その日、俺は
その日。俺はいつものように王城へと向かっていた。最近毎日の日課となった、エルシーリア様のお供をするためである。今までは1日に1度はリナリアに会えるよう細工をしながら行動していたのに、最近はこれがすっかり習慣となりつつあるのが恐ろしい。
エルシーリア様といえば、彼女は一体いつ帰国するのだろうか。彼女が帰国したら、以前のようにリナリアと過ごす時間が増やせるし、最近の様子からしてリナリアに『好き』と言ってもらえるのも時間の問題だろう。
そうすればすぐさま結婚だ。逃しはしない。それを想像し、口元が緩んだ。ああ、会いたい。
リナリアのことを考えると、この憂鬱な気分も少しは和らいだ。が、そんな気持ちで登城したところ、先日に引き続き、またしても嬉しくない組み合わせの密会を目撃することとなるのだった。
「何をしているのかしら?」
声をかけると、ハッとした様子で2人がこちらを振り返る。クレト・アバスカルは腰の剣に手をやり、一瞬で警戒態勢に入った。それをエルシーリア様が手で制す。
エルシーリア様に宛てがわれた部屋の前、そこで2人は険しい顔で何やら言い合いをしていたのだ。基本無表情のアバスカルが感情を顕にし、エルシーリア様に詰め寄っているかにも見えた。何にせよ、穏やかな雰囲気ではない。
アバスカルがエルシーリア様の傍に控えている時は、この国の警備は付かないこととなっている。エルシーリア様が護衛を不要としたのだ。それほどまでにアバスカルの腕がたつのだろう。いつもなら人の気配に気づかぬはずもないだろうに、今日ばかりは俺の接近にも気づかなかったようだ。何をそれほど熱くなっていたのか。
「不用心なことね。私が暴漢だったらどうするつもりかしら? 大切な大切な主なら、もっと気合を入れて守ったらどう?」
「―――貴方ごときに、私を出しぬいて我が君を傷つけることなど、できるはずがございません」
ゆらりと、アバスカルの瞳の色が変わる。手に施された紋様が一際怪しく蠢いて見えた。ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
「クレト、よすのじゃ。マルシアルも安易に彼奴を刺激するでない。普通の打撃も魔法の類も、魔抗騎士には容易く通用せぬ」
俺が意図的にアバスカルを煽ったことなど、エルシーリア様には丸分かりのようだ。軽く肩を上げ、降参の意を込めてひらひらと手を振った。
「で、何をそんなに話し込んでいたのよ」
「ほほう、なんじゃ、そなたもようやくわらわに興味がでてきたか?」
エルシーリア様がからかうように口にする。そんなはずがないと分かっていて、煙に巻こうとしているのだ。あまり触れられたくない話題らしい。
この女性も中々の曲者だ。聞き出そうとしたところで一筋縄では行かない。そこまでの興味もないので、さっさと諦めると、2人を促した。
「ほら、行くわよ。わざわざ私を早く呼び出して、行きたいところがあるんでしょう?」
今日の俺は、いつもより早めに登城している。エルシーリア様から早く来るように指示があったと、執事から伝えられたのだ。
だがエルシーリア様は、俺の言葉に首を傾げた。
「はて。そんなこと、わらわは伝えておらぬがのう?」
「はい?」
だとすると、誰が何の意味でそんなことを。
「まあ良い。出かけたかったのは事実じゃ。少し早いが出発にしよう。タラソガという村へ行くぞ」
エルシーリア様は少し思案した後にそう判断を下すと、にこりと微笑んだ。
*****
ガタゴトと揺れながら馬車が進む。狭い室内には、俺とエルシーリア様、アバスカルの3人が乗っていた。エルシーリア様の魔法とやらでひとっ飛びできる距離ではあるが、何処かで陸路の楽しさを聞きつけてきたエルシーリア様の要望を受けての馬車移動だった。
「それで、なんでまたタラソガなのよ」
そこへ行きたいと言い出したのはエルシーリア様である。タラソガというのは、王都から西に位置する小さな村だ。特筆すべき点もなく、良くも悪くも田舎の村である。なぜタラソガなのか。
「わらわのお師匠が、どうやらその辺りにいるようなのじゃ」
流れる景色を見ながら、至極楽しそうにエルシーリア様が続ける。
「お師匠は住処を転々としていてな、中々居場所が掴めなかった。けれど今は暫く定住しておるという。わらわがこの国に来た理由の1つじゃよ」
そういえば、と思い出す。放浪の魔女が現れたという報告を、以前受けたような気がしなくもない。こういった報告はよく受けるが、その殆どが自称魔女を名乗るただの変わり者だ。
この国の民、もっと言うならば周辺の国々にとっても、魔女や魔法は遠い世界の話である。本物の放浪の魔女が現れたのは国史上でも数回だ。どうせ今回もガセだろうと詳しく調べず、騎士団に調査を依頼したきりで放置していたのだが、本当だったのか。
「その魔女に用が?」
「うむ。聞きたいことがあってのう」
そう言い、エルシーリア様が微笑む。視界の端でアバスカルが僅かに身動きした。
そう言えば、先程彼女は、アバスカルに対して何とも気になることを言っていた。
「ねえ。さっき『魔抗騎士』って言ってたでしょう。それって何なの?」
聞き慣れぬ言葉だから引っかかっていたのだ。読んで字のごとくと言われればそれまでだが、特殊な騎士ならばその性質をきちんと知っておきたい。何せこの男は、俺の代わりにリナリアの傍に居ることがあるのだから。
「『魔抗騎士』とは、世界で唯一、わらわがクレトに授けた称号じゃ」
「世界で唯一?」
「うむ。『魔抗騎士』とは、魔に関わる全てを拒む存在を指す。その身に魔法の性質を宿しながら、魔力は皆無でなければならぬ。クレト以外に、なれるものはおらぬじゃろうな」
クレト、とエルシーリア様が名を呼ぶと、アバスカルが右手を差し出した。そこに施されているのは、先程も目にした何とも複雑な紋様だ。
「これが、魔抗の印じゃ」
その印を見つめるエルシーリア様の瞳はどことなく悲しげである。アバスカルは相変わらず表情を変えないが、ぎゅっときつく右腕を握っていた。
「この印が魔法を拒む。そんじょそこらの魔法は決して受け付けぬ」
「……へえ」
「おお、そういえば。お主の愛しい婚約者殿も、この印の世話になっておるぞ」
「はっ!?」
リナリアが、この印の?
