では試験、頑張って下さい
そういう世界線の話。
「ウルリカ・スタンレー、今この場を持って貴様との婚約を破棄する!」
その声は、思った以上によく響いた。おかげで周囲にいた者たちは何事かとそちらに視線を向ける。
貴族たちが集う学び舎。そこで、一体何を勘違いしたのかと言われそうな態度で傍らに一人の少女を伴って告げたのは、セルゲイ・ホプキントン子爵令息であった。
「そして私はこちらのミュレー・トワラー伯爵令嬢と結婚するのだ」
ふふん、と勝ち誇ったような表情でセルゲイはウルリカを見た。
ウルリカは男爵令嬢である。
なのでセルゲイが身分を見てミュレーの方が結婚相手として好条件だと判断したのだな、というのはすぐにわかった。
確かに自分と比べるのなら、ミュレーの方が美人かもしれないし、家柄も良いとくればふらっとそちらに気持ちがいくのも仕方ないのかな、とウルリカは思った。
「そうですか。わかりました。それでは」
もしかしたら他に理由があったかもしれないが、聞いたところで何になるというものでもない。
ウルリカの度肝を抜くようなビックリドッキリな理由があるなら気にならないでもないが、どうせそこらの恋愛三文小説にありがちなやつだろうな、とウルリカは勝手に脳内で自己完結させた。恐ろしいことに大体合ってる。
なので、そんなおバカさんに付き合う時間がもったいないとばかりにウルリカはさっさと立ち去ったのだ。
どのみち、セルゲイがあんな宣言をしなくても婚約はなくなる予定だったので。
大勢の前であんな事を言われたら、本来ならば令嬢として醜聞となるはずだが、しかしどうせそのうち真実が明るみに出るのだから。
そうなればセルゲイが勝手に恥をかくだけなので。
セルゲイとミュレーがいる方を一度も振り返る事なく、ウルリカは早退届を出して一足先に家に帰ったのであった。別に婚約破棄を告げられずとも早退する予定だったので、ある意味で丁度良かったのかもしれない。
さて数日後。
ウルリカは新たな婚約者を迎えていた。
シャルル・ラフォーレ伯爵令息である。
「何故だ」
「何故、と言われましても。元々ホプキントン子爵令息様との婚約は白紙解消される予定でしたし」
「なん、だと……!?」
お昼時、食堂にてセルゲイに絡まれたウルリカは淡々と返す。
あ、こないだ大勢いるところで婚約破棄宣言した奴だ、みたいな目があちこちから向けられているが、セルゲイはそんな事にも気づかず目をかっ開いてウルリカを凝視した。
ウルリカの向かいの席には婚約者であるシャルルが座っているので、下手なことをすれば恐らくセルゲイはタダでは済まない。
処す? とか今にも言いそうな表情でそっとフォークを手にしているので、セルゲイが下手なことをすれば間違いなくそのフォークが突き刺さるだろう。そこはまず対話ではないのか、などと突っ込んではいけない。
会話が成り立つ相手ならともかく、シャルルにとってセルゲイは家畜と同じ存在である。
「えっ、ご存じなかった……? 嘘でしょう? あ、でもそっか……本当に現実を見ていなかったのですね」
「失礼だな貴様ッ!? ひぇっ」
貴様の態度が失礼だ、とばかりにシャルルが速やかにセルゲイの顔面すれすれにフォークを向ける。恐ろしく速い一撃だった。あとちょっと反応が遅れていたら間違いなく頬に突き刺さってた。
何をする! と言いたくとも身分的にシャルルの方が上なので下手に突っかかったら後々もっとヤバイ事になるかもしれない……そう思ってセルゲイはそっとシャルルから距離をとって、そのせいでウルリカからも距離が開いてしまったのでやや声を大きくして話す事にした。
とはいえ、セルゲイが何かを言う前に、同じくウルリカがセルゲイに聞こえるように少しばかり声を大きめにして話し始めたのだが。
「そもそもホプキントン子爵令息様、試験に合格していないじゃないですか」
「試験……だと……!?」
「えっ、まさかご存じない? 嘘でしょう? 学生の常識ですよ? というか貴族の常識ですよ? 身分関係なく貴族として生まれてこうしてこの学園に通う以上は知らない方がおかしいものですよ?
