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第3章「失踪」

 戸締りは完璧にした。

 鍵はもちろんカーテンも閉め切った。節電するようには言われているが、リンゴが暑いだろうとクーラーも点けっぱなしにしてきた。

 家を出る時にリンゴは少し戸惑った顔をしたが、林檎を渡し、頭を撫でてやると通じたのか、微笑んで居間で遊び始めた。

 もどかしい仕事を最速で終えると家に走って帰った。

 ―――しかし、居間には割れた窓ガラスの破片と林檎しかなかった。


「れーちゃん!」

 黎人は太一の声で現実に戻る。

「悪い」

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 リンゴが失踪してから太一の判断ですぐに牧本のもとに行き、全ての事情を話すことになった。何でもいいリンゴへの糸口が欲しい。

 今は牧本の仮設住宅で黎人、太一、牧本が膝を詰め合わせて相談している最中だ。

 太一が牧本に話しかける。

「やっぱり警務隊ですかね?」

「その可能性が高いだろうが……奇妙だな」

「俺達を放置なんて……ありえませんよね」

 状況からすると、当局にバレて連れ去られた可能性が高いだろう。しかし、なぜか黎人達に音沙汰がない。現在、政府系施設の警察業務は全て警務隊が行っている。普通なら警務隊からの出頭要請があるはずだ。

 ―――本当は嫌だったのかな。

 黎人はまた考えてしまう。

 もしかすると、リンゴが自ら出て行ったのではないか―――本当は自分といるのが苦痛だったのではないか。

 太一と牧本が相談を再開する。

「お前達の話が本当なら、その娘は研究所に移送されるだろうな。ちなみに基地で『23』のタトゥーした女の囚人ってのは聞いたことねーよ」

「ウソだってことですか?」

「多分な」

「何でウソの情報流したんですか?」

「その娘自身が研究の機密情報だからだろう」

 クローン。

黎人の脳裏にリンゴの姿が浮かんだ。

 リンゴがどう思ってるかなんていくら考えても分からない。

それでも―――。

「……リンゴが研究所にいるなら行くしかない」

 確かに誓った。

 助けを求めているなら―――その可能性があるなら……。

 太一が頷いた。

「逃げ出すくらいの場所だからね。早く行ってあげないと」

「決まりだな」

牧本は力強く言った。その中にはたとえクローンであったとしても生きているかもしれない妻への想いが隠されているのだろう。

「リンゴは無事でしょうか?」

 黎人はそれが心配でしょうがない。

「分からん。ただ、脱走したことで何らかの扱いを受ける可能性はあるな」

 何らかの扱い……。

 救出するなら出来るだけ急ぐ必要がある。まずはリンゴの居場所を確定すること。確定次第、最短で三日後に決行ということになった。

 救出作戦は国の一機関に不法侵入する行為だ。まともな人間は絶対にしない。しかし――。


 男達は希望に飢えていた。


     *


 ―――最奥の牢獄。

 リンゴは帰って来ていた。相変わらず陰気で地鳴りのような、うなり声が常に聞こえている。リンゴとしてもあまり帰ってきたい場所ではない。

 リンゴは園田にしこたま殴られ、着心地の良かった服は囚人服になった。

 まだ顔は腫れて鼻血は出ているが、劣等生とはいえ再生能力の持ち主だ。すぐに治癒する。

 かび臭い牢獄の床に横たわって、ここ数日間のことを振り返っていた。

 言葉は話せなくても、心は雄弁でいくつもの想いが浮かんでいる。

 生まれて初めての外出だった。それ以外記憶にあるのはこの牢獄と実験室だけだ。実験室ではひどい目に合っていた。腕や足を切られたり、水の中に突き落とされたり、ずっと走らされたり……。こっちを思い出すのはやめよう。

 辻村の不機嫌そうな顔が浮かんだ。

 ―――私を連れだしてくれた、あの人はどうしてるだろうか?

 ―――嫌われてしまったかもしれない。

 ―――私を助けてくれたのに、怖くなって逃げてしまった。

 胸がキュンと痛んだ。自分はひどいことをしたのかもしれない。

悲しい気持ちになると、黎人の泣いている顔が浮かんだ。

 ―――頭の白いあの人はまた泣いていないだろうか?

