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第4章「奪還」

 車中は無言だった。

 いつもなら太一はマルポロをふかしているはずだが、今日はそういうわけにはいかないようだ。

 太一は前方を見据えたまま石像のように動かない。

 車内には発狂しそうなほどの緊張感が満ちていた。

 皮肉なことに塵芥車は実に快調だ。目的地に迷いなく進んでいく。

政府居住区から数キロ先の市街地へ向かい、山を切り開いた緩やかな坂道を登って行くと研究所が見えてきた。昔、市民病院であったそれは、今では改装されて研究所となっている。

 入口前にやって来ると、太一は車を降りた。

「軽油くださーい」

警衛兵に呼びかけながら二人分の身分証明書を持って行き、入口のスライド式防護柵の小窓に掲げてみせる。居住区なら何度も出入りしているから顔パスだが、ここはそういうわけにはいかない。小窓の向こうで警衛兵が確認すると、防護柵の入口扉が左にスライドして、車両の通行出来るスペースが覗いた。

「どうも~」

 太一が塵芥車に戻ると中に発進した。

 ―――作戦開始。


 敷地内に入り、施設正面にある駐車場へ車を停める。

既に牧本は待っていた。

 今日の牧本は見た目の印象がかなり変わっている。髪に軽くパーマをかけ、髭を剃り、メガネをかけていた。ここにいる一部の人間には面が割れているからだろう。

黎人たちは朝の挨拶もなく、粛々と準備を始めた。

白衣を着て研究員に変装。SIGザウアーを腰に差し、荷物は全て黎人が持つボストンバッグに入れる……5分もかからずに準備は完了した。

牧本が腕時計を確認する。

「今から30分。警備は通らん」

走って研究所の裏手へ向かった。


 研究所の裏手は思ったよりも開けており、広かった。施設から仮説防護柵まで十分なスペースがある。何の意図でこれほどのスペースを作ったのか分からないが、付近には誰もいない。牧本の言う通りだ。つい先日、警備を強化したらしいが隊員間では情報は筒抜けらしい。牧本は出入りしているから、ここの隊員とも親しい。リンゴの情報も全てパイプのある牧本のおかげだ。

 非常口は寂れて目立たない位置にあった。長い間使われていないのだろう。実質、研究所の人達には忘れ去られている存在らしい。

 牧本が非常口の前にしゃがみ込み、黎人へ「よこせ」と指示した。

 黎人はボストンバッグからピッキングツールを取り出す。

牧本が持ってきたものだ。

 牧本は二本の鉄棒を取り出し、ピッキングを始めた。鍵穴に先の曲がった鉄棒を引っ掛けながら、まっすぐの鉄棒を突っ込んで擦っている。

 太一が興味を示した。

「どこで覚えたんですか?」

「基地に錠前破り専門だったじいさんがいてな。二日間弟子入りした」

 囚人が基地内で思いのほか重宝するという話もきく。犯罪者はある種の技能集団かもしれない。

「そんなすぐおぼえられるもんなんですか?」

「一番簡単なディスクシリンダーなら、一時間も練習すれば誰でも開けられるようになる。こいつは基地にあるロッカーなんかでも使われてる、ディンプルシリンダーってやつだが……」

 それきり牧本は黙って作業に集中した。苦戦しているのか、牧本の額にはじんわりと汗が浮かんでいる。


 10分……20分……。


 太一が左腕の腕時計を確かめた。

「ちょっと見てくる」

 太一は研究所に沿って端へ移動し、角から建物の表側を覗いた。

 黎人は、太一の様子をじっと見ている。太一は警邏(けいら)隊員が来れば合図をよこすだろう。

 カチッと音が鳴った。

 牧本がドアノブを回して引くと―――扉が開いた!

 扉の向こうには薄暗い照明に照らされた、非常階段らしきものがある。ここから各階に繋がっているのだろう。

 黎人が太一を呼ぼうとすると、太一が慌てた様子で走って来た。

(来たっ! 来たっ!)

 走りながら、口の動きだけで知らせてくる。

 急いで牧本と黎人が非常口の中へ身を滑らせると、遅れて入ってきた太一が扉に手をかけて閉じる。

 小さな音を立てて扉が完全に閉じると、黎人達は息を殺して聞き耳を立てた。

 見られなかっただろうか?

 数秒の間を置いて、半長靴の音が近づいてくる。扉の前にやってきて………………通り過ぎて行った。

その後数十秒、身じろぎせずじっとしていたが、特に騒ぎ立てる物音もしなかった。

 ギリギリだ。危なかった。

 黎人達は誰からともなく、階段を降り始めた。


 地下一階に出た。施設の中を覗きながら進んでいく。

 地下一階は研究室が並んでいた。薬品の入った棚。顕微鏡などの道具。ケージに入ったマウス。その中で働いている研究員達は特別な実験をしているようには見えない。黎人達はリンゴを捜すためにじろじろ見まわっていたが、誰何されることもなかった。変装の甲斐あって研究員に見えているのかもしれない。


 地下二階に降りると様相が変わる。医療設備が並んでいる手術室のような部屋を横目に通過すると、酸素カプセルのような物が十数個安置してある大きな部屋があった。そのカプセルにはカテーテルが何本も繋がり、中には呼吸器に繋がれた女性や妊婦、輸血パックの点滴を受けているらしい幼稚園生ぐらいの女の子や中学生ぐらいの男の子もいた。

