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第1章「惰性」

 青く透き通った空。ぎらぎら輝く真夏の朝陽。快晴だ。

一匹の雀が空に流麗な線を描いて、民家の屋根に飛んでくると、静かに上下する物体に止まった。

 その物体は仰向けに寝ている人間だった。

 薄汚れた甚平にスニーカーというちぐはぐな出で立ちと無精髭を生やした侍のような風貌。傍らにはなかなかに高価そうな竹杖が置いてある。とても通勤電車に乗ってため息をついているようなタイプではないだろう。

 雀が男の顔の上に移動すると毛づくろいを始めた。

 むにゃむにゃ。

 とは言うものの一向に起きる気配がない。

 調子に乗った雀は男の鼻の穴をついばみ始めた。

男は鼻をむずむず動かしたかと思うと、尻が浮き上がるほどの屁を放った。いや、浮き上がった。

 さすがに驚いた雀は空に帰っていく。朝から災難である。

 男は寝ぼけ眼をこすりながら身を起こすと、大きなあくびをした。す~っと、深く息を吸い込むと清浄な空気が体の中に流れ込む。

「んんっ、うぅっ」

 おっさん特有のうなりをあげ、胸をぼりぼり掻きながら思考を起動(ブート)する。

 ―――さて、今日はどうするかな?

 甚平に手を突っ込むと小ぶりなサイコロを一つ取り出した。

「サイコロ様のいーうーとーおーり!」

 掛け声とともにサイコロを宙空に投げる。ふわ~っと浮いて、頂点まで行くと落下。落ちてきたところを両手で上下から挟み込む。

 ゆっくりと手を開いた。『二』の目。

 『一天地六、東五西二、南三北四』とサイコロの目には方角がある。

 ―――西か。

 男は竹杖を持って立ち上がった。

 足元の二階建ては、山の麓に近い位置にある。眼下に遠い街の景色を観ることが出来た。

 男は太陽を確かめ、西を向く。

 視界に街が広がった。

 ―――死んでいる。

全くといって生気が感じられない。

 しかし、それは特別なことではない。どこもかしこも死んでいるのだから。

足元の家は空家だが、現在ではほとんどの家がそうだ。戸建てに住んでいる人がいれば、それはよほど人里離れた立地にあるか、命知らずかのどちらかである。

 しかし、男にとってはどうでもいいことだ。

 男にとって大事なことは―――面白いモノに出会うこと。

 地球が滅びるより、退屈になることの方が恐い人間もいるということだ。

 男はサイコロの目を外したことがない。様々な経験によって一種の神通力に近いものを体得しているのか、サイコロ様に従えば必ず面白いモノにぶち当たる。

 出来事や人の出会いは偶然ではない。そう見えたとしても必然のアヤがある。

 西に行けば何かあるはず。

男は二階の屋根から飛び降りた。


     *


 ―――西暦2068年。

 世界各国では紛争やテロが相次ぎ、かつてない緊張状態になっていた。

 それは現実味を帯びてきた核戦争勃発の恐怖を全世界に蔓延させることになり、かつての被爆国であり米国との協調路線を取る日本としても無関係の話ではなくなった。

 日本では対策として20年前から全ての施設、個人の家も対象として地下シェルターを作る国家政策が進められていた。現在では地下シェルターや地下施設があるのは当たり前になっている。

 そんな中、3年前に未曾有の大惨事が起きた。リーチ病。leeachリーチとは蛭、吸血鬼という意味がある。

リーチバクテリアは、そもそもアマゾンの熱帯雨林で発見された新種の蛭に寄生している細菌だった。蛭は外傷を与えても、たちどころに修復する驚異の再生能力を持っていることが判明。そして、発見されたリーチバクテリアは、IPS細胞を超える再生医療の可能性を期待され、主要先進国が買い取り、研究が始まった。

DNA解析によりリケッチアやミトコンドリアとの近縁性が指摘されたが、未だに全容は解明されていない。再生能力は新しく発見されたリーチバクテリア固有の塩基(L)により構成された、バックアップ遺伝子による働きだと考えられた。

そんな中、東京の研究所でバイオハザード(生物災害)が起こる。突然変異を起こしたリーチバクテリアが原因だった。

 リーチバクテリアに感染した者はリーチ病感染者と呼ばれ、爆発的に全国に広がっていく。付随して起こった事故や犯罪などが重なり大勢が死亡。死と感染病に見舞われた島国日本は現在では総人口4千万人を切っている。

 リーチバクテリアはいくつかの特徴を持っていた。

 ・人間の体内で増殖し、全ての細胞に寄生。宿主を完全に支配し操る。

・宿主の肉体を強化し、肉体を破壊されれば即座に修復する。ただし、脳を破壊される、もしくは脳への酸素供給を断たれた場合(首の切断など)は、宿主の体に再生命令を出せなくなり、バクテリアは休眠状態になる。

・活動エネルギーとして生物の血を必要とし、人や動物を襲う。

・血を吸われる、もしくは感染者の血液を体内に取り込む(例えば目や口などから)ことで感染する。現在、人間以外の動物などは保菌動物となっても、支配されているという報告はない。そのことから人間を選んで支配しているのではないかと言われている。


     *


 海風の薫る町、西ノ関。本州最西端のこの土地も、全国の至る所がそうであるように人気がなく、街の大部分はゴーストタウンと化していた。

西ノ関駅周辺には窓の割れたビル群。

街では火事で倒壊した建物や家屋。荒らされ、散らかり放題になった商店やスーパー。

道路のあちこちには衝突して乗り捨てられた車のほか、動物の骸、ガラスの破片、引きちぎられたような衣服の切れ端が点々と転がっている。


無人の住宅街にいつのものやら知れない新聞が風に巻かれていると、遠くからディーゼル音が近づいてきた。

塵芥車が走ってくる。くだけた言い方をするとゴミ車だ。

 回転板式のパッカー車。最大積載量2トン。深緑色のボディには車体番号の99が白文字ではっきり書いてある。

 黎人が現役時代に苗字の九十九にちなんでいるという理由であてがわれた車だ。現在では特殊作業用に改造している。後部にある投入口、中の回転板の間隔をそれぞれ広くし、内部のチェーンを強化してパワーを上げた。作業中に誤って手でも挟まれたら軽く粉砕されて飲み込まれるだろう。


 蝉の鳴き声。夏の風物詩だ。

 黎人は運転しながら聞いていた。元気な蝉達は人間がいなくなりせいせいしているのかもしれない。

 それにしても、暑苦しい。

季節にそぐわない服装がうっとうしくてしょうがないのだ。

 上下オリーブドラブ色の作業服に半長靴。腰のベルトに付いているマガジンポケットには5・56ミリNATO弾30発のマガジン二つとM67破片手榴弾。ホルスターには予備弾薬なしのSIGザウアーP226。背中には斜掛けに装備したマチェット。車内の座席には050式小銃を立てかけている。

 黎人の服装は、作業員の兵装としてはごくオーソドックスなものだ。

だが、頭部だけは違っている。


真っ白の髪。


黎人は25歳である。

老成した雰囲気は元々の気質だけによるものではなく、その髪から受ける印象も大きい。

黎人は昨日の夢を振り払えないことに苦しんでいた。

三年経ち、取り乱すことはなくなったが、未だに何度も見るということはトラウマになっているのだろう。太一によると、自衛隊員でも懲戒処分の内、最も軽い戒告処分を受けた人でも同様に髪が真っ白になった人がいるらしい。

 その太一は同じ兵装姿で、助手席の窓を全開にしてマルポロをふかしていた。タバコを吸い始めたのはあの日の後からだ。あれ以来、気丈に振る舞っているように見えるがそうではなかったのかもしれない。

 しかし、壊れて生きる気力を失くした黎人を支えるために取り乱すことは出来なかったのだろう。家族と一緒に本家があるという大阪に行けば良かったのに、太一は行かなかった。自衛隊員を辞めることもなく、この土地を離れることもなく……随分、迷惑をかけてしまったが、太一がいなかったらとうに衰弱死していたに違いない。

 黎人の身長は172センチあるが、一時は体重が40キロを切ったことがある。

もう、生きることがどうでも良くなっていたが、真摯に面倒を見てくれる太一に申し訳なく思い、何とか持ち直した。


 取り留めのない雑念を浮かべていると、比較的新しい家が立ち並ぶ通りにある現場にやってきた。

大柄なリーチ病感染者の死体が道路に横たわっている。


リーチ病感染者は感染防止のため殺される。

      ↓

街の至る所には殺処分された死体が増えていく。

      ↓

いつかは街に帰って生活したいけど、公衆衛生上、感染者の死体があると危ない。

      ↓

それを処分する仕事が必要になる……というわけだ。


いったん死体を通り過ぎ、塵芥車をバックさせて、車体後部を死体に付けるように停車させた。

 黎人は、軍手の上からさらにゴム手袋を着用する。汚れないよう二段構えにしているのだ。これは特殊作業に限らずゴミ収集の基本装備なのだが、中が蒸れるので夏の作業はきついものがある。

