箱舟 第8話
ルシア「ほら。あなたが、そうだ。あなた、名前は?」
吉岡「吉岡です。」
ルシア「あなた、彼女が意識不明で倒れていたのに、どうして、逃げたの?」
吉岡「あの。姉さん。・・・話すと長くなるんですけど、いいですか?」
ルシア「・・・短く。端的に。」
吉岡「ええええええぇえ?いや、でも、あの、」
ルシア「あなたの女、面倒みてるの、私なの。いい?あなたの面倒をみてるのも私。」
吉岡「トモミは、トモミは無事だったんですか?」
ルシア「あんたさぁ。女、捨てて逃げたくせに、今更、その女の心配してんの?・・・もう少し、頭、使って、自分の心配したらどうなの?」
吉岡「すいません。すいません。ほんと、すいません。あの時は怖くって、怖くって、だから、逃げちゃって。でも、あの、怖かったんです。」
ルシア「怖かったねぇ?・・・さっきの額賀さんの、舎弟の子が、病院に付いてくれているから。あなたの女。トモミさん?意識は戻って、今は寝ているって。」
吉岡「本当ですかぁああ!良かったぁああ!」
バチン
吉岡「痛って」
ルシア「良かったじゃないわよ。薄情にも捨てて逃げたんでしょ、あなたは?」
吉岡「あの、姉さん。それは、すいません。すいません。ほんと怖かったんです。トモミには申し訳ないけど、俺、殺されるかと思ったんです。・・・第一、トモミ、殺されたと思ったし。」
ルシア「そこ。そこら辺の話。聞きたいのよ。だからわざわざ、あなた達を引き取ったんだから。・・・それで、何があったの?・・・端的に。端的に言って?」
吉岡「えええ。あの、その。」
ルシア「だぁかぁらぁ、短くぅ。」
吉岡「あ、はい。・・・あの、中央通り、一本入った道で、ホームレスが歩いていたんです。ただホームレスの割に小奇麗な格好だな、とは思いました。そいつ、道の真ん中を歩いているんですよ。いや、だから、道だから真ん中を歩くって言われても、普通、人が向こうから歩いてきたら、避けるとかするじゃないですか、一般的に。常識的に。あ、だから、すいません。すいません。お前が言うな、っていうそういうのじゃなくて、一般論として、人が来たら、ぶつからない様に避けて通るじゃないですか。俺でもそうしますよ。ま、それで、こちとら、女連れですよ。女と一緒に歩いているのに、そのホームレス、避けるどころか、こっちに向かって歩いてくるんですよ。頭、おかしいじゃないですか?いや、あの、俺も頭、おかしいですけど、それ以上ですよ。まじで。なんかゾンビみたいにゆっくりゆっくりこっちに歩いてきて、気持ち悪いな、と思っていたら、ぶつかって来たんですよ。俺、腹が立って。・・・ま、あの、トモミがいたからっていうのもあるんですけど、そいつの胸倉掴んで、道路に叩きつけてやったんです。」
ルシア「・・・吉岡はさぁ、一回、ぶつかっただけで、喧嘩しちゃうの?」
吉岡「いや、そういう訳じゃないですよ。そういう事じゃ。向こうから来ているのに、分かっているのに、避けないんですよ。しかも、向こうからぶつかって来たんですよ。正当防衛じゃないですか。姉さん。姉さん。姉さん!すいません。すいません。すいません。そういう意味じゃないんです。そのホームレスが倒れたんで、ま、俺はいっかと思ったんですけど、トモミが、よせばいいのにそのホームレスに足蹴りしたんですよ。俺は内心、やめろよ、と思いましたよ。でも、もう蹴ってるし。俺、止めたんです。いや、まじで。本当に。やめろって。いや、あの、聞けば分かる?って言われても。本当です。トモミを止めました。笑ってないです。俺、サイコパスじゃないんで。本当です。本当です。トモミがなんか、言っているんですよ。バカとか、ホームレスとか、死ねとか、ええ。トモミもバカなんで。出て来る言葉がバカなんですいません。バカなんで。いい加減にしろよ、と思って、行こうとしたら、トモミがホームレスが金、持ってないかとか言い出して、ポケットとか触りだしたんです。おいおいおいおい、まじで、なにやってんだ?って思ったんです。本当です。関わり合いたくなかったから。でも、トモミが。」
ルシア「女の所為にしてないでしょうね?」
