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走るなメロス

作者: かえで

メロスは激怒した。必ず、かの分からず屋の妹を説得しなければと決意した。


「妹よ、兄は行かねばならぬ」


「出来ません。せめて訳をお話ください」


 あすの日没までは十分に時間がある。だが間に合わなければセリヌンティウスは処刑されてしまう。ならば今すぐにでも出発しなければならぬ。


 村人が歌い笑い熱気溢れる家屋の中、二人に間にだけただよらぬ空気が流れていた。


「訳は言えぬ。だが兄は正しき事をするのだ。誇りに思ってほしい」


 それだけ言ったメロスは外への扉に手をかけた。その手を妹が強く掴む。


「兄様は私の誇りそのものです。たった一人の家族です。何もかもを知った家族です。さぁ、訳をお話ください。でなければ、私はこの手を決して離しません」


 妹の瞳の中にメロスが写る。実直で邪悪に敏感なメロスが妹の中に居た。


 叶わぬ。岩のように強い意志を持った妹に力負けした。


「セリヌンティウスとは竹馬の友であった」


 ついぞ観念したメロスは全てを妹に打ち明けた。妹の気が少しでも紛れるよう冗談を交えて話した。


「買った娼婦が同じだった時、私とセリヌンティウスは真に結ばれたのだ」


 哀れ、単純で正義に燃えた男の冗談は少しも笑えはしなかった。


 話終えた時、妹は顔を青冷めた。あまりの事に言葉を失い、数度眼を瞬きさせた後、声を大きくして泣いた。誰もが耳を抑える程に声をあげて泣いた。


 婿がすぐに妹を強く抱きしめた。


「何故そんなに泣くのだ、妻よ」


「言えません。私にはこんな残酷な話、とても出来ません。兄が哀れです」


 村人の視線が一斉にメロスへ注がれた。


「メロス様は既に私の家族です。私の家族が最も嫌う事、それは嘘をつく事です。全てお話ください」


 哀れメロス。またも笑えぬ冗談を交え全てを打ち明けた。


 村人は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除くかなければらぬと決意した。


 人々は決起し、王を討つと声をあげた。


「ならぬ! 佳き村人、あなた達が死ぬ事があってはならない!」


 メロスの声に村人が一斉に静まり返る。決起あげようと、この村一つで王を討てない。


「処刑されるのは私一人だけでいい」


 村人達があげた手を下ろす。だが、とりわけ屈強な男が再び拳をあげた。


「私は市の民、ソフォクレスだ。決起を起こさんとしている者はこの村だけでは無い。既に市民は王を討つ準備が出来ている。我が仲間メロスを処刑させはしない。メロスの友もまた同じだ」


 生まれの村へ帰って来ていたソフォクレスは、民が王の悪政に怒り、反乱を企てている事、その時は明日の夕暮れだと告げた。


「斯様に、この村の皆が加勢してくれれば我々は十二分に勝利する事を誓う!」


 ソフォクレスの声に誰もが雄叫びをあげていた。


 メロスがよろめき、離れに向かうも既に誰の眼にも止まってはいなかった。積まれた藁を抱き、メロスは落胆した。


 ああ、何と言う事だ。夜でも皆が歌をうたって、賑やかだった町は恐ろしい戦火に包まれようとしている。そして我が佳き人達は皆業火に焼かれるであろう。


「おお、メロスよ。諦めてはならぬ」


 背後に白い髭を蓄えた老人が居た。


「私は王の臣下である。メロスよ、お前の事を見張っていたのだ」


 嘆きも忘れ、メロスは憤慨し立ち上がった。


「王は卑怯者だ。私は逃げも隠れもしない」


「王は悲しき人だ。お前に王の孤独は分からぬ」


 メロスは嘲笑した。


「王は孤独のまま、討たれ死ぬのだ」


「だが、そのためにお前の村人も多く死ぬだろう」


 刻まれた皺の奥に、老人の眼があった。暫しの沈黙があった後老人が口を開いた。


「メロスよ、村人を、町を、王を救って欲しい」


「私とて皆を救いたい。だが、もうどうしようもならない」


「今、村を出ればあすの昼には町へ着くであろう。私もまた馬で王の元へ向かう。良いか、メロス。時間寸でに処刑台へ辿り着くのだ。そして叫ぶのだ。殺されるのは、私だ! と」