太一が小声で話しかけてくる。

「これ、病気の治療とかじゃないよね?」

「違うだろう」

ここは病院ではない。しかし、人体実験だとしたら問題になるのではないだろうか? いや、今の日本では問題にするだけの力を持った組織がない。国も関わっているとしたら尚更だ。

部屋を出てさらに奥に向かうと、ステンレスの扉があった。

冷凍室だ。中には頭を撃ち抜かれた死体が数体安置してある。これが半感染体の死体だろうか? 気味が悪かったが、死体を確かめて回った。……七海も牧本の妻もいない。なぜか少し安堵した。


 最下層の三階へ急ぐ。もう捜していないのはこの階だけだ。三階に行くとすぐにモルタル造りの壁に埋め込まれた観音開きの扉があった。

 うぅ~ううぅ~~~……。

 うなり声が漏れ出してきた。明らかに感染者の声だと分かる。

 牧本がSIGザウアーの(ハン)(マー)を起こし構えると、躊躇せずに入っていった。

「あぁ、ちょっと」

 太一が追いかけ、黎人が続いた。

入ると地下三階の面積の大部分を占めた部屋になっており、薄暗い照明の中、左右に並ぶ檻が部屋の奥まで並んでいた。

 牢獄か?

 いくつものうなり声が室内に響き渡る。献体として運ばれてきたであろうリーチ病感染者が檻の中でこちらを睨んでいた。不思議なことに感染体は男女ペアで入れられており、中には赤子を抱いている感染者もいる。

 ここでは何が行われているのか?

 一つだけ分かるのは、感染者達がこちらに向かって敵意をむき出しにしているということだ。研究員達はかなり嫌われているのかもしれない。

 感染者の声に囲まれながら廊下を進んでいく。一番奥に来たとき、力なく横たわっているその人がいた。

「リンゴ!」

 黎人はたまらず叫び、太一と共に檻に駆け寄る。

 無事だ! 生きている!

 リンゴも黎人に気付くと、檻に飛びついた。

「あうぅ~、あぁ~~~」

 顔を歪めて声にならない声を上げている。

 黎人にはなぜかその声の意味が分かった気がした。

 ―――会いたかった。

「水差して悪いが……」

 黎人は牧本の声で我に返った。

「普通の錠なら道具で開けようがあるんだが、こいつはカードが必要なタイプだ」

 檻には電子ロックが付いている。太一がまじまじと覗いてきいた。

「開けられないんですか?」

「カードリーダーが付いてるから、何かのカードが必要だろうな」

「カードって……」

 太一はそう言ってハッとした顔つきになった。

「そういえば研究員がIDカードみたいなの首にぶら下げてませんでした?」

「あぁ、そうだな……」

 牧本はつぶやいて、考え始めたようだ。

 IDカードを奪うか? しかし、そうすればすぐに騒ぎになるだろう。

 ―――関係ない。

 黎人は扉の開閉部左右にある鉄棒を掴むと力を込めて引いた。

 ガキッ!

 金属の折れる音がして扉が手前に開く。

「れーちゃん……すげぇ」

 太一と牧本は唖然としている。

「あ~!」

リンゴは檻を出ると、黎人の胸に飛び込んできた。温かい体温が白衣越しに伝わってくる。

―――無事で良かった。

「何してんの?」

 後ろから妙に甲高い声がした。

 黎人達が振り向くと、園田がIDカードをポンポン上に投げて遊びながらやって来た。

「ちょっと、その娘貸して。今から実験だから」

 実験!?

 園田がリンゴの腕を掴むが、黎人が胸に引き寄せる。

「へっ!?」

 園田は眉根を寄せた。

「質問に答えろ」

 牧本が腰に差していたSIGザウアーを抜くと、園田にポイントする。

 園田は、両手を挙げるとひょっとこのような顔になった。

「君達研究員じゃないの?」

 牧本は質問を無視して、リンゴを親指で指し示す。

「この娘はクローンか?」

「うん、そうだよ」

実に軽い返答。あっさりと認めた。

 そうか……やっぱり。

隣の太一を見ると、目が合った。

 太一も同じだろう。予想していたとはいえ落胆を感じてしまう。あの頃の七海が蘇ったわけではない。

 だとしても―――黎人は思い直す。

リンゴを助けに来たのだから。

 牧本はカッターシャツの胸ポケットから妻の写真を取り出し、園田に見せた。

「この女は半感染体としてここに運ばれてきたはずだ。どこにいる?」

 園田は写真を覗き込むと間の抜けた声を上げた。

「あ~、彼女、見たことあるよ。適性試験落ちたんじゃない?」

「適性試験?」

 ピリッと何かが走った。

 園田は牧本の空気が変わったことに気付かない。

「色んな能力を計る試験。受かれば兵士として養成、落ちれば献体としてモルモット、OK?」

「モルモット!?」

 まずい。牧本の何かが決壊する。

 黎人達は背筋に嫌なものを感じたが、園田の勢いは止まらず饒舌に語った。

「実験すんの! 組織切ったり、内臓取り出して調べたりさ。でも、いろいろやってるうちにすぐ壊れるのが悩みの種なんだよね」

「生き返らせて、また殺すのか?」

「だって、皆ワクチン欲しいでしょ? マウス使うより良いデータ取れるよ」

 牧本は引鉄を引いた。

 銃声―――。

 止めるべきだったのだろうか?