こう、暗黙の了解とかそういう各自で把握してね、みたいなやつでもなく、生きていく上での必須事項的な」
「何を言っている、たかが試験だろう?」
「えぇ、その試験ですよ。そのたかが試験にセルゲイ様、合格してらっしゃらないじゃないですか。
だから貴方は子爵家の後継者にもなれず、婿にいくにも貴族の家の婿に、などとは夢のまた夢。このままでは無能の烙印を押され平民コース一直線」
「は?」
「え? 常識ですよ?」
まさか本当に冗談でもなんでもなく理解していなかったのか、とウルリカは戸惑った。
てっきり俺は貴族として生きていくなんて面倒ごめん被るぜ、こうなったら平民になってやるぁー! みたいな感じなのかとも思っていたが、この反応を見る限り本気で理解していないらしい。
嘘でしょ……? とウルリカだけではない。
周囲のウルリカとセルゲイのやりとりを聞いていた者たちもまた「え? 本気で言ってる?」とばかりに思わずそちらを見た。
お昼ご飯の時間は限られているので頼んだメニューを食べながらも、視線はウルリカたちに向けてしまっているし耳はそちらのやりとりを聞くのに意識がいってる。
普段は賑わっているはずの食堂は、しかしウルリカたちを中心に静かになっていって、なんで静かなんだろう? となった遠くにいる生徒たちも原因を探ろうとしてウルリカたちに気付く。
そうやって、気付いた時には食堂のほとんどがしんと静まり返っていた。
「まて、家も継げない、のはそもそも兄がいるからわかる。だが、婿にいけない、というのは……?」
「えぇっと、婿入り志望にしても、それってアレですよね、先日共にいたトワラー伯爵令嬢のところですよね?
でも、後継者試験に合格もしていない相手を婿に迎え入れるとかまずしないと思いますよ?」
仮にミュレーがセルゲイの事を好きで好きでどうしようもなくてわたくしも貴族としての身分を捨てますわ! とでも言うのなら、二人で平民として結ばれる事は可能ではあるけれど、確かトワラー家はミュレーの他に兄弟や姉妹といった存在はいなかったはずだ。
だからこそ、ミュレーが本来ならば伯爵家の跡取りになるはずなのだ。
女伯爵として家を継ぎ、そうして婿を取る。
何も後継者試験とは必ずしも跡取りになれるものというわけでもない。
ただ、昔王族や貴族が色々と馬鹿な真似をした結果、血筋だけで頭の中身がお花畑なのを後継者にしたらロクな事にならない、という状態に陥り、しかもそれが一度や二度ならたまたま、と言えなくもないのだがよりによって何かの流行か? と言いたくなるくらいやらかした連中がいたのである。
上が無能であろうとも下が優秀ならまだどうにかなる。
だが、そのどうにか、の部分が色々と我慢の限界を超えてしまうとどうなるか。
そう、謀反である。下剋上とも言う。
反乱起こしてテッペンとるぜ! とばかりに内乱が起きるのである。
他国から侵略されてその防衛のために、というのであれば、犠牲が出たとしても国を守るために戦った、という大義名分があるけれど内輪揉めで大勢死にました、というのは正直醜聞でしかない。
故に、平民はさておき貴族並びに王族は必ずこの後継者試験を受けなければならない、というのがこの国での習わしであった。
後継者試験、と一言でいっても種類がある。
男爵家の人間に王族向けの試験を出すわけにもいかないし、その逆で王族に男爵家の試験をさせても意味がない。
だがしかし、男爵家の人間が男爵家用の試験を合格した後で、子爵家向けの試験を受ける、などは問題ない。むしろ推奨されていた。
家同士の婚約を結ぶにしてもどこの家もできるだけ優秀な人間を迎え入れたいのだ。
見た目が良くても恐ろしく馬鹿、なんてのを迎え入れた結果家の財産食いつぶされてあっという間に傾いた家という事例が過去にそりゃもう大量にあったので。
ウルリカの弟はまだ男爵家の後継者試験しか合格していないが、ウルリカは違った。
伯爵家の後継者試験まで合格してしまったのである。
長子が必ずしも家を継ぐ、という時代はとうに終わった。
だからこそ、ウルリカが家を継ぐ方が良いように思えるが、それだけ優秀なご令嬢であるならば是非我が家の嫁に、と話を持ち掛けたのがシャルルの家だ。
ウルリカは確かに男爵家の生まれで血筋も男爵家のものでしかないけれど。
だがしかし伯爵家に嫁いでも充分にやっていけるという太鼓判を押されたのである。
シャルルは愛嬌しか取り柄のないバカ女を嫁にしなくてラッキー、と思っているし、ウルリカはシャルルの家と縁が結ばれるのならば我が家にとっても損はないからお互いいい婚約をしたわね、と思っている。
打算たっぷりだろうとも、そもそも昔の貴族の政略結婚だって大体そんなものだった。
