24章
クリスが七歳のころだったか。母は、頻繁に神殿に連れてきて遊ばせてくれた。
ホルクスは市場やこの神殿のふもとで神の語りをしていた。
子供たちは、目を輝かせて聞いていた。クリスも、そんな中の一人だった。
だが、ある日突然、ホルクスは姿を消してしまった。その代わりなのか、すぐに若い男が語り部としてやってきて、ホルクスがまだ話したことのない神語りをしだした。
その若い男が、語りの中で、黒髪は神の嫌う色だと告げた。
驚いて帰って母に言うと、あなたは悪い子じゃないのよ、と繰り返しなだめてくれた。
しかし、その話はまたたく間に広がり、クリスは人のいない森でしか遊べなくなってしまった。
クリスは思い出しているうちに、目元を潤ませていた。
「ねえ、どうしてあの若い語りに変わっていたの? あの人の話、おじいさんのと違うのよ。黒い髪の話って知ってる?」
どんどん紡ぎだされる質問に、ホルクスは顔を伏せた。
「わしは、あいつに刀で脅されて、無理やり辞めさせられたんじゃ。そのとき、あいつはわしの口をきけないように、顔を切りつけてきおった。……痛くて、痛くてのう。もう命がないかと思っておったら、そこにおいでになるヘルメス様が、傷を治してくださったんじゃ」
「えっ?」
クリスは高い声をあげてしまった。
「おい、なんでそんなに驚いている? 俺だって、不条理な目にあっている奴は助けるさ。悪いか」
ヘルメスがふてくされたようにクリスをにらんだ。
「いえ、ただ驚いただけで、そんなに深い意味は……」
クリスは思い切りたじろいだ。
「どうかな。まあいい。話を続けろよ、じいさん」
「あぁ、はい。それでな、あいつの話というのは、わしら語り部から聞いたものを作り変えただけの嘘話なんじゃ」
「どうしてそんなことを……」
「多分、自分の話をきいてもらうためじゃな。同じ話だと、皆立ち去ってしまうじゃろ。だから話を変えて聞かせて、御礼などもとっておったようじゃ」
「あぁ」
確かにそうだった。ホルクスは何もとらなかったが、あの語り部は何かしら求めていた。
「じゃぁ、黒い髪の話も?」
「そうじゃ。わしは神殿で言葉伝えの神か告げれらて、伝えるように言われた話だけをそのまま伝えておる。その中に、そんな忌まわしい話などなかった。わしも、あいつの話を人づてに聞いたよ。……全く、罪なことをしよる。クリスや、よく耐えたのう」
ホルクスの目の下の皺に、涙が溜まった。
クリスも鼻をぐずらせ、手で顔を覆って、何とか大泣きは防いだ。
ヘルメスは、そんな二人を、柱に背をもたれさせたまま観察するように眺めている。
「あいつは語り部とは言わせんぞ。神から仰せつかった我ら語り部は、それぞれの神殿で真を伝えるのじゃ。それなのに、あいつはあちこち移動して回っておった。語り部は、神殿一つに一人。語りに際して、何の要求もしてはならんというのに……」
ホルクスは悔しそうに床を叩いた。その手に力をこめたようだが、床は乾いた音をたてただけだった。
「じいさん。そいつは、もうとっくの昔に冥界へ連れていったさ。嘘つきの神に、罰を下されてな」
ヘルメスは淡々と告げた。
「おお、おおそうか! わしは、てっきりまだあちこちで語っておるのだと……。そうか。これでもう悪い話が広がることはないのじゃな。誠に、御礼を申し曲げます。ヘルメス様」
クリスは、ホルクスがなぜそこまで頭を下げるのかわからなかったが、しばらく瞬きを繰り返して……気づいた。
「こういう訳じゃ、クリス」