ということは、どこかで彼女に魔法による危険が迫っていたということが。
「―――何故、言わなかったの」
自然、睨みつけるように2人を見る。アバスカルが、俺とエルシーリア様の間に素早く体を割り込ませてきた。狭い車内だというのに腰の剣に手をやっている。
いつでも斬る、そうアバスカルを臨戦態勢にさせるほど、俺の瞳は怒りに燃えていたのだろう。エルシーリア様はアバスカルの背後でころころと笑った。
「なんじゃなんじゃ。自分で守れなかった、あまつさえ気づきもしなかったと言うに、クレトの手柄を責めるというのか?」
「それは……」
悔しいが、間違いなく彼女の言った通りだった。婚約者の危険を気づきもせず、守りもせず、教えてくれなかったと周りに当たる。本来それは教えられるものではない。自分で気づき、守るものだ。
自分の無力さが何とも歯がゆい。ぎりっと唇を噛んだ俺を、エルシーリアが柔らかく見つめた。
「まあ、仕方ないがの。おぬしは意図的に引き離されてもおったしな」
「意図的に引き離されていた?」
「うむ。そう心配せずとも、近日中に片が付くじゃろうて。そのためにわらわが来たのじゃからの。何も被害は―――」
「エルシーリア様?」
言葉の途中でふいに口を閉ざし、エルシーリア様の視線が鋭くなった。ざわり、と空気が蠢くのが分かる。一瞬だけ固く目を瞑ったかと思うと、次の瞬間には立ち上がっていた。
「この術はわらわのものではないな。とすると、これは……間違い無い。まさかこれほど早いとは、『蜜蜂』にまんまとしてやられたな。……クレト」
「はっ」
「移動するぞ。ついて参れ。ああ、他に何を持っているかも知れぬ。心せよ」
「ちょ、なに、なにが起きたっていうのよ」
何か急展開で話が進んでいる。
『蜜蜂』とは、この国に存在すると言われる諜報員の総称だ。その蜜蜂とエルシーリア様、来国の理由、魔法、意図的に遠ざけられていたという俺に、目撃した不可解な密会。点と点を繋ぎあわせて、浮かび上がったのは―――
「マルシアル、お主はここで待機じゃ」
目の前でエルシーリア様が宙に何かを描いた。虚空に亀裂が走り、ぱっくりと口が開く。外の御者に指示を出していたアバスカルが戻ると、その手を掴んで亀裂をくぐろうとした。が、そのエルシーリア様の手を俺が掴み、引き戻した。
「なっ、邪魔をするでない」
「私も連れて行って」
「いや、お主を連れて行くという話にはなっておらぬ。大人しく待て」
「待つわけ無いわよ―――あの子のことだもの」
睨む様に見つめると、エルシーリア様は深く息を吐いた。
「……まあお主ならば、これだけ話せば推測できるじゃろうな。まったく、本来お主がこの場にいる予定では―――ああ、これもあやつらの仕業か」
舌打ちし、悔しげに顔を歪めた。
「わらわを手玉に取るとは、中々やりおるわ。親子揃ってなんとも癖のあることよ」
「我が君、あまり時間が経ちますと」
「分かっておる。では、今度こそ行くぞ」
エルシーリア様に手を引かれ、3人揃って亀裂をくぐる。眩い光が一面を覆い、堪らず目を瞑った。俺の予想通りならば、次に目を開けた時に目の前にいるのは、きっとあの人だろう。
「ふふ、いなかったらどうしてやろうかと思っていたわよ、マルシアル?」
果たしてその通りに、忌々しいくらいの笑顔で、予想していた人が俺達を待ち構えていたのだった。