ただ、家の利益を優先させたところで、貴族の義務や責任と言ったものを理解できない頭の中身がとってもフラワーなのが家を取り仕切るとロクな事にならない。
下手をすれば真実の愛だとかで婚約破棄を宣言して家同士の関係に皹を入れるし、最悪結婚式当日に駆け落ちするなんて事をした者もいた。
そういう貴族として生きるより愛に生きて平民になるような連中に家の後を継がせたところでうまくいくはずがなかったのだ。
王家にだって、王族として生まれただけで特にこれといった能力も何も持ち合わせていない無能が権力を笠に着て、なんて事も何度かあったようだし。
そう、後継者試験というものができてからというもの、王族であってもこの試験に合格しなければ王になれないのである。
長男だから、正妃の子だから、そんな事は関係ない。
次男だろうと側妃の子だろうと、優秀であるならば王になれる。
血筋も確かに大切だけれど、直系があまりにも無能揃いであれば分家筋だろうとそちらに後を継がせた方が余程有意義なのだ。
大体跡取りに丁度いいのがいなかったら、親類から養子を迎えて、なんて事は昔からあったのだし。
後継者試験は受ける日が特に決まっているというわけではない。
学園に入学した時点で試験を受ける資格はある。
故に己の実力に自信あり! という者は入学早々試験を受けるための手続きをするし、そうでなくとも卒業までにどうにか試験を合格させる、といった長期的な計画を立てて学び、そして試験に挑む者もいる。
ところがウルリカに婚約破棄を突きつけたセルゲイはというと、未だに一度も後継者試験を受けておらず、また学園を卒業するまであと僅かといった状態であった。
というか、卒業まであと一か月を切っている。
もっと細かく言うなら卒業式の日まであと十六日しかない。
学園に入る前の貴族同士の婚約というのは、一昔前ならともかく今はあくまでも仮、という言葉がつく。
つまりは、婚約者がいるから、という状況に甘えて何もしなかったなら、お先真っ暗なのだ。
婚約者がいるのなら、その相手に恥じないよう学園で学びなさい、とかそういう思惑もあるのだ。
実際、婚約者が後継者試験に合格したなら自分も負けていられない、と奮起する者はそれなりに存在していた。ましてや片方が合格して自分が合格できないとなれば、婚約は解消、無能に貴族の地位など過ぎた物、とばかりに平民落ちが待っている。
婚約者と言う存在はあくまでも己を奮起させるものであり、また同時にプレッシャーにもなるのだけれど。
貴族として生きていく以上、その程度のプレッシャーで潰れるようではとてもじゃないがやっていけない。
ウルリカが後継者試験についてセルゲイに淡々と説明していけば、セルゲイはみるみる顔を青くしていった。
その様子に、
「え、本当にわかってなかったの……!?」
とウルリカやシャルルだけではない。周囲で見ていた者たちも驚愕していた。
えっ、きみ、学園に何しに来たの……? という思いがとても強い。
学園は学ぶための場所だ。
まぁ中には人脈を広げよう、という者もいるけれどそれだって結局は後継者試験に合格できなければ、せっかく繋いだ縁であっても簡単に無かったことになってしまう。
試験に合格できずに不合格となり平民落ちした後で、学園で築いた人脈が果たしてどこまで役に立つ事やら……大半は平民落ちした元貴族などと関わろうとは思わないだろうし、そうなれば学園で知り合った人間関係ほぼ無意味になり果てる。
「後継者試験に関しては、他の学年ならともかくわたくしたちの学年だと卒業式を控えているので実質あと一週間しか受ける余裕ないと思いますよ?」
ウルリカがそう言えば、セルゲイの目は視線が定まらずどこを見てるのやら……というくらい泳いでいるし、口は何かを言おうとしているようだがしかし言葉が出てこないので、まるで金魚のようにパクパクと開閉しているだけだった。
なんだったら顔に汗がどっと出ている。
多分服の下も汗でびっしょりかもしれない。
「もし試験をお受けになるのでしたら、急いだ方がいいと思いますよ。駆け込み試験をやらかす人が毎年一定数いるようですので、下手をすると人数超過で希望日に試験が受けられない、なんて事もありますから」
といっても駆け込み試験を受ける者の大半はセルゲイのように学園で学業以外に現を抜かして試験を受けていなかった、などではない。
大抵はワンランク上の試験にチャレンジして、将来の選択肢をもう少し広げようという者たちだ。
失敗したとしても、既に後継者試験はやっているし少なくとも自分の身分に合ったところまでは合格しているので、大した痛手にはならない。
セルゲイに残された期間はあと一週間しかない、と言われセルゲイはウルリカに何を言うでもなくさっと踵を返した。恐らくは試験を受けるための手続きをしに行くのだろう。
