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人生ゲーム  作者: 八重
3章「灰色と囚人」
18/23

不可解

 悪夢から覚めるように、雪乃は飛び起きた。頬を冷たい汗が伝う。彼女の泣き声が、耳の中で反響していた。


 見たくなかった光景を見た。しかし、思えば今見た光景は、あの日からずっと見続けた悪夢そのものだった。何度も何度も繰り返し見て、独りで自己嫌悪に浸った。もはや見慣れた光景だった。


 不意に何かが軋むような音がする。

 音の方に顔を向けると、天使が雪乃のことを見つめていた。

「気分はどうだい」

「見てわからない?最低よ」

 雪乃は片側の口角だけを無理やりあげて笑おうとする。しかし、頬の筋肉が痙攣してうまく笑うことはできなかった。


 天使は何も言うことなく、じっと雪乃を見つめていた。雪乃はその視線に耐え切れず、目をそらす。

「答えは見つかったかい?」

 問いかけに対して答えることはなかった。きっと天使の望む答えなんて雪乃は持ち合わせていない。彼女が何を言わせたいのか、雪乃には見当がつかなかった。


「答えないなら、次に行こうか」

 天使がどこからかフィルムケースを取り出す。フィルムケースは灰色の液体で満たされていた。

「待って。これ以上何を見せるっていうの」

「見てからのお楽しみさ」


 天使はケラケラと笑いながら、ベッドの傍らに置いてあるサイドテーブルのほうへ向かう。雪乃は縋りつくようにして、天使の腕を掴む。

「答えは出たわ。私が、天野凛と友達になったこと。それが間違い。そうでしょう?お願いだから、正解だと言ってよ」

 縋るような思いで、彼女に幾度となく否定された回答を口にする。きっと今度も否定されるとわかっていながら、雪乃にはこれ以外の解答は思いつかなかった。

「私は間違っていないと思うよ。君が天野凛と関係を持ったことも、あの日の行動も、間違っていなかったと思う」

 天使ははっきりと雪乃の言葉を否定した。


 しかし、雪乃には納得がいかなかった。天使の腕を掴んで、雪乃はまくしたてる。

「間違っていたんだ。私がいなければ、きっと天野の人生はあんな結末にはならなかった。友達だから守るなんて調子のいい言葉を並べておきながら、私は天野を守らなかった。私と友達にならなければ、あの子はきっと、高校生になって、大学生になって、就職して。大好きな写真を撮り続けて、いつかは大切な人を見つけて、幸せになったはずなんだ。それなのに、それなのに……」