「フッー……」

最高に楽しい作業の始まりだ。

一息ついて車を降りると死体に近づく。先に降りていた太一は、050式を持って、周囲を警戒している。

 弾痕がホクロのように額についている死体。蠅もちゃっかりたかっている。殺された感染者の死体は大体こんなもんだが、こいつは一つ問題がある。

 黎人が苦笑を漏らした。

「でか過ぎるな」

ポロシャツがはち切れんばかりに太っている髭オヤジ。

 太一もフッと笑って同意する。

「何食ってたんだろうね」

「菓子とか、脂っこい物とかだろ」

「感染してもダイエットにはならんか……バラす?」

「う~……ん」

 面倒だ。

しかし、黎人と同じくらいの身長で優に100キロは超しているだろう巨体。このまま、塵芥車に放り込めば詰まらせる可能性がある。

「バラすか」

これだから楽しくて仕方ない。

 黎人がやれやれといった感じで運転席に向かおうとすると、コッキングレバーを引く音が聞こえた。

 黎人は振り返り、

「どうした?」

「犬」

 太一は050式を構えた。射線の先で痩せさらばえた野良犬がピタッと止まる。

 太一と犬がにらみ合う――――――。

タッタッタッ……犬は、太一の殺気を感じ逃げて行った。

 野生の動物は忌み嫌われていた。保菌動物の可能性があるからだ。そうでなくても、感染者の死体を食い荒らせばそうなる。鬱になるこの作業だが、保菌動物を増やさない意味でも重要な仕事だ。


 黎人が運転席から戻って来た。薄手のレインコートを羽織り、ゴーグルとマスクも着用している。暑苦しいことこの上ない。

黎人は車体後部に付いているマチェットを抜き、死体の横にひざまずいた。背中のマチェットは使わない。それは武器であり、いざという時の予備だ。血の付着には常に用心しなければならない。

 マチェットを振り上げると、右腕の付け根に振り下ろした。

 ぐちゃっ!

骨がつっかえ、2度3度と振り下ろす。

ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ!

最後に筋繊維付きの皮を擦るように切断すると、ごろんと右腕がアスファルトに転がった。

なかなか骨が折れる。口に出したら太一は笑うだろうか?


―――左腕。血。

ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ!


―――次に右足。血。血。

ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ!


―――最後は左足だ。血。血。血。

ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ! ぐちゃっ!


すぐに血だまりが出来た。アスファルトの上で濃厚な血液が怪しく光っている。車に乗る前に靴底を拭いておかなければいけない。特に体へは出来るだけかからないように気をつけているが、それでも少し返り血を浴びてしまうから難儀だ。レインコートに血が点々がとついている。

お次はまたまた楽しい積み込み作業だ。

手足を先に投入口に投げて、回転板を回す。低くうなるような機械音と共に荷箱に飲み込まれていった。

問題はこの体だ。並の大きさではない。

「手袋しないとダメ?」

「感染したけりゃ素手でどうぞ」

太一は面倒くさがったが、結局、軍手にゴム手袋を着用した。命には代えられまい。直接触る手は感染のリスクが高い。

さあ、協力プレイだ。

「いーち、にーい、さん!」

二人で持ち上げ、声を合わせてタイミングを計りながら、振り子の要領で投入口に放り込む。どさっという音がして軽く車体が揺れた。

これでもうまく回るか心配していたが、

 ブスンッ。

案の定詰まった。

 ここからが腕の見せ所だ。

順回転させていた板を逆回転させ詰まりを解消し、押込みボタンで少しずつ押し込む。詰まればまた逆回転させ押込みボタン。何回か繰り返していると、ダルマは荷箱に飲み込まれていった。

 ―――一件目終了。


     *


 辻村研二のメガネは汗で曇っていた。白衣の下もしっとりと濡れている。大学の先輩から紹介されて新しい職場にやってきたが、こんな場所だとは予想もしていなかった。

 広い廊下の左右にずらりと並ぶ牢獄。薄暗い照明が閉じ込められた化け物達をぼんやりと照らし出している。全国に数多く存在するリーチバクテリア研究所だが、これでは研究所というより感染体の刑務所ではないか。

 うぅ~ううぅ~~~おぉう~うぉう~~~。

怨嗟を込めたうなり声が蒸し暑い空間を低く揺らしている。

既に帰りたくなってきた。

「ここだよん」

 園田喜太郎の案内で牢獄の最奥にやってきた。

園田はベロベロキャンディーを舐めながら、自慢のマッシュルームカットを軽く撫でつけている。顔はそばかすだらけだ。

きもい。

辻村は、この頭のねじが2本も3本も飛んでいるような男がどうにも好きになれそうになかった。しかし、ここの所長である彼の機嫌を損ねたくはない。顔に愛想笑いを貼りつけながら、どのくらいの期間過ごすのだろうと考えざるをえなかった。

「この子達の世話してもらうから」

その牢獄に入っていたのは二人の女性だった。

二人とも白い半袖の囚人服を着て、左腕に番号のタトゥーをしている。『21』と『23』。髪は伸ばしっぱなしのせいか二人とも長い。

『21』は細面の20代後半らしき容貌で、気が強そうだ。反対に『23』は、つぶらな瞳で20代前半にも10代後半にも見える。小動物を思わせる童顔とでもいうのか―――そんな感じだ。

「まんまでちゅよ~」

園田が頓狂な声を上げると、辻村を促した。

「あげて」

「はい」

 辻村は手に持っていた2つの血液パックを鉄格子の隙間から投げてやる。

 『21』と『23』は、血液パックに飛びついた。

―――ちゅ~、ちゅ~。

美味そうに吸い始めた。食事しか楽しみがないのだろう。

 見た目は普通の人間と変わらない。いや、誕生の過程を考えれば当然か。

 彼女達はトランスジェニック(遺伝子を付加した)クローンといわれる体細胞クローンだ。

「藤原君」

「辻村です」

「あっ、めんごめんご。名前憶えるの苦手なんだよね」

 何がめんごだ。人間に興味ないだけだろ。

「この子達どうやって造るか知ってるよね?」

「はい、知ってます」

「説明して」

 ―――試す気か?

 辻村は小さく咳こんで、説明を始める。

「半感染体から健康な細胞とリーチバクテリアに侵された細胞を採取します。次に侵された細胞からバックアップ遺伝子を取り出し、健康な細胞のミトコンドリアに組み込む。その後、核を取り除いたG0期の未授精除核卵に、健康な細胞核とバックアップ遺伝子を組み込んだミトコンドリアを移植して、最後に人間の女性の子宮に移し、代理母として出産させます」

「うん、正解。良かった、僕バカ嫌いなんだよねー」

 あっけらかんと言い放った。

 何て言い草だ。人の名前も憶えられないくせに―――。

 ―――んっ!?

辻村は視線に気付いた。

 『23』がじっと辻村を見ている。真っ直ぐなつぶらな瞳。

辻村はどきっとして目を背けた。

―――こいつらは人間じゃない。化け物なんだ。

子宮内での成長も10倍の速さなら、産まれてからも10倍の速さで成長する。2年もあれば体は成人だ。そうして、バックアップ遺伝子に刻まれた死んだ年齢まで成長する。リーチバクテリアに耐性を持ち、脳を除くあらゆる肉体器官を再生することが出来る。さらには体力や運動能力も人間のそれを遥かに凌駕するというハイスペックぶりだ。

 来る前から分かっていた。

ここは、世の倫理や常識などまるで通用しないのだ。

 辻村は、園田のにやにやした気色悪い顔を見ながら思った。

 夢に出てきそうだ。見た目は園田の方が化け物に見えた。


     *


「軽くなったな」

「お疲れーちゃん」

 定番化しすぎて、太一にツッコむ気にもなれない。

 帰りの車中は荷箱の死体をすっかり吐き出し軽快だった。

 マルポロを吸っている太一も作業が終わってスッキリしている。

 あの巨体の後に二つの死体が控えていたが、バラすことなくすんなりと作業が出来た。普通のサイズなら荷箱は問題なく飲んでくれる。今日はツイてなかったということだ。

 作業が終わると焼却場に向かった。

死体は山の中にある灰山第一工場という焼却場で焼かれる。

死体を専用ピットに落とした後、白い防護服を着た作業員が車体を清掃、滅菌処理する。その間、ゴミの収集をした作業員達はシャワーを浴びて、新しい作業服をもらって着る。血が服に付着している可能性があるからだ。帰りはいつも洗い立ての服で清々しい。

