未来の見えない恋 13
弥生は頬を押さえ、文さんを見上げる。その弥生を文さんは思いっきり睨みつけた。
「良く亮太君の前に顔出せたわね! アンタのせいで亮太君……」
「文さん、落ち着いて」
激昂する文さんの手を俺は掴んだ。
「……っ」
少しでも足を動かすと、鋭い激痛が走り、これ以上は動けない。
「離して! 亮太君、ちゃんと言ってやったの?」
文さんは乱暴に俺の手を振りほどくと、弥生に言い放った。
「このせいで、試合に出られなくなったって」
「……え」
弥生が目を見開く。次いでそのまま、惚けた様にこちらに目を向けた。
「それ……本当?」
俺は何も言えない。それが紛れもない現実だったから。
「本当よ。さっき廊下で主治医に聞いたわ」
文さんが俺が口を開く前に答える。そして、弥生をに掴みかかると強引に椅子から引き剥がした。
「どうするの? 責任とれるの? 高校最後の大切な試合だって事くらい、アナタだって知ってるでしょ?」
現実に言葉を無くす弥生。文さんはさらに追い討ちをかける様に言葉をたたみかける。
「亮太君は許すかもしれない。けどね、こんな事して、アナタが亮太君の傍にいていい資格なんか、あるわけないじゃない!」
弥生は冷水を浴びせられた様な顔で、文さんを見つめた。
文さんはようやく手を離して、弥生を解放する。弥生は力無く数歩後退った。
「……弥生」
俺の声に、涙に歪めた顔を向けた。
「亮太」
弥生の哀しいげな、無理に絞り出された掠れた声。何かいいたげな唇をキツく噛むと、弥生は頭を下げ
「ごめんなさいっ」
顔を両手で覆うと部屋を飛び出て行ってしまった。
「弥生!」
俺は出て行った弥生を追いかけ様とした。しかし、足の激痛が再び走り、ベッドから落ちそうになる。
「亮太君!」
そんな俺を、文さんは抱き留めた。そのまま腕を背中に回し、キツく抱き締める。
「亮太君、私ね、今日本当は、彼女に会って……あがいて、それでもダメなら諦めるつもりだった」
耳元で文さんの声。
表情は見えないけど、その声が彼女の気持ち全てを語っていた。
「でも私、もう引かないわ」
まるで宣言するように、厳かな口調。回した手で、俺の髪を撫でる。
「あの子といたら、亮太君、アナタが潰れちゃう」
「文さん。俺は……」
気持ちは有り難かった。今や文さんの自分への好意は疑いようもない。確かに俺はあの時、文さんを拒まなかった。一瞬でも、文さんと……でも……。
「今日はもう休んで」
情けなさに目をきつく閉じた。文さんはそんな俺の頭を撫でると、ゆっくり離れた。
「おやすみなさい」
一人残された病室は冷たい。窓の外を見ると雨が冷たい雪に変わっていて、しばらくはまだやみそうもなかった。
猛が次の日の朝に、師範と訪ねて来た。
俺は自分の不注意だったと説明し、頭を下げ、同時になんとか試合に出させて貰う様に頼んだ。しかし、今、無理をすれば今後の選手生命にも関わる。最悪、大学のスポーツ推薦にすら影響しかねない。許可は出来ないと言われた。
「……」
俺は試合参加が絶望的だと、悟らざるをえなかった。
「父さん」
猛に呼ばれ、師範は頷き「また今度がある」そう言って出て行った。
猛と二人の病室は、重たい空気が固体化したようで、息苦しかった。
「……亮太、聞いてもいい?」
猛は怒った様な顔で見つめる。いや実際、怒っているのだろう。
「亮太どうして、あんな……」
訊かれて、昨夜の事が蘇り顔が熱くなる。目をそらして、唇をキツく結んだ。
「あんなの、あんまりじゃない!」
猛が掴みかかる。体が前後に激しく揺さぶられるが、俺にそれを止める資格はない。
「何とか言いなさいよ!」
悲痛な叫びは弥生の気持ちを代弁しているようだった。でも、俺に答えられるはずない。なぜなら俺自身、もう、何にも見えなくて、何が何だかわからないのだから。
「見損なったわ!」
猛は涙目で俺を突き放すと、静かに睨み付けた。俺は目を合わせると、自分でも聞いたことないような弱々しい声で
「しばらく、一人にしてくれ」
やっとの事でそれだけを告げた。
猛は落胆した顔で、床を見つめると
「わかった。皆にも伝えておく」
口の中で呟くように言い、背をむけ、出て行ってしまった。
一人になった病室はガランとしていた。
ただ、昨夜積もった雪に反射した、むやみに眩しい光だけが、あの夜が明けたのを教えていた。
午前中で検査は済み、午後には解放された。
タクシーを待つ母親の背中をぼんやり眺めながら、ただ肌を撫で行く北風に身を竦める。
包帯に一回り大きくなった左足をに視線を移す。松葉杖を勧められたが、面倒なので断った。少々足を引きずりはするが、大袈裟にはしたくない。
「来たわよ」
母親の声に顔を上げた時だった。
「五木くん」
「?」
背後から呼ばれて振り向く。
そこにいたのは、真っ直ぐこちらを見つめる五十嵐だった。