―――楽しかった。生まれてからあれほど楽しかったことはない。あの人と過ごす時間……。

 ―――またナデナデして欲しいな、私もしてあげるから。

 今度は胸が熱くなった。

 ―――会いたい。


     *


 黎人の部屋は酒臭かった。

 座卓には有り合わせの食べ物が並んでいる。コーンスナック、ピクルス、スパム、缶飯は赤飯だ。

 十蔵がチリ産の赤ワインをラッパ飲みしている。またどこからか手に入れてきたのだろう。

出されたもてなしをガツガツと食い散らかして遠慮がない。

 太一は黎人にアイコンタクトを送ると切り出した。

「十蔵さん。お話しきいていただけないでしょうか?」

十蔵は「ゲッ~~~」と長いゲップをして、

「話せ」

「もしよろしかったら、ホントによろしかったらでいいんですが……」

「早く話せ」

「……友達がある施設に拉致されてて、助けに行きたいんですが……手伝っていただけないでしょうか?」

 太一の発案だ。

 人間離れした能力を持つ十蔵がいれば心強い用心棒になるだろう。

一騎当千。傍若無人。狷介不屈……。

勝手なイメージだが、十蔵なら巻き込んでも失うものはないだろうと判断したのだが―――。

「めんどくさい」

 言下に断られた。

 危険がともなう作戦なのだから、言い方は悪いが当然の反応だ。

「酒もタバコもたくさん用意しますから」

 太一はダメもとで食い下がるが、もともと期待はしていなかった。

牧本が情報収集や準備をしている間、黎人と太一は段取りの確認以外あまりすることがない。太一は今の内に少しでも作戦に有利になることをしたかったのだろう。

「嫌だね。酒もタバコも自分で調達出来る。俺は自分のためにしか働かん」

 明快な答えだ。人のためなどクソ食らえということらしい。

 黎人は林檎を手の中でもてあそんでいた。

今頃、リンゴはどうしているだろう?

そんなことを想った時だった―――。


 フッ―――と、空気の揺れ。


 感じた瞬間には黎人の手はワインの空瓶を掴んでいた。

 十蔵が飲み干した瓶をぶつけてきたのだ。手加減なしのスピードで反応が遅ければ大怪我をしていただろう。

「何のつもりですか?」

 流石の黎人でもこれは面白くない。

 部屋に険悪な空気が満ち、太一は閉口して黎人と十蔵を交互に見ている。

 十蔵はくっくっくと含み笑いを漏らした。

「恐いもの見たさよ」

 そう言って竹杖を持ち、立ち上がった。

「お前を殺人鬼にしてやろうか?」

「意味が分かりません」

「力が欲しいかってきいてんだよ」

 欲しいに決まってる―――大切なものを守れるなら。


 居住区内の街灯に蛾が瞬いている。

そのすぐそばの公園には二つの影が伸びていた。黎人と十蔵だ。ひっそりとして他には誰もいない。

 月が上から仄明るく二人を照らし、夜風が汗ばんだ肌を洗っている。夜の公園はさながら侍の果し合いのような空気を醸成していた。

 黎人はマチェット、対する十蔵は例の竹杖だ。

「今から俺がお前を千回殺す前に、俺を一回殺してみろ」

 黎人は眉をひそめた。

「どういうことですか?」

 十蔵は答える代りに、竹杖からぬらっと抜刀したかと思うと、黎人に一足飛びに接近し、横薙ぎに斬りかかる。

 黎人はとっさに後ろに身を引いたが、十蔵の踏込は深く、喉元数センチで刃は止まった。

「油断するな。一回だ」

 黎人の背中にじっとりと冷や汗がにじんだ。

 寸止めは肉薄した死。首元の白刃が黎人を嘲笑っているような気がした。

 死んでしまいたい気持ちになったことは数えきれないが、本能はそんなことを簡単に許してはくれない。今さらながら生存本能が強いということを痛感させられた。

 十蔵は首元から刃を外すと、何事もなかったかのように話し始める。

「お前は自分の感覚に疑問を抱いたことがないか?」

 黎人は戸惑いながら首肯した。

 白髪になって以来、自分では人より少し感覚が鋭くなったのではないかと思っていたが、それのことだろうか?

