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私の知らない過去のこと


 馬車に揺られながら、私は王城を目指していた。第一王子殿下がエルシーリア様歓迎の名目で開かれるガーデンパーティが、急遽決まったのだ。王家の方が主催とあっては大規模なものになるのが普通だが、日程が急ということや、若い貴族を中心に集められたこともあって、人数はそこそこといったところか。

 その前に何故か私は、第一王子殿下ベネディクト様に呼ばれていた。ベネディクト様はマルシアルの従兄弟であり、仲が良いということは知っているけれど、私個人としてお会いしたことはない。夜会などでご挨拶をする程度だ。それが何故、個人的に呼びだされたのか。

 少し前に劇場でちょっとした騒ぎを起こしたし、最近マルシアルとあまりうまくいっていない身としては、何の用件かとドキドキである。

 不安にかられながらも王城に到着し、客間へと通されると、程なくしてベネディクト様が現れた。


「わざわざ早く来てもらって、すまないな」

「いえ、とんでもございません」


 挨拶もそこそこに、互いに向かい合ってソファーへと腰掛ける。何処からともなく侍女たちが現れ、高そうなカップにお茶を注いでお菓子と共に目の前に置いていった。それを一口口に含むと、ベネディクト様は改まって私を見据えた。


「今日は少し話したいことがあって来てもらった」

「はい」

「話というのは、他でもない……マルシアルのことだ」


 彼の名前に、どくんと胸が脈打つ。


「最近、貴女とマルシアルは少し距離をおいているだろう。離れてみてどうだろうか」

「どう、と申されますと……」

「あいつはほら、何かと特殊だろう。貴女につきまとったり、女言葉だったり。そうではない、普通の男性と触れ合って、どうだろうか」


 普通の男性、というと、この場合はクレト様のことを指すのだろうか。どうと言われても、正直他の誰かのことを考える時間よりもマルシアルのことを考えている時間の方が多くて、感想を求められてもよく分からない。首を傾げたまま中々返答しない私に痺れを切らしたのか、ベネディクト様は単刀直入に本題を切り込んできた。


「あいつは貴女にとって、離れていても別に平気な程度の存在だろうか」

「そんなことはありません」


 気づいた時には、間髪入れずそう答えていた。

 私の勢いにベネディクト様も目を丸くしたけれど、すぐに目を細めて柔らかく微笑みかけられる。


「良かった。その様子では、あいつは愛想をつかされていないようだ」


 ベネディクト様の言葉に、かぁっと頬が染まった。な、なんだか恥ずかしい。自分でも驚くくらい言葉がすぐに出てきたことで、どう思っているのかを自分自身がよく理解した。

 悔しいけれど、マルシアルと離れてから、私が私じゃないみたい。苦しいことが多くなって、笑う回数も減ってしまった。こんなんで、離れていても大丈夫なんて……到底言えそうにない。


「これを言うと、あいつは怒るのかもしれないが……」


 私の様子を伺いながら、ベネディクト様が、少し迷った末に口を開いた。


「リナリア嬢は、マルシアルの女言葉が始まった理由を知っているだろうか」

「いえ……存じません」


 マルシアルの女言葉はある日突然始まっていた。理由を聞いたこともあるけどはぐらかされてばかりで、何故なのかは未だに分かっていない。この言い方からして、ベネディクト様は知っているのだろう。


「やはりな。あいつは……リナリア嬢のために、女言葉を始めたのだ」


 明かされた理由に、思わず目を見開いた。


「私のため……ですか?」

「そうだ。貴女は幼い頃、女性から辛い仕打ちを受けることも多かっただろう? それと同時に、女友達も欲した。貴女の望みを叶えたいけれど、傷つけたくもないマルシアルがとった行動というのが、女言葉なのだ」


 そんなこと、全然知らなかった。

 確かに幼い頃、虐められて泣いていることが多かった。それでも友達が欲しくて、駄々をこねては周囲を困らせていた記憶もある。

 そんな幼い私の我儘を叶えつつ、私を守るために、マルシアルは女言葉を始めたというのか。確かに当初はマルシアルのことをルシーと呼び、お人形遊びにおままごとにと、本当に女友達のように接していたけれど、まさかそれが狙いだったなんて。