 ずっと心の中に背負い続けていた思いが、川が決壊して水が溢れ出るように、口から漏れる。吐き出す言葉が見つからなくなると、やがてそれは嗚咽に変わった。

 天使の腕を掴んだまま、雪乃は床にへたり込んだ。崩れ落ちた雪乃を、天使は表情一つ変えず見つめている。


「雪乃。何度も言うが、それは答えじゃあない」

 雪乃はよろよろと立ち上がる。涙でぐしゃぐしゃになった酷い顔を天使に晒す。

「どうして……。どうして?」

 天使の胸ぐらを掴んで訴える。


「私たちが聞きたいのは、そんな答えじゃない。本質は、もっと別のところにある」

「適当なこと言わないでよ。さんざん弄んで、何が楽しいのよ」

 声を荒げながら、雪乃は天使を睨みつける。

「私だって楽しくてやっているわけじゃあない。でも、これからの君のためのゲームだ。辛いものを見せたのは申し訳ないが、君にとって必要なことなんだ」


 天使の目がテーブルの上に置かれた壺に向けられる。フィルムケースを手で弄びながら、ゆっくりとテーブルの方へ足を進める。

「もうやめて。地獄行きでいいから。もうゲームをやめたい」

 雪乃が弱々しく言うと、天使は足を止めた。


「ギブアップ、か。どうしても答えがわからないか?」

 雪乃は頷く。

「じゃあ、なぜわからないか教えてあげるよ。その理由は、最後まで問題を見ていないからだ。だから、これを見よう」

 天使はフィルムケースを掲げる。中に入った灰色の液体が、ゆらゆらと揺れる。


「もう、見たくないの」

 雪乃は、思わず天使に飛びかかっていた。不意を突かれたのか、天使の身体が傾き、二人はもみ合うようにして、ベッドの上に倒れ込んだ。

「痛い」

 天使の呻くような小さな声で、雪乃は思わず身体をどける。そして、ベッドに倒れている彼女を見て驚く。


「嘘でしょ。どうして?」

 雪乃の声で異変に気付いた天使は、声にならない声を上げる。

 揉み合った拍子に、雪乃の手が当たったのだろうか。彼女の顔を隠していた狐面がずれて、彼女の素顔を晒してしまっていた。

 天使は気まずそうに唇を噛んで、顔を背ける。


 露わになったその顔は、雪乃の顔にそっくりだった。

「その顔、どういう事?」

 戸惑いながら雪乃が尋ねる。

 目の前にあるワンピースの女性の顔はよく見ると、雪乃の顔そのものではなかった。雪乃より雰囲気が大人びており、肌も白い。しかし目鼻立ちやホクロの位置など大まかな顔のパーツは雪乃に酷似している。


「やっちゃったなあ。最後まで見せるつもりはなかったのに」

 天使が顔をしかめる。その表情も、雪乃そっくりだった。

「どうして?どうしてあなたが私の顔をしているの?」

 天使は何も言わなかった。目の前の、ワンピースを身に纏った雪乃にそっくりな女性は、雪乃から目をそらし、強く唇を噛んでいる。


「答えてよ」

 雪乃が問い詰めると、天使は観念したように口を開く。

「私は、君だ」

「嘘だ。そんなはずない。あなたが私であるはずがない。だって、私は、私のことを間違ってないなんて言わない」

 本当に彼女が雪乃であるならば、雪乃のことを肯定できるはずがなかった。天野凛の前から逃げたことを、間違っていないなんて言えるはずがない。あの日からずっと、雪乃は自分のことを責めてきたのだから。


「もう少し詳しく言うならば、私は君が諦めてしまった君だ」

「私が、何を諦めたというの」

「あのお祭りの夜、天野凛とどんな大人になりたいか語っただろう。君は遠くへ行きたいと言った。天野凛は君が素敵になると言った。でも、君はそのどちらも諦めただろう」

「諦めてなんかいない。ただ、なれなかっただけよ」

「諦めていない?本当か?」

 片頬だけをぐっとあげて、天使は酷薄な笑みを浮かべる。自分の顔にそっくりであるにも関わらず、雪乃は彼女の表情に恐怖を感じていた。


「君に諦めた自覚はなくても、無意識のうちに思っていたんじゃないか?素敵になる資格は私にはないって」

「……うるさい」

 天使は雪乃の言葉には耳を貸さず、さらに続ける。

「君、言ったよな。この町を出たいって望み通り、遠くに行けばよかったじゃないか。そうしなかったのは、天野凛が手にできなかった未来を謳歌する資格なんて、自分にはないって思っていたんじゃないか?なぜなら、君が天野凛を……」

「うるさい!」

 絶叫した雪乃を見て、天使は言葉を止めた。


「お願いだから、もうやめて」

 こんな反応をしてしまえば、天使の言葉が図星だと言っているようなものだ。しかし、雪乃は彼女の言葉をこれ以上聞くことはできなかった。最後に彼女が、雪乃がどうしても聞きたくないことを言いかけたように思えたからだ。

「私は諦めてなんかない。凛の最後の言葉を叶えるために必死で生きてきた。凛がいない時間を必死で生きた。私は何一つ諦めてなんかいない」

「じゃあ最後はそれが本当か確かめよう。君が天野凛のいない時間をどう生きてきたのか。自分の目で確かめるといい」


 灰色の煙が、部屋の中に立ち込める。

「これで最後だ。いってらっしゃい、雪乃」


 部屋を満たす灰色の煙の中に天使の顔が消えていく。薄れゆく意識の中で最後に見た彼女は、どこか悲しげな表情を浮かべていた。


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