第11話「静かな焦りと希望(スローダウン群:ユリシス島)」
エレボス島の投稿がSNSで話題を呼び、希望の灯火となった一方で、同じスローダウン群のユリシス島では、焦りと静かな期待が入り混じっていた。
担当官は、自らの手がける現場に誇りを持ちつつも、周囲の成功に触れたとき、胸の奥にわずかな羨望を感じていた──
「またエレボス島の投稿が伸びてる。あんなに話題になるなんて、すごいな……。うん、少しだけ羨ましい」
ユリシス島で支援官を務める七海は、SNSのトレンド画面を見つめながら、ぽつりと呟いた。声に嫉妬の色はなく、遠くに咲いた花を見つめるような淡い気配が漂っていた。
スローダウン群 《ユリシス島》(S-04)は、恋愛や結婚を通じて社会的孤立を軽減する「縁結び支援」を目的とした管理型婚活島だ。
参加者たちは、AIアプリ「Affinity Compass(通称:アフィコン)」による誘導を経て、“婚姻適性スコア”の上昇をきっかけにこの島を訪れる。
だが、エレボス島のように“立ち直り”が可視化されやすい施設とは異なり、ユリシス島では成果が数字として表れにくい。
ここでの変化は、もっと静かで、目に見えにくいものだった。
「この島の変化は、すごく静か。数字には出にくいけど、確かなものなの」
七海のデスクには、参加者一人一人の経過報告ファイルが丁寧に並べられている。
彼女は、マッチングの成否よりも、心の揺れや信頼の芽生えといった内面的な変化に重きを置く支援官だった。
この日の面談相手は、参加して3週間目の女性・村瀬 愛美。
初対面の頃は周囲を警戒し、他者と関わることを避けていた彼女だったが、最近は ゆっくりと他者と目を合わせ、少しだけ笑顔を見せるようになっていた。
「昨日、夜の浜辺で話したんです。波の音って、なんか安心するんですね」
その言葉の端々に、彼女自身も気づかない小さな“変化”がにじんでいた。
島では、アフィコンが参加者の感情ログを記録し、「マッチングの提案」「交流イベントの案内」などを最適なタイミングで通知してくる。
村瀬が案内されたのは、「内省の読書会」という静かなアクティビティだった。
選ばれた短編小説には、孤独や葛藤、再生といったテーマが織り込まれており、読み手の深層心理に優しく触れるように設計されている。
「主人公が相手に歩み寄る場面で、自分の気持ちも揺れて……少し泣いてしまいました」
七海は、モニター越しに映る村瀬の表情を見つめながら、そっと頷いた。その“揺れ”こそ、彼女にとっては何よりも確かな前進だった。
ちょうどそのとき、近くにいた男性参加者・間宮 徹朗が、ふと村瀬の方を見て軽く会釈した。
彼もまた、かつては誰とも目を合わせようとしなかった参加者の一人だった。
二人が言葉を交わすことはなかったが、ほんの一瞬、視線と表情が交差した。
七海は、その様子を静かに記録ファイルへと書き留めた。
「今日、村瀬と間宮が目を合わせて微笑み合った。短いが自然な交流」
この行動ログは、アフィコンの支援アルゴリズムにも反映される。次回以降のペアリングやアクティビティ選定に活かされていく。
七海が行っているのは、誰かと誰かを“くっつける”仕事ではない。
その人が「誰かと共に生きたい」と願ったとき、それを支える環境を整えること──
その過程こそが、支援の本質なのだ。
日が暮れ始めると、島内には やわらかな音楽が流れ始めた。滞在者の脳波に合わせて構成されたBGMが、心理的安定を静かに後押ししてくれる。
「また明日も、少しずつ前へ進めますように──」
七海は報告ファイルを一つ閉じ、祈るように心の中でつぶやいた。彼女は知っている。小さな光が、いつか誰かの道しるべになることを。
だからこそ、記録し、見届け、支え続けるのだ。
──
ある日の午後、ユリシス島の支援現場に密着したテレビ番組が放送された。
番組は、派手な演出を避け、静かな緊張感と誠実な現場の様子を映し出していた。
司会者のナレーションが流れる。
「ここ、ユリシス島では孤立しがちな人々が、新しい出会いと社会参加のチャンスを得るため、専門の担当官たちが細やかな支援を行っています。
しかし、その変化は数字には表れにくく、成果の実感は一筋縄ではいきません」
画面には、参加者たちのぎこちない表情や、七海の真剣なまなざしが映し出されていた。
「焦りもありますが、目に見えにくい変化を信じて、一人一人を丁寧に支えています」
ナレーションとともに、村瀬 愛美のインタビュー映像が流れる。
「海辺で夕陽を見ながら泣いてしまったんです。自分でも驚いて……少しずつ心がほぐれてきた気がしました」
番組を観た視聴者たちは、普段は見えにくい“孤独の解け方”や“他者との距離感の変化”に、初めて触れたかもしれない。
そして、その締めくくりに七海が語った言葉が、画面に字幕で映し出された。
「本当にサポートが必要な人が、この島に来られないのは事実です。でも、来てくれた人の心が少しでも動くなら──それを支える意味は、きっとあると思っています」
七海は静かに画面を見つめながら、心の中で言葉を繰り返す。
誰かの変化を信じ、向き合い続ける──それが、彼女の支援のカタチだった。
放送後、番組に対するコメントがSNSに並んだ。
「涙が出た」「自分も少しだけ、誰かを信じてみたくなった」
七海は、それらを見ながら ふっと微笑んだ。
「……あの子たちの、変化のかけらが届いたんだね」
ユリシス島の支援は、奇跡のような物語ではない。
けれど、誰かの小さな一歩を支える“確かな現実”なのだ。
貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました!