 思い返してみると、幼い頃の私の願いを全部叶えてくれていたのは、「オネエなマルシアル」なのだ。


「急に女言葉になったかと思えば、またしても急に裁縫を覚えると言い出してな。何事かと思えばリナリア嬢のドレスを作るためだった」


 しみじみと、ベネディクト様は過去を懐かしむように言葉を続ける。


「ある日はリナリア嬢のために化粧の勉強をして、またある日はスイーツ作りの練習をしたり、薔薇を育ててみたり。ああ、リナリア嬢がしてほしいと言ったとかで、侍女たちを相手に延々と髪結いの練習をしていた時もあったな。あの時は侍女がもう勘弁してくれと音を上げるまで、鬼気迫る勢いで打ち込んでいた」

「そ、そこまで……」


 黙々と練習するマルシアルの姿が目に浮かび、ごくりと唾を飲み込んだ。奴の集中力は恐ろしい。きっとその侍女たちも恐ろしい思いをしたことだろう。

 マルシアルの女言葉も、女性らしいことがたくさんできるのも、てっきり奴の嗜好なのだと思っていた。それがなんだ、私のため?

 そんな彼に、私は一体何と言った?

 ある程度成長してからは、気持ち悪いだの、やめてだの、散々に貶してきた記憶しかなくて頭を抱えたくなる。マルシアルは一体どんな気持ちで笑っていたのだろう。


「別に貴女が悪いわけではない。そうなろうと選択したのもマルシアルで、理由を述べなかったのもマルシアルだ」


 過去を振り返り、顔を曇らせた私にベネディクト様の声がかかる。


「俺が言わなければ、奴は一生理由を言わなかっただろう。それは少々不憫な気がしてな。貴女を周囲から遮断していたのもマルシアルかもしれないが、貴女を守ろうとしていたのもマルシアルなのだ。どうかそれを理解してやってほしい」


 ベネディクト様の言葉に、黙ってこくりと頷いた。

 どうして私は、マルシアルに女言葉を止めさせようとしていたのだろう。そりゃあ、いい年の男性、しかも自分の婚約者がオネエだなんて、とは思うけれど。「オネエのマルシアル」もひっくるめて、「私の婚約者のマルシアル」だということにーーー彼が私にどれだけ尽くしてくれていたのかに、どうして気づかなかったのか。


 私の頭に、いつか見た夢が鮮明にフラッシュバックする。



『泣かないで、リナリア』


 泣き続ける私を、根気よく慰めているマルシアル。一向に泣き止まない私に対して、マルシアルはこう言ったのだ。



『俺が守るから、リナリアの女友達になるからーーーだから、泣かないで』






*****






 ベネディクト様と別れ、私はパーティ会場へと向かった。先ほどの話は中々の衝撃だったけれど、どうにか頭の整理もできた、と思う。とにかく今は頭を切り替えねばならない。最近になって再発してきた令嬢方からの嫌がらせが、何処で待ち構えているか分からなかった。

 今回の会場は王城の庭園。王妃様監修の下、マルシアルの育てた薔薇が植えられている、風光明媚と名高い庭だ。天気にも恵まれ、爽やかに晴れ渡る庭園に、いくつもテーブルが並べられている。

 すでに到着していたご令嬢方は、私の姿を見とめると、ひそひそと会話し始めた。うん、久しぶりのこの感じ。言いたいことがあるならはっきり言えというのだ、ふん。

 ドリンクをサーブされた後、視線を気にせず隅の方へと身を寄せる。まもなくしてベネディクト様とエルシーリア様、マルシアルが登場すると、ベネディクト様の挨拶を皮切りにパーティは雑談へと雪崩込んだ。


「あら、リナリア様」


 まず最初に寄ってきたのは、最近何かと関わりのある、クロエ・ブランケル様だった。グラスを手に、ゆっくりと近づいてくる。


「ご機嫌いかが?」

「楽しませて頂いています」

「それは良かったですわ」


 クロエ様が、まるで自分が取り仕切ったかのように微笑んだ。お前はこのガーデンパーティのホストか、と言いたくなる気持ちをぐっと堪え、グラスを傾ける。私のグラスを見止めたクロエ様は、あら、とわざとらしい声をだした。


