30章
しばらく間があきましてすみません。もう少しコンスタントにアップできるように努力いたします。
「あの、アポロン様」
クリスは遠慮がちに声をかけた。
「何かな?」
アポロンは演奏を止めずに、緑の瞳だけクリスに向けた。
「アテナ様みたいにされませんと、疲れてしまわれるのではないかと思うんですが……」
「いや。いいさ。全く音がないよりは、いいかと思ってね。それとも、型にした方が落ち着いて描けるかな?」
「い、いいえ。そういうつもりでは。大丈夫です。続けてください」
流れ続ける旋律は、とても心地よくて邪魔とは無縁だ。クリスは準備をすすめて、描きだした。
玉座にいるアポロンからは、絶えず美しい音が流れてくる。何の曲というものではなくて、心を落ち着かせる音。それでいて、なぜだか描くのに乗りのいい速さ。
次々つむがれる音を聞きながら、クリスはまたも早く仕上がってしまった。
アテナ様の時よりも早いかも知れない。
まるで誰かの手を借りたかのような早さに、クリス自身が驚いた。いや、実際時間はかかっているのかも知れない。あの音が、時の流れの感覚を狂わせているだけだろうか。
とりあえず、全体をみてみる。
形も、調子も大きく崩れてはいない。
流暢に動き続ける指も、がんばって描き現してみたつもりだ。
動く指を描いたのは初めてだったが、考えるより先に手が動いてくれて、どうやって描こうか、などとは思わなかった。
実のところ、クリスは対象物を一通り観察できれば、あとは脳内で再生して描きだすことができるのだが、それは必要なときにやればいいので、こうしてモデルになってくれるようであれば、それに甘んじて描かせてもらった。
「気にいらないのかな?」
「えっ? いいえ、私は気に入ってます」
慌てた妙な答えに、アポロンが吹き出した。
「いや、失礼……」
言いつつ、アポロンは演奏を止めて、絵を見にきた。
「良く描けてるね」
「ありがとうございます」
「こうも早く仕上がると、私の演奏の腕を振るう機会がなくなるな」
「まあ、そんなこと。なんなら、もう一枚描くこともできますけど」
クリスは上機嫌だった。
「あぁ、ありがたいが、それはまた次に会った時にでもお願いするよ。貴方を連れてきた奴と、他にも待っている神がいるからね。私とアテナを描いてもらったのは、腕慣らしってところさ」
「そうなんですか……」
言われてクリスは、ヘルメスの話を漠然と思い出した。
“我らの存在を残すため ”
ヘルメスはあの家でそう言った。詳しくは教えてくれなかったが、多分これもその一つなのだろう。
あの時のヘルメスの言葉は、なぜなのかの説明がなかった。わからないから詳しく、というクリスの願いは、あいまいに濁されてしまった。
「それで、これは完成でいいのかな?」
「ほんの少し、描き足してもいいのですが、一応これで。あまり手を加えすぎると、最初に感じた雰囲気を壊すこともあるので」
「ほう、感覚で止めるんだな。私の演奏にも通じるところがあるな」
アポロンは笑顔で納得している。
クリスは台から絵を外し、アポロンに渡した。
そこへ、ヘルメスが玉座から歩いてきた。
「良い出来だ。見るかい?」
アポロンがヘルメスを促した。
「ほお。こぉんな格好つけな姿勢、よく笑わずに描けたな」
「なんだと?」
「なんですって?」
クリスたちは一斉に非難の目を向けた。が、すぐにアポロンが笑みを浮かべた。
「お前。描いてもらってないから、僻んでるんだろ」
「何が僻みだよ。俺は進んで描いてもらう程、暇じゃないんだ」
「暇で悪かったな。でも、出来はいいだろ?」
「あぁ……」
出来には反対しないようだ。
「さて。じゃ、行くか」
「どこに?」
「どこにって……」
脱力したように、ヘルメスはクリスを見た。
クリスからしてみれば、当然のことを聞いてるだけだ。
「あのな。ここでのんびり暮らすんじゃないんだぞ。俺の話、聞いてたよな?」
「ええ。でも詳しく教えてくれなかったし」
「まあいい。まずは、刻の神のところへ行く。そこで、俺が伝えた言葉の意味を説明してもらえる」
「そうなのね。でも、そんなことしなくても、ヘルメスが説明してくれたらいいのに」
「俺は口伝の神じゃない。説明はできるが、俺の役目じゃない。それに、お前がそこへ行くこと自体が重要だ」
「そうなの……」
相槌を打ちつつ、クリスはヘルメスを、ちらりと視線で追う。
何だが、さっきから態度が変だ。アポロンが僻んでいると言っていたが、そんな感じとは違う。
多分……怒っている?
「私、何か気に障ること言ったかしら?」
「は? 何だ、突然」
「いえ。何だか機嫌が悪そうだから……」
「……」
ヘルメスはクリスの瞳をじっと見た。
「機嫌は悪いが、お前が原因じゃない」
きっぱり言うと、壇上から下りだした。
ヘルメスが一歩下りてゆくごとに、段下が明るくなっていく。
「あ……」
クリスは無言のヘルメスについていくしかなかった。
下りかけてちょっと振りかえると、アポロンが優しい笑顔を向けていた。
「名残惜しいな……」
クリスの瞳に囁くように声をかけると、やおら弦をかき鳴らした。
同時に、アテナがクリスの前に出現し、穏やかにほほ笑んだ。
「そんな顔しないで。あなたの行く先には、ヘルメスがいるわ。信じるのが難しい相手だけど、信じてあげて」
「え……はい?」
アテナの言葉は、謎賭けなのか、冗談なのか、判別がつかない。