 この日は普通のゴミと死体処理で2回、灰山第一工場に行った。塵芥車は政府居住区のゴミ捨てと死体の処理を兼務している。政府居住区は安全のため政府が用意した避難施設だ。現在、国民のほとんどはどこかの政府居住区に入って避難生活をしている。黎人達のように仕事をしている人達は少ない。

仕事が終われば居住区に帰り、次回出動する時は居住区のゴミを積んで灰山第一工場に捨てに行く。その後に、依頼されている死体があれば処理を行う。これの繰り返しだ。

それでも、市の現業職で働いていた時も行ったり来たりはしていたので苦痛には感じない。1回拾って捨てに行くまでを1台と言っていたが、休み明けの月曜日など、午前午後合わせて一日5台行っていた。むしろ、作業的には楽になったかもしれない。

海沿いの道に差しかかって、開け放った窓から潮風が薫った。

「海水浴しようか、れーちゃん」

「俺、泳げないんだけど」

「いいじゃん、砂浜でさ。追いかけっことかでも」

「お前と?」

「うん。だって、他に誰かいる?」

「感染者」

「捕まったら本当に終わりじゃンっ!」

 ハハハハハ。馬鹿な会話は毎度のことだ。しかし、のんびりドライブして帰りたい気もする。燃料の無駄使いだと上から怒られるだろうが。

 ―――99、99。

 車内無線が入った。居住区付きの連絡隊員からだろう。

「はい、はーい」

 太一が面倒くさそうに会話を始める。無線連絡が入るとロクなことがない。

 ―――今どのへん?

「西ノ関駅の近くよ」

 ―――居住区から男が出て行って、そっち方面に走っていったらしいんだけど。

「はぁ? 死にたいのかね」

 ―――さぁね。一応見かけたらよろしく。

「うわ、見つけたくねー」

 連絡隊員は、乾いた笑い声をあげると無線を切った。

 民間人を見つけた場合、保護しなければならない。といっても、まともな人間は居住区から出てうろつくことなどしない。感染者の標的になるからだ。死にたいのであれば別だが、何にせよ迷惑な話である。

「れーちゃん、早く帰ろー」

「自衛隊員が国民見捨てていいんですか?」

「死にたい奴まで面倒みきれないよ」

 とは言うがいざとなったら見捨てられない男だろう、太一は。

 んっ?

 はるか前方に人影らしき物体を発見。

あれか? だとしたら本当に今日はツイてない!

こちらにものすごい勢いで走ってくる。近づくにつれ姿がはっきりと視認出来るようになった。甚平にスニーカー、手には竹杖を持っている。顔立ちなどは、昔、図書館で借りて観た『七人の野武士』の御船春郎を彷彿とさせた。良く言えばワイルド、悪く言えば汚いおっさん。

 偽御船は、当然だろうが塵芥車には用が無いらしく、そのまますれ違って西ノ関駅の方へ駆け抜けていった。

 いかにもうんざりといった感じで太一がぼやく。

「……フラれちったよ」

「どうする?」

 黎人としてもやれやれだ。これなら海に遊びに行く方がまだ良い。

 太一は、大きくため息をついた。

「追いかけよっか」

 やっぱりこうなる。枯れた独居老人のような声だ。

黎人はハンドルを切り、すぐに車をUターンさせ、猛スピードで追いかける。信号も関係ないので楽勝………………ではなかった。

―――なかなか距離が縮まらない。偽御船は車両並のスピードで走っていた。

「あれ人間?」

 太一が目を丸くしている。

 呆れるほどの俊足韋駄天だ。オリンピック選手か? いや、もっと人間を超越したスピードにも思える。

 偽御船は、廃墟と化しているデパートの中へ消えていった。

 キッと急ブレーキの反動と共に、塵芥車がデパート前に停車した。

 黎人達は窓から顔を出す。シータウン西ノ関だ。

 昔は、地元のランドマークとして栄えていたシータウンだが今では見る影もない。ひっそりとした佇まいはお化け屋敷といった方が近い気がする。

 太一が正直な感想を漏らした。

「絶対、ここやばい系だよね」

「おそらく」

 沈黙。

―――行くのか?

 廃墟は感染者のねぐらとされていることが多い。特に、集団で狩りをすることもある感染者は、広い場所に集まって生活する習性がある。このデパートは吹き抜けになっている広場があるし、各種スペースもそれなりの広さだ。

「まじで追いかけなきゃだめかな」

 太一は泣きそうな顔になっている。かわいそうだが、ちょっと面白い顔だ。

「見なかったことにするか?」

 たっぷりとした間をとって、太一は言った。

「……死ぬにはいい日だ」

 どこがだよ。

 黎人達は050式を持って、車を降りた。


 デパートの中は薄暗くて湿っぽく、不気味な静けさが広がっていた。館内に入ってすぐの廊下からは、奥にあるはずの階段などが見通せない。

歩きながら黎人は太一に質問した。

「アタレは?」

「単発で」

 050式のセレクターをタに合わせる。

『アタレ』は、安全装置セーフティ単発セミオート連射フルオートの頭文字だ。古い64式小銃の名残で実際は89式から3点バーストも付いているが、「弾が当たれ」の縁起かつぎで『アタレ』の愛称で親しまれているらしい。ちなみに、050式小銃は2050年から自衛隊に正式配備が始まった89式の後継銃だ。

 太一がカチっとコッキングレバーを引くと、空気の密度が上がったような気がした。緊張感が高まっている。

―――感染者に出会うかもしれない。

 太一の直接指導で射撃を始め、一通りのことは学んだが実際の生きている標的を撃ったことはまだない。

黎人も静かにコッキングレバーを引いた。


かびの臭い。肉の饐えた臭い。どこから臭ってくるのか……。

ひっそりとした館内を歩き回る。小銃持って捜索という名のウィンドウショッピング。平時なら通報されるだろうが、誰も咎める者はいない。

(くだん)の広場に差しかかった。

黎人と太一は周囲を警戒しつつ侵入する。

―――誰もいない。

広場を過ぎて、奥の暗がりになっている通路に入っていくと、幅は狭くなり、不気味さを増してくる。

通路に入って数メートル。息遣いと足音が黎人達の前後から聞こえた。

―――まずい!?

薄暗い闇の向こうから感染者が現われた。

後ろから一人、前から二人。黎人達は挟まれた。

リーチバクテリアには最も恐ろしい特徴がある。

このバクテリアは頭が良い。

「れーちゃん、後ろお願い!」

 太一は、早くも050式を構えている。

 黎人も緊張をねじ伏せて構えた。

 感染者達の動きがピタっと止まる。

 ―――ベテランか?

 感染者達は走って逃げ出した。

 感染から日数の経ったベテランには、銃を見ると形勢不利と判断して逃げ出す者がいる。戦うよりも生存の確立が高いことを経験から学んでいるからだ。つくづく、頭が良いと思わずにはいられない。

 パスッ!

 軽い震動。太一が背中越しに撃ったのが伝わってきた。続いてフロアに倒れる音。一人仕留めたのだろう。

 集中。集中。

 黎人は、意識のフォーカスを自分の射撃にシフトした。習ったことを思い出す。

 リアサイトからフロントサイト、その先に標的を結ぶ。

 逃げる感染者に照準を合わせた。

そして、徐々に引鉄をしぼっていく。一気に引いてはいけない。銃弾が飛び出す寸前までだ。

―――最後の一絞り。

ここで、黎人は逸脱する。

目を瞑った。

 感覚世界の中で、物の動きが手に取るように分かる。精細にして何より信頼出来る黎人に与えられたギフト―――死の淵で手に入れた白髪の代償。

 ―――感じる。

空気の揺らぎ。生き物の臭い。閉じた目の裏に爆ぜる生命の光芒。

 絞った。

 軽いブローバックの後に5・56ミリ弾がマズルから飛び出した。銃弾は湿った空気を裂きながら伸びていき、逃げる感染者の後頭部にめり込んだ。制御系統を失った肉体は、一瞬硬直したように止まり、前のめりに倒れた。


――――――。


しん、と……命を刈り取った余韻が広がった。

 太一が黎人の肩をポンっと叩く。黎人の体から魔法が解けたかのように、緊張が抜けていった。感染者の死体なら気楽にバラせるが、生きている標的を殺すのは全く違う感触だった。こっちの方があっけないが、重い。