「お味はどうかしら? そちら、わたくしが持参したものですの。まぁ、貴女には名も分からないでしょうけれど、」

「ブリュネの30年ものでしょう」

「…………は?」

「ブリュネの産地はここよりも遥か東。ブランケル伯爵家は南に領地をお持ちですし、貿易も南方諸国と行っていたはず。それなのにブリュネとは、最近事業規模を広げられましたのね。まぁ、私でしたらブリュネよりももっと……それこそあちらにあるような、今注目株のスティンレイでも用意しますけれど。まさかクロエ様がご存じない、などということはないでしょうし、ねえ?」


 ぺらぺらと喋る私を、クロエ様がぽかんと見つめた。遠くの方でスティンレイが注がれたグラスを持つご令嬢が、私の言葉を聞きつけ驚いたようにこちらを見ている。その距離で分かったのか、とでも言いたげな顔だ。ふん、と鼻を鳴らしてグラスを煽った。


「ワ、ワインの銘柄くらい……」

「そうですわね。常識ですものね」


 苦し紛れに発されたクロエ様の言葉を遮り、にこりと微笑みかける。


「ちなみにクロエ様、本日はお寝坊やご遅刻でもなさったのですか?」

「何ですの、いきなり」

「あら、違いまして? おかしいですわね……それは失礼を致しました」


 くすり、と笑った私に、クロエ様が眉を釣り上げた。馬鹿にされていると思ったようだ。事実そうだが、こうもたやすく引っかかってくれるとは。


「何がおかしいのです」

「失礼致しました。ただ、クロエ様の髪を彩る花が、どうしても気になって」

「花?」

「まぁ、まさかお気づきになっていない? その花、花言葉は『怠惰』と『堕落』ですのよ」


 クロエ様の今日の服装は淡い桃色。それに合わせて、髪飾りも今が盛りの真っ赤な生花を用いていたが、如何せん花言葉が悪い。自信満々に会場を闊歩しているところからして、花言葉は何も考えていないことはよく分かるけれど。

 私に指摘されたクロエ様の頬がかっと赤く染まる。我ながらマルシアルに負けず劣らず意地が悪いとは思うけれど、負けっぱなしは性に合わないのだ。前回はしてやられたが、今回もやられるつもりは毛頭ない。勝つ気で来た。

 幼い頃から無知を笑われ、不出来を詰られるたび、泣いて泣いて、その悔しさをバネに克服してきた。ワインの銘柄だろうが、花言葉だろうが、各貴族の力関係や国の歴史、音楽だって、なんでもござれだ。マルシアルには負けるけれど、私だって何も成長しないままこの年まで生きてきたわけではない。


「さっきからなんなのですっ。ひけらかして……」

「ひけらかしてなどおりませんわ。常識でしょう?」


 ねえ、とこちらを見ていた周りの人に視線を移すが、皆視線をさっと逸らした。私に同調するつもりもないだろうが、たとえ知らなかったとしても、常識ではないと言ったら私を褒めることにもなるし、自分の浅学を認めることにもなってしまう。

 ぎりっと、クロエ様がグラスを持つ手に力が入ったのが分かる。これはこのまま中身をひっかけられるかもしれない。望むところだ、かかってこい。前回は不意打ちにドレスを踏まれて対応できなかったが、今回はそうはいかせない。

 どう躱してやろうか考えつつ、ふとクロエ様の後方に目をやると、佇むマルシアルの姿が目に入った。こちらを見ているマルシアルと随分久しぶりに目が合う。

 奴は至極愉快そうな笑みを浮かべたままこちらへ歩み寄ると、背後からクロエ様の腕を掴んだ。


「2人とも、そこまで」


 マルシアルの接近に気づいていなかったクロエ様は、急に腕を捕まれたことに驚いた後、聞こえた声がマルシアルだということにぽっと頬を染めて振り向いた。


「マルシアル様」

「クロエ嬢、そこまでにしておいた方が貴女のためですよ。貴女ではリナリアに叶わない」

「なっ……」


 クロエ様の目を見て微笑みかけ、マルシアルは言葉を続けた。


「マナーもダンスも音楽も、花言葉だって歴史だって、リナリアは完璧ですよ? もちろんその他のことも。なんせ私の婚約者ですからね」


 そう得意げに言ったマルシアルに、胸が大きく脈打った。


 この人の前では、この人の婚約者としては、凛とした自分でありたいと思う。幼い頃から知らず知らずのうちに染みこんだその思いが、いつも私の背筋を伸ばすのだ。マルシアルのドレスを着て、マルシアルの隣に立ち、群がるご令嬢方に負けない自分になれるように。