だが、今までそんな試験の存在を完全忘却していたくらいだ。手続き一つするのにもさぞ時間がかかるのだろうな、とウルリカは完全に他人事としてわぁ大変そう、なんて思う。
何年か前に自分は王族なのだから、とその立場に胡坐をかいていた王子がいたが、セルゲイのように後継者試験の存在をどうしてか完全忘却し、結果試験を受けないまま学園を卒業し、後継者としての資質も資格もなしと判断されて王位継承権を剥奪された、なんて話もある。
貴族としての試験もやっていなかったので、家臣として下るにも貴族生活も不可能とされてかといって野放しにもできないので最終的に騎士団にぶち込まれたものの、剣の腕もいまいちで結局最終的に市井へ……というここまでくるといっそ清々しささえ感じられる転落劇もそれなりに有名な話だというのに、セルゲイはそれすら知らなかったのだろうか。
それとも、知っていても自分には関係ないとでも思っていたのかもしれない。
だがしかし、今セルゲイはそんな王子と同じように転落コースへ突き進んでいるようなものなのである。
そりゃあ大急ぎで駆け込み試験を受けに行くのも無理はなかった。
とはいえ、後継者試験なので内容は簡単なもので済むはずがない。
領地の有無でも試験内容は変わってくるし、領地がなくとも領地有の試験を受ければ場合によっては親戚筋やらそれ以外の伝手で他の家へ養子に、なんて事もある。
その場のノリと勢いだけで受けて、簡単に合格できるものではない、というのだけは確かだ。
「大丈夫かしら……」
「どういう結果が出たとしても、自己責任でしかないだろう」
「それはまぁ、そうなんですけれども」
まさか男爵家用の後継者試験すら受けていないとは思わなかった。
もし、婚約者のままセルゲイが男爵用の試験しか合格できなければ、ウルリカが男爵家を継いでセルゲイが婿入りする事になっていただろう。
その場合弟はもっと上の試験にも挑戦してもらう形になったかもしれない。
だが、向こうから婚約破棄なんて言ってきたし、仮に今からどうにか男爵家の後継者試験に合格したところで、結婚できるかどうかは別である。
いい家との縁談を狙っている男爵家のご令嬢はそれなりにいるので、なんと驚く事に侯爵家の後継者試験に合格した男爵令嬢も存在する。
もっと上を目指すのだ、と本人は言っていたのでもしかしたら王家用の試験まで受けるかもしれない。
まぁそんな令嬢ばかりではないが、そんなご令嬢が果たして男爵家の後継者試験しか合格していないセルゲイを結婚相手として考えるかというと……まぁ、そこに愛が加味されれば……といったところであろうか。
ともあれ、ウルリカはセルゲイへの説明のせいでちっとも食べられていなかった食事を再開する。
言うまでもないがほんのり冷めかけていた。おのれ。
ちなみにシャルルは話を聞いている間に食事を済ませ――たりはせず、一緒になって冷めかけた食事を再開する事になった。セルゲイには逆立ちしたってできない気遣いだとウルリカは思っている。
余談ではあるが。
セルゲイは後継者試験を駆け込みでやろうとしたものの、試験を受ける人数が多かった事もあって試験受付のなんと最終日にしか挑めなかった。
そして落ちた。彼が平民として暮らすことが決定された瞬間であった。
もう一つの余談だが、ミュレーは後継者試験、子爵家用のまでしか合格できなかったらしい。
セルゲイが試験を未だ受けていないと知らなかったからこそ、ミュレーは伯爵家の後継者になれないとなって子爵家への嫁入りを狙ったのだろう。
彼女がこの後無事結婚できたかは……卒業後さっさとシャルルの家に嫁いだウルリカには与り知らぬ事であった。
次回短編予告
異世界転移から帰ってきた後の話。
倫理がどっか行った可能性は捨てきれない感じのやつ。
文字数は今回の話よりちょっと多めでその他ジャンル。
あと最近ありがたい事に感想もらう事が増えてきてるんですが、面白くなかったーっていう感想そのものはまぁ人によりけりなのでいいんだけど、ばかとかあほとかあたまおかしいとかしねとかかすとかくずとか明らか悪口系はいくらひらがなで可愛く表現しても普通に失礼な畜生だなとしか思わないので削除する方針です。うっかり感想欄を見た普通の人間の読者さんが不快な思いするからね。罵倒するならもっとこう、礼儀とともにやってほしい。貴族同士のレスバの参考とかにしたいから。
悪口は自己紹介っていう言葉もあるのでもしかしてこれ単なる自己紹介なの? え、でも感想欄だよ?
出会い系の掲示板じゃないんだぞ、勘弁してくれってなるのでやっぱりどのみち削除します。あと出会い系だったら流石にそんなのと出会いたくないんでついでにブロックもさせてもらいますね。
自己紹介なら自分のマイページでやっておくれ。