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人生ゲーム  作者: 八重
2章「青色の牢獄」
16/23

牢獄

 翌日の放課後、雪乃は文化祭の準備には参加しなかった。一か月前は、毎日のように通っていた場所の前に立つ。震える手で、ドアノブに手を掛ける。ドアを開けようとするが、開かない。どうやら、鍵がかかっているようだった。小さくため息を吐く。


「坂崎先輩、ですよね。そんなところで何をやっているんですか?」

 不意に声を掛けられて、雪乃はびくりと肩を震わせる。振り返ると、そこには北見連が立っていた。北見は、水泳部の一年生の中で唯一の男子部員だった。


「他の人たちは?」

 尋ねると、北見は訝しげな顔をする。

「今日は市営プールでの練習日ですよ。僕は昨日ゴーグルを更衣室に忘れてしまったのでそれを取りに来ただけで、他の部員は既に市営プールに向かいました」


 それを聞いて雪乃ははっとする。部活から離れてしばらく時間が経っていたせいで、水泳部の練習スケジュールについてすっかり頭から抜け落ちていた。この学校の水泳部は、十月から四月までの間は、オフシーズンとなる。オフシーズンの間の練習メニューは、水の外で行う体力づくりが主となる。しかし、それでは感覚が鈍ってしまうので、週に一度は学校の外に出て、市営の屋内プールを利用して練習を行っている。


「あの、もしかして誰かに用事でしたか?俺でよかったら伝言とか引き受けますけど」

 北見の提案に雪乃は首を振った。

「私がここにいたことは誰にも言わないで」

「それは、別にいいですけど」

 怪訝そうな表情を浮かべていたが、北見は雪乃の要求を呑んでくれた。雪乃は北見に礼を言うと、足早にその場を立ち去った。


 校内でのトレーニングの日は、プール自体は使わないが更衣はプールの更衣室で行われる。北見と会った翌日、雪乃は昨日と同じように更衣室に様子を見に行くつもりだった。しかし運の悪いことに、クラスメイトから文化祭の準備の手伝いを頼まれてしまった。

 手伝いを終えてから、雪乃は急いで更衣室に向かった。どうか、自分の心配が杞憂であることを願いながら雪乃は学校の中を駆けた。途中で、水泳部の男子とすれ違う。もう、遅いかもしれない。そう思いながらも雪乃は走り続けた。


 雪乃の視界がプールを捉えると同時に、更衣室の前に人影を見つけて雪乃は足を止める。人影は三つ。三人は仲の良い友人同士のように、肩を組んで歩いている。雪乃はその後ろ姿にじっと目を凝らす。両脇の少女に比べて、真ん中の少女の身体は華奢でスカートから覗く足は雪のように白い。

 

 これ以上は見たくないと、過去を見ている雪乃は思った。踵を返して逃げようとするが、どうやっても足の動かし方がわからない。せめて目を瞑ろうとしたが、それも叶わない。天使を呼んで、時間を止めようとしたが、どれだけ心の中で念じても、望んだ狐面は一向に現れない。そうしているうちにも時は進み続け、雪乃の視線に最も見たくないと願った光景が映る。


 三人が更衣室の前に立つと、待ち構えていたかのように扉が開く。両端の少女が足を止めた真ん中の少女を無理やり押し込もうとする。更衣室から伸びてきた手が抵抗する少女の胸ぐらを掴み、中へと引きずり込む。揉み合いの最中、真ん中の少女の横顔が雪乃の目にはっきりと映る。それを見た瞬間、心臓が痛いぐらいに激しく鼓動した。


「天野!」

 咄嗟に雪乃は叫びながら飛び出していた。凛の両端にいたのはあかねと翔子だった。彼女たちは飛び出してきた雪乃の姿を見ると、無理矢理に凛を押し込んで扉を閉める。扉の隙間から凛の泣きそうな顔が一瞬覗き、すぐに見えなくなった。


