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素直になった私


 眩い光が辺りを覆う。


「なっ、なに!?」


 反射で閉じた瞳を薄っすらと開ける。クロエ様は背後を振り返り、光を遮るように目元に手をやった。


「そこまでじゃ」


 光が段々と収まってきて、凛とした声が響き渡った。空間を裂くように入った亀裂から、いくつかの人影が現れる。先頭は声の主、エルシーリア様。その後ろから現れた1人はクレト様で、もう1人はマルシアルだった。マルシアルは私の姿を見とめると、彼らを押しのけるようにして駆け出した。


「リナリア!」

「あっ、こら、待て! 待てと言うに、まったく……」

「リナリア! リナリア! 無事か!?」


 呆然とするクロエ様の横もすり抜け、私のもとへやってくると、ぐるりと体を見回した。腕の大きな火傷に眉を寄せたが、他に命に関わるような傷がないことを確認するとホッとしたように息を吐き、力強く私を抱きしめた。


「マルシアル……」


 慣れ親しんだ感触に、安堵の息が漏れる。自分でも分かるくらい声が震えていた。マルシアルも余程余裕がないのか、女言葉でも余所行きの言葉でもない。お互いがお互いの緊張を分け合い、体温を感じることで、徐々に強張っていた体の力が抜けていった。


「な、んで、あなた方が、ここに……?」


 クロエ様は目を白黒させ、エルシーリア様たちと私達を交互に見つめた。見つかるとは露ほどにも思っていなかったのだろう。何ともお気楽な頭だ。

 仮にも貴族令嬢を自室で拉致しておいて、捜査の手が及ばないとでも思っていたのか。


「ごきげんよう、クロエ様?」


 クレト様の更に後ろ、亀裂から顔を覗かせたのは、フロレンシア様その人だった。その顔を見て、クロエ様の顔からは瞬く間に血の気が引いていった。


「ど、どうして! どうして貴女がそちら側にいらっしゃるのでしょう!?」

「あら、何かおかしいことでも?」

「だってっ……わ、わたくしに! わたくしにこうせよと! 貴女が……っ!」

「おかしいわね? わたくし、一度でもそんなことを言ったかしら?」


 小首をかしげ、にこりと微笑むフロレンシア様。クロエ様の体がとうとう小刻みに震えだした。

 そちらの会話に気を取られている間に、マルシアルは隠し持っていたナイフを取り出すと、椅子に縛り付けられた私の両手両足の縄を切ってくれた。きつく縛られたせいで赤くなった手首を見て眉をひそめている。


「わたくしはただ何回か、若くて可愛らしい女性とお茶をしていただけよ、ねえ?」


 話を振られたマルシアルは渋い顔をしている。反論しないということはフロレンシア様は嘘をついてはいないのだろう。私を助けに来る間、前もって何かフロレンシア様から聞いているのかも知れない。


「リナリア様が1人になることだって……っ」

「わたくしはカルラと話をしたいから、リナリアを1人にしてしまうかもしれないわね、と言ったけれど。まさか、その時を狙うだなんて」


 怖いわねえ、とフロレンシア様が大げさに肩をすくめた。

 怖いのはフロレンシア様だ、と思った私と同じことをマルシアルも考えているのだろう。何とも複雑な表情でフロレンシア様を見ていた。クロエ様にいたっては、真っ青を通り越して真っ白になっている。

 きっとフロレンシア様は、本当に何も言っていないのだ。何もかも、クロエ様がそう思うように、そう動くように誘導していただけで。クロエ様自身はフロレンシア様と共犯だと思っていたし、実際私も疑ったけれど、きっと公爵家を調べたところで何1つ怪しい物は見つからないのだろう。


「そ、そんな! そんなことってないわ! 何かの間違いよ!!」


 大きな声でクロエ様が叫んだ。いつの間にか消え去った亀裂の向こう、扉の外から、何人かが駆けてくる音がする。ようやく侵入者に気づいたのだろう。


「何かの間違い? 間違いなんてありませんわ。あなたが、子爵令嬢を誘拐して、手に掛けようとした。それも禁じられた魔法具を用いて。これが純然たる事実よ」

「そ、んな……」

「それなりに楽しかったわよ、貴女とのお茶会」


 あまりにも貴女がお間抜けで、と言ってもいない言葉が聞こえるかのようだ。フロレンシア様の笑みは何とも恐ろしい。常々思っていたが、マルシアルよりも尚、敵に回してはならない相手なのだ。

