楽園
森の小道を出ると、別世界が広がっていた。見渡す限り、色とりどりの草花が植えられ、遠くの方にはバラ園のようなものも見える。中央広場には見たこともないデザインの噴水があり、溢れんばかりの水が湧き出ている。ところどころに美術品や彫刻品もあって、光・緑・芸術の全てがバランス良く配置されていた。遠くに屋敷も見えるが、まだ到着するには時間がかかりそうだった。
男はおそらく、この屋敷の主人なのだろう。
執事のような男と話していたが、戻ってくると、
「ここからは、執事の佐久間がご案内します。申し訳ないのですが、ランチの前に事務的な手続きが必要になります。いえ、一応確認させて頂くだけの形式的なもので、以前は行っていなかったのですが・・・このご時世、いろいろな人が屋敷にやってくるものでね。誰でもどうぞという訳にはいかなくなったのです。頂いた情報はお帰りの際に削除させていただきますので、ご理解いただけると・・・」
話しながら、突然主人が僕の目をじっと見た。僕はとっさの事でドギマギしてしまった。意味もないのに後ろを振り返ったりする。
「な、何ですか?」
僕が耐え切れず、そう言うと、主人はハッと我に返り、
「いえいえ、失礼いたしました。では皆さん、よろしくお願いいたします。屋敷で後ほど、、」
と言って去っていった。
何だったんだろう?町田さんも肩をすくめている。
情報屋が執事の佐久間さんから説明を受けたらしく
「あそこの建物で受付するんだとさ」
と言って僕たちを促した。執事はこちらへどうぞと言って、脇にある建物へ案内してくれた。
中に入った途端、僕はその景色に目が奪われた。
そこは不思議な部屋だった。
壁は全て水槽になっており、いろんな種類の熱帯魚や水中生物が泳いでいた。部屋は円形状で青い光に包まれ、天井にある小さな窓から、わずかに日の光が射していた。
部屋の奥に扉があり、もう一つ部屋があるようで、どうやらそこが受付事務所のようだった。
「こちらで、しばらくお待ちください、お一人ずつお呼びいたします。」
と言って執事は、奥の事務所へ入っていった。
僕たち3人が、しばし、この空間に見とれていると、女性の人が飲み物を持ってきてくれた。
グラスの淵にトロピカルジュースのように果物が飾られており、中には透明なシュワシュワした飲み物が入っている。飲んで大丈夫だろうかと警戒していたら、町田さんが驚くような速さで飲み物を口に流し込み、
「うーん・・最高!」
と言ったので、僕と情報屋も飲んでみることにした。
ストローからのどに流し込むと、乾いたのどに果汁が染みわたり、炭酸が程よく弾け、ほんのり口に残る甘みが何とも言えないおいしさだった。南国フルーツだろうか?初めて飲む味だった。
思いがけないおもてなしに僕たちがすっかり、和らいでいると、再びノックがして執事の佐久間さんが入ってきた。
「順番にどうぞ、お一人ずつお入りください。」
と言われ、まずサラリーマンの町田さんが事務所へ入って行った。
「受付って何を聞かれるんですかね?」
形式的なものかもしれないけど、なんだか嫌な気がした。情報屋から聞いた話の事もあるし、個人情報を伝えるのは遠慮したかった。
「さあな、名前だけって訳にはいかないかもしれないな。出来れば私は、あの事務所内を探りたいんだが、、」
そうこうしている間に、町田さんが戻ってきた。
「次の方どうぞ」
話す間もなく僕が案内される。
事務所内に入ると、そこは普通のオフィスで、少しだけ現実世界に戻された気がした。
椅子に座ると、
「こちらへご入力お願いします。」
と言われiPadを渡された。
「あの、どうしても入力って必要でしょうか?」
と僕が言うと、え?と逆に不審がられ、
「何か問題でもありますでしょうか?申し訳ないのですが、こちらも防犯の意味でもご入力いただいております。万が一強盗などの事件が発生する可能性も無いとも限りませんので、、もしご入力できないということになりますとランチもご遠慮頂くようになりますが・・。」
と佐久間さんは、困ったように言った。
なるほど、確かに招待している側としては当然の行為と言えた。しかもこれだけの財産があるなら簡単に他人を屋敷内に入れるわけにはいかない。でも、、どうする?情報屋から聞いたことや子供たちの父親の件も考えたら、身元が知られるのは少し怖い気がした。僕は親や妹と同居しているし万が一何かあったら困る。でも、ここで入力しないで帰ったらトビオに怒られるだろうか・・・?あいつはいいよな、ちゃっかり無断で侵入しちゃってるんだからさ。というかトビオも心配だし帰るわけにはいかないか・・いろいろグルグル思考した挙句、僕はデタラメの情報を入力して、ごまかすことにした。万が一僕が書いたデタラメの住所に人が実在して、その人に被害が及ばないように、50丁目という、ありえない情報にした。さすがに、ばれるだろうか・・?
「ありがとうございます。では次の方、よろしくお願いいたします。」
ふわふわした足取りで事務所から出ると町田さんが
「いいところですね~ここ。僕はこんな場所初めてです。ドーベルマンは怖かったけど、来て良かった。」
と、のほほんとしていた。
「町田さん、名前とか住所、入力しました?」
と聞くと
「ええ、あのぐらいはサクサクっと、、え?コージさんはしなかったんですか?」
と不思議そうに言われた。
「あ、いや、しましたけど・・・」
考えたら町田さんは情報屋が言っていた内容は知らなかったんだっけ?どうしよう?と考えていたら、情報屋さんも入力を終えたようで事務所から出てきた。
「どうでした?」
「ああ、まあ、適当に・・」
と言っていた。きっと僕と同じでデタラメを書いたのかもしれなかった。
しばらくしたら執事の佐久間さんも出てきて
「ええ~町田様と宮益坂様、、お屋敷へご案内いたします。」
と言った。
あ、そうだ、僕は宮益坂コージだった、、自分が書いたでたらめな名前を忘れる所だった。
情報屋さんは、どうなったんだろう?僕の問いを察したかのように佐久間さんが
「それで大変申し上げにくいのですが、山田様の確認に、まだお時間が、かかりそうなのですが、、お待ちいただくか・・もしくは今回は山田様には、ご遠慮していただく形となりますが、よろしいでしょうか?」
と言った。
え?僕と情報屋は瞬時に目を合わせる。
情報屋のおじさんが引っかかってしまったようだ。
なんでだろう?僕もでたらめな情報を入力したのに・・。
でも、どうしよう?!
唯一武道に心得のある、頼みの綱の情報屋さんが一緒に来れないとなると、、トビオは行方不明だし、町田さんと僕2人?
トロピカルジュースなんて、飲んでる場合じゃなかった・・。
予想していなかった展開に僕の不安はMAXに膨れ上がっていた。