喉元を撃ち抜かれた園田が倒れた。

「ぐぇ~! うっぐ……、えぇっぇえぐ……」

 園田は首を押さえて転げまわりながら苦しむ。喉元の銃創からゴボゴボと血が溢れて止まらない。

 リンゴは黎人の腕をきゅっと掴んだ。微かな震えが伝わってくる。怖いのだろう。

「牧本さん……」

 太一は青ざめている。

 牧本は苦しむ園田の側にしゃがみ込んだ。

「行け……俺は始末をつける」

「何、する気ですか?」

「……」

「牧本さんっ」

「早く行け!!」

 有無を言わせぬ怒号は決別の合図に聞こえた。

 牧本の背中から発せられる無言の圧力。下手に刺激するとこちらまで殺されかねないほどの殺気が漂っていた。

 黎人達は何も出来ずに牧本の背中を見ている。

「牧本さん」

 太一が再び声をかけたが反応しない。

 黎人は太一の肩に手を置き、軽く首を振って目線で語りかけた。

 ―――もう何を言っても無駄だ。

 太一は暗い視線を地面に落とす。

 恐れていたことが的中したのかもしれない。

黎人は慌ただしくボストンバッグから白衣とスニーカーを取り出すと、リンゴに着用させる。脱走した時にリンゴが身に着けていた物だ。これで少しは目立たなくなる。その時も誰かが着用させたのだろう。

 リンゴの簡易変装が完了すると、

「行こう」

太一に声をかけ、黎人はボストンバッグ片手にリンゴの腕を引っ張りながら走りだす。

 太一も続くが途中で一度振り向いた。

「車のとこで待ってますから!」

 牧本は答えなかった。


 牢獄を出るとすぐ横に非常口らしき扉があった。

開けてみると、頭上に白い折り返し階段が続いている。地下一階へ侵入した時に使った階段だろう。

黎人達は全速力で駆け登って行った。

 きつくないかと途中、リンゴの顔を見るとニコッと微笑んだ。

 大丈夫そうだ。

早く……早く外へ!

 二階の非常階段を登っていた時だった―――。

 ドドドドドド……。

 聞き慣れた半長靴の足音が聞こえたかと思うと、050式小銃を携えた自衛隊員達が降りて来た。突然のことに足が止まってしまう。

 階段を挟んだ上下の踊り場で鉢合わせる形になった。

「動くな!」

 先頭の隊員が上から050式を構えた。

「やばっ!」

 太一が小さく漏らした。

 多勢に無勢。黎人と太一は目線で一瞬の内に意思疎通すると、階段を取って返す。

 背後に追いかけてくる気配を感じながら、二階の非常口へと出た。すぐ正面に薬品倉庫がある。相談する間もなく扉を開け、中に身を隠した。

「ハァッ……ハァ……何で隊員が?」

 荒い呼吸を必死に静めながら太一は言った。

 黎人は思い当たる。

「もしかしたら、電子ロック壊した時にセンサーが発動したのかも」

 もう少し待っていれば園田が来たのに……今さら、どうしようもない。

 勢いよく扉を開く音がした。隊員達も非常口を出てきたのだろう。

 ―――どうすればいい?

 隊員達は薬品倉庫のすぐ目の前にいる。扉一枚隔てられているだけだ。完全に追いつめられた。

その時、隊員とは違ういくつもの走る足音が迫ってきた。

非常口とは違う方向。足音だけではない……これは……。


 ―――獣のような咆哮。

 続いて音が爆発的に発生した。

銃声。怒号。悲鳴。倒れる音。

何かが然起こっている。

 黎人達は倉庫内の窓からゆっくりと外を覗いた。


 ―――感染者達が隊員を襲っている!


 太一が急いで頭を引っ込めた。

「これって、もしかして……」

「……牧本さん」

理由の説明など、黎人の一言で充分だった。感染者達は地下三階にしかいなかったはずだ。牧本が園田のIDカードで感染者の檻を解放していったのかもしれない。

 これが牧本の言っていた始末―――。

 すぐに施設内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。警報アラートが鳴り響き、あらゆる音が入り混じっている。

 黎人達は薬品倉庫で動けなくなった。


     *


 逃げ惑う研究員。戦う隊員。襲いかかる感染者。廊下や各部屋、階段、非常口付近など至る所で、収集不可能にも思われる混乱と狂騒が巻き起こっていた。

 牧本は走っている。頭も胸の中も燃えるように熱い。途中出会った自衛隊員や研究員は可能な限り、SIGザウアーで撃っていった。倒れた者は感染者に血を吸われ、すぐに復活するだろう。

 この施設の何もかもが憎かった。

 命をもてあそぶ研究。それを守っている隊員。何もかも許せない、壊したい。お前らも実験(モル)動物(モット)のように死ねばいい。

 ―――美紗、美紗、美紗……。

 呪詛のように妻の名前が胸中に渦巻いている。

 牧本が感染者に追われながら一階に上がった時、廊下の向こうから『11』と『18』が歩いてきた。

 牧本はナンバーズを知らない。

 他の隊員を仕留めてきたのと同様、まず『11』の腹に向かって撃った。

『11』は臍の上部に被弾。が、歩みを止めない。

 ―――何だ?

