別れの宣明
それから俺は今だけでも深刻な事情を考えないようにしながら、長いこと散歩を楽しんだ。奇跡のおかげで魔物に遭遇しても気付かれないから、歩いて疲れたら寝転がり、また歩くなんてこともやった。たまに見つかる無害な動物と戯れたりもした。
元の世界とは違う生態系はなかなか興味深かったな。そういえば村での食事の候補になっていたトドっぽい生物のカラガオンにも出会った。なんだかどんくさそうだったから狩られちゃうのも無理はなさそうだななんて思ったりもしたね。
そうやって森をある程度見て回ったら、いいとこ帰った方が良い時間になったのでツリーハウスに戻る。そしたらノエラとシビルが珍しく広場に出ていて、一緒に精霊魔法の実践をやっていた。これは……戦闘用?
「なんだなんだ? ノエラも戦う準備をしてたのか?」
「はい。霊力を持っているならある程度戦えないと示しが付きませんから……」
「お前ばかりに負担をかけたくないそうじゃぞ」
「そ、それは……」
どうやらそれは言ってほしくなかったことみたいで、ノエラは激しく動揺して目を泳がせた。顔もちょっと赤くなってる。
「まあ、なんだ。そんなに気にしなくてもよかったんだけどな。ありがとう」
「……はい」
「ダロイまでとは言え、迷いでもしたら一日では着かんかもしれないからな。ノエラの身に何かあっては困るのじゃよ。自衛くらいはできるようになっておかんとな」
「それもそうだな」
そして三人で家の中に戻り、これで最後となる夕食を取る。ノエラが作ってくれた料理はどれも美味しい。シビルから料理を習いつつ作ってくれていたようなのだが、元々料理はできる方だったみたいで作り始めてからすぐにアレンジ料理が出てきた。
今回の料理で特に美味しかったのは野菜のスープで、しっかりと出汁を取ったのか、何から何まで味わい深く、味もよく染み込んでいた。幸せを感じるな。
「本当に美味しい料理だ。俺は明日死んでもいいくらいだぞ」
「ありがとうございます……作った甲斐があります」
「ノエラはセンスが良いようじゃな。ワシが教えたスパイスの使い方も見事なものじゃよ」
「シビルさんの教え方が良いからですよ」
「ほっほっほ。嬉しいことを言ってくれるのう」
「事実ですから……」
そんなやり取りをしながらのんびりと過ごしていると、早いものでやがて夜を迎える。精霊魔法の話や、俺が狩った魔物の話なんかをしていたら、食事の席のまま辺りが完全に暗くなった。
いよいよ明日出発か。なんだか名残惜しくなってくるな。
そう思うのはノエラも同じなのか、彼女はテーブルの下で手を揃えて、心なしか寂しそうな、浮かない顔をしている。
意図せず湿っぽい雰囲気になってしまったのを嫌ってか、シビルは目じりにシワをたくわえて目を細めた。
「そんな顔をするでない。帰りたくなったいつでも帰って来れば良い。ワシが生きておれば歓迎しよう」
「そんな不吉なことを言うなよな」
「ふん。ワシがそう簡単にくたばると思っておるのか? 外の世界に出たらここに戻って来なくていいほど楽しく過ごすだろうと思っておるだけじゃよ」
「確かに。そうなったら良いな」
「私は……シビルさんのことを絶対に忘れたりしません!」
「ふっ。ワシもお前さんのことは忘れられんよ。ほれ、おいで」
シビルが手を広げ、そこに席を立ったノエラが駆け寄る。そうして彼女らは互いに抱擁を交わした。
「よしよし、明日は朝早くから出発するんじゃろう。お前たちはもう休んでおけ」
「ああ、わかってる。ノエラ、今生の別れなわけじゃないさ。これからもっと自由になるんだろ?」
「はい!」
こうして俺たちは床へと入り、そしてなかなか寝付けない夜を越えて、朝を迎えた。いつもより断然早い時間に起きて、昇ったばかりの太陽を拝む。そういえばこの辺りは全然雨が降らないな。このまま晴れたまま大都市に着けるといいんだけど。
俺は司祭衣を整えて、居間へと向かう。ノエラとシビルはもう起きていて、朝食の準備をしていた。それどころか、道中の食事も準備していてくれていたみたいだ。
「おはよう。なんか悪いな、食事の準備を全部してもらって」
「これから働いてもらうんじゃから気にするな。ノエラを死ぬ気で守るんじゃぞ」
「約束するよ。ノエラも大船に乗った気でいていいぞ」
「そうします」
彼女は手を動かしながら微笑んでくれた。朝食を食べ、作ってもらった食事はほぼすべて【闇の領域】に入れておく。
後は万が一俺とノエラが逸れたときのために、少しだけノエラが携帯している。ホッと一息つくためにハーブティーを三人で飲み、いよいよ出発の時間になる。
俺とノエラがツリーハウスの扉から外に出て、シビルがその後を追う。今はもう慣れた螺旋の階段を下りて自然の広場へ。そこにちょこちょことやってくる小さい悪魔、シビルの眷属。
ヤツは俺の前に何かの木の実を落として、すぐにシビルの元に戻った。
「なんだこれ? くれるのか?」
俺がそれを拾い上げようとした途端――その木の実は爆発を起こして辺りに炸裂した。
「うおっ」
嫌な予感がして慌てて後ろに下がったことで何とか直撃は避けたものの、本当になんて仕打ちだ。俺が何かしたとでも言うのだろうか?
「最後まで懐かれんかったな。イッヒッヒ」
「……ソイツはいつか魔物に喰われればいいんだ」
「だ、大丈夫ですかサムさん」
「あ、ああ。もちろん!」
そんなこんなで和やかな雰囲気っぽくなったところでシビルが最後に聞いてきた。
「長い別れになるじゃろうから聞いておいてやろう。お前が仕えている神の名はなんじゃ?」
ついに来たこの質問。俺の近くには当然ノエラもいる。森にいる間は控えるべきだと思って、彼女にはまだ俺が邪神に仕える神官だということは伝えていないのだ。
だが、俺はそんなことも構わず自信を持って答えてやった。恥じることなんて何もないから。
「偉大なる神マサマンディオスだ!」
「そうか」
シビルはシンプルに相槌を打って、こくこくと頷いている。まるですべてわかっているみたいに。
「行ってくるぜババア」
「おう、行ってこいボケなす。ノエラも気をつけて楽しんでおいで」
「はい! 少しの間、お元気で!」
こうして俺たちは北の大都市ダロイへと歩を進めるのであった。