 顔を真っ赤にして小さく震えるクロエ様から手を離し、マルシアルが私の方へと歩み寄ってきた。


「では」


 クロエ様に会釈し、そのまま流れるように手を引かれて歩き出す。会場の視線を浴びながら、庭園の奥へと向かった。

 薔薇のアーチをくぐり、迷路のような道をくねくねと進んで、会場の喧騒が届かない場所まで来たところでマルシアルが立ち止まった。私と向き合うと、それはそれは深い息をつく。


「あまり無茶をするんじゃない」

「やられっぱなしは性に合わないのよ」

「それも分かっているが」


 はあ、とまたしても息を吐き、マルシアルが前髪を掻き上げた。久しぶりに見るこの仕草にどきりとする。マルシアルと会うのも喋るのも久しぶりなのに、何故か奴が男言葉だから尚更落ち着かなかった。

 ドキドキするのを誤魔化すように、必要以上にしかめっ面になってしまう。


「ところで、どうしたのよ一体。そんな言葉遣いなんて気味が悪いわね」

「……リナリアは、男言葉の方が良いんだろう」

「はい?」


 何だそれは。

 今以上に眉間に皺がよる。確かに以前は何度も女言葉をやめろと言ってきたけれど、今は言う気になれなかった。

 マルシアルが男言葉であるということは、私にとってそんなに大事なことなのだろうか。そう考えた時、素直に頷けない私がいた。

 ベネディクト様の話を聞いてから、いや、本当はそれよりも前から、考えていたこと。言わなくてはと思うけれど、どうしても目を見て言うことができなくて、あちこち彷徨わせた視線をようやく斜め下に落ち着かせてから、口を開いた。


「……考えたのよ、私。女言葉でもなんでも、マルシアルはマルシアルなんだってこと。幼い頃から私の傍にいてくれたのは、『ルシー』であって、もちろんそれは『マルシアル』ってこと。どっちも……その……大切なのよ」


 マルシアルが息を呑んだのが分かる。彼の反応が怖くて、慌てて次の言葉を発した。


「だから、女言葉でももう別にいいというか…………だっ大体、今更言葉遣いを変えられると……その……ちょ、調子が狂うのよ、ぎゃっ」


 言い切ったと同時に、すっぽりとマルシアルに抱きしめられてしまった。ぎゅうと力強く抱き寄せられる。ちょっと! 痛い!


「あーもー……降参よ、降参」

「降参って何よっ」

「こっちの話」


 私を抱き寄せたまま首元に鼻を埋め、マルシアルが深く息を吸う。ああ、これも久々だなーーーって何を冷静に考えているのだ、私!


「ちょっと、離れて!」

「やーよ。久々のリナリアだもの。思いっきり吸って堪能しなきゃ」

「ぎゃあ! 吸うな!」


 お前は変態か!


「なによ、しっかり美女を堪能してたくせにっ」

「はあ? なんのことよ」

「エルシーリア様といつもいつも一緒だったじゃないっ」

「それは、命令だったからで…………ああ、なに、リナリア。妬いてるの?」


 ニヤニヤと笑うマルシアルに至近距離で見つめられ、かあっと頬に熱が集まった。


「や、妬いてなんか……ない……わよ」


 苦し紛れにもごもごと呟くと、マルシアルは大きく息を吐いて片手で顔を覆った。どことなく苦しげである。なぜだ。

 顔から外した片手が今度は私の顎にかかり、くいと掬いあげられる。


「……もう我慢の限界。どうしてそんなに煽るのかしらね」

「あっ、煽ってなんか……」


 ない、という言葉はーーー接した唇から、マルシアルの口の中に消えていった。


ワインの名前は創作です。

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