私の嫌いな私
あの夜会の後、とうやって帰宅したのかを私はあまり覚えていなかった。クレト様と踊って、何人かと談笑したような気はするけれど、どれも曖昧は記憶で。
数日が経った今でも、マルシアルが次期女王陛下と踊っていた姿だけが、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「んんんんん」
ああ、なんだかもやもやする。もやもやする自分にももやもやする。
机に突っ伏し、足をジタバタさせながら、朝からずっとこの調子だ。行儀が悪い、とブルーナはしかめっ面だけれど、他には誰も居ないのだからこれくらいは許して欲しい。
「んんんんん」
「何を唸っておるのじゃ?」
「私も私がよく分からなく……て…………?」
突然かけられた声に条件反射で返事をしてしまったが、ふと気づく。これはおかしい。この部屋には私とブルーナしかいないはずなのに。
「だっ、だれ!?」
机から顔を上げ、慌てて部屋を見渡すと、隅にとんでもない美女が佇んでいた。抜群のプロポーションを惜しげもなく晒し、妖艶に微笑んでいるのは、昨夜遠目に見た女性。
エルシーリア・ファリー・ラセナ時期女王陛下がそこにいた。
「だっ、だれか、んっ」
エルシーリア様を見たことがないブルーナは、突然の闖入者に声を上げようとした。だがエルシーリア様が指を軽く動かした途端、何かに縫い止められたかのように口が塞がれ、言葉を続けることは叶わなかった。私のそばでもごもごと呻くブルーナと、笑みを浮かべたエルシーリア様を、ぱっくり口を開けた間抜け面で交互に見つめる。これは一体どういうことだろう。
「大声をあげるでない。何も危害は加えぬ。ええい、動くでない」
エルシーリア様は、口を塞がれても尚もがき、口がだめなら行動でと部屋の外へ駈け出そうとしたブルーナの動きまで止めてしまった。
本当に、これは一体何の力なのだろうか。
「エ、エルシーリア様。侍女の無礼をお許しください。もう騒がぬと思いますから、拘束を解いて頂けませんか」
エルシーリア様がどうやってブルーナの動きを拘束したのかは分からないが、これ以上藻掻いているのも見ていられないので、慌ててそう頼んだ。敏いブルーナならば、私の発した名前を聞いてこの美女が誰かを理解するだろう。理解したならば、助けを呼ぶために暴れたりも、無体を働いたりもしないはずだ。
エルシーリア様は一瞬思案した後、パチリと指を弾き、ブルーナの拘束を解く。動けるようになったブルーナは、さっと頭を下げると、素早く部屋の隅へと控えた。
「ラセナの時期女王陛下とは知らず、ご無礼を致しました」
「良い。わらわも急に押しかけてきたことじゃしの」
尚も畏まるブルーナを制し、エルシーリア様は私の側へと歩み寄ってきた。彼女を前に私も頭を下げ、礼をとる。
「先日はご挨拶もできず、大変失礼をいたしました。リナリア・バルデートと申します」
「うむ。存じておるぞ。マルシアル・サルディネロの婚約者殿」
頭を上げるよう促され、姿勢を正すと、エルシーリア様と目が合う。深い緑の瞳で私を見つめたエルシーリア様は、にこりと笑った。
決して本心を読み取らせはしないが、魅惑的な笑み。人々を虜にするに違いないこの笑顔を、マルシアルは間近で見ていたのだろう。
またも鈍く痛んだ胸を抑えつつ、エルシーリア様にソファーを勧め、自分も向かいの席に腰を下ろした。
「先日はお主の婚約者を借りて、すまなかったの」
「いえ、そんな。どうぞお気になさらず」
本当は気になって気になって仕方がなかったけれど、そんなこと言えるはずも無い。そんな私を、エルシーリア様がじっと見つめた。上手く隠せている気はしたけれど、エルシーリア様の瞳に見つめられると何もかも見透かされているような心地がする。
一拍の沈黙の後、エルシーリア様はにこりと親しげに笑うと、口を開いた。
「マルシアルとは、素晴らしい男よのう。高い地位にして、あの容姿。教養もあって美学にも秀でておる。リードも完璧であったぞ」
