終わりへのプレリュード
────久遠明乃。
僕が幼い頃に交通事故で、それに、それに……!
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが生きてるはずない! そんなわけない! だって、だってッ」
だって────?
わからない、わからないわからないワカラナイ、ノニ、僕は何を言ってるの?
お姉ちゃんなら、あの時の事故で……違う。
「……ユキ。もう、苦しまなくていいの。泣かなくてもいいの、寂しい思いをさせてごめんね」
「おねぇ、ちゃん……」
白く細い腕を伸ばして微笑む顔は当時と同じ。
優しくて、温かくて……違うッ。
僕にとって唯一の家族で肉親で……チガウッ!
『ユキ、お姉ちゃんのこと────』
─────思い出せ、千乃。
伸ばされた両手を払いのけると左手に拳を握る。
樹が言った言葉が脳裏に響く。
驚愕の眼差しと悲しみを浮かべたお姉ちゃんに対して、目元から涙が溢れてくる。
……ごめんなさい、お姉ちゃん。
唇を噛み締めて喉から言葉を絞り出す。
「アナタは誰なんですか」
「ユキ? どうしたの? ほらっ、私のところに」
「お姉ちゃんは、お姉ちゃんはッ! そんなこと一度もない! だって、お姉ちゃんは僕のことをユキって呼んだことなんてないんだから!!」
断片的にだけど、思い出した。本当のことを。
お姉ちゃんはいつだって名前でなんて呼ばなかった。
そもそも、僕が勝手にお姉ちゃんだと思っていただけだったんだから。
では、今目の前にいるアナタは一体────?
「────はぁ、今更なのか。なんとも滑稽なお遊戯会と思いきや客席に物を投げ込むほど野蛮なモノだったとは……ますます呆れたものだ、千乃。真につまらない」
口調はガラリと変わり、車椅子に座りながらも足を組む目の前の女性。
つまらない、と吐き捨てるこの人は誰なのか。
「アナタは、誰なんですか?」
「それは一番お前がよく知ってることだ。最初から説明しようものなら、時間を要する。私は特に時間厳守でな……この世界の時計を合わせるのにも一苦労。学校だの、家だの、恋愛だのと多く夢見た願いがここに集まって一つの集合体となった。それがこの世界だ」
「何を言ってるんですか。樹や優衣さん、那月、さらには罪のない人ばかりを巻き込んで何が楽しいんですか!」
「楽しい? 何か勘違いをしていないか? この世界はあくまでも集合体、数多の思いが集まってできた妄執とも呼べる願い。私はそれを叶えただけに過ぎない。まぁ、くだらないほどに……ふふふ」
「何がおかしいんですか?」
「手に入れた幸せは奪われ、本能に逆らえず喰らうことを選んだ者。やっと叶うかもしれないと思ったのも束の間、天からの怒りを受け朽ちた者。自分が何故こんなことをしたのか訳もわからず、駒になった者。過去の行いで未来を奪われてしまった者。哀れだなぁ、全部仕組まれたとも知らず使われていたとも知らず」
『うんめーさん』、『乙女椿』。
真水さんに『シホちゃん』。
全部、この人の仕業だったのか。
人の心を勝手に弄んで、踏み躙って同情だなんて怒りが治らない。
「まあ、立話もなんだから愛しの我が家にでも入ろうか〜? ラストにまだ少し早いんだよ〜、ユキちゃん」
「アナタがその名前で呼ぶなッ!!」
挑発するような笑みを浮かべて家の中へと入っていく。
後を追いかけようとドアノブに触れ、外側に引くと家のリビングだった。
生まれてからずっと暮らしている家のリビングでソファーやテレビもある。間違いない、我が家だ。
「ユキちゃん」
「……ッ!? 優衣さん!? どうして僕の家に……というか、どうしたのその服装!?」
いつの間にか背後に立っていたのは、優衣さん。
その服装は雨にでも降られたのではないかというほど濡れていて、所々ボロい。
二つに分かれたツインテールも解かれていてストレートに伸びている。
何があったのかわからないけど、どうしてなのかこの姿を知ってる。
「ユキちゃん。私ね、ずっと前からユキちゃんのこと好きだったの。えへへっ、おかしいよね。こんな格好で汚い姿で好きだなんて言われたら誰だって。でも、私はもう気持ちに蓋をしたくない。だからね……」
勢いよく抱きついてきた優衣さん。
咄嗟の行動に驚いたけど、なんとかその場に踏み止まる。
甘酸っぱい香りと同時に少し土の匂い。
「……ギュッと、抱きしめて。強く強く、私を離さないように離れられないように……優しく頭を撫でて、いっぱい私を好きになって」
「優衣さん……」
普段から陽気な雰囲気で元気いっぱいに挨拶をしてきて、何よりそのおかげで毎日が少しだけ明るい。
夏休みのときに会ったときと同じように暗くて放っておけば消えてしまいそうなほど脆い。
『宵闇駅』からどうやって戻ったか、どうやって戻ってきたか知りたいけど今すべきことは違う。
僕の気持ちは当に決まってる。
「ごめん、優衣さん」
「どうして、どうしてなの……私はこんなにも報われなくてっ、お母さんは私より他の男と遊んで……それを見たお父さんはお母さんを────だからッ! 私だけは幸せになりたい! お父さんやお母さんみたいになりたくない! ユキちゃん、お願い……私と一緒に暮らそう? ねぇ?」
優衣さんは明らかに依存している。
久遠千乃という存在に。
同情は最大の侮辱と言える、けど本人のためにも僕ははっきりと言わないといけない。
家庭事情に何があったのかは知らない。
でも、それでもはっきりしておかないと。
「優衣さん」
「嫌だッ!! 聞きたくない! どうして、どうしてどうして……ユキちゃんだけが私の……!」
「ごめんなさい。優衣さんの気持ちは受け取れない」
「……ッ……!? そう、なんだね。ユキちゃんの気持ちは変わらないんだね、わかったよ。ありがとう、私のわがままを聞いてくれて」
ゆっくりと離れていく優衣さんの目尻には涙が溜まっていて、今にも溢れてしまいそうに。
右手には強く拳を握っていて必死に堪えてる。
「優衣さん、その……」
「────来ないで、くれる、かな……ぅぅ……ッ……こんな私を見て欲しくないから……!」
背を向けてリビングを走って出て行く。
申し訳ない、ごめんなさい。
口ではそう言えてしまえるけど、言葉は諸刃の剣。
一つでも間違えれば殺めてしまうかもしれないほど恐ろしくて、口にするのには相応の責任も伴う。
年を重ねるごとにそれは大きくなっていき、やがてはどちらかを選ばないといけなくなる。
そう……お姉ちゃんに教わったのになぁ、なんだろうなぁ僕は。
「酷いものだなぁ。受け入れておけば良かったはずなのに、それすらも拒否するとは」
今度はソファーに腰掛けて足を組む女性。
いい加減、その容姿で僕の前に現れないで欲しい。
「私に名前なんてのはない。勝手につけてもらいたいんだが……というか気づいているんだろう? 私が誰なのか、皮肉混じりでも構わないよ〜?」
「僕自身も信じたくないけど、あの時のことを忘れてない。アナタだったんですね────真冬さん』




