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雑文集

かくこと

作者: illumina

 白紙を前にすると人は何も書けなくなるから形式を作ります。とはいえ形式は枷です。だから書けるようになるたびに少しずつ縛りを緩める必要があります。とはいえ、意識的に従っているルールを緩めるだけではいけません。あなたが無意識に従っているルールを知ることがたいせつです。

 わたしはタイプするより鉛筆で書く方が得意だし、鉛筆より頭の中で考える方が得意です。そうです、わたしは頭の中では何でもできます。色々な魔法を使えます。空を飛べるのはもちろん、生まれ変わったり、せかいを根本から作り変えることもできます。

 でもこのことを紙の上に書こうと思うととたんに手が止まります。ですから紙の上では代わりに詩を書きます。大抵は下手な模倣ですが、時々自分でも驚くくらい出来のいいものが書けます。そういった詩は誰にも見せずに引出しの中に保管するのですが、後になってみるとそれを書いたのが本当にわたしなのか疑問に思います。わたしのふりをしたまったくの別人がそれを書き残して行ったんじゃないかと思ったりします(実際そうだと思います)。

 そしてわたしはパソコンでは何故か詩が書けません。パソコンを前にすると無限が見える気がするのです。そうです、一文字タイプするごとに無限から少しずつ可能性を奪っているような気がして申し訳ない気分になるのです。だからパソコンの前ではわたしはこうやって何も考えずに思考を垂れ流すことしかできないのです。思考、そう、思考です。思考することによってあなたは無限から逃れることが出来る。何故ならあなたは考えることを考えることはほとんどできないし、一度考えたことを取り消すこともできない。一度考えたことは永遠です。そうです、ここでは必然が作用しているのです。人は死ぬことによって永遠になるのではありません、考えるたびに永遠になっているのです。

 おそらく、こういったことがわたしが無意識に従っているルールなのでしょう。実際、頭で考えることと紙の上に書くこと、タイプすることの間にそんなに差があるでしょうか? いいえ、ほとんど無いはずです。もちろん、頭で考えることには記憶の問題が付随しますし、紙の上に書く時は編集の問題が常に付きまといます。でも、意識を明晰に保てば、そんなものは実に些細なものだと気が付くはずです。少なくとも、媒体を変えるだけでいきなり何もできなくなるというようなことはありえません。

 そうです、些細なことなのです。でもその些細なことを変えるのには多大な努力が必要なようです。身体とはそういうものです。そうです、身体とはかなしいものです。ですから今日もわたしはわたしのたましいをわたしの身体から切り離して、遠くに飛び立とうとします。

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