 エルシーリア様が軽く頷くと、クレト様がフロレンシア様を背に庇うようにして壁に寄った。エルシーリア様は反対の壁に寄る。扉が勢いよく開かれて、3人の男が雪崩れ込んできた。


「お嬢様! ご無事ですか!」


 男たちは皆帯剣しており、中の様子を一目見て抜剣した。その剣を見て思わず体を固くした私を、マルシアルが背に庇ってくれる。その背をぎゅっと握った。


「―――クレト、許可する」


 エルシーリア様がそういった瞬間だった。目にも止まらぬ速さでクレト様が駆け出した。

 先頭にいた男の懐に素早く潜り込み、下から顎を一撃。強烈な拳を食らって昏倒した男を横に薙ぎ倒すと、今度はすかさずもう1人の脛を払い、転倒させた。頭をしたたかに打ったその男が目を回しているうちに、最後の1人に向き直る。剣を振りかざして向かってきた男のひと振りを難なく避けると、剣を握った手首に手刀し得物を落とさせた。落とした剣を遥か遠くに蹴ると、丸腰になった男の懐に潜り込み、背負うようにして投げる。クレト様より一回りは大きい巨体が軽々と吹っ飛ばされ、壁に当たると、そのままずるずると崩れ落ちて動かなくなった。

 あっという間の出来事である。あまりの素早さに呆気に取られる中、クレト様は息1つ乱すことなくエルシーリア様の前に膝をついた。


「ご苦労」


 エルシーリア様はさも当たり前のようにそう言った。クレト様も黙って頭を下げる。

 エルシーリア様は最初に昏倒した男へ歩み寄ると、その衣服を検めた。ごろりと転がし、上着をよく見てにやりと笑む。釦をちぎり、フロレンシア様へと差し出した。壁際から近づいてきたフロレンシア様は、その釦を見て微笑むと、口を開いた。


「この釦の家紋、ブランケル家のものね。郊外の建物にこんな場所を作って、私兵を置いて……まだまだ改める部屋が沢山ありそうだわ」


 フロレンシア様は至極楽しそうに言葉を続ける。


「この意味が分からないほど、お間抜けではないわよね?」


 クロエ様はとうとう顔を覆って地面に崩れ落ちた。

 このことが何を意味するか、私にだって分からないわけがない。私兵は令嬢に動かせるはずもないので、この件には当主も関わっているのだろう。これで、クロエ様が単独で行ったことだという言い逃れもできなくなった。他家の娘を連れ去り危害を加えようとしたこと、及び魔法具の密輸に関して、伯爵家はこれから厳しい追求がなされることだろう。


「さて、そろそろお開きじゃの。新手の気配もせぬし、騎士団もそろそろ着く頃であろう」


 騎士団への手配も抜かりなく済ませてあるようだ。到着と同時にクロエ様を引き渡して、私達は帰途につくのだろう。クレト様はどこからか縄を取り出して、私兵の捕縛を始めた。

 私はマルシアルに手を貸してもらい、立ち上がる。手を握ったまま、隣に立つマルシアルの顔を見上げた。震えもいつの間にか止まっている。悔しいけれど、私はこの手が何より安心できるのだろう。