その言葉で、マルシアルがエルシーリア様の腰に手を回して踊っていた昨夜の光景が一瞬で脳裏に蘇り、 心臓が跳ねた。
お似合いの2人。まるで絵画のようだった1対。いつもは自分が収まっていた場所に、到底叶わない人が収まっている、その図。
胸の奥が、またきりりと痛んだ。
「あのような男、大陸中を探しても中々見つからぬぞ」
「と、とんでもないお言葉でございます」
「そんなことはない。何とも素晴らしい男よ」
「そっそんなっ!」
それ以上の言葉を聞きたくなくて、尚も褒め続けるエルシーリアの言葉を堪らず遮ってしまった。本来ならば、自分より目上の人の言葉を遮るなどあってはならないし、何があっても避けねばならない。けれど、今の私には、そんな自制心すら働かなかった。
エルシーリア様がマルシアルについて語るその様子から、嫌な予感しかしなかったのだ。
やめて。
やめて。
奴のことをーーー好きに、ならないで。
「あ、あんな男っ。女たらしで、口も意地も悪くて、私の意見も全然聞いてくれないですし、そんな、褒められるようなところばかりではなくて、その、えっと……」
聞かれてもいないのに、言わなくても良い言葉が次から次へと口をついて出てくる。途中でハッとし、自然と泳いでいた視線をエルシーリア様に向けると、彼女は変わらぬ笑みで私を見つめていた。しかしその瞳には、さっきまでは存在しなかった感情ーーー哀れみが、含まれていた。その瞳に、更にいたたまれなくなる。
「素直になれずに不満ばかり言い、幸福に気づけないままでは、いつか彼奴を失うことになろうの」
黙りこんだ私に対してエルシーリア様がゆっくりと紡いだその言葉は、私の胸に鋭く突き刺さった。
ーーーマルシアルを、失うことになる。
そんな未来、つい先日までは考えたこともなくて。お母様に言われて想像した時も、上手く想像できなかったのに。今は、マルシアルの隣にこの女性が立つ様子を、思い浮かべることができる。
私は何も言うことができなくて、黙ったまま下を向いた。胸が痛くて痛くて、胸元をきつく握る。エルシーリア様も口を開かないが、じっと私を見つめているのは感じる。
そのまま沈黙が支配した部屋に、遠くの方から誰かがやってくる音が聞こえてきた。徐々に近づいた足音は部屋の前で止まり、緩やかに扉が開かれた。
「リナリア」
聞き慣れた声に反応して扉を見ると、現れたのはマルシアルだった。その姿を認識した途端、自分でも驚くくらいホッとしたのが分かる。
私と目が合ったマルシアルは、元から険しかった顔を更に険しくして近づいてくると、私の前に立ってエルシーリア様と対峙した。
「何をしたのです」
その声は、驚くほど低い。マルシアルの背に隠れた私には、向かいに腰掛けるエルシーリア様の姿は見えないが、微かに聞こえる笑い声から、彼女が笑っていることだけは分かった。
「そう威嚇せずとも、何もしておらぬわ」
「信用なりませんね」
「なんと。そこまで信用されておらぬとは」
「今日だって、私にリナリアと過ごす時間を与えてくれたはずでしょう。何故先に此処へ来ているのですか」
「なに、ただの好奇心じゃ」
「貴女の好奇心は迷惑です」
「ふふふ、そう邪険にせずともよかろう」
ぽんぽんとテンポよく交わされる2人の会話に、マルシアルの背中越しに耳を傾ける。2人はすっかり打ち解けた様子だ。
嫌だな。すごくーーー嫌だ。
置き去りにされているようで、どうにも苦しくて、知らず知らずのうちにマルシアルの服へと手が伸びていた。マルシアルが驚いたように振り返ったことで、私はその無意識の行動に気づき、慌てて手を離した。が、その手を素早く掴まれる。
嬉しそうに笑ったマルシアルは、少し腰をかがめて今度は私の腰を掴むと、ふわりと持ち上げた。目を白黒させた私は、そのまま流れるようにマルシアルに抱きしめられてしまう。
「ぎゃっ」
「リナリア、お待たせ」
何が『お待たせ』だ!