「それは『心・技・体』でいうところの『心』にあたるものだ」

「心……」

「『心』とは深い集中によって五感の力を解放すること。スポーツ選手でいうところの『ゾーン』などはそれにあたる。聞いたことはあるだろう? 野球のバッターが飛んでくる球の網目が見えたり、バレーボールの選手が、自分自身を俯瞰で眺めながらプレイする感覚になったりするやつだ。五感を研ぎ澄まし、そこから得る情報を脳が高度に処理した結果、そういうことが起こる」

 『ゾーン』現象は聞いたことがある。自分が感じていた感覚世界はそれのことだったのだろうか?

「それから『技』だ。これは頭で思い描いた行動を正確に行うことだ。これもお前は得意だろう? チンチロリンの時、お前は俺の動きを『心』で読み取り、『技』によって正確にトレースした。こういうことは普通、スポーツ選手がその競技の技術を何度も反復練習して覚えるようなことだ。いくら頭で理解したところで、それを肉体で再現するのは難しい。分かるか?」

「……はい」

 『心』をインプットだとすると『技』はアウトプットにあたるだろうか。言われてみれば理屈としては分からないでもないが……。

「ところがお前には一つだけ欠けているものがある。それが『体』だ。簡単に言うと火事場の馬鹿力だな」

 十蔵はその場で垂直跳びをした。軽く3メートルを超える跳躍。もう、この人が何をしたところで驚くこともなかった。

「筋力のリミッターを外してやることだ。諸説あるが、人間は本来の筋力の20パーセントしか使っていないとか言われている。リミッターを外してやれば、肉体にはかなりの負担をかけるが、超人的な力を発揮出来るぞ」

「それは……どうやったら使えるんですか?」

「さっき言っただろう? 火事場の馬鹿力だ。死に追いつめられて発揮する奴はいる」

 話の流れが読めてきた。千回殺される前に一回殺してみろとはその状況を作り出すためのものだろう。

「誰からの訓練もなく『心』と『技』がここまで発達してるやつは見たことがない。俺も訓練で苦労して少しずつ磨いてきたものだからな。あとは『体』の力を引き出してやれれば化け物になれるぞ」

 十蔵は大上段に構えた。

「お前の本性見せてみろ! 大人しそうにしてるがそれは本当のお前じゃない。血に飢えた魔物を抑えこんでる」

 縦一閃の斬撃が降ってきた―――黎人はマチェットで受けたが……重い!

十蔵は狂気じみた笑みを浮かべながら、黎人を一刀両断にしようとぎりぎりと力を込めてくる。

優しく手取り足取り教えてくれるタイプじゃない。この人は殺し合いを楽しみたいだけなのではないのか?


 斬撃の応酬。

 金属の咬みあう咆哮が寂莫とした闇に浮かんでは消えていく。

 黎人は、目を開いたまま感覚世界を発動し続けていた。


 十蔵―――凶刃。凶撃。

思考力を奪われ。

 

 汗。血潮。皮膚感覚―――燃え上がり。

 

十蔵―――烈刃。連撃。

生命の幹は削られ。


 脳力。筋性動体―――刹那に感応、迸り。


 十蔵―――殺刃。虐撃。

 自我肉体、奪われていく。


 ―――黎明。

 月に替わり顔を出した太陽が消耗し尽くした黎人を照らし出す。

切傷、打ち身、擦過傷。その荒い呼吸は生命力そのものを吐き出すかのように大きく体を上下させていた。

 対する十蔵は平静にして自若。

 いや、それは鍛錬により気取らせない十蔵の習いかもしれない。

 黎人は執拗かつ散々に痛めつけられていた。

 十蔵は、もともと嗜虐心の傾向があるのか、時に蹴り飛ばし、殴りつけながら黎人を限界に落とし込んでいった。千回はいい加減な口約束ではなかったらしい。高速の連撃で30回ほどまとめて殺されたりもしたのだ。永遠に終わらない無間地獄のように思えた時間は確実に千回へ向けて数を刻んでいた。