「遅くなって、ごめんなさいね」


 眉を下げて謝るマルシアルなんて、珍しいものを見た。そんなことが考えられるくらい私はもう落ち着いていた。

 頭を振り、小さく微笑み返す。


「いいのよ、そんなこと」


 こうして来てくれただけで。今、手を握ってくれているだけで。

 私が珍しく喧々と怒らず、微笑み返したことで、マルシアルは目をぱちくりさせた。その様子がおかしくて、更に笑ってしまう。見つめ合ったまま、手をぎゅっと握り返した。

 そんなふうに、珍しく2人だけの世界になってしまったから、気づくのが遅れたのだ。まだ完全に、安全ではないということに。


「―――っリナリア!」


 フロレンシア様の叫ぶような声で前を向く。目の前で白刃が煌めいた。


「え…………」

「っつ!」


 避けることも、目を瞑ることさえできなかった。気づいた時には私はマルシアルに抱きしめられていて、彼の背中越しに狂気に染まったクロエ様の顔を見ていた。

 エルシーリア様の怒号が響き、素早く駆け寄っていたクレト様がクロエ様を引き倒した。そのまま手を捻り上げて組み伏せる。


「ただではっ! ただでは終わらないわ!! この女だけは……っ! 殺してやらなくては!!」


 クレト様がクロエ様に猿轡を噛ませる。それでもクロエ様はまだ何事が叫んでいたが、どれも私の耳には入ってこなかった。


「マル、シアル……?」


 クロエ様は、先ほどクレト様に蹴り飛ばされていた長剣を使ったようだ。彼の背中から白刃が伸びている。私の肩口で荒い息が聞こえた。背に伸ばした手に付着するのは、真っ赤な液体。

 急速にそれを理解して、目を見開いた。


「―――マルシアルっ!!! マルシアル! いや! マルシアルっ!!」

「騒ぐでない! それほど深くないはずじゃ。これくらいならば、すぐ治してくれるわ」


 エルシーリア様がすぐさま傍にやってきて、私からマルシアルを引き離して床に寝かせた。尚もすがりつこうとする私を押し留め、傷口に手を伸ばして剣を引き抜いた。肩から鮮血が飛び散る。エルシーリア様がすぐさま宙に何かを描き、手をかざした。

 真っ青になったまま、私はただその光景を見ていることしかできなかった。徐々に血が止まっていく様子を、祈るように見るしかできない。

 どうしよう。マルシアルが。マルシアルが。もしもこのままいなくなってしまったら―――?

 すぐに治せるとエルシーリア様は言ったけれど、不安で眼の奥が真っ暗になりそうだ。


「―――ふう、止まったわ。これで大丈夫じゃろう」


 言いつつ、エルシーリア様がマルシアルから離れる。途端に私はマルシアルにしがみついた。


「あっ、これ! まあもう大丈夫じゃが……まったく、一応あまり無理をするでないぞ」


 エルシーリア様の制止の声すら聞かず、ただただマルシアルにすがりつく。傷口は避けてすがりついているので、痛くはないはずだ。


「ばか! マルシアルのばか! なんで庇うのよっ」

「馬鹿って、あんたねえ……仮にも自分を守った婚約者に、他の言葉はなかったのかしらね……」


 ぶつぶつ文句を言っているが、うつ伏せなのでその表情は見えない。これだけ口が聞けるということは、エルシーリア様の処置が完璧になされたのだろう。ほっと息をつく。更に体重をかけると、マルシアルが呻いた。


「ちょ、っと、リナリア。それ以上潰されると本当に天に連れて行かれるからやめてちょうだい」

「連れてなんて、行かせないわ…………誰にも渡さないわよ」


 ぼそぼそと呟くように言うと、マルシアルの体が一瞬ぴくりと動いた。次いで、呆れたようにため息をつく。


「まったく、軽々しくそんなこと言うんじゃないわ。好きって言ってるようなもんよ」

「……そう言ってるのよ」

「はい?」

「だからっ…………好き、って、言ってるのよっ」

「……………………は……?」


 かぁっと頬が熱くなる。マルシアルがうつ伏せで本当に良かった。こんな顔を見られたら、また何を言われるか分からない。

 マルシアルは意味を理解するのに数拍要したようだった。しばらくして小さく呟く。


「…………っとに、もう……やっっっと言ったわね」


 そうだ、とうとう言ってやったのだ。誰にも渡さない。渡してたまるものか。そう力強く抱きついた。

 マルシアルはまた1つ息をつき、無理矢理に上体を起こした。ひっついたままの私を引き離し、正面から向き直る。


「馬鹿はあんたよ、リナリア―――貴女に出会ったあの時からずっと、私は貴女のものだっていうのに」


 今までで1番優しい声音でそう言ったマルシアルに、そのまま強く抱きしめられた。




「……盛り上がっているところ悪いんだけれど、そろそろ移動するわよ」


 う、わっ! み、みんないたんだった!

 フロレンシア様の声で我に返った私がマルシアルを突き飛ばすと、後ろに倒れかけたマルシアルは苦痛に顔を歪めた。

 本当に死ぬわよ、とかなんとか言っているけれど、今なら私も恥ずかしくて死ねるかもしれない。


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