未来の見えない恋 10
そのキスは弥生とのものとまるで違った。力が抜けていきそうなくらい柔らかくて、温かい。ゆるりと滑らかな舌が絡んで……。何かどうでも良い……いっそ、このまま……。
そんな誘惑に惑わされそうになった。
だけど、だけど……!
「文さんっ」
俺は文さんを引き剥がした。冷静になるように頭を振ると、手を後ろでにつく。
「からかわないでください。怒りますよ」
文さんは寂しげに目を伏せる。
「亮太君。私だって、軽い気持ちでこんな事しない」
涙目で見上げ、俺の胸に手を添える。
「私なら、あの子みたいに亮太君に隠れて他の人に会ったりしない」
「文さん」
五十嵐を笑顔で見送る弥生が浮かんだ。
心臓を貫く様な痛みが襲う。
文さんはその胸に顔を埋めた。
「私や健太には、あなたが必要なの」
悲痛な声だった。俺は目を背ける。
そんな事言われても……俺は……。
その顔をあの細い指が包む。
「あの子を忘れさせてあげる自信、あるよ」
弥生を忘れる? 考えた事もなかった。あの、苦しくて、自分ではどうする事も出来なかった気持ちを無くせる?
「彼女はいずれあなたを一人にするわ。でも、私は……」
文さんを見つめた。鼻先が触れる程近付く。
「今は彼女の事、好きなままでもいいよ」
再び唇が重なりかける。
今度は不意じゃない。けど、俺の唇はそれを拒んではいなかった。
「ただいま~寒かっ……た」
「!」
猛の声。
俺は我に返って玄関を見た。目を見開く弥生と、目が、合った。
「弥生!」
俺が呼ぶより早く弥生が走り去る。
俺は文さんの体を退かすと、猛を突飛ばして裸足のまま飛び出した。
「待てよ!」
「来ないで!」
叫ぶ声に手を伸ばす。後悔よりも自分の不甲斐なさに唇を噛む。
「待てって、話を聞けよ!」
ようやく掴まえたのは、同じ階の端。階段の踊り場。
振り返った弥生は、涙でグシャグシャになった顔で、俺を責める様に睨みつけていた。
「離して!」
弥生は手を振り払うと、乱れた前髪のまま対峙する。
唇が微かに震えてた。
「何? あれでも誤解だって言うの!?」
鋭い声に目をそらす。
確かに……一瞬でも……俺は……。
「最近の亮太、わかんないよ! 進路の話しても何も約束してくれない。バイトと空手ばっかりで放ったらかしと思ったら、急に会い出して、あんな……。それからは一切口もきいてくれないし」
弥生は甲高い声で俺に掴みかかる。
「どうしちゃったの? 気持ち、変わっちゃったの?」
変わった?
そう、変わった。
五十嵐に微笑む顔
嘘をつく口
突き飛ばした手
「変わったのは、お前の方だろ」
俺は弥生の手を、握り締められた服からもぎとった。
「……え」
弥生はまるで検討がつかないといった風な顔をした。
「そんな事。……ね、あの時キスしなかったから? だから……」
困惑に瞳が揺らぐ。ためらう唇。わだかまりは白く、いつしか降り出した雨の中に浮かび闇に溶ける。
弥生は意を決したように一呼吸置くと、ようやく口を開いた。
「文さんとキス、したの?」
その問いは何より重く、足枷の様に俺の動きを封じた。