27章 ~神界へ~
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「おい、もう着いてるぜ。目をあけろよ」
いわれるまでどのくらい経っていただろうか。息を三つほど繰り返すほどだったかと思い返しながら、こわごわまぶたを開けた。
様々に咲き誇る色とりどりの花が、クリスの視界に飛び込んできた。
「きれい……」
膝下で、無限に広がっているかのような花畑は、風に揺られて甘い香りも運んでくる。
「ここは?」
左にいるヘルメスに、浮かれた声で問う。
「オリンポスの、アテナ神殿だ」
ヘルメスがクリスの肩に手を置いた。
クリスはちらりとヘルメスを見て、花の道を歩きだした。
「一つ言っておくが……」
ヘルメスの声はいつになく低い。
「俺に対してはどんな口調でもいいけどな、他の奴らの前では気をつけろよ。下手に馴れ馴れしい口をきいただけで、怒って動物に変えちまう短気なのもいるんだ」
「えっ!」
クリスは唇をかんだ。
「一応ここの奴らは神だ。人間とはいろいろ違う。自分たちが各上だと思っている奴がほとんどだ。人間にそんな口をきかれるのは嫌がる」
「はい……」
クリスは重く返事した。自然と歩調も遅くなる。
ヘルメスが気づいて、背を押すように手をあてた。
「そう緊張しなくていい」
「あ……」
ヘルメスの優しい声に、クリスはそちらを見上げた。
ヘルメスは穏やかにクリスを見ている。何だか気恥ずかしくなって、ちょっと横を向いてしまった。
◇
神殿の前まで来ると、クリスは背伸びするように前を見上げた。
たくさん柱があるところや、神殿そのものの形が、デロスのと似ている。いや、デロスがこちらをモデルにしたのだろう。
だが、大きさ、そして透き通るような輝きと艶を持つ柱や床は、さすが本家の神殿といったところか。
クリスたちは、柱の間を進んだ。
その柱の根元は、人が四人ほど集まったくらいの太さがあり、見上げると首が痛くなるほど高い。縦に細長く走る筋とともに、花や動物が美しく浮き彫りされている。
それが、数え切れないくらい整然と並んでいた。
ヘルメスたちは言葉を交わすことなく進んだ。他の人の気配は、全くない。
白い床をひたひたとどのくらい進んだだろうか。ようやく、奥に扉らしきものが見えてきた。
すると、突然その扉の前に、水色のゆったりした衣をまとった女が現れた。
お互いの顔が認識できるまでに近づくと、女は丁寧に頭を下げた。
つられて、クリスも頭を下げた。
「あいつらは、いるか?」
「はい、先刻からお待ちしております」
女はそう答え、鳥の彫刻がある壁に両手を触れた。
すると、継ぎ目などなかったそこに、扉ができ、すぐにそれも消えた。
そこから濃紫の絨毯がのび、はるか先まで続いている。
ヘルメスが先に歩きだした。
クリスは後に続きながら、自分の手先が冷えていくのを感じた。多分、緊張しているんだろうと自己分析しながら、遅れないようについてゆく。
進んでいくと、扉にいた女性と同じような衣の女が、ずらりと左右に並んでいた。ヘルメスたちが通りすぎるのにあわせて、次々と頭を下げる。
ここの女官たちのようだ。髪の色は、金や茶色など様々だが、一様にまとめあげている。
先に続く絨毯は、つき当たりの階段を昇っている。どうやら、そこが壇上のようだ。
何だか怖くなってきたクリスはゆっくり進みたいのだが、ヘルメスは歩調を緩めない。置いていかれるのも怖いので、何とかついていく。
階段が近くなると、ヘルメスは歩みをやめた。それから振り返り、クリスに前に来るように手招きしてきた。
従うしかないので、怖いながらも、冷たい指先を胸にあてたまま、ヘルメスの横まで来た。
「遅かったな」
十段くらいの壇上から、やわらかな声の男性が声をかけてきた。
クリスは、胸元にあった両手を口元に上げた。
「そうか? 遅れてきたつもりはないが」
ヘルメスが会話する相手は、クリスには見覚えのある、驚くべき容姿だった。
「ヘルメス、そこのお嬢さんが、腰を抜かしそうになってるぞ。説明してないのか?」
「あぁ。楽しませようと思ってな。言ってない」
「悪趣味だ」
短くなじって、男は軽くため息をついた。
その男は金髪で……。そう、ヘルメスが仮の姿でいた時のあの優男だった。
「あの人は、なんであの姿なの?」
クリスはまだ訳がわからない。
「にぶいなぁ。あいつはアポロンさ。音楽や、予言を司る」
「な、名前はわかったわ。でも、どうしてヘルメスがあの姿……あっ」
話ながら考えていて、やっと結論がでた。
「ようやく判ったようだな。あれは俺が人間の姿をとるときに、容姿を借りた奴だ」
「あぁ……」
道理で、どこか人間離れした美しさがあったわけだ。だが声はもっと上品で、ヘルメスとは違う。
「なら、これが本当の姿なのね?」
クリスは、銀の巻き毛で、正装らしい姿をしているヘルメスを見る。
「そう。これが俺さ。気に入らないか?」
「だ、誰もそんなこと言ってないじゃない」
いちいち一言多い。
 