太一は黎人の仕留めた感染者の死体に近寄り、弟子の腕前を確かめる。

「すげーな。初めてっしょ?」

「うん」

「もしかして、また目閉じた?」

「閉じた」

「ありえないけど……れーちゃんならいいや」

 苦笑しながら先生は折れた。太一は今では最も俺のことを知る人間だ。射撃練習中も何度か注意されたが、命中率が良いので途中から何も言わなくなった。

「死体どうする?」

 今度は太一がゴミ掃除の大先輩にきいた。

「……ほっとこう」

 これ以上仕事を増やしたくない。依頼されればその時に捨てれば良い。まずは、偽御船を捜さなければ。

「闇雲に捜したら危ないよね」

 太一は続けて、「ここで質問です」と前置き、

「あのおっさんは、1.幼児退行でおもちゃが欲しい。2.就職試験があるからスーツを探しに来た。3.アル中で酒が飲みたい。どーれだ?」

 決まってる。

「3だな」

「ん、賛成」

 すぐに意見が一致すると、地下の食品売り場にあるリカーショップのコーナーに向かう。

 エレベーターなんて当然動いていない。階段を使って地下へ降りていく。階段の一歩一歩が地獄へ沈んでいくようで正体不明の圧力を感じた。

 地下の食品売り場は、ひんやりとしてさらに薄暗く、生ものの腐臭が強い。この臭いが全てブルーチーズだったら、巨大なチーズの山が鎮座しているだろう……どうしても、食べ物の連想をしてしまう。

 抜き足差し足。

ひんやりした売り場スペースを進んでいく。

 ガチャガチャ、ガチャガチャ……。

 どうやらさっきの三択はサービス問題だったらしい。

奥まった一角にあるリカーショップで、偽御船がしゃがんでウイスキーの棚を漁っていた。その後ろ姿は浮浪者にしか見えない。

 先行していた太一が急に歩みを止めると、黎人はブレーキが遅れて太一の背中にぶつかった。

「どうした?」

 返事がない。息をのむ太一の視線を追うと、偽御船の左右から感染者が忍び寄っている。

 ―――危ないっ!?

 黎人の全身に緊張が駆け巡った。

 声をかけるか? いや、かえって感染者が飛びかかるかもしれない。

 頭は状況を判断しようと働くが、体が動かない。

 黎人達の尻込みをよそに、偽御船は品定めに熱中している。

「っ!」

 小さく舌打ちをして、太一は右の標的にポイントした。

しかし、こちらから見ると、感染者は横に移動している上に二人だ。もう偽御船のすぐそばまで迫っている。

 太一の判断に加勢して、黎人は素早く左にポイントした。

 しかし……照準が合わないっ!

―――発見が遅すぎた。

感染者が偽御船へ飛びかかる。

それは、黎人と太一の心臓に冷たい物がせり上がるのと同時だった。

偽御船は、竹杖から抜いた白刃を頭上でクルリと一回転。

一拍の静寂。

二人の感染者の首は、主婦が落とした特売のじゃがいものようにフロアに転がった。


――――――は?


偽御船は、ウイスキーの一本を取ると、封を開け中身を口に含んだ。ぷ~っと、刃に吹きかけ鋭く一振りすると、納刀。再びウイスキーの物色を始めた。


 偽御船は十蔵と名乗った。

 曲芸というにはあまりにも物騒な太刀捌きに疑問は泉のように噴出してくる。

 ―――あなたは何者ですか?

 塵芥車に同乗していただいた十蔵に、太一は飼い主に飛びつく犬のようにはしゃぎかかった。

 結果、十蔵から引き出された話はファンタジーの世界だった。

 忍術の修業をしていたらしい。そこで、兄弟子の忍犬と肩を寄せるようにして師匠にしごかれていたとのこと。ちなみに、この忍犬とは話せたという。話は終わらない。海外に行き、熊や虎との死闘。中国の僧院で出会った仙人。インドで行者と超能力対決などネタが尽きない。その内、アダムスキー型UFOに乗って銀河を観てきたとか言い出すんではないかとそわそわしながら聞いていた。

 笑うべきか、ヒクべきか分からない。

 にやにやしながら、「ホントですかー?」を連呼していた太一に、しょうがないといった感じで十蔵は言った。

「お前、山はどうやって登る?」

「え? 普通に歩いて……」

「登山道を登るだろ?」

「それ以外なんかあるんすか?」

「俺は山をまっすぐ登る。道があろうがなかろうが草木を分けてな。だから、お前らが2時間かけて登る山でも5分もあれば登れる」

 幾分、現実的な話だ。それでも、普通の人はそんなことは出来ない。

「なるほどっ、分かります!」

 ホントかよ!

 そうこう話している内に居住区が見えてきた。

 棟が並ぶ公団住宅一帯を10メートルの高さにもなる鉄製の仮設防護柵で囲っている。なまじの高さでは感染者や保菌動物に越えられてしまうためだ。ぐるりと周囲を防護柵で囲まれた外観は異様だが珍しい光景ではなくなった。感染者撲滅中の日本では政府居住区に限らず、人がいる施設は全て防護柵で守られている。

「ここで下ろせ」

 十蔵は低くうなった。

「いや、いやっ」

 すぐに、太一が止めに入る。

「ごめん、十蔵さん。保護したら報告の義務があるんだわ」

「見なかったことにしとけ」

「いや、でもね……」

 十蔵は、手元にある二本のウイスキーの片方、「Chuck(チャック) Daniel's(ダニエルズ)」と書かれたものを太一に放った。

「とっとけ……兄ちゃん停めな」

 後半は黎人に対する命令だ。それほど意識していないのだろうが、声がそっちのスジ者のようで恐ろしい。

 しかし、太一は粘る。

「でも、どっちみち居住区には入らないと」

「二本はやれないぜ。とりあえず停めなって」

「どうする気ですか? 外うろついてたら危ないですよ」

「このまま行ったら、どうせ警備の奴等がぎゃー、ぎゃーうるさいだろうが。メンドくせーから自分で居住区に入るんだよ、停めろ」

 は? 自分で入る?

 ブレーキ。塵芥車が停まる。

 黎人は従った。

有無を言わせぬ威厳があった―――が、一番の理由は好奇心だ。

何をする気だ?

黎人と太一は、目を合わせるとコンセンサスの確認をする。

これは規則違反。しかし、このおっさんが何をやらかす気かちょっと見ようじゃないか。やばいこと始めたらすぐに止めるってことで。無言の会話を交わした。

「変なことしたら止めますからね」

 太一は一言だけクギをさした。

「はいはい」

十蔵は、車から降りると、軽くその場でぴょんぴょんと跳躍した。

次の瞬間―――。

弾丸のようなスピードで防護柵に向かって走り出した。警備隊員の監視している正面口を避けるように、横側にねじ曲がりながら加速していくと、防護柵に跳びついた。

 タッタッタッタッタ……。

黎人と太一は、脳内に足音を補完しながらその光景を見ていた。

―――人間が仮設防護柵を垂直に走っている。

数瞬で登りきると、居住区内に飛び降りた。

「れーちゃん……俺……おかしくないよね」

「……おかしくないと思う……それか……」

俺も太一もおかしくなってしまったかだ。


     *


「うん、大丈夫……また……」

 辻村は携帯電話を切ると、殺風景な部屋の中で備え付けのチェアにもたれた。

刑務所のようだと思っていた研究所だが、地上階は宿舎になっており、研究員や自衛隊から派遣された警備隊員がここで暮らし働いている。

そう言えば、昔一度だけ泊ったことのある格安のビジネスホテルのようだ。ほぼ寝るためだけの場所だが、個室以外は全て他人との共有スペースで落ち着く場所はここ以外にない。

しかし、落ち着くと余計なことを考えてしまうのも人の性だ。

久しぶりに話した父の声は落ち着いていたが、元気がなかった。

当然だな。

自分にしたところで仕事に忙殺されたくてここにやってきたのだ―――。


 あの日は、二階の部屋で勉強をしていた。

最初はガラスの割れる音だった。次に短い悲鳴。怒号。家具がひっくり返るような音。

 地震でも起こったのかと思った。しかし、机の上のマグカップになみなみとついだブラックコーヒーはこぼれていない。

部屋を飛び出し、一階へ降りた。

 警戒しつつ居間に入ると、母が床に女の子座りで左足をおさえていた。血が左のふくらはぎ辺りから溢れ出している。

 父は息を荒げながらゴルフクラブを持って立っていた。その前には、中年のおばさんがのびている。頭頂部にザクロを作って、そこにトマトジュースをぶちまけているようだった。

 ひょうきんな母とそれが分からないでもない父が、寸劇を始めたのかと一瞬思ったが、それは飛躍しすぎだ。脳裏に先ごろのニュースがインサートされる。

 ―――リーチ病。

まだ、TV局も民放をやっていた頃だ。点けっぱなしのTVからは、『AKA47』というカラシニコフ銃のような名前のアイドルグループが歌う、『あたしは恋のテロリスト』という曲が陽気に流れている。

 (こっ、いっ、のぉ~っ、ズキュ~ン、バキューン♪)

 リーチ病のことは、連日話題になっていたのでどうなるかは分かっていた。

 母は、立ち上がり、寂しそうに微笑むと告げた。

「シェルター行くわ」

すぐに意味の分かった父は珍しく色をなした。

「ダメだ! 行くな!」

(ズキュ~ン、バキューン♪)

「……お父さん、ゴルフクラブで私を殴れる?」

 父の涙袋が浮き上がり、とんがっていたゴルフクラブが頭を垂れた。

「研二」

 母は、こちらに視線を向けた。

(ズキュ~ン、バキューン♪)

「私はあんたを一人前に育てたんだから、そのことを忘れないでよ」

 別れの儀式が始まっている。突然のことについて行けなかった。だって、さっきまでコーヒーの粉末を入れ過ぎたことにイラついていたのに!