 ドアノブに手をかけて、勢いよく引っ張るが、扉は開かなかった。何度も引いたが、扉は軋んで音を立てるばかりで、一向に開かない。どうやら、内側から鍵を閉めたようだった。

 雪乃は、凛の名を叫びながら扉を開けようと試み続けた。すると、ガチャリと音がして不意に扉が開く。突然のことに呆気に取られていると、中から伸びてきた手が雪乃の身体を更衣室の中に引きずり込む。後ろから羽交い絞めにされて、口を塞がれる。抵抗しようとするが、強い力で押さえつけられて逃れられなかった。


 更衣室の中にはあかね、翔子、紗季、美緒の四人がいて、涙と鼻水で顔を汚した凛が、更衣室の床に横たわっている。

「うるさいよ、雪乃。誰かにバレたらどうするの」

 美緒が言う。氷のような冷たい声に、雪乃は寒気を覚えた。口を塞がれているので言い返すこともできない。

「言っておくけど、雪乃のせいだからね。あんたのお友達がこうなったのは、雪乃がこいつと一緒に逃げたせいだから」

 美緒が言うと、残りの三人がゲラゲラと笑う。

「余計なことしないでね。それとも、また痛めつけられたい?」

 美緒が顔を近づけてきて、雪乃の耳元でささやく。


 口を塞いでいた手が離れて、離せるようになっても、雪乃は何も言えなかった。足がガクガク震える。そのくせ身体は硬直して、何もできない。何も言えない。虐められた記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、何が何だか分からなくなる。


 足元の凛に目を向ける。彼女は死人のような目をして、笑っていた。声にならない声で、「逃げて」と絞り出す。

「お帰りは、こちらから」

 紗季が笑い交じりに言う。

 更衣室の戸が開けられ、雪乃は更衣室から投げ出される。コンクリートで覆われた地面の上にゴミの様に捨てられて、腕や足に鋭い痛みが走った。痛みを堪えながら顔を上げた時にはもう、更衣室の戸は閉じられていた。鍵が閉められる音が、やけに大きな音で雪乃の耳の中を木霊する。


 駆け寄ってドアノブを掴むが、戸は軋むばかりで、もう開くことはなかった。



 いつもは静かなはずの土曜日の校内に、生徒たちの笑い声が響いていた。喧騒の中を雪乃は手作りのプラカードを掲げて歩いた。時折、自分たちのクラスの宣伝をしながら、校内を練り歩く。


 文化祭は十一月の半ばの土曜日に行われる。保護者や地域に住む人々を中心に、一般の人たちも訪れるため、学校はいつもより賑やかだ。被り物やコスプレをしている生徒もいて、学校とは異なる空間のようだった。雪乃もクラスの宣伝のために、赤鬼のお面を着けている。


 雪乃たちのクラスの演劇は意外にも盛況なようで、最初の公演は満席だった。

呼び込みをしていた雪乃は、公演中も教室の外にいたため、音漏れをわずかに聞いただけであったが、演者たちの熱演と観客の拍手から、盛り上がっていることが伝わった。


 特に目的もなく校内を回っていると、写真部の文字が目に入る。開いた扉の隙間から覗いてみると、教室の中にはたくさんの写真が展示されている。

 当然のことながら、雪乃の脳裏に凛の顔が浮かぶ。更衣室で会って以来、凛とは会っていなかった。

彼女に会わなければならない。ずっとそう思っていたが、逃げてしまった後ろめたさと、虐めの恐怖が、雪乃を臆病にしてしまっていた。


 教室の中には、壁や窓に沿って四方を囲うように展示用のパネルが設置されており、パネルには、額縁に飾られた写真が展示されている。額の横には写真のタイトルと撮影者が書かれたタグがつけられている。部活をしている生徒、動物や自然、花や町並みなど、様々な風景が切り取られた写真が並んでいた。

