幻想
ボツ、ポツッと雨の粒が髪を濡らす。
次第に勢い良く出てくる水道の如く、大雨が地面と僕に降り注ぐ。
あの後────優衣さんの姿はなく、ただ一人僕だけがその場に残されていた。
無人駅からの帰り道、重い荷物なんて持ってないはずなのに身体が重く足を引き摺るように一歩ずつ歩いていく。
冷たい雨は身体を濡らし、心は氷の凍らせるばかり。
『シホちゃん』の言うお姉ちゃんって誰なの?
それに、不可解なことが出来すぎている。
「千乃!? どうしたの!?」
「あっ……那月」
いつの間にか家の前まで歩いていた様子。
傘を差して僕を待っていたのかな、こんな僕を。
「那月、教えて欲しいことがあるんだ」
「身体が冷えるから家の中で」
「僕は生きてるの? 『シホちゃん』が言ってたことをよく考えてみたんだ。欲しいもの、僕が願った欲しいものを叶えるために来たんじゃないかって。だとしたら、僕が願ったものって」
「千乃!」
静止する声を振り切って言葉を紡ぐ。
いつかに話していた時の言葉を。
「前に言ってたよね、消させないだっけ? 本当は僕ってさ」
「それ以上は────」
「死んでるの?」
─────────ザザッ ザザーッ……プツッ
「……乃、おい! 千乃!」
「えっ? 樹?」
「えっ? じゃないだろ、人が必死こいて話しかけてんのに無視しやがって。さてはあれか、寝不足か?」
なんで、神崎樹が? しかも、目の前に?
身体を揺さぶるこの手やこの声は本当、なの?
周りの景色は学校の教室で僕のクラス。
カーテンがかかったみたいに窓の外は暗く、教室もそれなり明るく感じない。
蝋燭の灯火のように薄らとしか見えていない。
自分の席に座っていて目の前には樹が────神崎樹が僕の目の前に立っている。
「い、い、樹が、いいい生きて──」
「る、わけがない。そんなの百も承知だよ、千乃。それは俺だけが言えることじゃない。……まぁ、いきなりじゃ仕方ないだろうから、来いよ。案内する」
「ちょっ、ちょっと……!」
廊下へと足を進める樹を追いかける。
教室の扉を潜ると、廊下ではなく中学の時の通学路が広がっていた。お地蔵様が坂の上にあってそこで樹と初めて話した場所……でも、『宵闇駅』で見た景色では────。
「俺はとっくに死んでいた、だろ?」
頷くことも言葉を発することもできない。
本人を前にして思うことは、不可解な恐怖感。
「だけどな、それはあくまでも半分。本当の事実としては……長くなりそうだからやめとく」
「長くなりそう、だからって……僕は今知りたいッ! なんで僕がこうなってるのか、なんで僕が、死んだことになってるのか。知らないといけないんだ」
「本人に聞いてみたらどうだ? 第一に千乃が思い出さない限りは俺も何もできない」
ただし、と言葉を切る刹那、胸ぐらを掴まれる。
グイッと引き寄せられた手は震えていて、その瞳は何かを悟っている────否、理解している。
「千乃が信じた道なら構わない。けどなッ、周りに流されて自分の願いすら忘れるようなら……俺が殴ってやる。親友としてな」
「樹……」
ゆっくりと手を離し、襟を直してくれる樹。
「思い出せ。もしかしたら────」
────────ザザッ ザザーッ……!
画面にノイズが混じったかの如く樹の声も姿も、その場の風景さえも歪んでいく。
「樹──ッ!?」
伸ばした手は空を切り、その場に膝を着く。
最後に言いかけた言葉さえも碌に聞くことが出来なかった。
また会えたのに、なんでこんなことをするの?
「どうして、どうしてっ……ぅぅっ……!」
泣いていたってしょうがない。
そう自覚をしていても、自然と涙は溢れてくる。
……立たないと。立って、歩いて、行動に移さないといけない。
「僕が何を忘れるのか……思い出さないと」
肩の袖で涙を拭って前を向く。
ここで躓いていたら樹に殴られる、そんな気がする。
ゆっくりと立ち上がると周囲を見渡してみる。
住宅が並んでいて目の前には十字路、後ろは道が続いているようだけど先が霧に包まれているように見えにくい。
足元はやや湿っぽいためか、ストッキングの膝部分が多少濡れている。
頭上の空は曇っていてあまりいい天気とは言えない。
「前に進む、でいいのかな」
十字路ということは道路、つまりは車が通っている可能性がある。もしかしたら、通行人か誰かに出会えるかもしれない。
足元に気をつけながら足を運んでいく。
それにしても不思議だと思う。こんなに密接した住宅が並んでるというのに子どもの声もしないなんて。
学校にしてはあまりにも静かすぎて不気味すぎる。
誰もいない、それが本当なら、もしかすると……。
────キィィッ キィィッ……
十字路までの一歩手前。どこからか異音が聞こえてきた。タイヤと地面が擦れるような音、というより油を差していない車輪を回している音。
────キィィッ キィィッ……
だんだんと近づいてくる音。身を隠す場所もない。
心音がドクン、ドクンと跳ね上がってきている。
両手には汗が滲み出ていて辺りを見渡しても何も見えてこない。
出会い頭ということもある、無闇に動くとさらに危険性が増す。
このままやり過ごすこともできる。でも、必ずその音の正体が安全とは限らない。
──────キィィッ……
音が止んだような気がして肩から力を抜いた刹那、目の前に顔の見えない女性が車椅子に座っていた。
黒いカーテンを顔に覆い被さっているようで全く表情はわからず、ただ女性だというのは認識できる。
十字路の真ん中に突如として現れた車椅子の女性。
恐怖か後悔か、もしくは今すぐにでも……なのに。
必死に脳からの信号で足を後ろへと動けと念じているのに、膝から下が動かない。
『…………帰るわよ』
声音は柔らかく弾んでいて、どこか喜んでいる。
車椅子の女性は車輪に触れず回れ右をすると前方を進んでいく。帰る? どこに? 初対面のはずだけど。
『……ふふっ』
明らかに不気味すぎて落ち着かない。
何らかの影響で後ろには下がれないし、逃げられない。なら、前に進むしかない。
ゆっくりとした足取りで女性の後ろを歩いていく。
当然、会話などしたくないと思える。
見知らぬ人ならまだしも今目の前にいる女性の顔が全く見えない、疑心暗鬼になったほうがマシなのか。
『……久しぶりね』
話しかけてきたのか、それとも独り言なのか。
何にしろ会話をする気にはなれないのが事実。
女性と僕が十字路を抜けて真っ直ぐに進んでいくと不意に女性が車椅子を止める。
『……覚えてない?』
一体何を覚えてない?
話が見えてこない、苛つきが増してくる。
『……そう、なら、この顔を見ても?』
「……ぇ……っ……!?」
女性が車椅子ごと振り返る。
頭の中が全て真っ白く塗り潰されていく。
目の前で起こったことに処理が追いつかない。
なんで、なんで────、
『─────おかえりなさい、ユキ』
車椅子の女性、もとい、久遠明乃が優しく微笑んでいた。