 ―――こんなんじゃ……何も守れない。

 黎人は己の絶望的な無力感に心まで虐げられていた。

「っ!」

 寸前でマチェットを杖代わりにして支える。意識を失い倒れそうになったのだ。手足は震えがきている。限界かもしれない。

「999回。残念だな」

 十蔵の声はどこまでも冷たい。刀の切っ先を黎人の目線に合わせ中段に構えなおした。

 黎人は力なく顔を上げ十蔵に視線を固定する。

「もしかして、適当に殺される格好にして終わらそうなんて考えてねーか?」

 否。

 黎人は何も考えられなかった。そんな計算をする余力もない。

「千回目は本当に殺す」

 十蔵を纏う空気が一変した。

 本物の殺意。

 今までの乱撃と違いじりじりと間合いを詰めてくる。

 ―――本気だ。

 黎人は無意識に固い唾を飲みこむ。

 虫の息である黎人など一思いに殺ればいいはずだが、獲物を全力で刈る野生獣のように抜かりがない。

 張り詰めた殺意が満ちていく。

生存本能が刺激され、俄かに黎人の肌が粟立った。この空気の圧力だけで吐き気を催しそうになる。

 ―――殺される!

 十蔵が地面を蹴った。

 刃の絶叫。

十蔵の呵責なき袈裟斬りに逆袈裟で受けた黎人。

 ぎりぎりと命を呑もうとする白刃に、黎人は本能が絞り出す最後の力で抵抗する。

 しかし、十蔵は鍔迫り合いを拒否し、マチェットを押し飛ばすと幾重にも斬撃を重ねた。


 瞬きのごとく刃は交錯し、火花が散っていく……。


 黎人の剥き出しとなった本能が純度を増し、理性的思考の介在する余地なく斬撃に反応する。

 何の力で自分が立っているのかも分からない。

 奥深く―――生命の辺境に潜む魔物が目覚めようとしていた。


 開闢……暗い。欲しい。黒い。渇望。

 滅する。黒く。殺す。黒く、血を。

 

 滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。滅。


 ―――魔物が目覚めた。

 十蔵はついに望んだものが顕現したことに笑いを禁じ得ない。


 超反応の斬り合いが始まった。


 黎人の縦横無尽に繰り出す天雷のごとき斬撃が十蔵の刃を貪り削る。無手勝流の乱撃だが真性の魔撃に十蔵は反撃する余地がない。

 速度。重量。途切れることの無い連続運動。それは常人のそれを遙かに凌駕している。

 狂気に取りつかれていく黎人の自我は、灯のように揺らぐ一つの像が楔となり崩壊を止めていた。

 ―――リンゴ。

 十蔵は次第に防戦にまわされ苦しくなっていく。そして……バランスを崩した。

 好機!

 魔物に駆られた黎人は軽く5メートルほど跳躍すると、落下の勢いそのままにマチェットを叩きつけた。

 竹杖の断末魔。

 防いだ十蔵の刃はあえなく折れてしまった。

 着地した黎人は十蔵の首を薙ぎにかかる―――。


『ダメ!』


 十蔵の首元、数ミリで止まる。

 確かに聞こえた。

 今のは―――リンゴが言った? いや、七海なのか?

 それは黎人が造り出した幻影かもしれない。しかし、それは黎人を人たらしめた。


「やれば出来るじゃねーか」

 十蔵は何でもないことのように言った。

「すいません……」

 今まさに人を殺しそうになった―――急速に湧き上がる自責の念が黎人を苦しめる。昔、七海を守るために母親を殺した時の絶望感を思い出した。

「いい斬撃だ。しびれたぞ」

 クックと笑う十蔵。しかし、十蔵のはだけた甚平から覗く胸元が血で赤く濡れている。マチェットを受けた時に負ったものだろう。

 黎人は夢から覚めたように慌てた。

「胸!? 手当しないと」

 黎人が救急箱を取りに走ろうとすると、十蔵が止める。

「まぁ、待て」

 黎人が振り向くと、十蔵は息を止め肉体に力を込めた。筋肉が盛り上がり、硬直したように張り詰めたかと思うと、胸元の裂傷が閉じていく。

「ふぅ……俺はリーチ病じゃねーぞ」

 分かっている。

「何をしたんです?」

「『心・技・体』にも得手不得手があってな。俺は『心』が苦手で鍛えるのに苦労したが『体』は得意だった。そんで、限界まで『体』を鍛えたら、こんなことが出来るようになったってわけよ」