 『11』の腹が排莢するように9ミリパラべラム弾を吐き出した。リノリウムの床に金属音が踊る。

 ―――やばい!

 牧本が危険を察した瞬間、『18』が腰に挿している二本のコンバットナイフを抜いた。

急接近―――わずか一呼吸の時間。

 二本のナイフは鋏のように牧本の首に食い入り―――刎ねた。

 牧本の頭が空中を舞う。視線は自分の体を捉えていた。

 血が噴水のように上がっている。

 牧本の頭が廊下に落ちると小さくバウンドして止まった。

―――どこへ行くんだ?

バランスを崩して倒れる自分の体と『11』達が歩いていく背中が見えた。

………………美紗。

 牧本は何度かまばたきすると永遠に閉じた。


     *


「出る?」

 窓の外を見ながら、太一がきいてくる。

 予想外の状況だがこの混乱に乗じて逃げ出せるかもしれない。

しかし、命の危険もともなう。

このままここで救助を待って捕まるか、飛び出して賭けに出るか。

「出るしかないな」

 黎人は迷わない。

 捕まればリンゴの運命は決まっている。モルモットなんて馬鹿げた話だ。

 リンゴは黎人に寄り添って身を小さくしている。献体にされるなんて想像したくもない。

 黎人と太一はボストンバッグの中からマガジンを取り出し、白衣のポケットに突っ込んだ。

 ここから先、戦闘は避けられないだろう。

黎人はマチェットも取り出し背中にかける。最後に命を預けるのはこの無骨な刃物だ。

「れーちゃん、行ける?」

 黎人は頷く。

 緊張している様子の太一はフーッと息を吐いた。

「……死ぬにはいい日だ」

 思わず黎人はプッと吹き出す。

「どこがだよ」

 初めて声に出してツッコんだ。ホントにこいつは。

 二人はSIGザウアーの(ハン)(マー)を起こした。太一の3秒カウントが始まる。

「1・2……」

 黎人はリンゴを握る手に力を込めた。

「3!」

 黎人達は地獄に飛び出した。


     *


 『11』と『18』は二階に降りて来ていた。

 相変わらず銃声は鳴り止まず、悲鳴と怒号が方々からあがっている。

しかし、『11』達はそれらのことに全く関心がなかった。向かってくる感染者は適当になぎ倒していたが、それは本来の目的ではない。

 研究所付きの選ばれたナンバーズ達には重要な任務があった。

情報漏えいを防ぐこと。つまり、クローンを外部に出さないことだ。

 研究施設がバイオハザードになった場合、その任務を最優先させる。クローンを捕縛すること。捕縛が難しい場合には殺すことも許されている。

 ナンバーズ達は実験(モル)動物(モット)を軽蔑していた。

 自分達は何度も殺されるほどの訓練をして兵士になった。実験(モル)動物(モット)なんて少し苦しんで殺されるだけだ。

なのに、『23』に至ってはそんな簡単なことさえ拒んでいる。

 非常口の前まで来た『11』達は、目的のものを見つけた。

黎人達が感染者に囲まれ応戦している、その中に。


 ―――『23』。出来損ないのクローン。


     *


 タイミングが悪かった。飛び出した瞬間にちょうど奥から走ってきた感染者と鉢合わせたのだ。

 続けざまに2発。肉片が噴き出し、脳漿が散った。

 黎人は、襲い掛かってきた感染者二人を超反応で撃ち抜いた。素早く、無駄のない動きで額にほぼ0距離射撃。

 太一はとっさのことでリンゴをかばうのがやっとだった。

「大丈夫か?」

「……う、うん」

 太一は、黎人の身のこなしに何か言いたいようだ。

太一の反応も無理はない。さっきの牢獄での一件に続きこれだ。

「急ごう」

 黎人は促し、非常口に向かおうとすると、峻嶮な岩山のような男が立ちはだかった。

『11』だ。ただならぬ殺意を放っている。

黎人は、すぐに普通の自衛隊員とは明らかに何かが違うことに気付いた。

「あぅっ!」

黎人は、リンゴの声に反応して振り向くと、すぐ背後では『18』がリンゴの腕を引き、連れて行こうとしている。太一がさせまいとリンゴの腕を引き返すと、『18』が二本のコンバットナイフを抜いた。

「太一っ!」

 黎人は瞬時に『18』の後ろに回り、作業服の襟首を掴んで引き倒した。

『18』の斬撃が空を薙ぐ。

黎人はそのまま『18』の足を撃とうとSIGザウアーをポイントするが、『11』が蹴り上げた。

パンッ!

