1章~軟派な神と硬派な娘~
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「 安くしとくよ、持っていきなっ!」
通りすぎる人々に、女露天商の威勢のいい声がかかる。
神々を祭るという名目で年四回開かれる大神祭の市場は、店じまいが近づくにつれて朱色に染まってきている。この時間が、一日の中でも一番騒がしい。
食べ物を扱う店がほとんどなので、当日中に売りさばきたく、声の張り合いになるようだ。
市場は、燃えるように輝く海沿いから、デロス神殿のそばの森の近くまで続く。
そんな大規模な店の連なりの端、森に近い位置で、クリスは場所をとっていた。
白い布を被り、黒い瞳で白い肌という姿は、何も話さなくても、結構目立つ。ここの地域は赤茶けた髪に、健康的に日にやけた人々ばかりだからだ。まだ暑い気候なので、その姿は見る側からすると暑苦しいかもしれない。
外見でとりあえずの視線を集めようという意図はないのだが、クリスが扱っている品をみると、ものの数秒珍しそうにながめた後、二度とそこを見なくなるのが大半だ。
売っているのが、絵だからだ。それも炭で描いた白黒のものばかりだから、目立たないことこの上ない。
だが、たまに目を留めて、近づく者もいる。
この、青年のように。
「なあ、もう片付けるのか?」
クリスは、声をかけられて、驚いたように顔をあげた。片付けに夢中で、目前に立つ人に全く気づかなかったようだ。
「あ……。あの、もう暗いので、御用があれば、また明日にでもおねがいします」
控えめな声で断り、すぐにまた片付けにかかる。
「ん? ずいぶん商売っ気がないなぁ。暗い中みてるんだから、もう少し粘ってみようは思わないか?」
青年は、軽やかに笑いかけた。
「これだけ暗いと、きちんとみていただけませんから」
クリスは芯の通った声で、相手を見据えた。
そして、少し目を細めた。
見上げる青年の外見が、そこらへんを歩いている人たちとは異質だったからだ。
日暮れの逆光で顔立ちはわからないが、すらりとした長身で、ひだのある長衣を着ていて、優雅さを感じる。
その衣に、わりと短髪な巻き毛。逆光ではっきりわからないが、おそらく銀髪。領主くらいの身分の姿だ。
「確かに、そちらの言うとおりだ。なら、明るいところで食事でもしながら、商談というのはどうかな?」
青年は断られたのをすっかり無視して…。いや、断られてとは思っていないようで、さわやかに誘いをかけた。
「絵もろくに見てないのに、食事に誘うなんて……」
クリスが顔をしかめる。
そして、片付けの手を早める。
「いや、食べに行こうというのはいきなりで悪かったね。でも、昼間にここを通って、絵は遠くからだけど、しっかり見たさ。山の絵があっただろう。あれ、俺の住んでたところに似た風景だったんだ。それで、気になってね」
「え……」
クリスは足元をみた。
確かに、今伏せてある一番大きな絵には、山の絵が描いてある。
昼間に見ていたというのは嘘ではないようだ。だけど、こんな身振りのいい姿の人をみた覚えがない。下を向いて、何かしていた時だろうか。
「あの、お気に召していただけたのはうれしいのですが、今日はもう暗いので、明るい時にもう一度お越しいただけませんか? 後二日、祭りが終わるまではこの場所で店をだしてますので」
「いや、いいよ。すぐ買うよ。代金も持ってるし」
青年は不思議そうな顔をしながら、腰に手をあててみせる。
確かに、重そうな布袋が見える。
「そうですか……」
それでも、クリスは承諾できないでいた。
本当に絵を気にいってくれたのか、半信半疑だったのだ。丹精こめて描いているのだから、ちゃんと大切にしてくれそうな人に売りたい。
こんな暗がりで、そそくさとやりとりをしてしまうのが嫌なだけだ。
拒んでいられるほど、いい身分ではないのだが、どうやら自分はそういう性分らしい。
しかし、どうやって言えば納得してもらえるのか…。
「もう一度来ればいいのかな?」
「あ、ええ……」
「そうしたいが、あいにく明日からは市場に来られなくてね。しかも、次の祭りにも都合がつくとは限らないんだ。家も遠いし」
青年は残念そうに、かぶりをふった。
「そうですか。では、この絵は取り置きしておきますので、いつか来られた時にでもおねがいします」
クリスは頭を下げた。
「まいったな……」
青年は、星空を見上げて、苦笑いを浮かべた。
「わかった。また買いに来るよ。だから、ちゃんと売約済みにしておいてくれよ」
「はい……では、炭が落ちないようにしておきます。それから、一応お伝えしておきますが、私が次に市場にでるのは、デュオニュソス月の、《葡萄の収穫祭》になります」
「そうか。俺は今の《旅人の祭り》だけには毎年来るんだけどな。そうか……」
「家は、この辺りではないのですね?」
「あぁ。とても遠いさ。旅をしてきてるからな」
と、青年は軽やかに言うが、どうみても旅人の姿ではない。もしかして、馬で移動しているのか。なら、本当に領主か、その側近ではないだろうか。
「で、君はどうなんだい?」
「え? いえ、そちらほどでは……」
そこまで言って、口をつぐんだ。自分のことを話すつもりはなかった。
「何か、早く帰りたいって顔してるな」
「……えぇ、もう暗いですから」
クリスが辺りを気にしていたのが、青年にも伝わったようだ。
クリスの店の隣はもちろん、ほとんどの店が片付けを終わっている。家路に向かう人の姿も、もうわずかだ。
「ひょっとして、俺ほどの距離はなくても、結構歩かないといけないのかな?」
「遠くても、近くても、関係ないと思いますが」
クリスは、立ち入ってくる会話をきっぱりと絶った。
「そんなことはないさ。俺が引きとめたんだからな。送ろうか?」
「いいえ! 結構です!」
クリスは大きく息を吸って、唇を結んだ。
「結構、ね……。まあ、誘いに乗るようには見えないというより、身持ちが固そうだな……と、おっと、失礼……」
「……」
クリスは青年をにらんで、目を逸らした。