 十蔵は腕をわきわき動かすと付け加えた。

「『心・技・体』はいつも同時に発揮する必要はない。それぞれの状況に応じてオンオフすること。さらに言えば、強弱もつけられるようになった方が良い。じゃないと脳も体もオーバーロードしちまう」

 十蔵は人差し指で鼻の下をポンポンと叩いてみせた。

 黎人も鼻の下を触ると濡れている。鼻血が出ていた。

「リスクのない力なんてねーからな」

 十蔵の言葉が重く響いた。


     *


黎人は部屋に帰ると泥のように眠った。

眠る前に体調不良で欠勤連絡をすると、連絡員は声色に不審を隠さなかった。しかし、今日ばかりはとても仕事を出来る余力がない。リンゴのいない今、疑われようがどうでもいい。

 結局、太一に起こされるまで寝ていた。

「十蔵さん、見た?」

 黎人は太一にきいた。

「いや、見てないけど……」

別れる前に十蔵は竹杖が折れたから新調すると言っていた。また、流浪の旅に出たのかもしれない。あれほどの死闘を演じた後で行くのだとしたら尋常じゃない。もしかしたら遊ばれていたのかもしれないという気もしてくる。

「昨日、何してたの?」

 太一は気になっていたのだろう。

「ちょっと……剣術習った」

「それだけ?」

「うん……それより、明日のことは?」

 黎人は話題を変えた。昨夜のことは説明が難しい。それに、明日に迫った作戦のことが気になる。

「牧本さん情報。リーチ病の検査って名目で、研究所に囚人の女が移送されたって」

「じゃあ、予定通りだな」

「うん……いよいよだね」

報告は一段落。続いて作戦の最終確認に入った。


 明日はまず、塵芥車で研究所に向かい敷地内に入る。これは問題ない。

 全ての施設には自動車燃料が置いてあり、公務車両は燃料が切れそうな場合、最寄りの施設で補充出来るよう配慮されている。塵芥車で軽油を補充する名目で侵入すれば良い。

 牧本は先に装甲バスの定期便で着いている予定だ。敷地内で合流する。

 次に研究所地下施設に入る方法だ。

 研究所地上階の表玄関を入ってまっすぐ行くと、研究員専用の地下施設へと通じる正面ドアがあるが、こちらは虹彩認識とパスワードの両方を求められる高セキュリティロックがかかっているので侵入不可能。なので、その裏手にある研究所の外から地下へ通じている非常口を利用する。緊急時に利用する非常口はアナログ式のドアだ。その非常口は中からはサムターンを回して開けられるようになっているが、地上側からは常時施錠してあり、鍵を使って開けなければならない。鍵は牧本がなんとかすると言っていた。