SIGザウアーは天井に暴発して、廊下の奥へ飛んでいった。

「くっ!」

 太一は瞬時に状況を読み『11』の左足、次に『18』の右足を撃った。

 黎人は太一に寄り、共にリンゴを背にしながら後ずさる。

 ―――こいつら……。

 『11』と『18』は足に被弾したが平然としている。痛がる様子が全くない。『11』が左足から弾丸を吐き出すと、『18』も起き上がり、右足から弾丸を吐き出した。

「まじかよ」

 太一の額を汗が伝う。

「太一、こいつらやばい」

「みたいね」

「頭を狙った方が良い。殺らなきゃ殺られる」

 足を撃って戦力を無効化することは出来ない。あのマッシュルームカットが兵士を養成すると言っていたが、それかもしれない。

 黎人は早くも最終兵器のマチェットを抜いた。

 『11』は『18』に目顔で合図を送ると、好戦的な笑みを浮かべながら黎人に接近してきた。動きを同じくして、無表情の『18』が太一に襲い掛かる。


 『11』は黎人が射程(リーチ)圏内(けんない)に入るや、左腕を振り回した。

 黎人が、『11』が繰り出した大振りのフックをバックスステップでかわしすと、勢い余った拳が壁にめり込み亀裂が走る。壁が粘土で出来ているかのようだ。

 黎人は悟った。

 ―――まともに喰らえば一撃で殺られる。


 太一はリンゴをかばう形になりながら、『18』の頭を目がけて撃った。

『18』は顔をそらして避け、太一に接近してくる。

 太一は、首元を狙った『18』の斬撃を紙一重、尻もちをついてかわした。

 『18』は初撃に続き間髪入れず、斬撃を繰り出す。

体勢危うい太一は、すぐ側の感染者の死体を片手で持ち上げた。『18』の斬撃が死体を抉り、血と共に内臓が飛び出す。

 太一は連続して引鉄を引いた。

 

パンッ! パンッ! パンッ!

 太一の銃声。聞こえている内は大丈夫だが―――。

黎人は『11』に苦戦していた。既にお互いに何手か繰り出したものの、相手にさばかれてしまう。体躯に似合わぬ敏捷性を持つ『11』は、素手での攻撃を繰り出しながらも正確に黎人の斬撃をかわしていた。

「あっーーー!!」

 リンゴの威嚇のような叫び声。

黎人が気を取られた瞬間、『11』の前蹴りが襲ってきた。寸前で腕を交差させ防いだが、衝撃おさまらず、フロアに靴底を擦りながら後ろへ弾き飛ばされた。十蔵戦で身に付けた『体』を使わなければ今の一撃で終わっていたかもしれない。

