未来の見えない恋 15
外に出ると、粉雪が舞っていた。雪雲が空を覆い、切り裂くような風が吹き荒ぶ。
こんな時に限ってタクシーは一台も見当たらなかった。
「くそっ」
舌打ちすると、走り出す。
痛みが激痛に変わり、歩みを止めようとするが、そんな事どうでも良かった。
間に合わないかもしれない。俺に、弥生に会う資格なんかないのかもしれない。これこそ、独りよがりのわがままにかもしれない。
けど、けど、もう一度チャンスがあるなら、今度はちゃんと向き合いたい。
自分の弱さにも、自分の想いにも、何より弥生の気持ちにも。
弥生の家に着く頃には、足首の感覚がなくなっていた。
さすがに息が切れて、チャイムを鳴らすより前に、家の前でへたりこんでしまった。
たぶん会った所で、上手くは話せない。でも格好悪くてもいい。もう逃げない。
「亮……太?」
拳を握り、唇をかみ締めた時だった。小さな声が聞こえた。まだ乱れる息を整えながら見ると、そこには傘をさした弥生が立っていた。
「弥生」
俺は鼓動を抑えるように胸に左手をおいて立ち上がる。足元の雪が俺の足でぐちゃぐちゃに蹴散らされ、汚く泥にまみれているのが見えた。それはまるで俺が彼女にしたことのようで、言葉をなくしかけ、逃げ出そうとする気持ちが唇をまごつかせた。
だめだ。ここで逃げたら、さらに彼女の真っ白な部分を台無しにしてしまう。
俺は疼く足にぐっと力をこめると頭を下げた。
「すまない。俺、お前に酷い事をした」
言い訳はしない。何がどうであれ、事実は事実だ。謝ってすむ事でもないのはわかってる。だけど、俺にはこうするしか……
「亮太」
また、涙に揺れた声。すまない、やっぱり俺はお前を泣かせることばっかり……目を固く閉じ、俯いた時、そんな俺を何かが包んだ。
弥生が俺を抱きしめていたのだ。
驚いて顔を上げ、弥生を見る。彼女の向こうで傘が雪の上に転がる音がした。
「もう……会ってくれないかと思ってた……」
「……弥生」
弥生は小さな肩を震わせていた。
俺は、どれだけ彼女を泣かせてしまえばいいんだろう。
「ごめんな」
俺はそう言うと、涙ごと包む様に弥生を抱き締めた。
弥生の部屋にあがったのは、気がつけば小学生のガキの頃以来だった。
「お母さん、今日仕事だから」
弥生の家は共働きだ。考えれば、姉が嫁いでからは、遅くまでこの家に弥生一人でいた事になる。
弥生は温かい紅茶をテーブルに置くと、隣りに座った。
何から話せばいいのか、正直わからなかった。
借りたタオルを首にかけると、足をゆっくり伸ばす。
「……痛む?」
「怪我はいずれ治る」
ぶっきらぼうにしか答えられない。弥生はまるで自分が痛みを感じてるかの様な顔をした。
「ごめんね。私のせいで試合。……私、あれから色々考えたの。文さんの言う通り、私には亮太の傍にいる資格なんかないのかもしれない」
「それは違う」
俺は首を横に振った。
「俺が、臆病で卑怯だったんだ。俺、お前と五十嵐の事、勝手に誤解して……文さんに逃げようとした」
認めたくなんかないが、これが事実だ。
「もしかして……」
弥生が言わんとする所に頷いてみせた。
「五十嵐から聞いた。お前の嘘の理由」
弥生は目を伏せた。
「ごめんなさい。軽いイタズラくらいの気持ちだったの。それが、不安にさせたのね」
「関係ない」
俺は頭を振る。何がどうであれ、最終的に行動したのは俺自身だ。誰のせいでもない。
「俺の弱さが原因だ。すまなかった」
「亮太」
弥生は俺の手を優しく包んだ。そして、まっすぐ俺を見上げる。
「私、まだ傍にいていいの?」
その言葉に愛しさが込み上げて来た。
何より大切で、何にも代えがたい、唯一の存在。
「……傍にいてくれ」
俺は弥生を引き寄せると、固く抱き締めた。
俺達は互いぬくもりを刻みこむ様に、しばらく抱き締めあってた。
不意に弥生が俺の目を見つめる。言葉にしない予感に、空気は色を変えようとする。
今、たぶん、流れに任せるのは簡単だろうし、それが正しいのかもしれない。だけど俺は、俺にはケジメをつけないといけない事がある。
だから、今は……。
俺は唇を重ねるだけのキスをした。弥生の瞳が戸惑いに揺れる。
これは、たぶん、俺の勝手だ。だけど……
「弥生。貰って来た御守り、貰えるか?」
「え、いいけど」
弥生は不思議そうな顔をすると、テーブルの上のあの銀色の小箱から小さな紺の御守りを出した。
「亮太、まさか……」
俺は黙って受け取ると、弥生に笑ってみせた。
「ありがとう」
そして立ち上がる。
外を見ると、雪が積もっていた。
「ダメよ! 亮太」
弥生が慌て俺に倣うと、御守りを持つ手を掴んだ。
「大会に出るつもりでしょ?」
弥生の言葉に、俺は頷く。
やっぱり、俺はわがままだ。だけど、このままじゃ先には進めない。今のままの俺じゃきっと、また弥生に心配かける。だから
「ケジメをつけたいんだ。空手も……文さんの事も」
こんなやり方しか、俺には出来ない。
弥生はしばらくじっと俺を見つめた。
呆れるだろうか、勝手だと怒るだろうか、それともまた泣かせてしまうのか。
「わかった」
弥生は俺のどの予想にも当てはまらなかった。
俺の鼻をつまむと
「ほんっと、頑固で融通きかないんだからっ」
そう言って笑った。
「その代わり、中途半端はもうダメだからね」
腰に手をあて、偉そうに言う。その明るい声に、俺はいつだって救われる。
「あぁ」
頷いてみせると、俺は御守りを大切にポケットにしまった。