長勝寺のこと。
もはや昔の事であるが。
蝉が鳴き止まぬ晩夏の頃、汗がとめどなく流れ、目の前が歪んでしまうほどの蒸し暑さである。いくら麦藁帽子を被されたとはいえ、頭上からの太陽は容赦ない。しかもここは道路わきの歩道。アスファルトの上を歩いているからには、足の裏もいたい。今にもサンダルが溶けてしまうんではないかと思えるくらいだった。
風は吹かぬし、ただただうるさい音が強まるだけ。試しに耳を両手で塞いでみるが、ずっとそうしているわけにはいかまい。なので仕方なしに、長く穏やかに続く坂を上るわけだが……これもまた面倒くさくも感じるわけである。目的地である寺も、待っている二人の友達もすでに見えている。でも長い坂が邪魔をする。
前の方から明るい声が。
「おーい。いがら早ぐしろ」
こういわれては、頑張りざるを得ない。トボトボ必死に歩いていたのを、けっぱって必死に走るのだ。なに、遊ぶ前に疲れさせてどうする気だと、友達が恨めしく思ったのは言うまでもない。呪ってやろうかと冗談でもいおうか。でもこれが性というべきか。小さい子供というものは、楽しければ全て忘れてしまうのだ。
まあその頃の遊びと言いうものは、じゃれてはしゃいで転んで土まみれになり、かくれんぼでもしていたのだろう。アミとカゴがあれば虫取りか、もしく大人が考え出せぬような発想を繰り広げるのだ。その日は長勝寺の大きな門の右側、広い空き地が広がっているのだが。その脇によく、廃品が積まれていたりしたらしい。その中に大きな大きなでっけえ冷蔵庫が。他のがれきによって中途半端に斜めっておかれていた。そのせいで扉が半開きになり、……なんか興味がそそる。"なんか" の意味は特にないが、その "なんか" に目が行ってしまうのが子供というもの。
そこにいる三人は目を見合わせ、にかっと笑いあった。こんなにも近距離なのに、互いの顔がおぼろげになる。そんなに暑いなら、冷蔵庫の中にでも入ってしまえと。それにもしや、ジュースの類があそこにあるかもしれない。覗いてみようじゃないかと。
釘やら木材の破片やら積み重なっていたが、そんなのはお構いなし。それに近くに彼らの親がいるわけでもない。止める者はいないのである……。ジャングルジムに登る同じ要領で、その冷蔵庫のところへ向かってしまう。足元に崩れそうなところもあるが、崩れたらすぐに逃げればいいと簡単に考えてしまう。これまでもそうしてきた。友達と一緒なら、なんだって乗り越えられるのだ。
一人が冷蔵庫の中を覗き込む。
……結構、大きい。家に置いているのとは、まったく違う。業務用なので、ちょうど子供一人なら簡単に入れそうなくらい。。。となれば、入りたくなるのが子供の性。
「わあ、入ってみるじゃ」
入れ入れと、他の二人も囃し立てる。まんず、そういうもんだ。そういうあほな"わらす"の、すこと。
その瞬間、ガクッと下のガレキが崩れて、足元が揺れた。"おおっ"と体が揺れたが、そこは外を駆けずり回ってきた田舎の子供である。コケることは無く、すぐに体勢を立て直した。しかしふともう一人を探すと、姿が見えない。それもそうだ。扉が閉まっているからだ。それも下向きに、ガレキが蓋をする形に。
なんか、地味に……汗が湧く。これはと……二人は顔を見合わせた。
「どうす?」
「いや、助けるすかねえべ。」
蝉の音は、さらに大きくなった。
でも力を入れようにも、足元が安定しないので、まったくおぼつかない。それに二人は気付いてしまった。冷蔵庫の中から、人の声がしないのだ。扉が閉まったその時から、すっと。
また二人は、互いの顔を見る。
汗が垂れる。目にも流れようとするので、手で目ヤニごと拭きとるが……アブラみたいなのが目に入ったようで、痛い。痛くて、泣きそう。いや、泣いたところで……どうとなるわけではない。
いつしか二人は泣き始めた。その声は蝉より大きかったので、寺に用のあった大人がこちらの方へ寄ってきた。"どすた" と尋ねてきたので……いいざるを得ない。観念もクソもないのだが、子供二人に考える余裕などない。感情が全てを覆いつくしている。
おそらく閉じ込められてから大人がやってくるまで、十分も経ってはいない。でもその扉が開かなかったせいで、外界との接触は断たれ、中に入った子供は窒息死に至った。
親は悔やみに悔やみきれない。もっと"危ないことはするな"と叱っておくべきだった。海や山の中に入るわけではないので、安心していた自分が憎い。市中にも危険なところがあったなんて……。
担任もそんな親の姿を見て、思うところがあったのだろう。長勝寺の前に彫刻があるそうだが……彼が亡くなった子供の弔いにと彫ったものだそうだ。般若心経、なら南無阿弥陀仏でもいい。お近くを立ち寄った際には、心を寄せてみてほしい。