34章
◇
「そうかい、じいさん。じゃぁ、やっぱりあの子は神に選ばれた子だったんだ」
「そうじゃ。ヘルメス様も一緒におられた」
「へえ。ヘルメス様か。俺はポセイドン様しか見たことがないからな。……あ、待てよ。
髪が金で、緑の瞳をしてないか?」
ユルクは仕草で髪の長さを示しながら、岩場にクリスと一緒にいた優男を思い出した。
どうみても普通の人間に見えなかったのだ。
「いいや。ヘルメス様は、銀の巻き毛で、そうも髪は長くない。瞳も、深い青じゃ」
「えっ。じゃぁ、違うか……」
ユルクは外れてがっかりしたようだ。
だが、ホルクスは思い出したように口にした。
「いや。お前さんが言う姿は……。髪がこれくらいじゃったというたか?」
ホルクスは胸元で手を横にした。
「そうさ。それで、顔立ちがすごく整ってたなぁ」
「そりゃ、きっとアポロン様だ」
「は? なんでまた……。あの子は知り合いの神が多いのかな? そりゃそうと、じいさん。あんたこそ何でそんなに神を知ってるんだ?」
ユルクは驚いてホルクスをみた。
「わしは元語り部じゃ。その間に、オリンポス十二神のうち、十の神にここであいさつをした。全ては真実を伝えるため。わざわざ姿を現してくださったんじゃ」
「すごいなぁ。語り部だったのか……」
ユルクはここに五年前に引っ越してきたので、ホルクスが語りをやっていたのを知らなかった。
「神がいろいろ話されるのをきいておるとな、意外と人間みたいだと思える神もおるんじゃよ。ヘルメス様や、アポロン様がそうじゃったかな。とにかく気さくに話してくださったよ。……あぁ、なつかしいのう」
ホルクスは何十年も前の記憶に浸るように天を仰ぎ、まぶたを閉じた。
「そうか。俺もあの時、海の神殿へ連れて行こうかと言われたんだけどな、丁度海で漁をする予定があったから断ったんだ」
ユルクも当時を思い出した。
「あの子は、行ってしまったのかな……」
ユルクがぼそりとつぶやいた。
「いや。行って来ると言うておった。帰ってくるじゃろう」
「そうか……」
二人がそう言葉を交わしながら、再び天を向いたので、のぞいていたクリスは目が合ったかのような錯覚をおこして、思わず顔をひっこめてしまった。
二人は、壇上に祭るかのようにおいてあるクリスの絵を見つめたまま、沈黙した。
◇
「その男たちのこと、わかりましたか?」
テミスが壇上から声をかけ、両手を挙げると、水がめは除々に消えていった。
「あ、はい」
神の世界に来ることはなかったが、志が同じような二人がいることに、クリスはなんだかうれしくなっていた。
「では、せっかくですからここを去る前に案内しましょう。気に入ったところがあれば、好きに描いていただいてかまいません」
「あ、ありがとうございます。でも、描く道具が……」
ちらりと、背後のヘルメスを振り返った。
「俺はお前に四六時中ついてるわけにはいかないんだ。ほら、貸してやるから、勝手に出せ」
ヘルメスはぶっきらぼうに言って、もっていた杖をクリスに差し出してきた。
さっきから持っているのはわかっていたが、手にしてみると、とても長い。床からクリスの胸まである。だが、とても軽い。
「それはケリューケイオンという俺の杖だ。それを持って、出したいものを思い浮かべて、地面を叩けばそこから出る」
「そうなの……」
しかし、ヘルメスのものを、そんな簡単に人間のクリスに貸してもいいのだろうか。
「私、やっぱり借りるのは気が進まないわ。描かなければいいから、返すわ」
ヘルメスに杖を返した。
「いや、どうせ描きたくなるに決まってるさ。その時に俺がいなかったら困るだろ」
「そう……」
「そいつは、同じ動作をすれば、道具をしまうことができる。自分で一式もって歩くよりずっと楽なはずだ。それに、何かあったら俺に伝わるから、持っていろ」
「え、えぇ」
そういうことなら、とクリスは再び手にした。
「さあ、こちらへ……」
テミスが手で示す先に、明るい光があった。
横で座っていた娘たちが静かに下りてきて、クリスを案内した。