人前だというのに、何をする!
抵抗する私を抱きしめたまま、というより、もはや肩に抱え上げているような状態で、マルシアルはエルシーリア様に向き直った。ああ、エルシーリア様がすごく笑っている。恥ずかしい!
「エルシーリア様、約束は守っていただきますからね。では、失礼します」
笑い続けるエルシーリア様に軽く一礼し、マルシアルはそのまま隣接する私の衣装部屋へと足を向けた。待て待て待て。何処へ向かってる。何をする気だ!
じたばた暴れる私にはエルシーリア様の様子は分からないが、いまだころころと笑っている声がする。視界の端でブルーナの姿を捉えたが、彼女は黙って頭を下げていた。どうやら助けてくれる気はないらしい。
「マ、マルシアルっ、ちょっと、約束って何!?」
「暴れると落ちるよ、リナリア。別に、リナリアに害があるような約束じゃないから大丈夫」
「だから、一体何なのよっ」
2人きりで衣装部屋に入ったマルシアルは、ようやく私を肩からおろし、にやりと笑った。何かを企んでいるような、よく見る笑み。
ああーーーこの顔は、スイッチが入れ替わっている。
「今日は1日、リナリアと過ごしていいと許可が出たわ。遠乗りに行くわよ」
ーーー遠乗り!?
******
衣装部屋へと連れ込まれた私は、そのまま乗馬服へと着替えさせられた。マルシアルによって。なんという恥。
私達が2人きりになった時は、侍女たちは暗黙の了解で助けにこないし、私の力ではマルシアルに敵わない。そして、私のドレスやらなんやらを作り上げてしまうマルシアルにとっては、脱がせることも造作ないらしい。悲鳴を上げながらも結局まるっと着替えさせられてしまった。もう一度言う、なんという恥。
共に乗馬服に身を包んだ私達は、揃って厩に足を運んだ。世間一般の淑女は馬に乗れない人の方が多いけれど、私は幼い頃からマルシアルとしか遊んでいなかったため、奴に付き合っているうちに乗馬をマスターした。愛馬もいるし、遠乗りだって好きだ。こうしてマルシアルと2人で出かけるのは、とてともとても久しぶりだけれど。
気持ちの良い日差しの下、2人で馬を走らせる。目的地は聞いていなかったけれど、向かう方向で大体予想をつけていた通り、辿り着いたのはバルデート子爵領だ。王都からみて北東に位置するバルデート子爵領内、そこに建つ領主館の側には、サルディネロ公爵家の別荘が存在する。母親同士が親友だったため、頻繁に会えるようにと互いの領地に別荘を建てたのだ。
サルディネロ公爵夫人に伴われてきたマルシアルは、私が幼い頃、ほとんどをこの別荘で過ごしていた。もちろん、よく遊んでいた場所も領主館とこの別荘なので、幼い頃の思い出はほとんどこの地にある。
幼い頃からマルシアルは向かうところ敵なしの無敵っぷりで、今では専門職も唸らすほどの裁縫技術や薔薇の育成、開発といった類のことも、その頃から嗜んでいた。特に薔薇に関しては、マルシアルが育てた薔薇だけで大きな薔薇園が出来上がったほどである。奴が薔薇を育てていた一帯は、マルシアルが不在の間も領地にいる家人達によって手が加えられ続け、今では子爵領内の観光スポットにもなっていた。
