未来の見えない恋 16
外に出ると、夜の闇に白い道が続いていた。降りしきる雪に視界が阻まれる。その数十メートル先もその白い壁と、訪れたばかりの闇に、ハッキリとは前が見定められない。
でも、俺は知った。こうやって前が見えるまでいくら佇んでも、道は拓けない。自分で痛みや苦しさを抱えながら、それでも進まなきゃ道は拓けないんだ。
俺はポケットの中で御守りを握り締めると踏み出した。
俺のちっぽけな足跡は、まっすぐ迷わず行けるほど強くはないけれど……。
家にはすぐには帰らず向かったのは駅前だった。行きつけの外科病院があるのだ。
クリスマスのイルミネーションが華やかに街を彩り、俯きがちな冬の人々の顔を一時の間笑顔に変えていた。裏路地に回り、通い慣れた道を行く。その入口に誰かの影……。
「亮太」
猛は微笑み、
「弥生から連絡貰った。反対したい所だけど……」
俺の胸を軽く拳で叩く。
「もう、大丈夫なんだよね」
「あぁ」
俺は心配をかけた礼の代わりに、しっかり頷いた。猛は表情を緩める。
「一緒に頼んであげる。先生にも、師匠にも」
今は格好悪くても、前に進むしかない。俺はもう一度頷くと、道を拓く様に扉を開けた。
説得はかなり骨が折れた。進路と選手生命に関わる点が、大人達に二の足を踏ませていた。
けど、俺と猛の食い下がりに登録だけは取り消さず、試合当日、師範の前で演技し、判断を仰ぐとなった。
家まで送ってくれた猛を振り返る。
「ありがとな」
「礼は試合で優勝してからでいいよ」
本気なのか激励なのか、どちらでもとれる口調でそう言うと、また俺の胸を拳でつく。
「じゃ、明日」
凍てつく寒さの中を、俺の為に走ってくれる友の背中を、見えなくなるまで見送った。
翌朝、俺は道場にいた。大会は月曜の祝日。今日を除けば残るは土日だけで、大会に出る選手以外は道場には来ない。いつもなら朝から出るのなんかは、猛と俺くらいだが、今回は十津川の顔もあった。
「あちゃ~。これ、マジやばくない?」
開口一番、十津川はそう言うとしげしげと足を見た。
「ま、亮太右利きだし? 左で幸い?」
「馬鹿。だから左足が軸足になるから厄介なんじゃないの」
軽く猛がはたく。
「一年やっててそれ?」
「悪いな。どうせまだ俺はぺーぺーですよ~」
二人のやりとりに、思わず笑みが零れる。とにかく、やれるだけの事はしないと。
俺は柔軟しながら、練習メニューを頭に組み立て始めた。その時……
「亮太君っ」
咎める様な声。もう見なくても、誰かはわかる。俺は彼女にも、ちゃんと向き合わないといけない。
文さんは道場に上がりこむと、立ち上がった俺に掴みかからん勢いで迫る。
「何してるの? お家を訪ねたらここだって聞いて、びっくりしたわ。今すぐ練習何か止めて、家に……」
鬼気迫る表情で俺の腕を掴む。その様子に十津川が慌て割り込もうとした。
「ちょっと文さん。アンタにそんな事言う権利は……」
「黙ってて!」
文さんの一喝。文さんの優しい母親の顔しか知らなかった十津川は、気圧され閉口する。
「亮太君っ」
「文さん」
俺は彼女の手を握ると、そっと離した。そして首を横に振る。
彼女を傷つけない言葉なんて、思いつけなかった。だからせめて、嘘や誤魔化しはない言葉を告げたい。
俺が目配せすると、猛が納得いかない様子の十津川を連れて出て行った。
二人きりの空間。
文さんは俺を見つめると顔を歪めた。
「彼女に会ったの?」
俺は頷く。彼女の頬に微かに赤みがさし、苛立ちが伝わって来きた。
「あの子が……また、余計な事言ったのね。だから……」
今度は首を横に振った。
「俺なりの答えなんです」
言葉を選びながら、文さんを見つめる。だけど、文さんは次の言葉から逃げる様に目をそらした。
握り締められた手が震えてる。
文さんが嫌いなわけじゃない。けど、俺は……
「すみません。俺は、やっぱりアイツじゃないと、ダメなんです」
言い放たれた言葉は、冷たく静寂に響いた。
「どうして? 私が子持ちだから!? 私が年上だから?」
取り乱した声は痛々しく、俺は唇を結んで首を横に振った。文さんは俺の胸に顔を埋めると、首を何度も振った。
「亮太君には、あの子より、私が必要なの! 私なら、亮太君の先の事だって考えてあげられる。こんな無茶……絶対させない」
小さな、肩だと思った。文さんはたぶん、この小さな体で、必死で俺の考えも及ばないくらい、辛い事と戦ってきたんだ。息子を、健太を守ろうと、一人で孤独と不安と恐怖に耐えて。だから……。
俺だって、出来るなら力になりたい。けど今の俺には、大切なものすら、まだ守れなくて……。
「ごめん。文さん」
俺は文さんの震える肩を抑えるように抱いた。
「文さんの言ってる事が正しいとしても、この選択が間違いだとしても、俺は、文さんを選べない」
「亮太君の馬鹿っ」
文さんはキッと睨み上げると、強く頬を打ち付けた。
俺には避ける事も出来たけど、痛みをほんの少しでも引き受けたかった。
文さんはそのまま、唇を強く噛み、出て行ってしまった。
俺に出来る事。
去っていく彼女の影を見つめながら、頬に刻まれた痛みに自分の非力さを思い知らされた。