吉岡「してないです。正直、してないです。気が済んだら行くぞって声をかけたら、トモミが急に倒れて。さっきまで威勢よく、ホームレスを蹴り飛ばしていた女が急に倒れたんですよ。俺、何がどうなったか訳が分からなくて。俺、トモミに駆け寄ったんです。トモミの奴、口から泡を吹いて、体がビクンビクン、ケイレンしていて。俺、さっぱり何が起きているか理解できなくて。そしたら、ホームレスが俺の方に近づいてきたんですよ。うわってなって。なるじゃないですか、トモミは泡、、吹いているし、ホームレスがゾンビみたいに近寄ってきて。俺、その時、ホームレスと目が合っちゃったんですよ。そしたら、一瞬、心臓が止まった気がしました。ビクンってなったんです。いや、本当です。本当です、信じて下さい。」
ルシア「心臓が?」
吉岡「ええ。はい。心臓が止まった気がして。酒、急に飲むと、意識が下がるじゃないですか。あんな感じでした。天井が遠くなるっていうか、意識が遠のくっていうか、感覚がなくなるっていうか。でも、まだ、ちゃんと意識はあって。」
ルシア「血圧が急に低下した症状だな。」
吉岡「よく分かんないんですけど。痛ぃ、痛ぃ、いや、姉さん。ほんと、いや、ほんとなんです。意識はあるんだけど、手とか足とか、まるで思うように動かなくなっちゃって。俺も、死ぬって思いました。たぶん、死ぬ時って、今なんだと思いました。それで、体が動かないんです。俺、動けないのに、ホームレスが俺に乗っかってきたんです。殺されると思いました。だって、俺、体、動かないんですよ。声も出ないし。何も出来ないし。絶対、トドメを刺されると思いました。ゆっくりと、俺の体を押さえつけて、それで、俺の目を見ようとするんです。」
ルシア「・・・目を見る?」
吉岡「あ、はい。だんだん俺の目に、ホームレスの頭が見えてきて。下から上がってくるのが分かりました。・・・感覚的にですけど。俺、思ったんです。これ、目を見たら、殺されるって。それこそ本能的に思いました。こいつの目を見たら、トドメを刺されるって。ほら、クマとかライオンとか、目を見たら殺されるって言うじゃないですか。あれです。あの本能的なものと同じだと思うんです。だから、見ちゃ駄目だって思ったんです。あいつの目を見たら死ぬって。殺されるって。でも、どうにもならないじゃないですか?俺、体、動かないし。ああ、もう、死ぬって思った時、女の悲鳴が聞こえたんです。たぶん、あの、さっきの人のホストだと思うんですけど。ホームレスの奴、女の悲鳴の方に顔を向けたんです。そしたら、その瞬間、体に力が入るようになって。これ、このチャンスを逃したらたぶん死ぬって思って、」
ルシア「それで逃げ出したのか?」
吉岡「はい。・・・そうです。もう、殺されると思って。死ぬ気で逃げました。だから、トモミには申し訳ないけど、トモミはもう殺されたんだと思っていました。後は、もう何も考えられなくて、どこをどう逃げたのか分からなくて。生ゴミに隠れていたら、ホストの人に見つかって。そっちはそっちで殴られましたけど。」
ルシア「・・・そう。」
吉岡「本当ですって。信じて下さい。」
ルシア「あなたが嘘を言っていないとは思うけど。目を見たら、体が動かなくなる、ねぇ。・・・にわかには信じがたい事だわ。」
吉岡「嘘じゃないんです、姉さん。」
ルシア「まあ、いいわ。それより、吉岡、金輪際、この町で美人局なんかやったら許さないからね。」
吉岡「はい。はい、もちろんです。」
ルシア「この町にはこの町の流儀があって、女でも男でも、正々堂々。売る方も買う方も。裸で勝負しているのよ、この町の連中は。人の弱みに付け込んで、金を巻き上げる様なやり方は、この町じゃあご法度なのよ。いぃい?この近辺を仕切っている上の人達は、平々凡々に金を稼ぎたいわけ。あなた達がしてきた事は、綺麗に商売している所に土足で踏み込んで来たような事なの。・・・正直いって、許される事じゃあないわ。」
吉岡「・・・はい。」
ルシア「あの人達に目をつけられたら、ジ・エンドよ。ジ・エンド。」
吉岡「ジ・エンド。」