「それでどうなる」


「王には二人を許すよう伝えよう。友情に感化し、二人を許そう。民もまた王を許すであろう」


 腕を組み、メロスは長く唸った。


「民の心はそんなに単純ではあるまい。王は既に何人も処刑しているのだ。その罪を許しはしない」


「いいや、そうなる。必ずそうなる。民は信じたいもの信じ、我ら為政者はその望みを叶え民を誘導する。多くの人間はこの話で阿呆のように感動するのだ」


「なれど」


「最早これに賭けるしかあるまい。急げメロス。走れメロス」


 メロスは激怒した。見知らぬ老人に犬のように走れと命令された事に激怒した。


 しかし他に方法も無く、メロスは胸にしこりを残し村を出た。




 メロスは走った。最初は力いっぱい。途中の小川で水を浴び、少し休憩をして、その後は余力で走った。それでもなお、昼には町へ着いていた。


 町を一望出来る丘からは、塔楼が見えた。鎖に繋がれたセリヌンティウスが十字架へ連れられている姿が見えた。


「友よ、今暫く待ってくれ」


 セリヌンティウスは堂々と胸を張っていた。メロスが来る事も寸分も疑わず、清らかな落ち着いた表情をしていた。胸を打たれたメロスが、その様子を見つめていた。ゆったり着いたとは言え、走り疲れたので少しばかり横になって、自分を信じた友を見下ろした。


「セリヌンティウス、君は真の友だ」




 やがて、日が傾き始めた頃メロスは町へと降りた。


 途中、井戸があったので頭から水を被った。


 すぐに全速力で路を走る。人々が仰天して、メロスを見た。


 陽が沈みかけ、赤くなりはじめた。頃合いはちょうど良い具合だった。


「ああ、メロス様」


 うめくような声が走るメロスに聞こえた。


「誰だ」


「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます」


 若い石工は隣走しながら叫ぶ。


「もうすぐ、あのお方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも早かったなら!」


 失笑の漏れたメロスは誤魔化すためにせき込むフリをした。


「まだ陽は沈まぬ」


「やめてください。走るのは、やめてください。今はご自分の命が大事です」


 この間抜けにいささか笑みの漏れたメロスであったが、すぐに煩わしく思えた。適当な事を返していたらフィロストラトスは消えた。




 余力を持って刑場に辿り着いたメロスは、わざと顔を苦痛に歪ませ人々をかき分けた。


「私だ。刑使! 殺されるのは私だ! メロスだ! 彼を人質にしか私はここにいる!」


 磔にされたセリヌンティウスの足にかじり着き、あらん限りの声をあげた。群衆がどよめき、拍手が起こった。


 セリヌンティウスは縄を解かれた。


やったぞ。私はやり遂げた。


メロスの視線の先にあの老人が居た。王の隣で何食わぬ顔をしてメロスを見ていた。


 どうだ、臣下よ。私はやり遂げたぞ。


 その心を悟ったように老人は首を振った。


 メロスは困惑した。言う通り、時間寸でに間に合い、友を解放した。一体何が問題なのか。


 だがすぐに理解した。群衆はどよめいたが、歓声はあがってなかった。時折あっぱれと聞こえるだけであった。


「セリヌンティウス!」


 友の名を叫んだ。刑場に、友の処刑を見に来る野次馬達に聞こえるよう大きく叫んだ。


「私を殴れ。力いっぱい頬を殴れ。私は途中一度、悪い夢を見た。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ」


 セリヌンティウスは頷き、刑場に鳴りひびくほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み


「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はたった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれて初めて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」


 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの右頬を殴った。


「ありがとう、友よ」


 二人は同時に言い、力いっぱい抱きしめた。


 群衆から割れんばかりの拍手喝采が聞こえた。


 暴君ディオニスが二人の傍に寄り、顔を赤らめた。


「お前らの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。どうか、わしも仲間に入れてくれまいか」


「王様万歳!」


 群衆の中に居る、とりわけ身なりの良い者が声をあげた。次いで別の、やはり身なりの良い者が「王様万歳!」と叫んだ。それを切り口に群衆のあちこちで「王様万歳!」の声があがり、やがてそれは歓声に変わった。


王の臣下である老人が満足気に手を叩いて祝福している。


メロスは老人の言葉を思い出していた。


「民は信じたいものを信じる」


 なるほど、私の英雄談はきっと後世にも伝わる事であろう。

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