その薔薇園を見下ろす、小高い丘。この丘が、幼い私達のお気に入りの場所だった。
近くの木に馬をとめ、丘に降り立つと、私はうんと伸びをした。随分久しぶりに帰ってきたような気がする。実際には、社交シーズン中に王都にいるだけだから、それほど長い期間ではないのだが。
「懐かしいわね」
隣に立つマルシアルも、寛いだ様子で丘からの景色に目を細めていた。穏やかな風が私達の周りを吹き抜けていく。
エルシーリア様が来国されてから、マルシアルと2人きりで過ごすことがめっきり無くなっていたので、こうして隣に並ぶのも久しぶりである。少し前までは毎日といってもいいくらい顔を合わせていたから、数日会わなかっただけで、なんとなく変な感じだった。別に、寂しかったわけではないけれど。……多分。
頭上を仰げば、真っ青な空を鳥が伸びやかに飛んでいく。眼下では、見頃を迎えた色とりどりの薔薇たちが風にそよいでいた。何か言葉を交わすわけでもなく、2人肩を並べてその景色を眺める。
思い返されるのは、幼い頃の出来事。マルシアルと2人で丘を駆けまわり、薔薇園を探索し、柔らかな芝生に寝転んでは絵本を読んだり、そのまま眠ってしまったり。私のどの思い出にも、傍らにはマルシアルがいた。
隣のマルシアルにそっと視線を移すと、彼もこちらを見ていた。いつになく穏やかなその瞳に胸が脈打つ。どうやらマルシアルも、過去を思い返していたようで、柔らかく口を開いた。
「リナリアは、悲しいことがあるといつもここへ逃げてきていたわね」
「…………そうだった?」
「そうよ。あの時も、ここで……」
懐かしむように遠くを見たマルシアルは、ふとそこで言葉を切った。
「マルシアル?」
「いえ、なんでもないわ」
頭を振ったマルシアルは、どうやら続きを話す気はないらしい。訝しく思って眉間に皺のよる私を見下ろし、にやりと笑った。
「気になる?」
「そりゃあ、そんなところで切られたら気になるわよ。あの時って何」
「そうねぇ。リナリアが私の奥さんになった後でなら、教えてあげてもいいわよ」
「はい? もう婚約してるんだからいいじゃない」
私にとっては、結婚は婚約の延長線上。変なぼかし方をしなくても、妻になったら教えるのならば今言っても同じだと思う。それを隠すということは、何かよくないことなのか。
片眉を釣り上げて問い詰める私の顎に、マルシアルの指がかかった。離せ、という意を込めて振り払おうと挙げた手を、がっちり掴まれてしまう。何故だ。
「婚約でいいと思っていた頃もあったけれど、やっぱりそれじゃだめね。不確かだわ」
「何。どういうことよ」
「確かなものにしたいから、もう今すぐにでも私の奥さんになってくれる?」
「はあ?」
手を握ったままのマルシアルが、悪巧みを思いついた少年のように笑っている。これはまずい。非常にまずい。
暴れようとしたけれど、それよりも先にもう片方の手で腰をホールドされてしまった。逃げられない!
「ねえ、リナリア」
マルシアルの口が耳元に寄せられる。すぐ傍で囁かれた声に、思わず肌が粟立った。
心臓に悪い声で囁くな!
そして無駄に色気を出すな!