『11』が追撃に入った。


太一は盾にしていた死体もズタズタに切り裂かれ、盾にならなくなった。弾丸も空になるまで撃ったが、『18』は全ての射線を読んでかわした。

太一はマガジンを交換しようと白衣のポケットに手を突っ込むが、その隙を見逃す『18』ではない。

『18』が素早く斬りかかる。

太一は反応して身を引いたが、カッターシャツの胸元が裂けた。その拍子に握っていたマガジンを落としてしまう。

「う~あぁっ!」

追撃にかかる『18』の後ろからリンゴが飛びついて羽交い絞めにした。しかし、力の差があり、一瞬で振り飛ばされてしまう。

 それでも、太一はリンゴが作ったわずかな時間でマガジンを交換した。

至近距離の『18』の頭に発砲―――が、読まれていたのか『18』は弾丸をしゃがんで避けると、目の前にある太一の腹にナイフを刺した。


「ぐあぁっ!」

 黎人は、太一のうめき声を聴覚にとらえ、振り向く―――『18』が倒れた太一に止めを刺そうとしている。

隙を見逃さない『11』の右ストレートを、黎人はノールックのバックステップでかわしざま、そのまま体をひねりマチェットを投擲。

 光線のごとく放たれたマチェットは『18』の背中から突き刺さると、心臓を貫通し、胸に突き出た。

 太一は腹を片手で押さえながら、動きの止まった『18』にSIGザウアーの引鉄を三度引いた。二発は顔面、一発は頭に命中。

 黎人が太一に駆け寄ると、一拍遅れて『11』もついて来た。

「邪魔……」

 黎人はフラフラと死後のダンスを踊っている『18』からマチェットを引き抜きながら、

「すんなぁっ!」

 その勢いで『18』の体を『11』に投げ飛ばす。

 『11』は飛んできた『18』の死体を薙ぎ払うが、その向こうにはもう黎人はいない。

 既に高々と跳躍していた黎人は、両手で逆手に握ったマチェットを『11』の頭頂へ突き下ろした。

 『11』は両手をかざし受けようとするが、両手もろとも串刺しになり、脳天にマチェットが突き刺さる。地面が揺れるほどの迫力で巨体が倒れた。

「太一っ!?」

 黎人とリンゴは太一の側にかがむと怪我の様子を見た。腹からひどく出血している。黎人が傷口に触れると、

「んぅっ!」

太一が苦痛に顔を歪めた。

黎人とリンゴも泣きだしそうな顔になってしまう。

「れーちゃん……すげーな。やっぱ、宇宙人だ」

 黎人は太一の軽口に付き合う余裕がない。

「動けるか?」

「ちょっと厳しいかも」

 その時、黎人の背後からうめき声が聞こえた。振り向くと襲われて既に感染者と化した研究員が向こうから歩いてきている。

 太一はSIGザウアーを構えると、感染者の頭を撃ち抜いた。怠いのか持ち上げた手がすぐにダラリと下がる。

「逃げよう」

 黎人が肩に手をまわし立ち上がらせようとするが、太一は痛がりその場に座り込む。

「無理……」

 太一が苦しそうに漏らした。

黎人は再び立ち上がらせようとする、が―――太一はその手をやんわり拒否した。

 黎人は瞠目し、目でなぜだと問う。

「れーちゃん……行けよ」

「ふざけんなよ! お前……」

 置いていけるわけないだろう。それが、言葉にならない。黎人はどうしようもない怒りが湧いた。自分に腹が立つのだ。力を手に入れても、太一を守れなかったじゃないか。

「違うって……もうすぐここも終息するから……捕まるけど、治療はしてもらえると思う」

 確かに周りの銃撃音がまばらになっている。自衛隊員が活躍しているのだろう。バイオハザード時のマニュアルが機能しているらしい。

 黎人は頭では状況を理解していた。

しかし、心が認めたくない―――絶対に。

太一はポツポツと話す。

「この体じゃ……福岡まで、もたない……」

 黎人は俯いて何も答えられない。

 ―――なぜ、いつも守りたいものが守れないのだろう?

 太一が両手で黎人の襟首を掴んだ。

「いいか、れーちゃん……れーちゃんは悪くない……今まで、精いっぱい、やってきた……でも、ちょっと運が悪かった、だけなんだ……れーちゃんは……悪くない」

 太一の糸目が開いてまっすぐに黎人を見つめている。

「太一……」

 黎人はずっと自分を責めていた。太一が七海を守れなかった自分を恨んでいるのではないかと思ったこともある。

「あ~いぃ?」

 リンゴが太一を覗きこみながら話しかけた。『大丈夫?』と言っているのではないだろうか?

「あい、あい」

 太一はリンゴの頭を撫でて答えた。

 リンゴが小さく微笑む。

「れーちゃん……れーちゃんはこの子を連れて行かないと」

「……」

 また、言葉が出ない。そうだ、リンゴはここから連れ出さないといけない……。

「約束だよ」

「…………分かった」

 黎人は喉から言葉を絞り出した。

 太一の言う通りだ。リンゴを八博まで連れて行かないと……。

 黎人は零れだしそうな涙をいっぱいに溜めながら、白衣のポケットにある自分のマガジンを全て取出し、太一に握らせた。

「絶対に死ぬな! 迎えに来るからっ!」

「うん」

 そう言って太一は精いっぱいの笑顔を作った。

 黎人は、『11』の頭からマチェットを抜き取ると血を払い、背中の鞘に納めた。

 ―――約束した。絶対に……。

リンゴの手を取り、非常口に向かう。

何度も太一を振り返るリンゴとは対照的に、黎人は一度も振り向かなかった。


     *


 リンゴは黎人に手を引かれ、非常口の階段を登っていた。

 黎人は前だけを見ている。

 途中、降りてくる何人かの隊員がすれ違ったが、誰何されることはなく、地下階へ脇目も振らずに走って行った。

 ―――あの人は大丈夫なんだろうか?

 リンゴは太一のことが気になる。

 ただ、リンゴを引っ張る黎人の手がとても堅くて―――悲しみが伝わってくる。

 階段を駆け上がり、地上階への非常口を飛び出した。

 眩しい!

陽光が全身に降りかかってくる。

 リンゴは目を細めながら周囲を見た。

 地上では研究員や自衛隊員が忙しそうあちこちへ行き交っている。

「違うんだっ!」

 悲痛な声が聞こえた。

 リンゴ達が声の方を見ると、隊員が研究員に050式を突きつけていた。研究員は腕を噛まれたのか血に染まっている。ビクンと大きく震えて、「止め……」と言ったところで隊員が撃ち殺した。研究員がパタリと倒れる。

黎人は、今しがた出てきた非常口を見た。少し迷っているような顔だ。さっきの人を心配しているのかもしれない。


 そして、それが油断になった。


 風を切る音。

 最初に気付いたのはリンゴだった。

待ち構えていた後門の狼―――リンゴは『6』が飛びかかってくるのを視界に捉えた。

黎人は気付かない。

『6』がコンバットナイフ片手に黎人へ斬りかかる。

 寸前、リンゴの脳裏に辻村の最後についた悪態がフラッシュバックした。同時に瞬くような想いが全身を支配する。


 ―――そっか、ホントは怖かったんだ。


 リンゴは黎人の背中を押した。


     *


 ―――え?


 何かが突進してきた気配と背中を押されたのは同時だった。

 黎人が振り向くとリンゴが宙を舞っている―――地面に落ちると、ごろごろと転がり、止まると俯せて動かなくなった。

 頭の中が真っ白になっていく。

「リン、ゴ?」

リンゴへ地面に擦るような足取りを進める。

 呆然と歩いている黎人に『6』は容赦なく斬りかかった。

 黎人は右手で蠅を払う。拳が『6』の頬にめり込み、骨を砕くような音と共に弾き飛ばした。

 リンゴ……何で?