 地下施設に入るとそこから先はしらみつぶしに探す。見取り図でも手に入れば良かったのだが、機密書類らしく入手は難しいらしい。早く見つけて連れ出すしかない。

 上手く外まで連れ出せたら後は塵芥車に乗って脱出する。大きな騒ぎになる前に敷地を脱出できればいいが、いざとなったら多少手荒な方法も必要になってくるかもしれない。


確認を終えると、黎人は切り出した。

「太一、今日こっち泊まらないか?」

「およ、れーちゃん、そっちに目覚めた?」

「そうそう、お前のことが好きで好きで……」

「うわっ! 俺愛されてるぅ」

 黎人は、少し笑って続けた。

「ちょっと疲れててさ。明日は寝坊出来ないだろ」

 まだ昨日の疲れが残っている。

「はいはい、朝飯オムレツね」

 太一は、黎人の作るオムレツが好きだ。

交渉は成立した。


     *


「ケケケケケケッ」

 研究所地下三階。園田の甲高い笑い声が響いた。

あぁ、楽しみでしょうがない。

 園田は檻の中の『23』を見ていた。

 明日には『23』を実験出来るのだ。ウキウキが止まらない。

「まんまでちゅよぉ」

 声に反応して、寝ていた『23』が起きた。目をこすってかわいらしい。

 園田は手に持っている血液パックを投げた。

 『23』は飛びつき、ちゅ~、ちゅ~吸い始める。

 生意気な子だ。逃げ出した『23』。新人の藤村だっけ? あいつが連れ出した。

少しくらい生意気な方が従順であるより園田好みである。


 園田は真性のサディストだ。一歩間違えばシリアルキラーになっていたかもしれない。

 子供の頃からその奇妙な外見と不気味な笑い声のせいでよくイジメられていた。

 ―――バカだから嫉妬してイジメるのだ。

 園田の成績はクラスでいつもトップだった。いじめっ子がバカな生き物にしか見えない。よく見ていた夢はいじめっ子の家に放火する夢。現実にそうなればいいのにといつも思わずにはいられなかった。

 ある日、どうやったら一番苦痛を与えて殺せるか興味が湧き、昆虫やカエルを捕まえて解剖を始めた。実際やってみると、ジタバタ暴れるのを抑えこんで切り刻むのが面白くてしょうがない。飽き足らなくなり、今度は近所の猫を捕まえて解体してみた。抵抗は昆虫やカエルの比ではない。それが楽しくて、楽しくて……。まだ動いている内臓を見ては充実したナニかを感じた。リビドーだったのかもしれない。


 今ではその趣味が仕事になってしまった。


「明日は何して遊ぼっかなぁ~」

 『23』を見ながら独り言が止まらない。あらゆる、解体のシュチュエーションを想像しては下半身に熱いものを感じる。

「りんご!」

 突然、『23』が園田を指さして言った。

「えぇ~、りんご?」

 どこでそんな言葉を覚えてきたのか。悪い子だ。

「りんご! りんご! りんご!」

 『23』は連呼している。

 分かったぞ! 園田は丸顔だ。赤い顔してにやにやしていたから、りんごに見えたのかもしれない。

「ケケケケッケケッ、ケヒッ、ケケケケケッ!」

 園田はますます笑いが止まらなくなってきた。

 あぁ~、早く! 早く!

「りんご! りんご! りんご!」

 牢獄の中で怪しい笑い声と「りんご」の声が混じり合い響いていた。


     *


 照明を消した居間で黎人と太一は並んで寝ていた。

 黎人は天井を見つめながらしみじみと思った。

 明日になればどっちみちここには帰ってこれない。そう考えるとどことなく淋しい気持ちが湧いてくる。生きているのか死んでいるのか分からない日々でも、ここには過ごした年月の臭いが染みついているのだ。明日からは運が良ければ八博の非政府居住区、悪ければ基地で過ごすことになる。いや、最悪の場合、機密保持の名のもとに殺される可能性もあるかもしれない。

「太一、起きてるか?」

「……起きてるよ」

 黎人は、薄ぼんやりとした天井の蛍光灯に目を留めた。

「お前本当にいいのか?」

「何が?」

「……もう戻れないぞ」

 太一がフフッと小さく笑った。

「恐くなったの?」

「違う……ただ、お前も牧本さんも……本当にいいのか?」

「じゃあ、れーちゃんはいいの?」

「俺は……リンゴを助けたい」

「おんなじだよ」

 黎人は、核心を漏らした。

「……リンゴが七海じゃなくても?」

 ………………不気味な間が降りてきた。

「れーちゃん」

 太一の声が低くなった。

「今さらそんなこと言うなよ」

 太一は寝返りを打って黎人に背中を向けた。もう話しかけるなということだろう。気配から怒ってることが伝わってくる。失言だったのかもしれない。ただ、太一や牧本さんが傷つくのが恐い―――。


