37章
「こうやって、それぞれ何かしら守護をしてるの。私たちは一つだけなんだけど、オリンポスの十二神は、たくさん抱えてらっしゃるの。人間からしてみれば、みんな同じ神かもしれないけど、十二神だけは格が違うのよ」
「あ、じゃぁ、ヘルメスもオリンポスの……」
「そうよ。呼び捨てになんてできないわ」
「あ……」
言われて、クリスは初めて気づいた。
いつの間に呼び捨てていたのだろうか。本人に向かっても、そう言ってしまったかも知れない。
「あら。貴方はいいと思うのよ。別に怒られないでしょう?」
「えぇ……」
そういうヘルメスは、自分をお前、としか呼んでないはず。
もちろん、自分は人間だし、いきなり呼ばれても恥ずかしいから、それでいいのだが。
「いいわねぇ。私たち、この間初めてアポロンさまとヘルメス様にお目にかかれたのよ。オリンポスなんて行くことないから、本当に光栄だったわ」
「いけないんですか?」
「行けないことはないんだけど、特に用がないとそこまではね。私たちもここで守護することあるから、人間が旅行するようにあちこちで歩けないわ。近くだったら、こっそりでかけるんだけどね」
頭をお湯で流してくれるエイレネポスが、そうつぶやいた。
「オリンポスの神はそういうのがないから、自由にどこでも移動してるわ。特に、ゼウス様と使者の役割をするヘルメス様はね」
「ゼウス様……」
「えぇ。名前くらいは知ってるでしょう。あの方は、全ての父といわれているわ。私たちの父もゼウス様だし、ヘルメス様もゼウス様の子供だし」
「え? ご兄弟なんですか?」
「驚くことないわ。神の世界は人間の血縁とは全く違うし。ゼウス様は子供を作るのが役割みたいなものだから。本当は、ただの浮気なんだけどね。でもそうやって神を増やしているから、私たちみたいなのが出て、いろいろ守護ができてるのよ」
「あぁ……」
クリスはホルクスの顔を思い浮かべた。
“ゼウス様は全ての父であり、神を生む父である”
そういうことなんだと、今になって解釈ができた。
「ねえ、貴方、語り部に話をきいたことはない?」
デュケがそう聞いてきた。
クリスは、丁度そのホルクスのことを思い出していたので、一瞬心を読まれたのかと、驚いた。
「あ、はい。あります。ですが、私が幼くてあまり話が理解できなかったし、覚えてる話も少ないんです」
「そう。私たちのことは、伝わってないわね。きっと……」
「すみません……」
「あら。貴方が謝ることなんてないわ。それにね、いい方法があるわ」
「どんな方法でしょうか?」
「いずれ、人間のところに戻って、語り部にも会うと思うから、その時にね、私たちのこと伝えて欲しいのよ」
「まあ、そうね」
女神たちは、嬉々として手を取り合っている。でも、その方法よりも……。
「あの、それでもかまいませんが、私が描く、というのは駄目なんでしょうか?」
存在を伝えるということであれば、語るのも描くのも同じではないかと思ったのだ。
「あら……。まぁ、いいのかしら。私たちなんか描いてもらって……」
女神たちの言葉には遠慮がこもっていて、何だか自分が上な感じがして、奇妙だ。
「描きたかったら、描けと言われましたので……」
「そう。じゃぁ、お願いしようかしら。何なら、描く時間くらい止めることできるけど?」
「いえ。すぐに描きあがりますから。そこま
でしていただかなくても大丈夫です」
相手に遠慮したわけではなかった。
ここに来てから、不思議と描きあがる時間が早くなっているように思える。実際のところはわからないのだが。
「じゃぁ、服をもってくるから、温まってて」
デュケが、岩場から離れた。クリスはすぐ近くの湯場に足を入れ、手でお湯をすくってから、そろりとおりた。
「あぁ……」
とても気持ちがいい。丁度いい湯加減だ。
「ねえ、気持ちいいでしょう?」
緑の瞳のエイレネポスが、岩場から覗いて、クリスに声をかけた。
「はい、とても」
声だけで返事をして、クリスは首までお湯につかった。こんなにあたたかくていっぱいのお湯に入ったのは初めてだった。これからもこんないい思いができれば、と願うが、きっとこれきりだろう。
やがて、服を取りにいったデュケが戻ってきた。
「あの、これは……」
お湯から出たクリスに差し出されたのは、ここへ来る時に着ていた白い服ではなかった。
「あなたの服よ。ずっと歩いていくには、こういう格好がいいかと思って。色も貴方に合うわ。さすがヘルメス様ね」
「ヘルメスが……?」
「えぇ。旅には、こういうのがいいって」
それは、上下が薄い草色で染められた、動きやすそうな生地でできた長袖の衣と、くるぶしまでの長さの、一見すると男ものに見える下衣だった。手足の先がしぼれるようになっている。
「ちょっと見た目地味だけど、いい色よ」
服を身につけたクリスを見て、三女神とも自分たちのことのように喜んでいる。
「さっきのも、ヘルメス様が用意したのでしょう?」
「さっきの、白いの……そういえば」
デロスの神殿で、光っていた時にかわったのだった。
「本当に合うものがわかる方なのね。その髪だって、ヘルメス様が整えてくださったんでしょう?」
「わかるんですか?」
クリスはまだ生乾きの髪を胸の下で持ち、いじりながら女神たちを見上げた。
「わかるわよ。だって、その髪の波、洗っても伸びないもの」
「うらやましいわ」
茶色の瞳のデュケが、クリスの髪を見る。
その横で、青い瞳のエウノミアがくすっと笑った。
「うらやましくないの? お姉さま」
「そりゃうらやましいわ。でもこれからのことを思うと、ヘルメス様ったらこの子を着せ替え人形にでもするつもりかしらって……ちょっとね」
「えっ」
クリスに嫌な予感が走る。
そして、抗えないであろう自分を想像して、クリスは気が沈んだ。
「ちょっと、人形なんていうから、この子落ち込んじゃったじゃない。もう」
デュケが、姉のエウノミアに向かって叱った。
「あら、ごめんなさいね……」
「いえ、いいんです。そうかも知れないですし」
クリスはそういって、一つ息を吐いてから、笑顔を女神たちに向けた。
「そろそろ始めたいと思いますので、杖を貸していただけますか?」
クリスはヘルメスの杖を受け取り、説明された通り、道具を思い浮かべて、地面を三回ついて、出現させた。




