25章
ホルクスは黒い髪に目をやった。
「いい色じゃな。お前さんによう似合っておる」
「そう? ありがとう……」
クリスはにわかにほめられても、まだうれしさを味わうまでではない。
「あの。これでもう誰も嘘なんか語る人がいないんだから、また下で語りを続けてもいいんじゃない?」
クリスが明るい声で提案した。
実際、デロスには数年間語りが不在なのだ。
「いや。わしはもう語る力が残っておらん。きっとこの命も長くないはずじゃ」
「そ、そんなことないでしょ?」
驚いて、思わずホルクスの手をとった。
「いや。自分のことは自分がよくわかる。わしの後を継ぐ語り部が、もう現れてもよいころじゃ」
「え?」
クリスは、目でヘルメスに答えを求めた。
視線を向けられたヘルメスは……一度受けた視線を、大きく外した。
「……」
クリスはわずかに戸惑った。
「ヘルメス様。すぐ先のことになるでしょうが、どうかこの老いぼれの案内をお頼み申せませんでしょうかな?」
それは、聞いているクリスがつらくなる言葉だった。
ヘルメスは軽くうなずいた。
「頼まれなくても、案内するつもりさ」
「おお、ありがたいことじゃ」
ホルクスはまたも額がこすりとれるくらいに床に頭をつけた。
そして、気が済んだのか、やっと頭をあげた。
「ときに、ヘルメス様。嫁に、お迎えなさるのかの?」
ホルクスは顔中しわだらけにして、目の前の男女を見比べた。
あまりにも唐突な質問、詮索に、しばらく沈黙が走った。
「なに? どうしてよ! 私は強引に呼ばれて、ちょっと用を済ませるだけなの! それだけよっ」
涙などどこかに飛ばして、その間違いを大きく訂正した。
ヘルメスはというと、お腹を抱えて笑いを抑えようとしている。
「じいさん……。口は達者だが、頭はもうろくしているようだな」
「おぉ、申し訳ありませぬ」
ホルクスは謝りながらも、しわで隠れている目を更に糸のように細め、うなずいている。
「では、気をつけていきなされ」
「えぇ、ありがとう……」
クリスは立ち上がった。
ヘルメスも柱から身体を離した。
「では、後々お願いします」
「あぁ……」
互いに短い挨拶だった。
クリスは、ヘルメスに引っ張られるように足を踏み出したが、ちょっと止まった。
「あの、ここを綺麗にしているのは、おじいさんなの?」
「クリスや。綺麗にするのではない。ここはわしの在る所。わしは神殿の守番じゃ。誰がいつ来ても、気持ちよく拝殿まで歩けるようにしておるだけじゃ」
「そうなのね。ありがとう」
「お前さんこそ、綺麗な姿を見せてくれて、心が若返るようじゃ」
「まぁ……。じゃぁ、行ってきます」
お互い微笑み合い、クリスは、先をゆくヘルメスを追った。
 




