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海のある街  作者: 高田 朔実
7/12

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 その年の一学期は、いつもよりもあっという間に終わってしまった。

 夏休みになってずっと家にいると、当然ながら特に面白いことなんて起こらない。かといって外に出てもそんなに面白そうなことは期待できそうにない。暑さにかまけて、ついだらだら過ごしてしまう。

 渚君は何をしているんだろうと思ってみたりもしたけど、学校で会えばそれなりに仲良くするものの、休みの日にわざわざ待ち合わせして遊ぶほどの仲ではない。

 せっかくなので普段できないことをしようと思って、まずは早起きを試してみた。普段は七時起きの私にはなかなか難しかったけど、一度だけ、五時前に布団から起き上がることができた。せっかくだから朝日を見ようと思ったけど、着替えたり、朝日が見えそうな開けたところを探して歩いたりしているうちに、気づけば太陽は既に白い、いつもの色になっていた。

 朝日が見られなかったのは残念だったけど、普段まず起きない時間帯に起きて、ちょっと散歩なんかをしてみると、早朝の空気は昼間のそれとは全然違うようだった。鳥の声がよく聞こえて、人がほぼいない道は独り占めできて、太陽の活動がさかんではないからそれなりに涼しくて、これからなにかが始まるぞという緊張感があった。私には、これくらいの刺激でもなかなか新鮮だった。少しは、追い求めているものに近づけているのかも、と思ってみることにした。早起きしたせいで、九時ぐらいになると眠くなってきて、また寝てしまった。渚君の気持ちが少しわかった気がした。

 授業があったら、私はとてもこんなことはできないと思う。自由なのがうれしい。でもそれも、結局は一日でやめてしまったけれど。

 それ以外には特にこれと言って面白味のあることもしないうちに、夏休みは過ぎていった。普段見られない時間帯のテレビを見たり、朝からアイスを食べたり、昼寝をしたり、本はいつもより多めに読めたかもしれないけど、そのくらいだった。本や漫画で見たような、夏休みの間に冒険して、夏休み明けには一回り成長して、クラスメイトから「なんか、変わった?」と言われる、そんな出来事が自分にもあったらいいなと思いながらも、思うだけでなにもしないから、そのままなのは当然ではある。

 これからも、こんなふうに、それなりの出来事しか、私の身には起こらないのだろうか。もしくは、ときがくれば自然と、なにかが起きるのだろうか。

 たくさん時間があったにも関わらず、夏休みの宿題は結局最後の数日で「もっと早くやっておけばよかったなあ」と昨年の今頃とまったく同じ調子で片づけた。宿題が終わったら、夏休みの余韻を楽しむ間もなく、二学期になった。

 学校という枠組みがなければ、何かしたいという気持ちはありながらも、何をしていいかわからなくて、ただぼんやりと過ごしてしまう。私は結局そういう人間なのだということは、きっともうこのころから既にわかっていたのだ。自分の内側から湧き出るものに従って生きてみたいと思ったところで、私の中にあるものなんてたかが知れていた。

 アーティストという言葉はなんだか胡散臭いと思いながらも、そういう気配が感じられる生き方に、きっと私は憧れていたのだと思う。

 なにか自分の人生をかけれるようなものと出会って、それに時間と労力を存分に費やして、寝食も忘れて取り組み続ける。生活のすべてがそれに捧げられ、一日二十四時間それに没頭し、倒れるまで徹底的にやり続ける。……それはちょっと大げさだとしても、そんな風になにかに熱中できる人に憧れていた。私はいつも、どこか余力を残したようなやり方しかできなかった。八割九割できたらもういいや、と思ってしまって(本当は六割七割くらいしかできていなかったかもしれないけど)、百パーセントやさらにその上を目指そうなんてとうてい考えられなかった。私は昔も今も、そういう人間だった。

 ぼろぼろで絵の具だらけのTシャツとジーンズを身につけていても、それがどんな立派な衣装よりも格好良く見える。無理に汚さなくてもいいけど、服にお金をかけるくらいなら趣味にお金をかけて、本でも、映画でも、何でもいいから、ひたすら質を高め知識を吸収したり技術を高めたりして、より高みを目指すことにだけ全力を尽くす。

 インテリアなど全く重視せず、ただ楽譜に埋もれて布団を敷くのがやっとだったという、今では大成した芸術家の古ぼけた四畳半の下宿、友達も作らず、アルバイトもせず、目がつぶれるほど本を読み続けたという作家のエッセイ、そういったものに憧れて、真似してみようにも、私はやはりただの人だった。好きなことをしていても、数時間もすればすっかり飽きてしまって、別のことをしたくなる。ちょっとお茶を、ちょっと散歩を、と脇道にそれているうちに、いつの間にか遠ざかってゆく。

 毎日同じ時間に学校、あるいは職場へ行き、同じ時間に働き、次の日を気にして大体同じくらいの時間に寝て、休日は若干自分のために何かできるとしても、そんなに大それたことができるわけではないので、うまく制御しながらできるだけ楽しむようにする。

 個性的なことをしたいなあと思いつつ、なんとなく日々が過ぎていく、そういう生活の方が、結局のところ私には合っていた。何の制限もない、思い切り自由な中では結局何をしていいのかわからないし、後でやろうと何でも先延ばしにしてしまう。

 明日締切の業務を片づけないといけないだとか、意味があるのかわからなくても、とりあえず私がこれを仕上げなければ次の人に迷惑がかかるとか、そういう何かしら、外側からの理由がないと動かない、私はそういう人間だった。

 ピアノを習っていたときにしても、私にとって大切なのは、好きな曲をいかに自分らしく仕上げるかということよりも、毎週レッスンがあるから、とりあえずその時までにある程度恰好がつくようにしておくとか、先生に怒られないようにするとか、余裕があるときには、あわよくば「頑張ったね」と褒めてもらいだとか、そういうほうが励みになるようなのだった。そういう他人との関わりがないと、ものごとが続かないのである。いい、悪いではなく、それが私だということが最近ようやく見えてきた。

 普通の生活が私に与えてくれる安らぎを知り、ようやく私も何かができるような気がしてきた。

 今ではすっかり規則正しい生活が板についてしまったけど、彼のことを思い出すと、ふと悲しくなる。私はやはりあっちの世界の人ではなかったことを思うと、残念な思いがまったくないとは言えない。


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