黎人はリンゴのそばにひざまずき、傷口を確かめる。

背中を深くえぐられて血を流しているが、少しずつ傷口がふさがっていくのが見えた。先ほどの兵士ほどではないが、リンゴにも再生能力があるのかもしれない。気を失っているが、息もしている。

軽く数メートル吹っ飛ばされた『6』は、頭を振りながら立ち上がった。口内のほとんど折れてしまった歯を全て吐き出すと、ニッと食いしばる。口内では既に新しい歯が生えていた。

 黎人は強烈な気配を感じ、ゆっくりと『6』に向き直った。

 『6』が黎人を見ている。目には明確な殺意が宿っているようだ。

濃密な死の気配が漂い始めた。

これから先、油断など許されない。全力の死闘になる。間違いなくどちらかが死ぬだろう確かな予感。

『6』は右足を後ろに引き、ナイフを構えた。

黎人は静かにマチェットを抜く。

にらみ合う視線が絡まり、じりじりとお互いの隙をうかがう。

―――来るっ!

 『6』が口火を切った。

 駆け出し、数歩で黎人に接近すると、ナイフの連撃を繰り出す。

黎人にはその全てがよく見えた。

 マチェットとナイフが激しく絡み合い、二人の熱が沸騰する。

―――ぬるいっ!

 斬撃を全て受けながら、右足で『6』の左足を突くように蹴った。

 『6』のバランスが崩れる。

 黎人がすかさずマチェットを薙ぐと、『6』の首元をかすめた。

 まだ終わらない。

 黎人は、続けざまに後ろへのけ反った『6』の正中線を断つような縦一閃の斬撃を振り下ろす。

 『6』は、左手を犠牲にした。

黎人のマチェットが左手の骨を砕き割る刹那―――『6』は、後ろに飛び退いた。

遅れて『6』の左上腕部がぼとりと落ちる。

―――寸毫の差で仕留め損ねた。

『6』は、右手のナイフをかざし後退していく。

3メートルほどの距離が開いた。

黎人も迂闊には近づけない。何か狙っているのか?

一瞬の攻防だったが―――黎人はここにきて一つのことに気付く。

先ほどの『6』の動きを止めた前蹴りは、十蔵が黎人に対して使ったものだ。体が勝手に動いた。そういえば、研究所地下での兵士との戦いもそうだったのかもしれない。十蔵との死闘は、貴重なレッスンだった。

―――んっ!?

黎人は『6』の異変に気付いた。

 『6』の頭に青筋が浮いたかと思うと、左腕の切断面から赤い筋繊維で出来た、いくつもの触手のようなものが伸びた。急速にうねりながら成形し、左上腕部が元に戻る。

 やはり、頭を破壊しない限り倒せない。

 黎人は『6』の目線に合わせ構える。中段の構え。

 『6』は、両足を蛙のように曲げると、全身を震わせ、異常なまでに大腿部が大きく膨れあがった。そして、踏みしめていたアスファルトの破砕音と共に放たれた矢のごとく跳躍。

次の瞬間には黎人の目前に迫っていた。

 

 初撃。

 黎人のマチェットと『6』のナイフが交錯し、甲高い叫びを上げる。

速い! 『心』を使っても、反撃まで出来なかった。

『6』は黎人と交差して向こう3メートルほどに着地すると、勢いを全身のばねに溜めこみ、再び黎人に跳躍した。


 二撃。

 初撃よりも力と速度を増した一撃。

 交錯。再びマチェットが雄叫びを上げる。

 黎人は超反応で受けたが、予想される次の展開に焦りが浮かんだ。

 ―――また来る!

 『6』は再び向こう3メートルに着地した―――跳躍!


 三撃。

 『6』の更なる勢いを増した振り子の斬撃が跳びかかる。

「ぐっ!」

 黎人は防ぐも勢いを殺しきれず、肩口を斬られ、鋭く焼けるような痛みが走る。しかし、痛みに意識を奪われている暇がない。


 四撃。

 『6』の斬撃は黎人の顔を狙っていた。

 響き渡る金属の悲鳴。

 黎人は全開の『心』で音速の斬撃に対抗したが、マチェットの上半分を喰い切られ、頬にかすり傷を負った。

もう、マチェットで受けきれない!


 五撃。

 鋭い擦過音。

 黎人は、身をひねり回避するが『6』のナイフは胸元をえぐった。燃えるような血の沸騰。致命傷ではない。しかし、半瞬遅れていれば殺られていた。『心』を使い、動きに対応しても身体機能が間に合わなくなってきている。

次は確実に殺られる!


 六撃。

 黎人の意識が沈んだ。

 死の淵に臨み、魔物が未知の扉を開く。限界まで研ぎ澄まされた集中力が知覚を歪め、世界が停止する。


 ―――もっと、もっと先まで。


 全てはスローモーションになり、『6』はコマ送りの動きで襲い掛かってくる。

 黎人もコマ送りで身を後ろにそらし回避しようとするが、それを上回る速度で『6』の振り抜いたナイフが追いかける。

黎人のクビにゆっくりとめり込み―――首が刎ね上がった。

肉体の重みを忘れた黎人の頭は空中を浮かぶように進む。

 血を噴火させ、崩れていく自分の体を見ていた。


 ―――あぁ……分かった。


 そして、時間は動き出す。


 世界が逆再生を始めた。

 噴出した血は首の切断面に吸い込まれ、黎人の頭は重力を無視した動きで起き上がった体に着地。『6』は六撃目の跳躍動作まで巻き戻る。


 六撃。再び!

 同じ軌道。同じ斬撃で襲い掛かってくる『6』。

交錯と死の(あわい)

 黎人が真下にしゃがみ込むと、『6』の斬撃がなびいた白髪をかすめた。

 ―――ここだ!