(ズキュ~ン、バキュ……)

この展開にどうしていいか分からず、とりあえずTVを消した。うるさい!

「お父さん」

 呼びかけられた父は、母の視線から目を背ける。その姿はなぜか、母よりも痛々しい。

 母は、拗ねているような父を抱きしめた。

「お父さんの……誠太郎さんの奥さんで良かった」

 母は、父からそっと離れるとシェルターに向かった。その背中がビクンと揺れる。既に震えが始まっていた。

 驚いた。

 父が泣いていたのだ。今まで一度も見たことがなかったのに。

 母が行ってしまうと、父はゴルフクラブを放り出し追いかけた。迷子の子供が母親を捜すように。

 シェルターは既に中から閉め切られていた。

 父は嗚咽を漏らしながら、シェルターの扉に向かって何度も母の名前を呼んだ。

 ―――俺もお前の旦那さんで良かった。

 聞こえていたのだろうか。


     *


 政府居住区。防壁に囲まれた公団住宅一階にある黎人の部屋。リーチ病感染者の侵入など緊急時を想定し、銃を扱える者は一階に住んでいる。1DK、一人暮らし用の部屋だ。和室の畳はところどころ表面のいぐさが破れ、下の稲藁がのぞいている。

 TV画面では2機の戦闘機が山盛りの装甲をした敵機を攻撃していた。縦スクロールのシューティングゲーム「クレイジーガンスター」だ。家庭用ゲーム機ジョイステーション10のソフトとして発売され、弾幕系シューティングの金字塔的作品として有名だった。その名に恥じぬ、玄人好みの難易度で敵の弾幕が万華鏡のように画面を埋め尽くしている。

黎人と太一はゲームをやるのが日課だった。

 目を瞑って怠そうに操作している黎人とは対照的に、太一はコントローラー自体を戦闘機のように上下左右に動かしている。

 ぼきゅ~ん!

 爆発音とともに1P側の戦闘機が消滅した。

「あぅ……」

 太一がコントローラーを投げ出してへばる。ボムを使い切り、最後は特攻をかけるようにボスに近づいて行ったのだ。直接、肉眼で見ていたわけではないが、黎人には分かった。

 画面では2P側の戦闘機が、弾幕間の微細な退避スペースを縫うようにサバイブしている。

「ボム使えば?」

「う~ん……」

 黎人にその発想はない。

 感覚世界に入ってしまえば、後はショットボタンを押したまま、画面から発せられている光の波に乗っていればいい。気付けば敵機が爆滅しているのだ。

 派手な爆発音と光が煌めく。

 黎人は目を開く。ステージクリア。

 ―――まあ、こんなもんだ。

 最初は面白いが、何度もやっているとルーティン化してしまう。特に黎人はシューティングゲームをすぐにマスターしてしまうので長く遊ぶ気が起きない。

 何度やってもすぐ死ぬ太一が疑ってかかる。

「れーちゃん、本当は薄目でしょ?」

 黎人は少し考える……。

「バレたか」

「ウソ」

「……じゃ、きくなよ」

 次のステージが始まった。

 黎人は、また目を瞑る。

 実は目を開けていてもいいのだが、視覚情報をカットすることで疲労をセーブしている。視覚は感覚の中でも使うと最も疲労が激しい。射撃の時でも最後の微調整では頼らないようにしているぐらいだ。説明したところで分かってはもらえないかもしれないが。

 感覚世界に飛来する色とりどりの光の波。入っていく―――。

 ピンポーン。チャイム音が鳴った。

「はい、はーい」

 太一が訪問者の対応に出た。特に太一に任して、まずい来訪者がいるわけでもない。しかし、この家に来訪者など珍しいこともあるものだ。

 玄関口で話している声がかすかに聞こえた。心なしか高い音域が混じっている。

 誰だ?

 部屋に上り込む二人分の足音。

あげやがったな、太一。別にいいけど。

 むさ苦しい男所帯に、爽やかなペパーミントが侵入してきた。

香水!?

「黎人くん」

 ぼきゅ~ん!

 戦闘機が消滅した。心が乱れると感覚世界は消えてしまう。

 ―――この声は。

 黎人は、トレンディドラマの一場面のように振り向く。

 明るく茶に染めたショートボブにくりくりした目。赤のボーダーカットソーにデニムショートパンツ。すらりと伸びた手足と形の良いバストは健康そのものだが、全体として見るとガーリーな趣をたたえている。

 ―――鈴木双葉。


     *


 憂鬱な場所だ。

 辻村は、ここに入るのは2回目だが、既に大嫌いになっていた。

 牢獄に挟まれて、感染体に噛みつかれんばかりに睨まれながら廊下を歩いていく。最奥のトランスジェニッククローンに用事があるのだ。

 クローンは再生力、耐久力、運動力を計る適性試験に受かれば兵士として養成されるが、落ちるとワクチン開発のための献体になる。

実験(モル)動物(モット)

研究者達はそう呼んでいる。意識的に人間と思わないようにしているのかもしれない。

しかし……世間の人が知ったらどう思うだろう? 研究員になった以上、内部の情報に対しては絶対の守秘義務契約をしているので公表出来ないが、クローンに人権を認めるなら、これはとんでもない問題になるだろう。

 そもそも、世間の人はクローン技術を規制していた「クローン技術規制法」が改正されたことも知らない。秘密裡に行われたからだ。表向きの目的であるワクチン開発は難航しており、治験段階にも入っていない。その裏で戦略級兵士を造る計画が、進められているなど誰も想像できないだろう。

 最奥にやって来た。

 覗き込むと、『21』と『23』が何やら遊んでいる。

ん? あれは……。

実験用ラット。どこから入って来たんだ? 

『21』と『23』はラットを間に挟み、つついたりしている。ラットもまんざらではなさそうだ。

 『23』が辻村に気付いた。

「まんまぁ?」

「まんまじゃねーよ!」

 辻村は無性に腹が立った。

 首から提げていたIDカードを電子ロックのカードリーダーに通す。

 ピッという音がして扉が開いた。辻村は中に入ると、乱暴に『21』の腕を掴む。

『21』は、哀しそうな表情を浮かべ、『23』はラットを守るように胸に抱いた。

 ―――あー、そうだよ。俺は悪者だよ!

