救うか・殺すか
目の前の惨劇に足に力が入らない。
腰まで抜けてしまい、背けたい現実に身体が動いてくれない。
『黒兎』が生まれた理由が心の闇だけではなかった。
親からのネグレクト、実子という格差。
理由はわからないけど母親は心中相手にあの女の子を選んだ、それ故に殺された。
千紗さんの説得すらも無意味で小さな儚い命に終わりを齎した。
見ていたくない、こんなのが現実だなんて。
ましてやあの女の子を……『黒兎』を倒すと決めていた僕の慢心さが仇になった。
どうすればこの子を止められる?
身体の中に侵入して来るこの異様な何かに胸が苦しい。
「ねぇ、父さん。私ね、母さんを殺したんだぁ〜、ふひひっあははは!! あっ、でもね! 千紗はまだ生きてるよ? 止血はしたけど、血が足りなくなっちゃいそうだよ〜? どうしよう〜」
「ば、化け物め! 千紗はどこだ!?」
「……結局、化け物扱いかよ。まぁ、いいや。放って置いても別に私は構わないからさ」
「ま、待て! 千紗は、千紗はどこにいる!?」
「さぁ? 教えて欲しいなら──」
夜の診察室、右手に持った血塗れた包丁を女の子は父親に切っ先を向ける。
父親は怯えながらも千紗さんの居場所を聞く。
それを他人事のように笑い、無責任に自身の過ちを放棄する始末。
人の域を超えてしまった子供よりも実子を優先した証拠でもあり、変わらない答え。
泣きながら叫んでいたあの声は、あの言葉は本当に心の声だったのかな。
それとも、今見ている現実は夢物語?
再び場面は変わって先ほどの薄暗い部屋。
机の上にランタンが一つ、隣に白いベッドでその上には膝を抱える千紗さん。
片足には足枷が付いており、鎖はベッドの足元へと繋がれている。
生死の安全どころではない。
監禁され、最早いつ殺されるかわからない。
いつまでこうして地獄を見なければいけないのかと訴えている僕と見届けてないといけない僕がいる。
「千紗ちゃ〜ん! お食事の時間だよ〜?」
「お姉ちゃん、もう、やめて。私が悪いから、悪い子でいいから! ここから出して!」
「それだけで済むなら警察なんていらないんだよ。簡単に死なせてやるものか、私の痛みはこんなので済まない」
両手に持ったおぼんにはコップ一杯の水とパン一つ。
日の光すら浴びれない暗い室内で唯一のランタンの光は千紗さんの灯火の如く揺れている。
ここにいては確実に死んでしまう。
でも、女の子にとってはそれもどうでもいいこと。
自身の味わった苦痛さえも味わせようとしている。
『それでも、父さんは私を見なかった。母さんが殺されても平気な顔で仕事してた。寝言でさえ、千紗と呼んで……千紗、千紗、千紗! ……うわあぁぁあぁぁぁ!!』
ノイズのように響き渡り、空間が歪む。
たぶんこの声は女の子の……『黒兎』の叫び。
手にしたかった愛情さえも、妹に向けられてしまいますます壊れていったんだ。
それだけでも悲しくて苦しいことなのに、どうして人を殺したの?
どうしてそこまでする必要があったの?
『やがて千紗は動かなくなった。父さんも壊れた。千紗に血が足りない、血が足りないって患者から血を採取する名目でもらい動かない千紗に注射してた。
どうでもよくなったから父さんもあの部屋に繋いであげた。私には何もない、結局そうだったんだ』
ゆっくりと形という形で空間は修正されていく。
隣に立っていた女の子は僕の目の前に立ち尽くす。
景色は僕が『黒兎』と初めて対峙したときと同じの部屋で、足元にはクシャクシャになった紙が何枚か散らかっている。
女の子の隣にはテーブルがあってその上には包丁が一つ置かれていている。
散らかっている紙を一枚拾い上げてみると、泣きながら書いたのか黒い文字が滲んだ日記の1ページだった。
『もう、どうでもいいの。早く殺してよ。父さんもいない、母さんも千紗も殺した。関係のない人も殺してきた。どうでもいいの、私なんて……』
見てしまった僕にも少なからず責任はある。
だけど、このままここに居ればお姉ちゃんが危ない。
この子を……『黒兎』を倒すには放っておくわけにもいかない。
「お兄ちゃんは誰?」
「僕はユキノ。こんな姿だけど、元は人形でね。訳あって……あって……君を」
「殺してくれるの? お兄ちゃん」
度肝を抜いた言葉が僕の心に棘を刺す。
そうだよ、と頷く? うん、と肯定する?
この子は普通に生きれば変わっていたかもしれない。
父親が差別せずに愛情を注いでいれば、母親も声をかけて励ましてあげていたりすれば違ったのかもしれない。
そんなこの子を見て僕は言えるのかな?
「いいよ。お兄ちゃんはきっと私を殺しに来てくれた良い人なんだよね。私には父さんも母さんも、妹の千紗も殺した悪い子。その他の人も殺した悪人だから、お兄ちゃんは正しいことをするだけ。何も悪くない」
「……怖くないの? 躊躇なく刺すかもしれないよ。僕もこんなことになるまで気づけなかった悪い子だから、君のこと言えないんだよ。正しいことをするってことは君は死んじゃうってことなんだよ?」
「怖くないよ。お兄ちゃんは私より悪い子じゃない、それに同じ悪い子ならお兄ちゃんのほうが良い人な気がする。ねぇ、ほら刺して?」
テーブルの上に置かれた包丁を持ってくると、持ち手部分を僕に向けてくる。
女の子の顔は曇り一つなく、ただ殺されることを待っているかのようににっこりと笑う。
「僕は……」




