遺言
扉は思いの他、ゆっくりと開いた。
どこからか風が吹いているらしく開いた直後にブワァと強風が吹き抜ける。
入り口から室内を覗くが真っ暗で何も見えない──ん?
こちらの明かりに照らされて入り口付近の足元に懐中電灯が落ちているのがよくわかった。
室内は暗い。一応、持っていこう。
カチッ カチッ
接触不良なのか、あまり残された電池が少ないのかはわからないが点きにくい。
────カチッ
やっとの思いで点いた光を室内へ向けると、目の前は行き止まり。真っ白なコンクリートの壁一枚。
先ほど懐中電灯が落ちていた床へ光を向けると、入り口付近から壁一枚分離れて地下へと階段が続いている。
「行こう」
足元に気をつけながら階段を降りていく。
地下故になのか足音一つでも、よく響き渡る。
階段を降りた先の真正面を懐中電灯で照らすと、そこには使い古された白いベッドがあった。
よく見ると血痕の跡が染みている。
周りに視線を向けるとベッドの左側の足元にカビの生えたパンと変色した水、濁った何かを入れた小鉢。
洋式トイレがベッドの右側にあって異臭がする。
「誰かがここに?」
監禁されていたと捉えるべきだろう。
この状況からして相手こそわからないが、酷い扱いを受けていてこの場所に捕まっていた。
ベッドの下を覗くと鎖で繋がれた足枷が二つ、恐らく逃げないようにするため。
────ガタッ
突如、背後からの音に驚き咄嗟に懐中電灯を向ける。
そこには、白骨化した男性の遺体が壁に寄りかかるように座っていた。
音の正体がこの男性の遺体なのか?
「なんだろう、これ」
男性の遺体の首元を見ると、ボイスレコーダーが首からぶら下げるようにかけていた。
まだ年季も経ってはいない。使えそうなものだが、果たしてどうなのか。
ボイスレコーダーのスイッチを押してみることにした。
ザザーッ……と流れてくるノイズ音が冒頭に聞こえて、やがて晴れると同時に何やら誰かの会話が聞こえてきた。
『だから言ったんだ! 不完全だと!』
『それでもやらなければいけなかった! なのにあなたは……!』
『大勢の人の目に晒されてしまう。ならば、私があれを殺さないといけない!』
男性の声と女性の声が勢いよく飛び交っているのが聞いててよくわかる。
だけど、不完全? やらなければいけなかった?
『それにまたあれは欲しがったそうじゃないか。これではまるで……』
『私はそれでもあの子を愛してます。あなたとは違って』
『おい! 何をする、離せッ!』
ブツッ……と音声はそこで途切れてしまった。
この音声二人の子どもが雑誌で読んだ女性なら、辻褄が合うかも。
また血を欲しがっていた、ということは幼少期から頻繁にと考えられる。
もし、この男性の遺体とさっきの声が同じ人ならここで監禁されていた人なのかもしれない。
「けど、不完全とも言っていた。何がどう不完全なのか、よくわからな────」
────カチッ
突如、ボイスレコーダーが巻き戻しされていく。
スイッチを押して止まったかと思いきや、何の前触れもなく再生された。
『……この録音を聞いているということは私はもう、この世には存在しないだろう。あれによってなのか、それとも私の妻の仕業なのかはどうでもいい。それよりも、ここにある結論を告げることにした、まずは────私の娘について』
この男性の声から察するに父親だろうか。
重い口を開けるように、一つ一つ言葉を絞り出していく。
『私の娘は人間として不完全だ。これは人間は不完成のままだからこそ完成を求める、などのことではなく常識すらままならない……人間としての正常な判断というのが全くできないのだ。だから、私か妻が付きっきりで見張ってないといけない。普段は危害すらないが、決して話しかけられても、話さないで欲しい。娘と一度話せば、最後……殺されることになる────現に、私の妻が殺された』
言葉の重みというものなのか、実際に思い当たるものがあるからか。自然と額から汗が流れ落ちる。
『娘は相手の弱っている部分を的確に見つけては容赦なく追い詰めて、苦しむ様を見るのが好物だ。これは紛れもない異常性故、私は毎日同じ時間帯に精神安定剤を与えた。幸いにも私は医師、理由さえつけば簡単に手に入ると言える。だが、ある日……娘が、私の娘が……』
────プツッ
話の途中で区切るかのように止まる。
ボイスレコーダーの音声の正体がこの男性だというのは明白。その娘というのはもしかしたら……。
わかっていながら目を逸らすのはいけないこと。
でも、迷ってしまったせいで那月や関係ない人が巻き込まれた。
死なずに済んだ人間だっている、僕が目を逸らしたから……僕が一番の偽善者だ。
必ず止めてみせる、絶対に。
♢
階段を駆け上がって那月がいる元・『真水診療所』があった廃墟ビルを目指す。
道の途中、パトカーを見かけるもそのまま走っていく。
廃墟ビルの入り口へたどり着くや否や、駆け足で階段を上る。
「ぐっ!? なんの、これしき……!」
階段を曲がる際に大きく捻ってしまい、左足首が再び悲鳴を上げる。
痛みをなんとか堪えながら階段を駆け上がる。
最上階の屋上の入り口が開いているのに気づくと一目散に飛び出した。
「那月──!」
視界がクリアになると目の前に映ったのは、左手にナイフを持って那月の首元に突きつける真水さんの姿があった。
「おや、早かったじゃないか? 父さんとはお話できたかな?」
「……ッ!? なら、なんでこんなことをしたんですか! あなたを庇っていた母親まで殺して、父親さえも見捨てて何が楽しいんですか!」
「何が……そうだね。何も楽しくなんてなかったさ。でも、初めて人の血を舐めたとき私はとてつもない美味を感じた。とても美味しいと思えたんだよ、だから────久遠千乃君。君の血が欲しい。一滴も残さず飲み干してあげる」
不気味なまでに笑う真水さん。
三日月のような笑みに赤く染まった瞳は異常なまでに見開いている。
これまで相手をしてきた相手とは別格。
しかも、生きている人間というのが一番の違い。
「あのとき初めて嗅いだ君の血の匂いはとても甘味が深くて味わい深く、何より私が初めて舐めたあのときの味以上だ! さぁ、千乃君。こっちに来たまえ」
「ダメッ! 千乃、逃げて!」
「どうしても来ないのなら、この子の命がないよ?」
「早く逃げて! 千乃!」
この状況を楽しむかのように笑う真水さんと葛藤する僕、逃げてと叫ぶ那月。
どちらかを取れば確かにどちらかは助かる。
だけど、どちらかは確実に殺される。
どうしたら、いいんだ!
「選びなよ、この子の命か自分の命。どちらを差し出すかを」