 戸惑う『21』を引きずりながら、後ろ手で扉を閉めるとガシャンと無情な音がした。

 ―――こいつらは実験(モル)動物(モット)だ。ヒトじゃない。

 『21』を引っ張って行くと、『23』が「あ~、あ~」と声をあげはじめた。

 『21』も呼応して「あ~、あ~」とあげはじめる。

あ~、あ~、あ~、あ~、あ~、あ~……。

声が止まない。

 ―――ワクチンを作るためには犠牲が必要なんだ。


必要なんだ。必要なんだ。必要なんだ……。


辻村は頭の中で何度も繰り返した。


     *


 太一の計らいだ。

 昨日、ウイスキーが手に入ったので、一緒に飲まないかと双葉を誘ったらしい。

 現在、ほとんどの物資は海外からの支援に頼っている。嗜好品で入ってくるのはタバコだけで酒は贅沢品として入ってこない。タバコと酒を差別化する意味がよく分からないが、タバコだけは切らすと隊員の士気に関わるらしい。

 主役のウイスキーが半分に減っている。座卓には脇役であるレーションの缶詰やビン詰めのピクルス、スパム、コーンスナックが並んでいる。主に下戸の太一が食い散らかしていた。無理してコップ一杯ストレートでいったせいだろう。アルコールを中和するには食べるより水を飲んだ方が良いと思うが。

 一方の双葉は見た目に似合わずイケる口だ。元々強いのだろうが、チェイサーが欲しいといって、水を挟みながら飲んでいる。都会で鍛えられたのだろう。

 双葉は3か月前に東京から地元の西ノ関に帰ってきた。

 地元が恋しくなったのかもしれない。双葉は一人っ子で家族は両親のみだが、幸い、両親とも健在で居住区内の同じ部屋に住んでいる。

 東京と西ノ関それぞれの基地で転入、転出の手続きをやったと言っていた。

 有事以来、立法・行政・司法関係の機関や人間は暫定的に基地に移っている。国のシステムは24時間防衛の中で運営する必要があるらしい。リーチ病感染の脅威がなくなれば、以前のように自由に街を出歩ける生活が出来ると喧伝しているが……いつになるやら分からない。

「……おっ……おぅ」

 太一の吐瀉物が噴火寸前だ。

 黎人は仕方なくゲロ介護をしようと立ち上がるが、双葉に先を越されてしまう。

 太一と双葉がトイレに消えていく。

 ………………。

 ―――なんか、イライラする。

 おおおぅおぇあぁおおぉぉぉ。

 トイレからB級ホラー映画で怪物の赤ちゃんが産まれたような声がした。

 ―――うるせえ。

 何気なく双葉のコップに目が留まった。

 ピンク系のルージュがほんのりついている。

 …………うむ。

 黎人は複雑な気持ちを持て余していた。もう、再会してから3か月経つのに双葉が自分の知っている双葉ではないような気がするのだ。そう、最後の記憶は……。

トイレから護送される犯人のような太一と付添いの双葉が出てきた。

「れーちゃん……いつ分身の術覚えたの?」

「お前の眼球がさっき習得したんだよ」

 太一といるとツッコミが鍛えられる。

「……帰るわ」

 しょんぼりした背中の太一が玄関に向かった。

「一人で帰れるか?」

「大丈夫、大丈夫。ねっ! ごゆっくり!」

―――何だ?

 黎人は作為的な空気を感じた。

「じゃ、また明日~」

 バタン。太一が帰ってしまった。

 し~んっ………………。

 双葉と二人っきり。いいのか?

「……双葉は、どうする?」

「もうちょっと、飲みたいな」

「そう……」


 言葉少なにお互い飲み始める。

 二人になると、何を話していいのか分からない。太一が良い緩衝剤になっていたということだろう。

「ねえ……隣座っていい?」

「えっ!?」

 双葉は返事を待たずにコップを持って、黎人の左隣に座った。

かすかな体温とペパーミントの芳香。

「……きいちゃったんだ。黎人くん()のこと」

 ―――太一か。

「つらかったんでしょ? 髪……」

 双葉がそっと白髪を撫でた。

 これも太一の計らいだったのかもしれない。ゲロのくだりからして怪しく思えてきた。太一はお節介焼きである。

「……かっこ悪いだろ?」

「ううん。そんなことないよ」

 双葉が右手を黎人の太ももにのせてきた。

 ―――っ!

 黎人の背筋に電流が走り、もう封印されて久しい下半身のリビドーが湧き起こる。この時ばかりは酒の力が勝ってほしい。萎えろ! 小学校の修学旅行で観た奈良の大仏を無理やり思い出した。

「どうかした?」

「いやっ」

 下半身の苦悩など話せない―――それにしても。

 双葉は、恐ろしく洗練されていた。少しぽっちゃりしていた昔の面影はない。髪も昔はロングだった。

 頭の中にもやもやと妄想が広がっていく。

 東京に行ってキャンパスライフを送り、何人かの異性と付き合い、別れ、就職して新しい世界を知り、楽しく暮らしていた……のだろう。

 俺とは……違う時間を過ごしてきたのだ。


 双葉とは、高校二年の時に告白され付き合っていた。クラスは違うが、同じ学年、同じ高校。知らぬ間に見初められていたらしい。

「好きだ」と言われた時に嫌な気がしなかったからだが、付き合っていくとどんどん好きになっていった。

 一緒に東京の大学に行こうと二人で話し合っていた。他愛もない都会への憧れだったが、二人で過ごす東京のキャンパスライフは、目標となり、夢となり、お互いの気持ちを計るバロメーターになった。一緒に勉強もしたし、一人の時も勉強した。あまり裕福ではない家の事情を伝えると、双葉は一緒に国公立を目指そうと言ってくれた。それをきいた時、このまま双葉と一緒に過ごして、そのまま結婚するのかなとぼんやり思ったものだ。

 梅雨が終わったころ―――。

 SOHOでWEBやプログラムをやっていた父が死んだ。くも膜下出血。実にあっけないものだった。

 通夜も葬式も悲嘆にくれる母親とおろおろしている七海。

母は専業主婦で社会経験がなく、七海はその年、同じ高校の一年に入学したばかりだった。身も蓋もないが、お金の問題が一番大変だ。我が家には貯金がほとんどなく、父は保険にも入っていなかった。お涙頂戴の身の上話も他人事なら可哀想だねとハンカチで終わりだが、当事者はどんなにつらくとも生きていかなければならない。

 その年の夏に市で募集が始まった、クリーン推進課の現業職試験を受けた。ゴミの清掃員だ。受からなければならない。落ちたらバイトのかけもちでも何でもするつもりだったし、既に学校から帰ってバイトに行くようになっていた。年齢を誤魔化してナイトシフトのバイト。終わって朝になれば学校に行く。いつ寝ていたのか今でも不思議だ。

 双葉と会う時間が減っていった。現業職試験のことは言わなかったが、それとなく気付いていたのかもしれない。

 年が明けると、合格通知が来た。

 ―――もう隠せない。

 双葉にセンター試験を受けないことを告げた。

 すると、それなら自分も受けないと言い出した。

どれくらいの時間説得しただろう。

最後に双葉は受けることを約束してくれた。

 ほどなくして、双葉は東京の国公立に合格。

 そして、遠距離恋愛を提案してきた。

 嬉しかった。でも、つらかった。自分はこの子の足を引っ張っているかもしれない。

 東京に行けば色んな人がいるだろう。可能性に満ちたこの子を自分が縛りつけていいのか?

 あの時は人生を悲観し、疲れていたんだと思う。

 食べることも寝ることも忘れて悩んだ。

 結果、やつれた顔を引っ提げてウソをついた。

 ―――好きじゃなくなったんだ。

 記憶の双葉とはこの日が最後だ。

 

 しかし、結局は何も守れなかった。


 双葉が、頭を肩に乗せてきた。

 ひどく傷つけたし、恨まれたと思う。なぜ、また俺なんだ?

 黎人は、手が出そうになるのをギリギリで堪えて体を離した。

「もう遅いから……送るよ」

 双葉は、明らかにしゅんとして、小さく「うん」と言った。

 自分はあの頃から成長していないのかもしれない。と、黎人は思った。


     *


 地下3階。

 辻村が険しい表情で最奥へ向かっている。

 早くも『21』はオシャカになったらしい。明日には『23』も同じ目に合う。

 辻村の手には最後の晩餐である血液パックが握られている。

 ―――早くエサをやって帰ろう。

『23』は、またラットと遊んでいた。ラットも随分馴染んでいる様子で『23』に頭をこすりつけている。

それを見た辻村の中で何かがプツッと切れた。きっかけを求めていたフラストレーションに火が点く。

 電子ロックを開けると、中に入った。

 辻村の異変に気付かない『23』は、きょとんとしている。

「汚ねーんだよ!」

 ラットを蹴り飛ばした。

 キキィッ~! 小さく高い悲鳴が上がる。

 『23』は、壁に吹っ飛ばされたラットに近寄り、胸に抱いた。

「実験用ラットかばってどうすんだよ? 同類相憐れむか?」

 通じたのか、振り向いた『23』の憐れむような視線が辻村に突き刺さる。そして、それが辻村の火に油を注いだ。

「何だよ、その目は?」

 辻村が近づくと、『23』はラットをかばうように背を丸めた。

「そんなモノッ!!」

 辻村は『23』を踏みつけた。

何度も何度も……。

「……うっ……ぃ……」

 『23』は、小さく苦痛を漏らしながらも、かたくなにラットを守っている。

「そんなモノッ! そんなモノッ!……」

 辻村は、踏みつけているうちに『23』の背中が母親の背中にダブって見えてきた。

あの日、シェルターに向かったあの背中。

 ―――何でっ! 何でっ!

