大切な……
フェンスが一切なく屋上の背後は何もない、下にはコンクリートの地面。
真水さんと那月の背後は一歩進めば、二人の死。
対して僕は妙な感覚に襲われている。
「真水さん、なんでこんなことを?」
「なんで? それは私が聞きたいよ。生まれたときから私は化け物と言われ、父親には殴られて母親はただそっと謝り続ける毎日……むしろ、開放されたほうだよ」
「それが、例え親を殺しても、ですか?」
「……ぷふっ! あははははっ! 当たり前だろう? 真の自由ってのは誰かを殺してでも手に入れるものだ、例えそれが誰であっても……ねぇっ!」
真水さんが左手に持っているナイフを思いっきり那月の右腕を刺す。
刺された制服の腕の部分から滲み出るように広がっていく血、それを見て不気味に笑う真水さん。
「ぅっ!!」
「那月ッ!!」
「おっと、一歩でも近づけば君の大切な女の子が命を落とすよ? まぁ、動かないと私がこの子を殺しちゃう可能性があるからどちらにしろ、動かないといけないか〜」
「ぐぅっ……!」
唇を強く噛みしめる。動かないと助けられない。
でも、動けばあのナイフで那月が殺されてしまう。
一体、どうすればいいんだ。
考えろ、真水さんを止めて那月を助ける方法を。
「真水さん。あなたの気持ちはわからないけど、あなたがやっていることは間違ってる!」
「はぁ……まーた偽善を振りかざす気? 悪いけど、私には最初からそんな良心なんてのはない。あるのは抑えようのない悪意だ。君のことも知ってるよ? 久遠明乃が何故、死んだのか」
「お姉ちゃんは関係ない! お姉ちゃんは……!」
十年前の冬、当時十七歳という若さでこの世を去った実姉────ザザッ────久遠──ザザッ──あけ────の?
────あれ、ナンデ、お、ネ、ぇ、ちゃ、んが───ザザーッ
『あはははっ!! こ、ら、あァ────ぁ────』
途切れたビデオテープのように波が激しく頭の中で揺れていく。
お姉ちゃん。明乃、お姉ちゃん……どこ?
なんで、ナンデ、置いていくの? 置いてかないでよ。
「お姉ちゃんは……」
『ユキ』
待って、待って、待って!
お姉ちゃん、僕を置いてかないでッ!
僕を一人にしないで、お姉ちゃんッ!!
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」
なんで、なんでなんでナンデッ!!
「思い出せない? なんでだろうね〜?」
「はぁ、はぁ……っ! 何を知ってるって言うんですか! あなた、なんかに」
頭が痛い。割れそうなほど痛い!
思い出そうとすれば、思い出すなって言われてるみたいだ。
その場で膝を着いて、右手で重い頭を抱える。
息も荒くて、まともに呼吸すら出来そうにない。
「教えてあげようか? 君の唯一の肉親だったお姉さんはね、実は……!」
「教える必要はない」
突然、左腕を引っ張られて強制的に立たされると同時に左頰に────パシンッ!
強い痛みを感じて一気に目が覚める。
目の前がやがてクリアになるとそこに立っていたのは真冬さんだった。
白と黒が絶妙に合わさったヘッドドレスにベージュのワンピース、片手にリュックサックを持って僕の隣に。
最近、会えてなかったからなのか。
今目の前にいるのが本物か、どうかわからない。
「千乃、男ならはっきりしろ。中途半端なやつは嫌いだ」
「……真冬さん」
「ッ……!? こ、こらっ、千乃!」
でも、少なくともここにいるのは真冬さんだ。
人前だろうが関係ない、今はこうしないと落ち着かないから真冬さんに抱きついた。
甘くほのかに香ってくる匂いに顔を埋める。
こうしていたいけど、今は真水さんを止めることに集中しないと。
「全く、最近の子供はこんなことを躊躇なくするものなのか?」
「真冬さん相手だから、するんだよ。僕は」
「そういうのはせめて、場が違えば多少は嬉しかったよ」
互いに正面を向くと怒りに満ち溢れた真水さんがこちらを睨んでいた。
那月を抑えている腕にも力が入っているのか、とても苦しそうに呻いている。早く助けないと。
「なんで、なんでナンデ! なんでだ!! 私の計画は完璧なはずなのに、何故邪魔をする!」
「そんなこと聞くまでもない。大切な家族だから、お前には一生理解できないことだろうよ」
「わからない、理解できない! あともう少しで、あともう少しで……台無しだ!」
相手は激情状態。さらに怒らせれたら、今度こそ那月の命が危うくなる。
こっちの危機が一部去っただけでも楽だが、問題はどうやって真水さんから那月を離させるか。
……いや、待て。もしかしたら、行けるかも。
「真冬さん、そのリュックサックって僕の?」
「お前の以外で何がある?」
「ちょっと貸して!」
「貸すも何も」
リュックサックから今回の探索で収穫したものを取り出す。
それを手に取ると僕から見て左側へと投げつける。
「……っ……この匂いは!?」
脱兎の如く、一瞬にしてそれを掴む。
またたびに酔う猫のように血の匂いに惹かれている真水さんを横目に那月を助け出す。
僕がさっき投げたのは、赤黒い布。
これには多少、血の匂いが残っているからどうなるかと思ったが上手くいった。
「大丈夫!? 那月」
「大丈夫……千乃、私はいいから。あいつを止めて」
「……うん、那月はここで休んでて」
案の定、右腕以外は怪我してなくてよかったがまだ油断は出来ない。
真冬さんの後ろに那月を隠すように僕が前に立つ。
「……ふふっ、たかが人間にしてはよくやると思うよ本当に。でも、私からしたらそこまでの人間だよ。だから安心してよ、私が一滴残さず忘れないであげるからさ」
「結構です。人であれ、親であれ、これ以上増やさないためにもここであなたを倒す!」
真水さんの父親と母親、受付にいた女性看護師、廃墟ビルにいた男性……そして、川岸みなみさん。
これ以上、犠牲者なんて出さないためにも。
これ以上、真水さんが同じ罪を繰り返さないために。
「いいねぇ、ますます気に入ったよ。血だけじゃダメだ、抑えきれない。君の指先から足先に至る骨まで全部食べてあげるから────死んで?」
「残念だがそれは不可能だ、化け物。よくも、私の弟を傷つけた、挙句に那月まで怪我をさせた。ただで地獄に行けると思うなよ?」
ふふっ、と真水さんは笑うと顔から身体が徐々に変化していった。
スラッとしていた背筋は丸くなって、口元は三日月を形作るような不気味な笑みと鋭い八重歯。
瞳は真っ赤に染まり、その姿はまるで血に飢えた兎のように。
腕や足は人間のはずなのに、最早こっちが本物と言わんばかりに違和感すら覚えない。
「ふふっ、さーて、今日のご馳走は誰になるのかな?勿論、私は久遠君の血が一番大好き! どう、殺したら美味しく食べれるかな〜? 足から? 首から? 血抜きして君の死体を見ながらでもいいなぁ〜、あはははっ!!」
これ以上、話すのは不可能だと身体が警笛を鳴らす。
真水さんも必ず救えるものがあるはずだ、絶対に。




