プロローグ
「申し訳ないが、断らせていただきたい」
小料理屋「響」の主人は言った。
私の提案を断る男は初めてだった。
友人に勧められて、この小料理屋「響」の料理を初めて食べた時から、私はこの店の虜になった。主人の作る料理は、どの料理も私にとって初めての味で、それなのにすべての料理が格別においしかった。まるで音楽を奏でるように口の中で味のハーモニーが弾け飛び、その心地よさにいつまでも身を委ねていたいと思うのだった。
私は、時間を見つけては、小料理屋「響」へ通うようになった。だが、いつも店は満員で、なかなか席を確保できず、時には行列ができていることさえあった。私は、行列というものに並ぶこと、待つという行為をすることが我慢できなかった。お金を出せば何でも思い通りにできたし、どんな問題も金を出して解決してきた。
だから今回も、主人に屋敷専属の料理人として来ていただけるか、もしくはこの小料理屋をもっと広く拡張してもらうよう提案した。もちろん全ての出資金はこちらでお支払いすると・・・。
だが、私の提案は即座に断られてしまった。こんなことは初めての事だった。
「良かったら理由を聞かせてくれないか。」
私が尋ねると、主人はしばらく私の顔をじっと見てから、頷いた。
「わかりました。うまくお伝えできるか、わかりませんが、理由をお話しましょう。」
カウンターから出てくると、主人は静かな口調で話し始めた。
「まず、あなたは、このお店を拡張したらどうかと、おっしゃいましたが、この店は、このままの広さがいいのです。拡張することは望んでいません。このぐらいの広さで、お客さまの様子を見ながら料理を作り、提供する。料理の味はもちろんですが、それだけではないのです。この店の暖簾をくぐった以上、その空間にいるお客様のどなたか一人でも曇った顔にさせたくないんです。だから、その方に合った料理、空気感、居心地の良さにも、もちろんこだわります。その為には、このくらいの店の広さがちょうどいいのです。」
「なるほど、金儲けは二の次だと・・・?」
「ええ。サービスの質が落ちるくらいなら、これ以上、儲けようとは思いません。行列になるのは申し訳なく思いますが、予約制にして時間を区切ることもしたくありません。その代わり、暖簾をくぐって頂いた後は、心を込めておもてなしさせて頂きますので、ご理解いただきたい。」
主人の真っすぐなまなざしが、私にそそがれていた。私の心は、なぜか落ち着かなかった。それもまた初めての事だった。
主人は、静かな、それでいて優し気な口調で、さらに説明を続けた。
「それから、屋敷専属の料理人というお話ですが、そちらもお断りさせていただきます。
店には、いろいろなお客様がいらっしゃる。私の店は客を選びません。どんなお客様でも、同じ空間にいて、おいしい物を食べて、同じように笑顔になる事が、私は何より嬉しいのです。その笑顔は、私に新たな料理へ挑戦するための活力を与えてくれる。だから、例え何倍ものお金を頂いても、1人の方の為だけに料理を作ろうとは思いません。以上の理由から、お断りさせて頂きます。申し訳ない。」
主人はきっぱりと言い、頭を下げた。
交渉の余地など1㎜たりとも無かった。主人の、そのゆるぎない姿があまりにも清々しく、神々しくて、私をイライラさせた。その主人のまとっているオーラは、私には生涯、手に入らないものに思えた。
それは、静かに輝いていた。
まるで_____プラチナのように