 辻村の振り上げた足が、力なく落ちた。

 ……いっちゃったんだよ。

 踏み疲れた辻村は思った。

 ―――もう、俺には出来ない。


     *


 黎人の部屋には分解された050式のパーツが並んでいた。

 軍手を装着した黎人は、クリーニングロッドの先にある細長く小さな穴に、ソルベントに浸けていたウェスの切れ端を通すと、分解したバレルを左手に持った。右手のロッドをチャンバー側から突っ込み、擦る。

 ごしごしごし。

 取り出してみると少し黒くなっている。

先日、発砲したせいだろうか?

 黎人は休みを利用して時々、銃の分解・清掃をやっていた。太一いわく、050式は故障の少ない銃だが、手入れはこまめにした方が良いらしい。実戦中の動作不良ほど恐ろしいものはないとのこと。

 がちゃっ、と出し抜けに玄関ドアが開く音がした。

「れーちゃん!」

 太一の声だ。イジワルしてやろう。

「いませーん」

 それでも、太一はめげない。

「ちょっと来てみ! あのおっさんがオモロイことやってる!」

 おっさん……十蔵のことか?

 黎人は重い腰をあげた。


 ジャージ姿の太一に連れられて、居住区内にある公園にやって来た。ランニング中に十蔵を見つけたらしい。公園内は鉄棒、ブランコ、すべり台などがポツポツあるだけで、あとは開けた広いスペースになっている。

「ほら、あそこ」

太一が指さす先を見ると、ベンチで十蔵と野球帽を被った五十がらみのおっさんが茶碗で遊んでいる。

 あれは、チンチロリンだ。

 高校の時にやった覚えがある。ポーカーに始まり、麻雀、花札、チンチロリン、その他いろいろ。大人の真似事をして背伸びしたかったのかもしれない。太一は手積みの雀卓で必死につばめ返しを練習していた。

 黎人達が近づいて行き状況を観ると、タバコを賭けてやっているようだった。既に十蔵の傍らにはルークマイルドが1(ワン)カートンほど積み上がっている。対するおっさんは残りあと2つ。分が悪い。

「十蔵さん、ずっと連続でピンゾロ出してんだよ」

 太一の声が高揚している。ピンゾロは最高役だ。イカサマでないのなら確かにすごい。

 ちょうど、おっさんが振ったところで3つのサイコロが『二・二・四』と出た。鼻息が荒くなっている。

 十蔵が振った。茶碗の中で3つのサイコロはからからと転がり……『一・一・一』。ピンゾロだ。

 おっさんが頭を抱えた。

「グラ賽じゃねーのか?」

「お前も振ってるだろーが」

「隠してるんだろ」

「調べたきゃ調べな」

 十蔵が救世主のように腕を広げると、おっさんはその体を税関職員のように調べ出した。

 結果、何も出ない。

 十蔵が鼻でせせら笑った。

「残念だったな」

「くそっ!」

 おっさんは尚も不服そうにしながら、投げるように十蔵へ一箱渡す。

 太一が耳打ちしてきた。

「どんなイカサマやってんだろ?」

「イカサマじゃないよ」

 パッと見ただけだが黎人には分かっていた。

「ほう」

 耳ざとく聞いていた十蔵が興味を示した。

「分かんのか、兄ちゃん?」

「もう一度振ってもらえますか?」

 黎人の要求を飲んだ十蔵が3つのサイコロを手のひらに持つ。

 目を開けた状態での感覚世界の発動。

 全ての動きや移ろいがスローモーションになる。

 十蔵がサイコロを振った。

 振りからリリース時までの腕、手や指の動き。

落ちたサイコロが茶碗の中で跳ねまわる、その角度、その動き、その時間。

 飛び込んでくる膨大な情報が黎人の脳内に集約されていく。

 ―――3つのサイコロは『一』を上にして……そう、横にすべらす……スピードは……なるほど……。

 つぶさに捉えた視覚情報は目を瞑り集中すると、脳内で一連の意味を持った情報に変換されていった。

―――分かった。

「振っていいですか?」

 黎人が十蔵からサイコロを受け取る。

 目を瞑る。

 3つのサイコロは『一』を上に手のひらに乗せる。感覚を反芻しながら、十蔵の動きをトレースして投げた。

 サイコロが茶碗の中でからからと転がり……『一・一・一』。

 十蔵はフッと笑い、「こりゃ、こりゃ」と面白がった。

「れーちゃん、いつ練習したの?」

 太一が唖然としている。

「いや、十蔵さんの真似しただけだけど」

 おっさんも目を丸くしている。

「もう一回やってみろ」

 今度は十蔵の要求に応えて振った。

……………結果は同じ。

 その後、10回振ったが全てピンゾロだった。


     *


 夜が更けた。

 辻村は、仕事を終え、宿舎に帰ると急いで支度をした。

 デイパックの中身がいっぱいになっている。思ったより持っていけるものが少ないが、夏なので着る物はかさばらない。このぐらいにしとこう。

デイパックのファスナーを閉め、背負う。

ずしりと肩に食い込んだ。重いが減らせない荷物も入っている。

 部屋を軽く眺め回し、後にした。

 ―――本当に短かったな。

 もう戻ってこないのだ。


 辻村が電子ロックを開けて、牢獄の中に入っていくと、『23』はビクッと脅えた様子をみせた。当然だろう、あれだけ踏みつけたのだから。

 デイパックから白衣と白いスリッポンタイプのスニーカーを取り出した。『23』に白衣を着せて、スニーカーを履かせる。スニーカーは宿舎の下足所から女性研究員の物を拝借した。『23』には少し大きいようだが、問題ない範囲だろう。

最初、嫌がるかと思ったが、それほど抵抗もなく素直だった。恐れているだけかもしれないが、このまま大人しく従ってくれると楽だ。

 『23』の腕を引っ張っていき地下3階を抜け出した。

 この時間になると研究員はほとんどいない。いるだけで鬱になるような研究所だ。就業時間が終われば誰も長居したいとは思わない。園田に関しては分からないが。

堂々と上の階へ上がり正面口から出て行った。


 敷地内の巡回警備も問題はない。時間とコースを把握していれば見つかることはないのだ。

 防護柵の前までやってくると、辻村はデイパックからどうしても減らせなかった荷物を出した。

 ロープガン。救命索発射銃を改造したもので、先に鉄鉤が付いており、防護柵に引っ掛けて外に出ることが出来る緊急避難用具だ。防護柵にも緊急時を考えて天辺にはかえしがついている。

 付属のハーネスとロープも取り出す。『23』と自分にハーネスを着け、ロープを通してロープガンに接続する。

準備完了。

 『23』を片手で抱き寄せると、少し不安な顔をした。

かわいい……いやいやっ!

辻村は煩悩を振り払うように頭上を仰ぐ。

 ―――星がたくさん出ている。

防護柵の天辺めがけて発射した。

 炭酸飲料が吹き出すような音がして、ロープが星空へ昇っていく。

 しゅる、しゅる、しゅる、しゅる……ガチッ!

っとした手応えを感じると、ロープを3回ほどぐいぐい引っ張る。問題ない、しっかりと引っ掛かっている。

 巻き取りボタンを押すと、辻村達は天辺へとスルスル昇っていった。

星空の中には月がぽっかり出ている。そのまま吸い込まれてしまうような気がした。


     *


 西ノ関駅周辺のビル群から、ぽつぽつとファミレス、ファーストフード店、コンビニなどがある国道を抜けると、中心から外れた市街地に出る。帰りのコースだ。

 今日も終わったな。

 黎人は帰りの車中で心中ひとりごちた。車窓からは小さな個人商店などが建ち並ぶ通りが見える。無人の通りは活気の欠片もない。

 今日は居住区のゴミ捨てだけだった。まだ、昼までにはかなり時間がある。

 隣で2本目のマルポロに火を点けた太一が煙を大きくはいた。

「俺さ……れーちゃんは宇宙人じゃないかと思うんだよね」

「それは十蔵さんだろ」

「いや、似たようなもんでしょ」

 黎人はピンとこない。感覚世界のことを言っているのだろう。衰弱死寸前までいき、白髪になった頃から現れ始めたのだが、超能力や幽霊が見えるなどのオカルトの類ではない。射撃やゲームでしか使ったこともないし、特に何かの役に立つようにも思えない。とても十蔵のように壁を走って登ることなど出来ないのだ。

 ―――99、99。

 不吉な無線連絡が入った。

「あいよ」

 太一も本当はいないフリをしたいだろう。

 ―――今日のニュースは変わり種ですよ。

「およ、なんすか?」

 ―――基地から囚人が脱走したって。

嫌な予感がする。

 ―――その辺うろついてる可能性があるから、ちょっと捜索してくんない?

