


「ママのたんじょうびに、おはなあげたいの」


「素敵。えらいねー」


「わかんないから……おねえさん、えらんでくれる?」


「喜んで! お母さんは、どんな色が好き?」


「うーん……ピンクかな」


彼女は笑みを浮かべながら、ピンクのカーネーションと、白いカスミソウを添えた花束を差し出す。


「カーネーションには“感謝”の花言葉があるんだよ。お母さん、きっと喜ぶね」


小さな手が花束を抱きしめるように持った。その光景を見ていた父親が、ふと彼女に視線を向けた。


「本当に、ありがとうございます」


その一言が胸を強く揺さぶった。心の奥で長く凍っていた何かが音を立てて崩れ、そして、ゆっくりと優しく積み直されていくように感じた。


笑顔でブーケを渡し、深々と頭を下げる。

どこか懐かしくも、初めて感じる幸福感が胸に広がっていた。


店の外には季節の花々が咲き誇り、近所の子どもたちが「いつものチューリップ!」と無邪気に笑いかけてくる。


──こんな毎日も、あったかもしれない。


心地よい疲れ、花の香り、顧客とのやりとり。

それは、確かに“もう一つの人生”の記憶だった。



体験が終わると、彼女は しばらくその場を動けなかった。


「……全部、夢だったんだよね。でも……なんか、涙が出そう」


気づけば、島の中央にそびえる「職業回廊 (キャリア・アーケード)」の前に立っていた。


そこでは、体験者たちがそれぞれの職業衣装を着て歩いていた。

子どもが宇宙飛行士のヘルメットを誇らしげにかぶり、大人が消防士の制服を試着して笑っている。

それぞれの「なりたかった自分」が、この島では現実として存在していた。


保護者たちは、目を輝かせて職業体験に没頭する子どもたちを見守っている。

「どうだった?」

「楽しかったー」

「他の職業も体験してみる?」

「うん!」

そんな親子の笑顔があふれる中、大人だけで訪れる人の姿も見えた。

「今日は修学旅行で子どもが家にいないから、久しぶりに夫と話して……思い切って来てみたんです」

そんな声も耳に入る。

誰もが、ふと立ち止まって“もしも”を追体験している。


彼女は、小さなベンチに腰掛けた。手には、花屋の体験で最後にもらった一輪のアルストロメリア。

花言葉は──「未来への憧れ」。


少し息を整えてから、彼女は口にした。

「きっとこれはシミュレーションだから、楽しい部分だけ体験できたんだろうな。

でも──胸の奥には、未来への憧れがちゃんと残ってた。

実際に働いたら、大変なこともたくさんあるんだろうけど……

それでも、あの気持ちがあるから、人は前に進めるのかもしれない」


その言葉を耳にした近くの来場者が、ふと微笑んで言った。

「私も同じです。全然違う仕事をしているけれど、ここに来て、ふと昔の自分を思い出しました。

あ…いきなり話しかけてすみません」


「いえ、ありがとうございます! 聞かれちゃってたんだなと(笑)」


「それに、わかります……仕事となると、嫌なことも多いですよね。

楽しい部分だけ体験できるから、いざ仕事となると、現実は違ってくるのかもしれません(笑)」


周囲の来場者たちも、静かに目を伏せ、どこか昔の自分を思い出しているようだった。

まるで、忘れていた未来と再会したかのように。


そうか、これがセレンディピティ──思いがけない気づきや出会いなのだ。

誰かの“夢”に触れることで、自分の“もしも”にも気づいていく。



スタンプ端末にスマホをかざすと、画面に金色のメッセージが浮かび上がる。


「D-05スタンプ獲得──あなたの中にある“もしも”と出会いました」

「次の目的地:D-08が候補に挙がっています」


彼女は、静かにスタンプ台帳を閉じた。

貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました!

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