共に自由に
俺は離れたところのテーブルで羽ペンとインクを取り文字を書こうとして気付いた。ヤバい。俺、この世界の文字書けるかな……。ノエラが右隣で文字を書こうとしている横で、俺が一人青ざめていると、こそっとアンヘルが耳打ちしてくれる。
「大丈夫ですよサム様。マサマンディオス様の紋章のおかげで不自由なく文字を書けるはずです」
左側に飛んでいるアンヘルにチラッと目線を送りつつ、俺はサムと自分の名前を書いてみる。すると手が勝手にこの世界の文字をスラスラと書きだした。本当だ。かなり不思議だけどありがたい。漢字なんて書こうものならどうなったものかわからないからな。
名前と職業、出身地など、アンヘルにアドバイスをもらいながら適当に誤魔化しつつ記入して、書類を書き上げる。それから気になってノエラの方を見ると、彼女は戸惑った様子で、羽ペンを持ったまま固まっていた。
文字を書けないのかとも一瞬思ったが、そうではないな。彼女は精霊魔法の本も読んでいたし、何か書き込んでいるのも見たことがある。声をかけてみるか。
「大丈夫か?」
「……」
ノエラはどうしたらいいかわからないという感じで俺のことを見ている。これは彼女とちゃんと話さないと駄目そうだな。話を周りに聞かれたくないし、この場所にいるのはよくないな。
「あの、すみません。ちょっと彼女の体調が良くなさそうなんで、外の空気を吸ってきてもいいですか?」
「構いませんが、大丈夫ですか?」
「あ、はい。俺は神官なので酷いようだったら奇跡で治します」
「そうですか」
俺は許可を取ってからノエラを連れ出した。書類を書いている途中で抜け出すのは怪しまれるかとも思ったが、どうやらセーフのようだ。櫓から出てからさらに門番とも離れ、街の石壁の近くで落ち着いて話を聞く。
「逃げてきたこともあって個人情報は書きづらいか?」
「……はい」
「別に本当のことを書かなくてもいいんじゃないか? バレたらヤバそうだから無責任なことは言えないけど、それしかないかもだし」
「でも……捕まったらと思うと……。どうすればいいんでしょうか?」
「うーん。本当のことを書けたら一番いいんだが、どうしても駄目そうか?」
そう聞いたらノエラは露骨に言い渋った。
「私は……クラーセン家の人間なんです。本当のことを書いたら……すぐに見つかってしまいます」
クラーセン家? 有名なのかな? 疑問に思っているとアンヘルがそっと補足してくれる。
「クラーセン家は有名な魔力家の貴族ですよ。確かにクラーセンの名前を書いたらすぐにでも見つかってしまいそうですね。ですが名字さえ書かなければ大丈夫かと思いますが」
その考えには俺も同意なのでそのまま伝える。
「なあノエラ、名字は書かなければいいんじゃないか?」
「えっ。名字がなくても……大丈夫なんですか?」
あれ? 紋章に聞いたら名字があるのは貴族か有力者くらいだと言っていた気がするが。ノエラが貴族だからそのあたりのことは知らないのかな。でも会ったときはみすぼらしい服装だったような……。いや、駄目だ。変に勘ぐるのはやめておこう。
きっとノエラはそのことには触れてほしくないはずだからな。
「俺も名字がないし、平民はみんなそうだよ。大丈夫。名字を書かないで書類を出してみよう」
「わ、わかりました」
一応四力持ちの名字なしは珍しいみたいだけど大丈夫だろ。いることはいるみたいだし。本当は偽名を使うべきなのかも知れないが、嘘を書くのも抵抗ありそうだしな。
そうして俺たちは櫓に戻って書類を完成させ提出する。ノエラも俺も固唾を飲んで見守っていたが、特に何か聞かれるでもなく普通に通行証を発行してもらえた。良かった。ノエラも後ろ暗いことがあるし、俺なんてとにかく嘘だらけだ。
知らん土地の名前を書き、本名ではない名前を書いて、あろうことか邪神の神官だからな! 自慢できることじゃないけど!
無くさないように気をつけろと言われた通行証を持って再度門番のところに行くと、にこやかに通してもらえた。門を通っていくと広がる大都市の街並み。やっと着いたな!
これで一応ノエラを街まで送り届ける目的は果たせたわけだが……。
「ノエラ、これからどうするか決めてるか?とりあえず何日分かの宿代は出してあげられるが」
「……あの」
ノエラは少し俯いてから、また真っ直ぐ俺を見た。
「サムさん。私を、連れて行ってくれませんか? サムさんの役に立ちたいんです!」
「……」
「あなたには返しきれない恩があります。あの夜は私の後押しをしただけだって、そう言ってくれました。だけど私は……それでも私は、あなたにすごく助けてもらいました。一緒に逃げてくれたときも、シビルさんのところにいたときも。ここに来るまでだって、ずっと。だから――」
「いいよ。一緒に行こう。でも無理してないか? もしかしたら危険な目に遭うかもしれない。それに俺は恩返しをしてほしかったわけでもない。俺が君を見捨てるのは嫌だったから。それだけだ。だから恩返しのために付いてくるつもりなら、そんな必要はないんだぞ?」
「いいえ。私はあなたと、サムさんと一緒に居たいんです……!」
「……そっか。そこまで言ってくれたなら断る理由はないな。それじゃあこれからもよろしく、ノエラ」
「はい!」
「それにしても女の子にこんなことを言われるなんて嬉しいな。おかしくなりそうだよ」
「えっ。あっ……」
ノエラはみるみるうちに顔を真っ赤にし、動揺であり得ないほどたじろいだ。俺としたことが、ちょっと意地悪言っちゃったかな。
「そんなに照れられるとこっちも気恥ずかしいじゃんか。ほら、暗くなる前に色々済ませないとさ」
「……はい」
手を差し出すと、彼女はその手を取ってくれる。そうして俺たちは出会ったときと同じように手をつないで、大都市ダロイの街中へと進んでいくのだった。