ルシア「そ、ジ・エンド。たまたま額賀さんはハト派だったから見逃してもらえたけど、違う人じゃあ、吉岡、今頃、あなた、海の上か。もしくは、屯田兵みたいな事、させられていたかも知れないわねぇ。一生よくわからない所で重労働。」
吉岡「・・・はい。」
ルシア「吉岡。あなたは額賀さんに義理を返さなければいけないから、ここで、働いて、稼いだ金、ぜんぶ、渡しなさい。いい?」
吉岡「よろこんで。姉さんについて行きます。」
ルシア「うちの店、男が店長さんだけだから、男手が足りなかったのよ。あ、あとで、姉さん達にあなたの事、紹介してあげる。」
吉岡「ありがとうございます。」
支配人「なんだ、ルシアじゃないか、あんた、今度、デリヘルでも始めたの?」
ルシア「私、デリヘルは向かないって、誰かに話した気がするんですけど。」
支配人「なに?それで、今日は?」
ルシア「先日、このビルの裏で、救急車の騒ぎがあったの、知っていますか?」
支配人「いいや。」
ルシア「こんな狭い路地裏で救急車が来るんだから、けっこう、五月蠅かったんじゃないんですか?」
支配人「建物に入っちゃえば分からないよ。」
ルシア「ま、そうですよね。」
支配人「それで、その救急車がどうかしたの?」
ルシア「実は、折り入ってお願いがありまして。支配人に。」
支配人「なに?」
ルシア「ホテルの裏口、裏通りに面しているじゃないですか?・・・裏口についているカメラ、その時の映像、残ってないかなって思って。なんとか見せてもらう訳にはいかないですか?」
支配人「そんなん見て、なんになるよ?」
ルシア「その救急車で運ばれた子、うちの子なんです。・・・うちの子を怪我させた犯人が映っているかも知れないので。それで、どうにか見せてもらえないかなって思って。」
支配人「なによ、警察みたいな事、してんのねぇ。」
ルシア「そうなんです。・・・もしかして、もう、丹羽さんとか来ちゃいました?」
支配人「来ないわよ。来られても困るわよ。」
ルシア「支配人。どうにか、ならないですか?」
支配人「別に渡してあげてもいいけど、」
ルシア「うちのデリ。オーナーにかけあって、デリ使う時は、このホテルを使う様にお願いします。ほぼ専属。デリで使う時はこのホテル。・・・それでどうでしょう?」
支配人「ま、売り上げが上がるのは、いいけどねぇ。・・・それだけ?・・・別に、そうでなくても、うちのホテルは稼働率良いから、困らないのよねぇ。」
ルシア「あの、これぇ。」
支配人「なぁにぃ?これ?・・・・ああああああああああああああああああああああ!」
ルシア「支配人がお気に入りのムード歌謡歌手のディナーチケットです。」
支配人「ど、ど、ど、ど、ど、ど、どどどどどどどどどど」
ルシア「もし、見せてくれるなら」
支配人「どうやって手に入れたの?転売禁止で、しかも、ファンクラブ限定のショーチケットよ?」
ルシア「いや、もちろん、転売してもらいましたけど。」
支配人「はあぁぁぁああああああああああ?」
ルシア「だから転売してもらいました」
支配人「転売ビッチ死ねぇぇぇぇええええええええええええええ!」
ルシア「欲しいですか?」
支配人「なに?コピー?それとも原本?マスターテープ?」
ルシア「コピーで構いません。・・・私、その犯人とおぼしき人物を確認したいだけなんで。・・・支配人、これ、どうぞ。」
支配人「ねぇ?ねぇ、ルシア、これ、どうやって買ったの?」
ルシア「友達にそういうの詳しい奴がいて、買ってもらったんです。・・・海外でそれなりに出回っているそうですよ。凄い話ですよね。」
支配人「これだから転売ヤーは。」
ルシア「転売専門オークションサイトっていうのがあるみたいですよ?闇市、闇闘技場みたいな世界ですね。喜んで頂いて幸いです。」
支配人「まあ、いいわ。・・・ルシア、困った事があったら何でも相談に乗ってあげるから。」
ルシア「その時は是非お願いします。・・・・きひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
※本作品は全編会話劇です。ご了承下さい。