未来の見えない恋 12
長い夢を見ていた様にも思うし、何の夢も見なかった気もする。ただ、濃い先の見えない霧の中、あの冷たい雨に打たれ、やり場のない気持ちに痛みを感じるそんな感覚だけが、痺れる意識に朦朧と漂っていた。
次第に周囲の様子がハッキリしてくる。
「亮太君っ」
始めに見えたのは文さんの青ざめた顔だった。
手先の感覚が、彼女がそれを痛みを感じる程握り締めてるのを教える。
「ここは……」
「君、名前言えますか?」
世界が揺れてる。知らない白衣のにヘルメット姿の男がこちらを見ていた。
あぁ……救急車の中か。
体中が痛い。
「無理に動かないで! 君、わかるね? 名前教えて」
意識確認する救急隊員に文さん。……弥生は? 急に不安が津波の様に襲いかかって来た。
「弥生……は?」
「私なら大丈夫!」
聞き慣れた声。良かった。安心すると、また強烈な眠気が襲ってきた。
弥生が無事なら、何でもいい。
「亮太!」
泣かないでくれ。俺は、弥生に笑ってて欲しいんだ。そう、弥生が笑っててくれたら……それだけで……。
「君! しっかりしなさい!」
救急隊員が頬を叩く。
「大丈夫です」
意識は強引に引き戻され、俺はどこかに運ばれて行った。
検査の結果、気絶したわりに頭は無事だった。コブが出来たくらいだ。受け身をとっさにとって、ダメージを最小にしたのだろうとの事だった。
骨折も奇跡的に無く、運がいいと医者は笑ってた。
ただ……。まだ痛む頭を抱え、包帯が巻かれた左足を見つめた。
左足のふくらはぎの筋肉裂傷と、足首捻挫。
連絡を受けて駆け付けた両親は、俺を一通り叱ってからこの程度で済んで良かったと言っていたが、俺にはそうは思えなかった。なぜなら……
「五日後の空手の大会?」
一人ぼんやり座るベッドサイドに来た医者は、呆れ顔を見せた。
「ダメダメ。日常生活も安静にしなきゃだめなくらいだよ! 許可は出来ません」
「……」
俺はシーツを握り締め、うなだれた。
「でも……高校最後の……」
「とにかく、ダメです。今日は一泊して、明日もう一度検査して異常なければ退院はしていいから」
医者は俺の肩に手を置く。
「今回は諦めなさい」
最後通告の様に告げると病室を出て行った。
医者が出て行ったドアを見つめる。
それが閉じきる前に再び動いた。
「亮太……?」
弥生だった。
弥生は始め躊躇してドアの当たりに立っていたが、俺が声をかけると素直にベッドサイドまで来て、備え付けのパイプ椅子に座った。
落ち着きなく指を組んだり、離したり、言葉を探しているようにも見えた。
「親父達は?」
俺の問いに
「タクシー拾いに。おばさんが入院手続き終わったら帰るって」
時計がないからわからないが、たぶん、随分遅い時間だ。
「猛は?」
弥生は一瞬口を開くのをためらい
「文さんの家に。健太君を一人には出来ないから。文さんは……電話しに行ってる」
「そうか」
当然、師範にも連絡が行ってるだろう。皆に迷惑かけたな。
「亮太……」
囁き声より小さな、震えた声。
弥生は俺の手を握った。
「怖かったよ。りょ……亮太が……どうにかなっちゃうんじゃ……ないかって」
話しながらどんどん涙が溢れ、弥生の頬を再び濡らし始めた。
俺は黙って視線を落とす。
ダメだ。俺は弥生を泣かせてばかりだ……。
「ダメだね、私。文さんの言うみたいに……亮太に何もしてあげれてない。亮太の邪魔……しか」
「そんな事……」
俺は首を振る。だが、弥生はそれを見てないのか、俺の手を取る両手に力がこもる。
「一年間、たぶん、亮太にはつまらなかったよね。彼女らしい事……してなかった。だから、子どもみたいな私より、文さんみたいな大人な人に亮太が魅かれても……仕方な……」
「それは違う」
俺は声を押し殺し、否定した。
なんだ。弥生はそんな事、気にしてたのか? それはこっちの台詞だ。俺こそ、彼氏らしい事なんて一つもやれてなかった。
怖かったんだ。
自分の気持ちのままに、弥生に何かして傷つけてしまうんじゃないかって。大切だから、そう、だからこそ、友達以上の事は出来なかった。
本当は、もっと近付きたい。独占したい。格好悪いくらい、本音は弥生が大切で、失いたくなくて……。
「弥生。俺は……」
俺は弥生の手を握り返すと見つめた。けど、どの想いも言葉にできない。
「亮太……」
弥生は戸惑いに瞳を揺らす。その瞳に俺は……。
「離れなさい!」
「?!」
扉が悲鳴を上げ、鋭い声が飛んできた。
「文さん」
文さんは顔を赤くして、足早に弥生の前に立つと……。
乾いた音が静寂に生まれた。
文さんが弥生を平手うちしたのだ。