「私のことが好きでしょう?」
「ちょ、ちょっと、離れてよっ」
「嫌よ。答えて頂戴」
「離れてってばっ」
答えない私に痺れを切らしたのか、はたまた抵抗する私をもっと苛めたくでもなったのか、腕を掴んでいた手が今度は顎に移動してきた。ぐいっと上を向かされ、私の視線がマルシアルの瞳とぶつかる。
ぞくり、と何かが背筋を走った。
「素直にならないのは、この口かしら」
そう言って口の端を挙げたマルシアルの顔が、徐々に近づいてくる。
待て待て待て、これ以上は、これ以上近づいたらーーー
「っや…………」
「マルシアル様?」
茹で蛸のように顔を真っ赤にし、羞恥で沸騰しかけたところで、私の耳が第三者の声を拾った。
呼ばれたマルシアルは寸でのところでぴたりと動きを止め、小さく舌打ちした。た、助かった。
割って入った声の方へと顔を向けると、そこには綺麗に着飾った妙齢の淑女が立っていた。側には侍女と警護の者が控えている様子からして、どこかの貴族令嬢だろう。
私としては救いの一言だったが、マルシアルにとっては迷惑な闖入者でしかなかったようで、不機嫌そうに眉をしかめていた。いつもは私以外のご令嬢方に対して、相手は花か宝石かレースかとでもいうような優しい言葉と態度なのに、何とも珍しい。
「何の御用でしょう」
「ご無沙汰しております。偶然こんなところでお会いできるなんて、思っても見ませんでしたわ。先日の夜会では少ししかお話しができませんでしたし、お会いできて光栄です」
「ああ、もしかしてブランケル伯爵令嬢ですか。こんなところで奇偶ですね」
先日の夜会、という言葉で相手に思い至ったのだろう。言われるまで思い出せなかったが、クロエ・ブランケル伯爵令嬢は私も何度が顔を合わせたことがある。勿論、敵意丸出しで睨まれた記憶だけれど。
マルシアルが笑いかけると、途端にクロエ様の頬が染まった。
どうしてだろう。なんだか、面白くない。胸に黒い靄がかかったかのよう。
苦しくて、マルシアルの体を力の限り押しやった。マルシアルも人前でこれ以上密着する気はないようで、大人しく私を離した。
マルシアルは傍にやってきたクロエ様の手を取り、唇を寄せて形式的な礼を取る。それを見て、またしても胸の奥が痛んだ。あれほど離してほしいと思っていたのに、今はその手を引き離して、自分の手で握りしめたくて仕方ない。
ーーー私は最近、変だ。
「マルシアル様は、こちらで何をなさっておりますの?」
「私の婚約者と遠乗りにきたのです。ここは彼女の故郷ですからね」
「まあ。そうでしたの」
白々しい。自分がどこへ来ているのかを知らないわけがないではないか。
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向きたかったが、どうにか堪えた。
「あそこの薔薇園は、マルシアル様が手がけたものだとうかがいましたわ。わたくし、どうしても見てみたくて、ここまで来てしまいましたの」
「それは、わざわざ光栄です」
クロエ様は一切こちらを向かないし、マルシアルもクロエ様を見つめている。先ほどまでの雰囲気が嘘のように、今はまるでマルシアルとクロエ様だけの世界のようだ。
どうしよう、どうにも胸がむかむかする。
「噂通り、とても素晴らしい薔薇園ですのね。……マルシアル様、よろしかったら、案内してはくださいませんか?」
「案内、ですか……」
そこでようやく、マルシアルがちらりと私を見た。伺う様な視線に、一瞬で頭に血がのぼる。
聞くまでもなく、断らないの?
久々に会えた私より、その人を優先するの?
そう無意識に考えていた自分にハッとした。私はいつも心の何処かで、マルシアルが誰よりも私を優先するの思っていたのか。婚約者というだけで、そうあるものだと思っていたのか。
彼と、そんな約束をしたわけでもないのに。
『別に、婚約者が変えられないわけではないもの』
いつか聞いた、お母様の言葉が頭をよぎる。婚約者という地位に甘んじて、婚約者であることが当たり前だと思いこんでいた。何も当たり前のことなどないのに。
いたたまれなくて、恥ずかしくて、くるりと踵を返した。
「リナリア?」
「私、先に戻るわ。貴方はクロエ様を案内してあげて」
「ちょ、待って」
呼び止めるマルシアルの声にも振り返らず、足早に馬へと向かう。2人の姿を見たくもなかったし、このまま此処にいては、マルシアルを罵ってしまいそうだった。
たった一言。今日は私と過ごしてほしいと、たったそれだけの言葉すら、素直に言えそうにもない。
ーーーこんな時まで素直になれない自分が、本当に嫌になった。