「うぇ~、囚人保護ぉ?」

 ―――しゃーないでしょ。お上の命令なんだから。

「……見つかんないかもよ?」

 ―――捜しましたって実績作ればいいから。

 適当に捜して見つからなければしょうがないということだ。

 太一は「あ~」と、うめいて続けた。

「……特徴は?」

 ―――メガネをかけた痩せた男と左腕に数字の『23』のタトゥーした長髪の女。

「女の方かわいい?」

 ―――それは知らん。

「一緒に逃げてんの?」

 ―――じゃないの? とりあえず言われたこと伝えてるだけですから。

「はいはい、了解しました」

 ―――んじゃ、適当によろしく。

「テキトーに了解」

 「ハッ」と連絡員が短く笑って、無線が切れた。

「基地ってそんなにイヤなもん?」

 黎人が疑問を口にした。

「そんなこと言ってらんないと思うんだけどね。だって、俺達だって閉じ込められた生活してるわけだし」

 ごもっとも―――太一の言う通りだ。

 バイオハザードの混乱に乗じて、刑務所から多くの囚人が脱獄した。

 大勢の脱獄者は、政府へ頼らずに集まっている非政府居住区に身を寄せるなどして身元をくらませている。残留した一部の奇特な囚人は老人や生活力のない人達だった。しかし、国も混乱の中、刑務所を維持する余裕が無い。そこで、政府はそれらの残留組を自衛隊基地の後方支援にまわした。具体的には、掃除、洗濯、炊事などの仕事だ。全国の基地ではどこも人がごった返している。

「変なことが続くね」

 そう言って太一はマルポロを窓の外へ投げた。


     *


「ハァ……ハァ、ハァ……」

辻村と『23』は、海沿いの道を小走りに進んでいた。海上すぐ近くには関道大橋が悠然と架かっているが、今では車両の通行はほとんどない。

今日の日暮れまでにどこまでいけるだろう?

 夜の移動は危険なので、恐る恐る民家に忍び込んで朝陽を待った。幸い、感染者に遭遇しなかったが、まんじりともしなかった。施設を出てから緊張状態が途切れない。

 目標は隣県福岡の()(ひろ)区。

そこにある八博駅はここから一番近い非政府居住区だ。それでも歩くとかなりの距離なのだが行くしかない。八博駅にバリケードを張って生活しているときいた。当然だが、非政府居住区には国の配給は無く、政府居住区を襲って生活物資を得ているなどの噂が立っている。物騒だが、体制に背けば身を寄せられる場所など限られているのだ。選り好みなど出来ない。

 関道トンネルが見えてきた。この人道トンネルは福岡県の入口にあたる道司(どうじ)区に繋がっている。八博区へは道司区からずっと南へ下っていく。

辻村はふいにある一節が頭に浮かんだ。

 ―――この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。

 しかし、それが何の本で読んだのか、どうしても思い出せなかった。


 辻村達が真っ暗な人道内に足を踏み入れると、パッと照明が灯った。

 関道トンネルは海底を掘削したトンネルで、センサーが反応したら照明が点く仕組みになっている。

まだ電気がきているのか……それか、非常電源が稼働しているのかもしれない。懐中電灯を使う必要もなさそうだ。

地下への階段を降りるとすぐに長い一本道が現われた。

 ―――いる……。

 前方すぐそこ右側にグレースーツの男、左側にパーカーを着た男が倒れている。

 感染者か?

 ……どう考えても感染者だろう。引き返して車道側から行くか? いや、しかしそちらも安全だとは限らない。

 倒れている二人の背中は規則正しく律動している。

 寝ている?

 前方には長い一本道が続き、その二人以外いるようには見えなかった。

 行けるか?

 二人の間に通れるだけのスペースはある。

 正直な話、引き返して二の足を踏むには精神がすり減り過ぎていた。

 ―――行こう。

 辻村は脂汗が全身ににじむのを感じながら、一歩、二歩と前に進んだ。

 ピンと張った『23』と繋いた腕を、牛のようにゆっくり力強く引いていく。

 二つの体と交差し、その向こうへ……。


 がしっ。


 右側のグレースーツが辻村の足首を掴んだ。

 悪寒が背筋を突き抜け、急いで足を動かし振り払った。

「くそっ!」

 辻村は走って突っ切ろうとするが、動きを止めた。前方、道のはるか向こうから豆粒のように小さい何かが走って来る。

 感染者!? しかも、三人。

……しまった!? もしかすると、人道脇の側溝に隠れていたのかもしれない。

 背後の倒れていた二人が立ち上がる気配がした。

「っ……」

 辻村は悲鳴を上げることも出来ない。

罠だったのだ。こいつらの頭が良いことを忘れていた。

腕にきゅっとした感触……見ると、脅えた『23』が辻村の腕にしがみついている。

 辻村の胸が高鳴った。恐怖ではない。

 ―――ああ、そうか……。

 苦笑を禁じ得ない。今さらながらに自分が『23』にほのかな恋心を抱いていたことに気付いた。

短い逃避行―――悪くはなかった。

 辻村がにじむ涙とこみあげる震えを抑えこみ、背後を振り向くと、二人の感染者がじりじりとにじり寄って来ている。

「うああぁぁぁぁぁぁっ!」

辻村が二人の感染者へ下半身目がけてタックルすると、もろとも倒れた。

「ぐぅううぉうっ! ぐぅうっ!」

感染者達はジタバタと暴れるが、辻村が渾身の力で抑えこむ。

 『23』が、オロオロしていると、辻村が怒声を浴びせた。

「早く行け!」

 『23』は戸惑いながら、辻村や走ってくる感染者達をオロオロと見ている。

 辻村は声が枯れるほどの大声を張り上げた。

「うぜーお前の顔なんかもう見たくないんだよっ! とっとと、行け!!」

 暴れる感染者達を全力で抑えながら、最後の悪態をついた。

 脅えたような顔をして『23』は、来た道を引き返して走っていく。

 ―――嫌われたかな……。

 『23』は行ってしまった。フッと体の力が抜けていく。

 二体の感染者は暴れながら辻村の腕に噛みついた。

 ぼんやりと熱源が漏れ出していくような痛み。

しかし―――それよりもひどく疲れている。

考えることを止めた辻村の頭に浮かんだのは、シェルターに向かう母親の背中だった。


     *


 海近くの古民家風の家が密集している住宅街。

その住宅街の平らな道を、塵芥車は徐行運転でのろのろと走っていた。

 ご注文通り適当に捜した……というより、ドライブだ。

 いれば儲けモンの捜索。実際、見て回っているだけ真面目だといえるだろう。

 それにしても、誰もいないゴーストタウンの街を走るのは、気持ちの良いものではない。

 映画の中で見たことがある、地球でただ一人生き残った人間の寂寥がよく分かる。とてもじゃないが、生き残って良かったなんて思えないだろう。

 黎人は、大きなあくびをすると切り出した。

「そろそろ切り上げるか?」

「……そだね」

 言葉少なに作業終了を確認すると、居住区に向けてハンドルを切る。この住宅街をまっすぐ突っ切ればすぐに着く。

 早く帰ろう。今日も太一とゲームをして無為な時間を過ごすだけだ。

 徐行から通常運転に切り替えるため、アクセルを踏んだ時、路地から物体が飛び出して来た。

 危ないっ! 黎人は急ブレーキを踏んだ。

ドンッ!

 反動と共に塵芥車は停まったが、フロントにぶつかった物体は数メートル転がり、俯せのまま動かなくなった。

「………………」

 突然の事故に黎人達は言葉が出ない。

人か? それとも……。

 黎人は、ようやっとで声を絞り出す。

「感染者か?」

 太一は答えずに050式を素早くセットアップする。遅れて黎人も倣い、二人は警戒しながら塵芥車を降りた。

改めてよく見ると、髪の長い女であることが分かる。

「そこでポイントしてて」

 太一が進んで危険な役目を引き受けようとしている。

「いや、俺が確かめる」

 黎人にはそれが時々歯がゆい。太一を制して黎人が女に近づいていく。

「はいよ」

太一は仕方なくその場で女にポイントした。

 黎人は050式の引鉄に指をかけたまま、じりじりと歩を進めていく……女のそばにやって来た。

背中の律動を見ると、息はしているようだ。

慎重に050式のバレルを女の体の下に引っ掛けると、ごろんと仰向けにさせる。


 黎人は―――時間が止まった。


 太一はそれを危険と勘違いし、引鉄を絞ろうと身を固くした。

「違うっ!」

 それを黎人は片手で制して止めた。

異様を察した太一が構えを解いてきいた。

「……どうしたの?」

「…………七海だ」



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