 体を旋回させ、交差する『6』の後頭部に折れたマチェットの刃を突き立てる。頭蓋骨の感触をぶち破り、根元までめり込んだ。

 制御回路を失った『6』は勢いのまま地面に落下。体を地面に何度か打ちつけながら転がり、そして、動かなくなった―――。

「ハァッ……ハァ……」

 黎人は荒い息をつきながら、今、起こった出来事を反芻していた。

 『心』の高度な情報処理能力が極限に達した結果、数瞬先をシュミレートし、脳に映し出した。


 黎人は未来を視た。


     *


 揺れる塵芥車の助手席ではリンゴが眠っていた。黎人が抱えて運んだ。傷口は既にふさがり、呼吸も落ち着いている。

 黎人は運転していると、鼻血が出てきた。

 ―――早く出ないと。

 能力(ちから)を使い過ぎた。例のオーバーロードだろう。頭もずきずき痛んでいる。

 しかし、自分のことよりも太一のことが気になる。太一は大丈夫だろうか? 特例法は体の震えなどの兆候を見て判断するはずだから、間違われることはないはずだが……。

袖口で血を拭っていると、施設の出入口が見えてきた。

メンドーなことは避けたいが……。

ブレーキを踏むと、静かに塵芥車は停まった。

 二人の警衛兵が塵芥車に050式を向けている。

 黎人は運転席から降りると、すぐそばの警衛兵に話しかけた。

「通してくれませんか?」

「手を挙げろ!」

 二人の警衛兵は黎人にポイントしたまま微かに震えている。生きている人間を撃ったことはないのだろう。

 黎人がすぐそばの警衛兵に近づいていくと、050式のバレルを握り、ぐにゃりと捻じ曲げた。

「ひっ!?」

 警衛兵はその場に腰を抜かした。

 黎人はもう一人の警衛兵に視線を向ける。黎人にポイントしたまま、固まったように全身を強張らせている。

 黎人が近づくとフリンチ気味に発砲した。身をそらしかわす。覚醒した黎人の能力をもってすれば造作ないことだ。もう一つの050式も同様にバレルを捻じ曲げると、警衛兵達は悲鳴を上げて逃げ出した。

 あとは……出入口の扉が閉まっている。

 黎人が防護柵についているスライド式の扉を右にずらすと、目の前に外へと通じる道が広がった。疲れて小さなため息をつくと、また鼻血が垂れてくる。袖口で拭いていると驚いた。

袖口が真っ赤だ。かなりの量を出血している。何とか八博まで倒れるわけにはいかないが、大丈夫だろうか?―――いや、何としても行く。

「黎人くん!」

 遠くから聞き覚えのある声がした。

 ―――この声は……。

 振り向くと、息を切らせて走ってきた双葉が目の前で立ち止まった。

「双葉……何でっ」

 そこまで言って、インパルスが走った。頭の中をここ数日の記憶が駆け巡る。

 ……そうか。

 黎人の中で謎になっていたあの日の出来事が氷解した。

「黎人、くん……ダメだよ……」

 双葉が息を上げながら切れ切れに言った。

 リンゴが消えたあの日―――犯人は双葉だったのだ。

 おそらく夏風邪の見舞いに来た時に怪しんだのだろう。翌日、バルコニーの外に感じた気配は双葉だった。部屋の中を覗いていたのかもしれない。

「行っちゃダメ! 戻れなくなるよ!」

 双葉は悪意でしたのではないはずだ。黎人のことを心配したのだろう。だから、黎人達を通報しなかった。居住区内でたまたまリンゴを見つけたことにして当局に渡したのだろう。かくまったことがバレれば黎人達はただでは済まない。

 しかし―――。

「双葉……ごめん」

 もう、引き返せない。

「その娘は七海ちゃんじゃないんだよ? もう七海ちゃんは死んだんだよ!」

 涙声だ。

「分かってる。でも……ほっとけない」

「だからって、黎人くんが犯罪者にならなくてもいいじゃない!」

 双葉は涙を流しながら恥じらいもなく激情をぶつけてくる。クローンとはいえ、リンゴを当局に突き出して、自己嫌悪にもなっただろう。誰かを傷付けたとしても、大切なものを守りたかったとしたら……。

「悪い」

 黎人は自分が気の利いたことを言えない性質(たち)であることをよく知っている。これ以上口を開けばさらに双葉を傷つけるだけだ。

「黎人く……」

 黎人は無視するように双葉をかわし塵芥車の運転席に乗り込んだ。

「明後日……私と会う約束したよね?」

 運転席の黎人に震える声を投げかけてくる。

「……」

 黎人は何も言えない。淡々とサイドブレーキを下ろし、アクセルを静かに踏んだ。

 ブルッ……。

 小さくうなって塵芥車は始動した。

 横顔にまとわりつくような視線を感じながら、塵芥車は徐々に進んでいき……双葉が離れていく……。

塵芥車が走り始めると、双葉が後ろから叫んだ。

「ウソつき!!」

 あの時と同じだ。分かっているのに、また同じことを繰り返しているのかもしれない。

 塵芥車は入口を通過して、研究室から離れていく。

 黎人がサイドミラーを覗くと、小さく泣き伏す双葉が映っていた―――。


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