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俺の中の「私」


 エルシーリア様の許可を得て、久しぶりに2人で遠乗りに出て。一時は良い雰囲気になったのに、第三者の登場でリナリアの機嫌が急変したあの日から、彼女とまともに顔を合わせていなかった。

 日に日に不機嫌になっていく俺を見て、それはそれは楽しそうに笑うエルシーリア様に連れだされる毎日だ。そんなある日、例のごとくエルシーリア様に付き添って出かけた劇場でリナリアを見つけた俺は、一瞬で気分が舞い上がり、そして一瞬でどん底へと落とされた。


 ーーーリナリアが、俺以外の男の傍で泣いている。


 それはとても大きな衝撃だった。


 リナリアは全身で喜怒哀楽を表す、といっても、殆どの者が信じないだろう。リナリア自身は俺の前でも素直になれないと思っているようだが、俺にはそう思って落ち込んでいることぐらいすぐに分かる。

 意地張りで、天邪鬼で。悲しくないと言っては影で落ち込み、泣いていないと言いつつ後ろを向いて涙を零すリナリア。そんな彼女が素直に泣くことができるのも、怒ることができるのも、満面の笑顔でさえ、自分の前だけだと思っていた。小さな頃から、俺の前ではくるくると表情を変える彼女に、夢中になったのだ。俺だけが特別だとさえ思えた。

 けれど現に、彼女は別の男の腕で泣いている。


『見ないでよ!』


 リナリアの突き放すような一言と、涙で濡れた頬。知らないうちに増えていた、彼女の傷。


『…………どうして』


 知らずこぼれた言葉は、自分にもリナリアにも向けられていた。


 どうして、俺以外の前で泣いている?

 どうして、怪我をしている?

 なにより、どうして俺はーーー彼女の傍にいなかった?


 その時の俺は、クレト・アバスカルに連れられていく彼女の背中を、追う事すらできなかった。






*****






「いい加減、辛気臭い顔はやめぬか。茶がまずくなる」

「次期女王陛下に同意だ」


 目の前でお茶を啜りながらそうのたまう男女に、手をあげなかった自分を褒めてもらいたい。


「ふざけたこと言ってんじゃないわよ元凶2人が」


 そもそも、エルシーリア様が来国されることになり、ベネディクトに接待を任され、リナリアとの時間が無くなって今に至るのだ。


「なんと、わらわが元凶と申すのか?」

「お前自身が招いたことだろう、マルシアル」

「ふざけんじゃないわよ。誰が好き好んでリナリアと離れるっていうの。ベネディクト、あんたが言ったんでしょう」


 苛立ちを隠しもせず、ベネディクトを睨みつける。睨みつけられたベネディクトは肩をすくめた。


「『お前は彼女を囲いすぎだ』、この言葉、忘れてないわよ」

「ほう。それで、どうだ? 囲いすぎだったと気づいたか?」


 何も言わない俺に、ベネディクトは小さく息をついた。


「お前は今まで、彼女の世界の中で自分しか求められないように囲い込んでいた。囲い込んだその中で、1番だっただけだ」

「そんなこと、」

「ない、と言い切れるのか? 本当に?」


 ベネディクトの瞳でまっすぐに見据えられる。

 普段は馬鹿がつくほど真面目で、頑固で、俺にからかわれているが、本質を見抜くことに関してベネディクトの右に出るものは居ない。いざ論を闘わせると、俺が言い負けることもしばしばであった。

 それ以上目を合わせていられなくなり、ふいと逸らす。


「ほら、言い返せないのだろう」

「…………うるさいわね」

「まあ、身にしみてよく分かっているようだから、あまりうるさく言うつもりもないが。……リナリア嬢が公爵夫人となるならば、他者との関わりも必ず必要になる。他者と比較しても、彼女の中で自分の居場所を確立していると思えなければ、同じ過ちを繰り返してお前たちは必ず駄目になるだろう」


 お前も彼女も、もう少し周囲に目を向けるべきだと、ベネディクトは続けた。何も言い返すことができず、黙って口を結ぶ。

 それまで大人しく話を聞いていたエルシーリア様は、お茶を飲み干したカップを置くと、にこりと笑った。


「おぬし達が駄目になったら、リナリア嬢にクレトはどうじゃ? クレトは良い男ぞ? 我が国では名の知れた騎士であるし、地位もある。リナリア嬢のお相手にも良いじゃろうな」


 その言葉に、近くにあったテーブルを力強く叩いた。おお怖い、とエルシーリア様がからかうように口にする。

 リナリアとクレト・アバスカルが並んだ姿など、今一番目にしたくないものだ。あの光景が一瞬で脳裏に蘇り、激情で眼の奥がちかちかとする。


「落ち着け、マルシアル。エルシーリア様もお戯れはよしてください」


 ため息をついて、ベネディクトが仲裁に入ってきた。


「別に俺は、お前たちを仲違いさせて別れさせるつもりで、距離を置かせたのではない。場を設けてやるから、早いところ仲直りをしてくれ」






*****






 帰宅し、自室へと入ると、俺はそのままベッドへ倒れこんだ。ごろりと上を向き、瞳を閉じる。

 思い返すのは、先ほどのベネディクトとのやりとりだ。


 リナリアが公爵夫人になるならば、他者との関わりは必ず必要になる。ベネディクトの言葉は正論だ。俺がずっと、見てみぬふりをしていただけで。

 女社会で泣くリナリアを見たくないということを名目に、彼女をそういった場から遠ざけて自分だけの場所に囲い込んでいた。いつまでも自分しか頼れないような場所に止めておきたいと思った。令嬢たちに虐められて、貶されて、その度にリナリアは強く靭やかに成長してきたというのに。

 リナリアを誹る令嬢ばかりではないことも理解している。それこそアデルミラのように、良き友となるだろう女性がいることも。

 分かってはいたが、それでも俺は、彼女の唯一でありたかったのだ。


 幼い頃から向こう見ずで、意地っ張りで、だけど泣き虫で、俺にとっては他の誰よりも感情表現が豊かな女の子。人前で中々素直になれない彼女は、よくあの丘までやってきては泣いていた。そんなとき、決まって俺は、薔薇をプレゼントして宥めたものだ。

 泣いている彼女の傍にしゃがみこんだ俺を見て、リナリアはぐしゃぐしゃの顔でいつも俺の名を呼ぶのだ。



『ルシー……』



 女言葉の俺に対して、女の名で。



「…………私はここにいるわよ」



 思い返しながら、記憶の中の幼いリナリアにぽつりと返事をする。

 幼い頃はルシー、ルシー、と呼ばれていた。彼女の1番近くにいられるのならば、それでいいと思っていた。今でも、それでいいと思っていたのに。


 広がるリナリアの世界に、女言葉の自分の居場所は、もうなくなってしまうのだろうか。


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