 雪乃は彼女の撮った写真を探して、教室内を見て回った。しかし、教室を一周しても彼女の写真を見つけることはできなかった。入口に戻って、もう一度初めから写真を見て回ったがやはり彼女の写真は一枚もなかった。


 肩を落として、教室から出ると「ありがとうございました」と声を掛けられる。声の方を向くと、出口には、一眼レフのカメラを首から下げた男子生徒が立っていた。雪乃は彼が写真部の部員だと気づいて、凛のことを尋ねる。

「あの、天野さんの写真は、ないんですか?」

 写真部の男子生徒は一瞬視線を泳がせてから、雪乃の問いに答えた。

「天野なら、先週退部しましたけど」

「退部?」

 驚いて、雪乃は聞き返す。凛が部活をやめるとは思えなかったからだ。


「三日前に、突然部室にあった天野の物が全部なくなっていて、変だなって思って顧問に確認したら、退部したって言われました。」

 悪寒が雪乃の身体を駆け巡った。不快感を隠しきることができず、思わず表情に出てしまう。

 雪乃は彼に礼を言うと、行く当てもなく校内をさまよった。すれ違う人の顔を確認し、凛を探した。

もう、逃げるわけにはいかないと思った。彼女が何の理由もなく写真をやめるなんてことは、あるはずがなかった。彼女が追い詰められていることは明らかで、それを見て見ぬふりをしたのは他でもなく、雪乃自身だった。


 彼女と話さなければならない。あの日逃げてしまったこと、守れなかったことを謝らなければならない。

 雪乃は祈るような気持ちで歩き続けた。カメラを首に下げた小柄なその影を求めて、足を動かし続けた。


 夢中で歩き回っていると、すれ違った誰かと肩がぶつかる。

「すみません」

 謝りながら顔を確認すると、そこには見慣れた狐面があった。


 息を呑みながら辺りを見回すと、雪乃と天使以外の人々の動きは止まってしまっていた。騒がしかった校内は静寂に包まれている。

「何しに来たの」

「別に、ただ様子を見に来ただけだ」

「さっきは呼んでも来なかったくせに」

「上司に止められた。『どうせ雪乃は見たくないとごねるだけだから』と言われてね。私も同じ考えだったから行かなかった」


 それを聞いて雪乃は唇を噛む。

「あなたたちはどうしても私にこれを見せたいようね」

「私は別にどうでもいいが、上司は君にこれを見せることに意味があると思っているようだよ」

 顔の見えない天使に、姿を見せない上司。突き付けられるのは見たくもない過去の記憶。苦痛以外の何物でもない状況に雪乃は顔をしかめる。返す言葉など、浮かんでこない。


「そもそも、君は自分の間違いを、天野凛と友達になったことだと言ったね。それならば、君と天野凛の過去を見ることは、君にとっても理に適っているのではないか?」

「それなら正解って言って。私をこんなふざけたゲームから解放してよ」

「できるものならしてやりたいのだけどね。何度も言うが、私はそれを間違っているとはどうしても思えない。だから、正解とは言えない」

「天野凛があんな目に遭ったのに、それでも間違っていないというの?」

「天野凛自身が選んだ結果だ。それを間違いだと否定するのは、彼女と彼女の行動に対する侮辱だ」

「違う。私が侮辱しているのは天野凛じゃない。私自身よ」

 あの日凛が雪乃にしてくれたように、あの牢獄から凛を救い出せていたら、きっとここまで悔やむことはなかった。救い出せなくても、せめて共に痛めつけられていたならば、自分のことをこんなに憎むことはなかっただろう。


「なあ、雪乃。赤鬼が泣き続けることに、何の意味がある」

「何を言って……」

「意味が分からないか。それじゃあ、青鬼は報われないな」

 怒りを込めたような口調で言うと、狐面は跡形もなく消えてしまった。


 時間は動き始める。


 すれ違った小さな少年は、雪乃の頭に付けられた赤鬼のお面を指さして、嬉しそうに笑っていた。


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