月の司祭
宿を出て【漆黒の翼】の奇跡を行使する。貴族となって名前が知られたことで、もう昼間に闇の奇跡を使ってもそこまで問題にはならない。
俺は堂々と街中で空中に浮き、空を飛んでデリサイ水郷に向かった。空に飛んだ途端に街人が感嘆の声を漏らしていたが、それに反応している時間はなかった。
デリサイ水郷の上空までやってきて、俺は特に自分の姿を隠すことなく空を飛びまわってバロンを探す。だが流石に水郷には背の高い木もそれなりに乱立しているため、空から見回してもバロンを探すのは至難の業だった。
俺は【闇の感知】を使って探そうかと一瞬思ったが、それよりももっと即効性のある奇跡を思いだしてそちらを行使する。空中での飛行を維持しながら、俺は【堕落の導き手】を使った。
行使者を困っている人の元に導く奇跡。この水郷の付近でバロンが生きているなら、必ず反応するはず。俺はある種の願いを込めて奇跡を行使した。すると俄かに反応があった。そんなに遠くないあたりにその人物の気配を感じ、俺はすぐさまそこに向かった。
丁度大きな木が二つ重なっているあたりに、反応がある。俺はそこを目指して高度を落とし、着地した。その人物はバロン――ではなかった。銀の司祭衣を纏い、真っ直ぐこちらの様子を伺っている男。
フードを被っていても見える顔つきは頼りなさげな感じだけど、司祭衣は豪華な装飾が施されているから偉い階級の神官だということがわかる。この男は俺のことを眺めながらも、何かをブツブツと言っていた。
「困ったなあ。困ったなあ。カロヌガン様の怒りを鎮める方法はないかなあ?」
俺が近づいても男は独り言を言っているままで、しかも途中からは俺に聞こえるように声を大きくした。言い終えて満足そうに邪悪に可笑しく笑った男はこちらに言い放つ。
「いいところに邪神マサマンディオスの神官がいるではないか。何とありがたいんだろうなあ」
にたにた笑っているこの男の様子は、神官の優しい微笑みとは程遠くて不気味だ。スッと司祭衣のフードを下ろして現れた髪は赤みがかった茶色で、額の真ん中で左右に分かれている。
「お前がバロンをさらったのか?」
「バロン? ああ、あの宿屋から掻っ攫った男のことか。いかにも、そうだ。私が攫った」
「バロンをどこにやった?」
俺が邪光ランタンを構えつつ聞くと、男はまた口元を歪ませて、粘着するような異質な声で答えた。
「もはやそんなことは重要じゃないだろう。サム・オルグレン、君がここに来たことの方が遥かに価値がある」
「いいから答えろ」
警告として、灯したランタンの炎を相手の足元に炸裂させる。しかし男はそんなのでは全く怯まず不気味に笑い続けるだけだ。イラつく男だな。
「もう臨戦態勢かい? 私はバルトサール・ルンデルだ。冥土の手向けに名前くらい教えてあげよう」
バルトサールと名乗った男は、腰に提げていた祭器の鐘を高らかに鳴らした。すると鐘からは高い音が響き、森に伝わったそれが何かを呼び出した。ドスドスと辺りを振動させる足音が俺たちに近付き、邪魔になる木々が切り倒されているのが遠くに確認できる。
警戒しながら待っていると、バルトサールの背後から大きな狼の魔物が現れる。キリンロボよりもさらに大きくて、バルトサールの身長の三倍はある。狼ともキリンロボとも違う点は、尻尾がジグザグに曲がって鋭そうなことだ。
しかもその尻尾はかなり柔軟に動くようで、これで木々を切り倒しながら進んでいたらしい。俺がこの魔物を観察していて動かないのをいいことに、バルトサールは嬉々として語る。
「この子はね、さっき見つけたキリンロボなんだけどね、今は私に忠実に従ってくれるんだよ。偉いだろ?」
確かにキリンロボの特徴であるフサフサのたてがみは健在だが、体の大きさがまるで違うし、尻尾なんかは決定的に違う。でも従ってくれるという言葉は残念ながら本当らしく、現れた巨大な狼はバルトサールの前に頭を下げて撫でられている。
「神官が魔物を率いるとはな。どんな手を使ったんだ?」
「ふふ、君にそれを教える意味はないだろう。さっきの一射のお礼をしよう。やれ!」
バルトサールの合図と一緒に、狼は長い尻尾を自在に操って俺のいる場所を鋭く薙ぎ払ってきた。俺はギリギリそれを後ろに下がって避けた。途中で尻尾にぶつかった木は、かなり太かったにも拘らず簡単に両断されている。恐ろしい破壊力、あれをもらうわけにはいかないな。




