面影を残した人形
────どこ!? どこにいるの……千乃!
雨が降っていた夕方、久遠千乃は消えた。
その場所からではなくこの世界から消えたのだ。
ひたすらに闇雲であれ確証の持てない場所であったとしても、ただ一人の人形のために。
行く人、向かう人、出会う人、それはこの偽りである世界の幻であり虚像である。
学校に向かう子供たち、仕事に向かう大人たち。
それら全てがアイツが作った世界と少女は確信している。
「千乃────────ッ!!」
声の限りに叫ぶ。今ここにいない彼に向けて。
きっかけなど必要ないほどに一途であった。
理由なんて問わなくても、今動ける身体が証明している。
「はぁ、はぁ、千乃────ッ!!」
────お願い、どこにいるの!? どこへ行ったの!?
喉が枯れることなんて知ったことか。
走って倒れそうになろうと、靴がボロボロになっても素足で駆け抜けていく。
どこまで愚かで醜くても大事な……大切な人形だから、届かない手を伸ばす。
「『あなたに伝えていないことがあるから……!』」
突然、少女の目の前が白一色で包まれた。
真っ白で、ただ白い空間。その真ん中にポツリと一人の少女が椅子に座っていたのに気づいた少女は少女に尋ねる。
「『ここはどこなの?』」
大切な人を探さないといけない。
胸の内にあるこの気持ちを、約束を、たった一人の人形である彼に。
こんなところで彷徨っている場合ではないのは知っている。何故なら……、
「私が久遠明乃だからだ」
「あなたが、久遠明乃……」
既に両親は他界、頼れる親戚の家もなく形だけの紙の上での偽物。
仮面越しでの会話なんて聞き飽きた。
お前たちが欲しがっているのは私の遺産、私が死んだ後に残るお金だけ。骸なんて海に流す話も出ていたくらいだから、それが本音。
医師は言った。不治の病で、余命半年いけばいいほうだと。病院で薬剤漬けになるか、自宅で死を待つか。私は当然、後者を選んだ。否、選択させられた。
お金の無駄遣いだ、受け取るときに渡される額がゼロでは意味がない。
親戚で一番信頼していたおじさんの一言だった。
「そんな時、誰かが私に囁いた」
『お前が望むなら願いを叶えてやってもいい。ただし、その代償は────』
────お前が大切に思ったものだ。
私は言った。『人を消すことも?』
ソイツは口元を歪ませて下品に笑ってみせた。
そこから私の親戚、おじさんを含んで後を追うように原因不明の事故や心中……中には神に仕える身である巫女もいたらしい。皮肉だなと、ソイツは言う。
皮肉で構わないもの、私も遅くないうちにそっちに堕ちる。言われたくてもわかってる。
看護師や医師は勿論、近所に住む人間にも恐れられ怯えられた。
これであとは、ソイツに代償を払うだけ。
「だが、根本的なものがなかった。私が大事にしているものは、二人の人形。可愛らしい私の家族、片方は男の子で……もう片方は……」
ソイツはこう言う。それではダメだ、と。
つまらない、と一蹴してソイツは闇へ消えた。
何がつまらないものか、私にとっては人間よりも大切なものなのに。
「名前は勿論ある。ユキノとナツキ。私の名前から一文字ずつ取った名前でナツキは明るい季節の夏、ユキノは雪の季節。欲望の大人たちとは違う、この子たちがいる。たとえ私が死んでも、この子たちは────」
そんなある時の冬だった。
いつも通り来るおばさんのヘルパーが今日に限って遅れてやってきたと思い、文句を言ってやろうと玄関を飛び出した。
「『初めまして! 今日から久遠さんの身の回りのお世話をすることになりました! 立花千乃です!」
彼の第一印象は、可愛らしい顔をしたお嬢さん。
後に男の子だとわかった時は嘘をついているのではと疑うほど私が見間違えていたことに気づいた。
けれど、容姿がただよくても仕事はまともには出来なかった。
食器は割る、洗濯物の区別、椅子を使っても届かないという身長の低さ……他にもいろいろ。
────でも、決定的に何かが違っていた。
親戚の人間や看護師、怯えた目つきで見る近所の人間とは違う何か。
「当初の私からはそう、ただのお手伝いさんにしか見えていなかった。今日も皿を割って怪我をしないか、洗濯物で困っていないか、背丈より高いものを取ろうとしていないか……と思ううちにいつしか彼のことを想っていた」
小さく伸ばしてくる右手を私の弱々しい手でそっと支える。彼はありがとう、と言った。
初めてだった。人から感謝をされることに戸惑って私は伝えることも出来なかった。
「『私は何もしていない、ただの人間』」
『あなたに出会えたから今の自分がいる、あなたと一緒にいるこの時間が一番嬉しい。だから、ありがとう』
泣くことも、笑うことも、誰かに感謝されることもなかった私にとって唯一の彼と思えた瞬間だった。
彼と過ごす日々。彼が笑う陽だまりの景色。
「神様、お願いします。こんな私でも、こんな醜い私なんかでもっ、大切な彼と過ごす時間をもう少し私にください……!」
だが、それは叶わなかった。
私が眠っていた病室のベッドの足元で冷たくなって眠っていた。脈がない、息もしていない。
体温も感じない身体に必死で呼びかける。
けれど────返答なんて、返ってくるはずもなかった。
私が必死に叫んでいたところにソイツは代償は支払われた、と呟いた。
「今更になって思い出した、ソイツの代償を。大切なものを私から奪っていったのは誰なのか」
他ならぬ、私自身だということを。
漠然と立ち聴きしている少女は一瞬驚く素振りを見せるも、一人呟く少女にこう質問する。
千乃はどこなの? と。
急がば回れ、とかつての人は言う。
だが少女はこう告げる。
「『私はただの傍観者だと。私が出来ることは何もない……』」
「久遠明乃なら、なんで助けてあげないの!? なんで見てるだけなの!? あなたなら千乃を助けてあげることだって……ッ!!」
「無力だからこそ此処にいるの。無力で何もできない私に出来るのは、此処で待つだけ。だから、ナツキ。あなたに託した、私の思いを。消えた家族を、あの子を……もう一度お願い……、千乃を助けて」
「わかってる……わかってんのよッ!! だったら、傍観者らしく一つや二つの解決策はあるの!?」
「……ある。その方法は────」
♢
少女は走る。
大切な家族を助けるために、託された願いのために。
「無力だからこそ私なりに千乃を手伝っていたんだけど、あんまり効果なかったかな」
手に持った古く錆びれた黒い携帯。
私が千乃の親友に渡しておいたぬいぐるみの中にこっそり入れておいた。
後は電話するだけなんだけど、電波が繋がる時が滅多にないからイマイチなんだよね〜。
「あとは任せたよ、ナツキ」