 朝になった。

「おはよー、飯食おう。飯!」

 太一は昨日のことなどなかったように話しかけてきた。

もう余計なことを考えるのは止めよう。

 フライパンでオムレツを作る。限られた配給食材のバリエーションの中でハードローテーションだった。

 座卓に並んだのはオムレツとライ麦パン。それだけの質素な朝食だ。後で、コーヒー一杯だけは飲もう。

「れーちゃんのオムレツも最後になるかもね」

「アホ……八博で腹こわすまで食わしてやるよ」


 二人は朝食を残さず食べると準備を始めた。

 清掃作業時の兵装に着替え、荷物や装備のチェックをする。

黎人はボストンバッグに入れた荷物のチェックを始めた。

 施設潜入のため変装用白衣、カッターシャツにスラックスが入っている。リンゴ用の白衣とスニーカーもこの中に入れた。リンゴと最初に出会ったときに着用していた物だ。マチェットもこの中に入っている。大振りだから施設内に装備して入るわけにはいかないが、十蔵との死闘以来、黎人の最も信頼する武器だ。使わないに越したことはないが、いざという時は頼ることになるかもしれない。

「れーちゃん、これ忘れてる」

 太一は9ミリパラべラム弾のマガジンをいくつかボストンバッグに突っ込んできた。SIGザウアーP226の弾だ。

 白衣姿になった後はSIGザウアーを腰に差していく。それならば白衣に隠れて目立たないからだ。ハンドガンが唯一装備していける武器と言うのは心許ないが仕方ない。050式小銃は全局面で信頼出来る銃だが衣服やボストンバッグに紛れ込ませられる大きさではない。持ってはいくが、塵芥車に置いていくことになる。

「緊張してる?」

 太一の声はなぜか不自然に明るい。

「それなりに、太一は?」

「胃が口から出そう」

 何だ、作ったハイテンションか。

「トイレで出してこいよ」

「そうする」

 太一はトイレに向かった。

 本当に行くとは……かなり緊張しているのだろう。

 黎人はふと思いついて、冷蔵庫から林檎を取り出すと、ボストンバッグの中に入れた。

 お守りだ。

 黎人は林檎で遊ぶリンゴを思い出した。


 ―――時間だ。

 部屋から硬い表情の黎人達が表に出てきた。

 天気は快晴。風が強いわけではないのにやたらと感じる。知らず肉体がこの世界を惜しんでいるのかもしれない。縁起でもないな。

「おはよう」

 作戦を決めた時から恐れていた声だ。太陽によく映える淡いパステルグリーンのワンピースを着た双葉がいた。

部屋の前で待っていたのか?

「おはよう」

黎人は伏し目がちに挨拶を返した。

「はょ~っ」

 太一も双葉に軽快な挨拶をすると先に塵芥車に歩いて行く。空気を読んだ感が半端ない。本当は俺も太一について行きたいのだが……。

「風邪、治った?」

「うん……雑炊有難う」

 そういえば鍋を返さなければならない。どうでもいい些事が思い浮かんだ。

 双葉は黎人が持っているボストンバッグに目を留めた。

「仕事?」

 ぬるっとした嫌な感覚。ボストンバッグを見られているだけで、悪いことをしているような気になる。

「……うん」

 変な声になっていなかっただろうか? 作戦がどうなろうとここにはもう戻ってこない。それは、もう双葉に会えなくなるということだ。出来ればもう会わない方がいいと思っていたのに―――。

「今夜……遊びに来ていい?」

 双葉が小さな声でつぶやいた。

 望む返事は出来ない。

「今夜は……いないかもしれない」

「なら、明日の夜」

「明日も……」

 俺は何を言ってるんだろう?

「じゃあ、明後日」

 双葉の声が少し濡れている。やけに粘る双葉……なぜだろう? ふいに、あの日の光景がフラッシュバックした。

―――双葉をひどく傷つけてしまったあの日。

「分かった……明後日な」

「うん」

 とっさにウソをついた。もういなくなるなんて言えない。これ以上、顔を見るのがつらくて塵芥車に向かって歩き出した。

「行くわ」

 返事はなかった。

 ただ、背中に双葉の突き刺さる視線をずっと感じていた。


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